文芸サークルの思い出

そのメシ屋は大学から歩いて5分、駅の方向に坂道を下った途中にあった。最近はもうめっきり少なくなってしまったが、食欲の有り余った運動系部活・サークルの学生向けにものすごく大盛りの料理を出してくれるところが、まだ一軒残っていた。みんな期末試験で忙しいのか、今日はぼくら以外に客はおらず、店員はヒマそうにしていた。


メンバーは三回生の先輩ふたりと、二回生のぼく、みんな文芸サークルのあまりまじめでない部員だった。ぼくは浪人しているので実は現役の先輩ふたりとはタメなのだが、そこはやはり学内での年功序列(?)ということで、後輩の振る舞いをしている。


四限明けにサークルの合同誌の打ち合わせがあって、そのあとに苅谷先輩に呼ばれ、じきに多治見先輩も合流して今にいたる。先輩によると、サークルの打ち合わせのあとはだいたい二人でここに行ってあれやこれやと話しているそうだが、いつもお互い酔っぱらってうやむやになってしまうので、今日はレフリーというか、記録してくれる人間をまじえてしっかり議論をしたいということで、たまたま両者とつきあいのあるぼくがこの店に呼ばれたのだった。


ぼくはまあ、後輩としての仁義もあるが、前に別の機会で同席したときに面白そうな話をずっとしていたふたりであったのと、こうしてふたりの主張を聞いて、読める文章にまとめることもなにかのトレーニングになるのではという思いから引き受けたのだった。ふたりは前回は人生についてなにか重大な話をしていたらしいが、お互いよく覚えていないらしい。


席についてから飲み物と食べ物を頼み、しばらくはさっきの打ち合わせのつづきや、サークルの活動についてとりとめのない話をしていた。


「じゃあ、そろそろはじめるか。今日はよろしく頼むよ」

苅谷先輩がぼくに向き直る。


「任せてください」

ぼくは用意していた筆記具とメモ用紙を取り出す。先輩はバイスサワーを既に半分あけている。弱いわけではないが、飲むとよく舌が回るらしい。


まず苅谷先輩が切り出したのは、人生の一回性についてだった。


「きみは、『コスパが悪い』といって行動しないことがときどきあるね、さっきの合同誌の連作の件もそうだ」

そう言って苅谷先輩はバイスサワーをもう一口飲んだ。


「だけどさ、そもそも自分の人生なんて一回きりのものに効率なんて考えるほうがおかしいじゃないか、人間やりたいことをやればいいし、何度失敗したってそれが最初の失敗だ、人生一回きりなんだから、コストもパフォーマンスもなにも考える必要はないじゃないか、自然科学上の現象と人間の人生を一緒くたにあつかうんじゃない」


「きみがどう生きたところで、その人生のパフォーマンスが良かったかどうかなんて最終的にはきみが死んでからしか分からないじゃないか。どんな選択であれ、それが最適だったかどうかなんてのは事後的にしか判断できなくて、予測にはつかえないだろう。そこんとこきみはどう思うんだい、あ、グレプルサワーひとつお願いします」

注文を追加して彼女は締めくくった。


対する多治見先輩はレモンサワーにすこし口をつけた程度だ。あまり飲むわけではないが、全く飲まないわけでもない。今どきの大学生にしては珍しくタバコを吸うが、苅谷先輩の前で吸っているのは見たことがない。


「本人の人生は一度きりしかない、それはその通りだ」

多治見先輩は静かに答えた。そしてテーブルのたこわさに落としていた目線を上げて、


「だけど、長い人生の中で一度も反復的な現象がない、だから効率を語るに値しないというのは暴論が過ぎるだろう。まず人間を取り巻く現象そのものが反復的だ。毎日に朝と夕があり、毎月に月の満ち欠けがあり、毎年に季節がある」


「そのなかで人間はみんな生まれて成長し、老いて死んでゆく。確かに人間の人生の瞬間瞬間というのは一回性の強いものかもしれないが、その瞬間が積み重なって生じる現象というのは人間が自然の一部である以上反復的であり、故に個別の効率を考慮して行動する余地があるといえるんじゃないのか」

相変わらず静かな調子だが、少しだけ熱のこもったようすで多治見先輩は話す。

対する苅谷先輩はやってきたグレプルサワーを一口やってから、


「それはもともと一回切りのものをわざわざ反復単位で区切ったうえでの話じゃないかい。明日の自分は今日の自分じゃないし、来月の自分も違うだろう。同じように2015年の冬と2016年の冬は違う。2015年の冬を生きた20歳のきみと、2016年の冬を生きる21歳のきみはあきらかに違うだろうさ」


多治見先輩は一杯目のレモンサワーがまだそんなに減っていない。また少しだけ口をつけて、

「なるほど、毎日違う自分であるからこそ、何度でも試して10001回目は違うかも知れないと、君はそう言いたいんだろう。しかしその発言がすでに私の主張に同意してしまってることになるよ、人間のひとつひとつの人生は生きる人の数だけ反復されている。複数の人生を人は生きられない。だけど、それぞれの人生を比較すれば同じ試行はいくらでも見いだすことはできるだろう」と言う。


