第43話 A海岸の廃ホテルの話



 廃墟巡りが趣味なのである。

 悪趣味なスラムツーリングと一緒にしないでもらいたい。これはれっきとした創作活動。日常の場では書けない何かを求めて、取材兼インスピレーション求め兼作業場として、廃墟を巡っているのである。

 有名どころとしては某県山間部の廃集落、某川上流の採石場跡地、Eヶ丘の爆笑大仏、K丘陵の幽霊屋敷などなど。いずれも一級品の廃墟であり、創作も凄まじい勢いで進んだ。


 ちなみに、執筆ジャンルは怪奇幻想である。乱歩横溝、更には鏡花。古くより流れる川の支流の末端を泳ぐ魚と自負する。いずれは川を遡り、竜となることを夢見ている。


 怪奇幻想と廃墟の関わりは古いということも言い添えておこう。そもそも、幻想文学、すなわちファンタジー、SF、ホラー、ミステリ、そういったジャンルの作品群は、大元を辿ればゴシックが源流だ。ウォルポール『オトラント城奇譚』、ベックフォード『ヴァテック』……ヨーロッパで生まれたゴシックの様式が、現代幻想文学の源流。そしてそのゴシックが生まれる源となったものこそ、ヨーロッパにて盛り上がった廃墟趣味。グランドツアー流行による廃墟趣味の勃興。古城を庭園に再現しようとした貴族の流行が、巡り巡って谷崎潤一郎『魔術師』へと繋がるのだ。となれば、廃墟を巡り、その果てに怪奇幻想の作を求めた私の動機はまさしく原点回帰といえよう。


 話がそれ過ぎた。戻そう。


 さて、廃墟巡りもそろそろ大詰めである。

 巡りながら書き続けて来た一作が、あと少しで完成するのだ。恐らくこの廃墟にて、この世紀の作は完成を見る。

 廃墟の中で書き上げた幻想譚、猟奇の気配をふんだんに存分に込め終えた怪奇長編。この渾身の一作でもって私は文壇を猟奇に染めよう。


 机に戻ってきた。異音が聞こえたため、様子を見てきたのである。単なる家鳴りのようだった。波の音を越えて聞こえてくるのだ。相当な音である。

 玄関には足跡があり、埃が積もっていない様子を見るに、最近誰かが足を踏み入れていたようだが、現在は私以外に誰もいないはずだ。一度外に出て、明かりが無いか確認したが、特に何も見当たらなかった。


 私は現在、A海岸の廃ホテルに滞在している。

 外観から把握するに十五階建て。白い外壁にはヒビや汚れが目立つも、崩落や倒壊の危険は無さげである。

 A海岸にまつわる怪談は多いが、このホテルも例に漏れず忌わしい由来を抱えている。

 それは


 いま窓の外になにかいた。

 ここは、五階だ。

 ベランダはない。外観を見るに窓の外に足場はなかったはずだ。

 なのに何かがこちらを覗き込んでいた。


 何かと表現したくなる気持ちを察してほしい。


 ホテルの由来について。

 語りたくはない。そんな気分だ。

 これはいけない。流石に弱気だ。こんなのでは、インスピレーションどころか執筆すら危ういだろう。


 少なくともここで完成はさせる。それまでは出ていかない。そう決めた。


 今日は、寝ることとする。



 夢を見た。

 不思議な夢だ。私は私ではなく、夢の中では旅の僧侶であった。修行の旅として全国を行脚する僧の一人で、他に五人の仲間がいた。彼らと親しげに話しながら山を抜け、やがて海岸についたところであった。海岸沿いの村の者たちから歓待を受けたところで目が覚めた。


 海岸には見覚えがある。そう思い窓を開けると、やはりだった。ここだ。A海岸だ。となると、私が見た夢は、A海岸にまつわるものだったのだろう。



 静かにしている。今のことを記す。今物音があった。上の階からだ。六階。このホテルが心霊スポットとしても有名なのは六階があるからだ。六階には何かがいる。このホテルにまつわる怪談のほぼ全てがそう結論されていた。上の階の物音はやまない。床をず……ず……と擦るような音が鳴っている。何の音だ? 見に行くべき←ダメ。まずは様子をみる。ネットの情報によれば六階さえ回避すれば後は安全らしい。←昨日の窓は? とにかく息を潜める。ごと……ごと……と何か落ちるような音もある。後は、異音を知覚してから二十分、音の調子が変わった足音だたくさんある。たくさん……なんだ……走り回っているのか? ドタドタと踏み荒らすように駆け回る音が天井のあちこちから聞こえてくるすごい音量だ。子供がたくさんかけまわっている瞬間を想像した。ホテルならそういうこともあろう。問題はここが廃ホテルであることだが。まだ続いている。終わる気配はない。今のところ上からしか音は聞こえない。同階層から聞こえてきたらと思うとぞっとするが、しかしそういうことはなさそうである。