あとでメモを見返してみると、ここらへんの二人の議論はちょっとズレてるかな?と思わないでもない。だがぼくはレフリーとして、中立な記録者としてそのままをここに書き残しておく。


「それを同じ試行だと言い切ってしまうことに傲慢があると言ってるのさ」

苅谷先輩は反駁する。すでにグレプルサワーは半分空いている。


「じゃあ、シンプルかつ具体的な行動から考えてみようか。前回の議論でもきみはここでグレプルサワーを頼んだ。いまきみは同じようにグレプルサワーを手にしている。これは人生における反復だと認めるかい?」

多治見先輩は苅谷先輩のジョッキを指差しながら言う。


「認めてもいいが、単独の行為の反復を以て同じとするのは少々乱暴じゃないか?たとえばぼくが昨日グレプルサワーを頼むのと今日頼むのは、頼んだことは同じかもしれないがいつ頼んだかは違う。また議論の最初に立ち返ってみよう。行為のパフォーマンスは事後的にしか分からない、なのでパフォーマンスの良し悪しの予測はいまやる行為の是非を決める理由にはならないということだったはずだ」

そういってジョッキをもう一口やる。


「ぼくが今日グレプルサワーを頼んで良かったかどうかはこの会の最後にしかわからない。仮にもっといい選択肢があったとしても、ぼくの長い人生のなかでそれがベストだったかそうでなかったかは、ぼくの人生の終わりにしか分からない」

そう続けたあとに、苅谷先輩はグレプルサワーを飲み干してしまった。これに多治見先輩はやや呆れたように、


「きみは話を無駄に大きくするのが好きなようだな……わかった、人生におけるマクロな選択としてコスパを云々することは馬鹿げていると認めよう。だがそれは今日のようなミクロな行動においては一つ一つの行動を省みる余地はあるということは認めてもらおうか。結局は行動の単位をどの程度の大きさに取るかの問題じゃないかという気はするね」

と言う。これに苅谷先輩は大きなあくびをひとつしたあとで、


「そうかも知れない。大局を見るか緒戦を見るか……ぼくとしては大局を見るべきだとは思うけどね。じゃあ、ここいらでレフリーに聞いてみよう、君はどう思う?」

とこっちを向いて聞いてくる。


「ぼ、僕が答えてもいいんですかね?」

メモを取るのに必死だったので、突然水を向けられてぼくは焦る。


「まあ、苅谷先輩と多治見先輩のどっちの言い分にも理はあると思いますけど……確かに一回きりの人生だからあれこれ試してみることは重要だと思います。でも、限られた一回切りの人生だからこそ失敗したくない、だから自分と似た他の例がないか目を向けることも自然なことかなって思います。なので、思い付いたことはあれこれ試す、でもその上で過去の例はしっかり参照する、ということが同じ轍を踏まないようにするには必要になるのかなと思いますけど……」

ぼくは烏龍茶を飲みながら答える。飲めないわけじゃないが、議論を追えなくなると困るので今日はノンアルだ。


「なるほど、同じ轍を踏まない、ね。うまくアウフヘーベンしたね。お互い詭弁に片足を突っ込んでいる気がしてきたから、この議題はこれくらいにしようか」

多治見先輩はそういって締めた。


「じゃあ次の議題だ。きみが合同誌に上げる予定の短歌の話をしよう」 


「文学論議というわけか、付き合おう」

ぼくというギャラリーが居るからか、苅谷先輩はすこしテンションが高いようにみえる。


「さっきの打ち合わせできみの原稿を読ませてもらったが、あの『くたばれ』というワードを読み込んでいた歌、誰かに対してマイナスの感情を抱いたとして、それを作品に読み込むのはかえってその人への関心を強く表してしまうんじゃないか?本当に嫌いなら無関心がいちばんいいじゃないか、そもそも詠まなければいいんだよ」

多治見先輩はいきなりなかなかの爆弾を投げてきた。


多治見先輩のいう「誰か」というのは文芸サークルの人間なら誰しもがわかる、知多先輩か渥美先輩のことだ。


渥美先輩と知多先輩が付き合っているのはサークル内では公然の秘密だ。そして苅谷先輩は知多先輩と地元が同じで、むかし知多先輩にこっぴどく振られたことがあるらしい。そんなことがあると同じサークルの中ではギクシャクしそうなものだが、そこは相互不干渉ということでお互い波風を立てずにやっている。しかし文芸のなかではそうではないようで、苅谷先輩の作品には知多先輩を意識したのではないかと思われるキャラクターがときどき出て来る。そのキャラクターはどの作品でもだいたいロクな目にあわない。前の合同誌ではホオジロザメに喰われていた。そして今回の『くたばれ』である。 