 消えた。長い。二時間は聞こえていた。いくつもの廃墟を見てきたがここまでの廃屋は初めてだ。霊障というやつか。何かいるなと感じたことは多々あれど、日中にここまでのものが起こるのはさすがに驚く。



 おかしい。外に出られない。


 非常階段もダメだった。


 時間をおいても同じだ。


 破ることも不可能か。



 落ち着こう。

 外に出ることが不可能になった。一階の入口が開かない。入るときは力で無理矢理開けることができたのだが。先程見たら閉まっていたし、ビクともしなかった。ロビー近辺の物を使って割ろうともしたが無理だった。


 だが窓は開く。←一階以外。

 最悪命綱でも作って窓から降りれば良い。


 今すぐ出るか?

 いや、まずは書き上げなくては。


 夕焼けが美しい。逢魔が時だと思ったが、今は特に何も起こらない。






 夢を見た。あの夢の続きだろう。村人の手厚い歓待の翌日らしい。


 仲間の一人が消えていた。

 私を含む五人は村人に与えられた小屋の中で何か話していたが、詳細は覚えていない。だが、ただならぬ雰囲気ではあった。


 夜明けの光が眩しい。二度寝は無理だろう。


 一階のドアは開かない。そして二階の窓も同じだった。三階の窓はまだ開く。



 六階へ上がる階段の様子を見に行く。


 五階からの階段入口は何もなかったが、踊り場から見上げた六階にはロープが張られていた。立入禁止ということか。或いは。

 とりあえず見るだけにして帰って来た。


 より上の階に向かうのは論外である。

 六階で何か起きた時に逃げ場がない。

 五階以下なら最悪窓から降りられるはずだ。



 正午を過ぎたが、特に何も起こらない。

 執筆は順調である。序盤から撒いていた伏線を回収し、時代と性別誤認の叙述トリックを成立させた。トリックそのものに真新しいところはないものの、怪奇幻想と絡めることで新規性に繋がろう。



 夕方である。食料はまだある。水も大丈夫だ。どちらも切り詰める必要はあるが。


 夕焼けが美しい。


 なら何故今朝、夜明けの光を感じたのか。

 海に日が沈むなら、夜明けは反対側の、山の方から来るはずだ。


 あれは本当に夜明けの光だったのか?



 書く。ただ書く。とにかく書くのだ。

 思うに、創作に計算は不要。ただ狂気があれば良い。今までの私にはそれが足りなかった。だからまともにランキングにも乗らなかったのだ。しかしそれが功を奏した。露骨なエロ描写、典型的無双系、そんなものに価値はない。このようなものがランキングに乗るのに必要だというのなら、ランキングなど無用の長物。されど、ランキングに乗らなければ読まれることも無いのがウェブ小説の必定だ。

 だが例外はある。

 それが狂気だ。例外のひとつだ。圧倒的なまでに読者をねじ伏せる狂気だけが、人を真の意味での評価に走らせる。

 今までの私はそこに至れなかった。だが、今ならば。この恐るべき環境ならば、描写活写の魔境に踏み入り、そして超えられよう。

 書く。ただ書く。とにかく書くのだ。

 天井から鳴り止まぬ異音はそのためにある。




 夢。

 山道をどこまで走っても必ず海に出る。廃屋どころか地形地理そのものに脱出を阻まれた僧の絶望。これこそまさに恐怖譚の真髄だ。夢の感覚を忘れぬうちに記しておかねばならん。


 完成は目前だ。

 狂気だ。とにかく狂気だ。

 怪異が起ころうがどうしようが、それすら跳ね除ける狂気があれば良い。

 創作に携わるものとしての矜持だ。

 槍を突き立てられても筆を止めなかった小説家。

 獄中でも汗と血と汚穢を墨として歌を詠んだ詩人。

 己の命をかけて国家に殉じた作家。

 狂気こそ創作者の武器であり現実のあらゆる圧力はその前では何の意味も持たない。

 怪異も同じだ。すべては私の創作の為の燃料。廃墟に求めるもの等しくそれのみ。怪異現象そのものの価値など塵芥。私は書く。とにかく書く。

 病床にあって最後の一秒まで筆を止めなかった小説家の名を知っている。

 死に瀕した己の顔を題材に肖像画を生み出した画家がこの世にはいるのだ。

 私もそうなる。そうならねばならない。

 そうならなくては、なんのために。

 なんのためにこんなことを続けているのか。

 狂気ある己と成り果て、貫き続けた今までに価値を与えたい。

 狂気だ。とにかく狂気だ。

 怪異を跳ね除けろ。狂え。怪異すら恐れひれ伏し、そしてその様を作劇する程に、狂え、狂え、狂え。

 狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂え狂えくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるえくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろくろく






 逃げ場がない。

 私はもう駄目だ。



 最初は、隣室からの物音だった。

 上からの何かなら耐えられた。そういうものだと、わかっていてここに居るのだから。だが隣室で何か起きたならもう、それは終わりの合図だ。上から降りては来ないはずの何かが、既に降りてきているということなのだから。

 だから隣室から音が聞こえた瞬間に直ぐ様原稿を荷物に入れ、窓に走った。用意していた命綱を腰に巻き、窓からの脱出を試みたのだ。

 だが、だめだ。

 命綱が腐っている。物凄い勢いでボロボロと崩れた。

 咄嗟にプランを変更した。命綱を捨て、三階からの脱出を選ぶ。


 だが廊下に出た直後、隣室から何か出てきた。それは、僧侶に見えた。禿頭の大柄な姿だった。夢が侵食してきたかと思った私は、思い切り殴り飛ばした。すると僧侶は吹き飛んで行った。隣室には他にも僧侶が四人いて、こちらをじっと見ているようだった。私は、正直に言おう、恐ろしくなって逃げた。すると怒号と共に僧侶立ちが追いかけてくる。私は廊下を駆け抜けて階段まで来て後ろを向いてみたら三人の僧が迫ってきていた。咄嗟に階段へ踏み込み、その時上から奇妙な音がして、ふわりとロープが落ちてくるのが視界の隅に見えた。そのロープのもとあったであろう、階段上方に、黒い何かが、私はそれをみなかった、ただ階段を駆け下りた。怒号と共に駆け込んできた僧侶の声が悲鳴に変わる。私は四階を飛ばして三階へ降りた。そのまま適当な部屋の扉を蹴破り、窓へ体当たりしようとしたが、先に窓が開き、向こうからぞろぞろとあれはなんだ、とにかく入ってきたそれは白いものたちで、押し寄せるそれらから逃れるべく階段に戻ると、上から転がってくる僧侶の頭が四つ、首だけになっている禿頭のそれと、彼らをそのようにしたであろう上にいる存在を考えるともう下に降りるしかなく、走り走り、そして今はロビーのカウンターの裏に隠れてこれを記す。


 白いものたちはロビーに溢れている。

 恐らく奴らこそが六階で騒いでいたものたちだろう。私が三階から逃れようとしているのを察知して、先回りして窓から

 いやそんな事はいい。何故今、やつらは動き出したのだろうか。そんな事もいいのだ。とにかく今は、どうにか逃れるすべを考えなくてはならない。


 策はある。カウンターに隠れる前にチラリと見えたが、ホテルの扉が開いている。


 辿り着く前に天井から滲み出すように白いものが湧いてきたので慌てて隠れてしまったが。しかし奴らの隙をついて走れば、届かない距離ではない、はずだ。


 どうやって隙を作るべきか。

 果たして。


 そんな時に見つけたのだ。

 これを。


 宿帳だ。床に転がっていた帳簿である。この帳簿を開いた私は、読んでしまった。

 そして知ったのだ。

 この世には今の私のこの状況とは比較にもならないほど恐ろしい、絶望すら生ぬるい、地獄すら花畑に見えるほどの絶対的な悪夢の存在を。

 先に知っておきたかった。そうすれば、こんなもの、こんな、こんなホテルで原稿など書くことはなかったのだ。狂気などというくだらぬ妄想にすがることもなかった。私のこんな三文小説に人生をかける必要などまったくなかったということを、この宿帳に記されたひとつの記録が教えてくれたのだ。それは最悪の物語だ。最も恐ろしい猟奇譚だ。こんな恐ろしいもの読んだことがない。これがあるならもう、繰り返すが、繰り返すが、これがあるならもう私の駄作など必要ない。なかったのだ。なかったのだ最初から。これがあるならば。これさえあると知っていたなら。私は無駄だったのだ。だが無駄な私は今初めて本当の恐怖を知った。この感情の激烈さこそ真実だ。だから、それだけは残す。私にこれだけの感情の動きを与えたこの宿帳の中のひとつの怪奇物語を次に写すこととする。


 それはこのように始まる…………


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百記夜行 みやこ @miyage

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