ちなみにこの部分は会のあとで先輩二人に見せた文章には含まれていない。ややこしくなること請け合いだからである。


多治見先輩の投げた爆弾に対して苅谷先輩は、

「ぼくは自分の作品については感情の機微を大事にするタイプだが、シンプルに『くたばれ』と思ったから『くたばれ』と書いたのみで、それ以上の意味はないよ。テキストからテキストの外の意味を必要以上に邪推するのはあまり良い読み手の行いとは言えないんじゃないかな」

と、やや憮然として答えた。多治見先輩の言外の意味は受け取ったようである。これに多治見先輩はニヤニヤとしながら、


「いや、作者のことを知っている人なら作者の意図とは関係なくその作品について想像を巡らせることはあるだろうということさ……もちろん、君のミューズが誰かをダシにすることで輝くんだったらそれを存分に活かせばいいと思うさ、ダシにされた側の人間もそう思うんじゃないかな?」

そんなことを言う。まあ、知多先輩ならそんな事を言うかもしれないな、と僕も思う。そしてそういうところが苅谷先輩が知多先輩を諦めきれない部分なのかも知れないなともなんとなく思う。この部分も当然先輩方に見せる文章には含まれていない。


「まあ、ぼくの筆の乗る限りはそうさせてもらうつもりだよ」と苅谷先輩は多治見先輩の言外の問いかけを実質的に認めてしまった。さっきまであれだけ威勢良く飲んでいたのにいまはさっぱり飲んでいない。


「ま、それがいいだろう。ところで話は少し変わるが、作者が自分の作品についてなにか説明したとして、それがその作品の説明だと確定するわけじゃあないんじゃないか?と最近思ってるんだ。受け手がどう受け取ったかが大事な場合もあるだろう。それこそある種のアニメ作品において『作者が原作では言わせてないだけ』が成り立っているようにね」


「たしかに、作品内で登場人物は一切言ってないセリフが当人が言ったようなセリフとしてまことしやかに拡散され、そのセリフが賞まで取ってしまった事例はあるね。それはそのセリフが如何にもそのキャラクターが言いそうだということが、作品の受け手となった人たちの間で共有されたからだろうな」


「でも、それは二次創作のようなもので、公式が違うと言ったら違うものだろう。ぼくも昔書いてた二次創作のSSが原作の更新で『おじゃん』になったことがあるよ。でもぼくが味わいたかった展開はぼくの書いた創作でしか充たせないものだったんだよな。あれ以来二次創作は書いてないけど、あれは公式にはない'if'のようなものだったと思うことにしているよ」


「創作のハンドルは作者が基本的には作者が握っている、今の創作はそうだろうな。だがファンメイドと原作が相互作用した例が過去になかったわけじゃない。例えばセルバンテスの『ドン・キホーテ』は……」


このあたりまではメモが残っているので記憶をたよりに書ける。多治見先輩が中世の小説についての蘊蓄を披露し出したあたりで、ぼくも話の方に聞き入ってしまいメモを取るのを忘れてしまった。まあ、ここからは議論というよりはお互いのとりとめのない文学談義がつづいたので、議論の記録という意味では最初の話題で終わってしまって良かった。先輩に見せた文章もそこまでしか書いていない。


結局、この日は苅谷先輩が先に酔いつぶれてしまったので、ぼくが彼女を駅向こうの「メゾン発狂」まで送ることになった。多治見先輩は行きたいシーシャバーが近くにあるということでさっさと帰ってしまった。


帰り際に多治見先輩はぼくに「なかなか面白かった。また頼むよ」と言い残していった。酒はほとんど苅谷先輩が飲んでいたが、お代は多治見先輩がおごってくれた。


「あ~、操(知多先輩の名前)、ぜったい許さん……」

そんなことを苅谷先輩はぼくの肩を借りながらつぶやく。ぼくはまだ合同誌の原稿は読んでないが、今回は知多先輩(を模したキャラクター)は作品の中でどんな目に遭うのだろうか。短歌の連作とは聞いているから、そこまですごいことはできないように思うが。


外はずいぶん冷え込んできたが、苅谷先輩に肩を貸しているせいかそこまで寒いとは感じない。そうこうしている間に「メゾン発狂」の前に着いた。苅谷先輩はなにかぶつぶつと話しながらバッグを漁って鍵を取り出す。


この「メゾン発狂」、なぜ「発狂」なのかはさっぱりわからない。同期も住んでいるが、曰く今の大家も前のオーナーから買い上げたころからこの名称だったとのことだ。それで名前を変更しなかった大家もなかなかの変人だとは思うが。さすがに「狂」の字を住所に入れるのは抵抗があるということで、同期は住所を書くときは建物名を書かず部屋番号のみにしているということだった。


苅谷先輩はどうしているんだろうということを何とはなしに考える。もし書いているなら苅谷先輩の親も住所をそう書くのだろうか。娘の下宿先に送る仕送りに「発狂」と書くにはなかなかの勇気が要りそうな気がする。


「じゃーね、ありがと。また明日」

そういって苅谷先輩はメゾン発狂のなかに消えた。まだ終電までは結構時間がある。同期の家に上がり込んでも良かったが、何のアポもなく行くのも失礼というものだろう。今日はこのまま家に帰ることにした。


ふと鼻先を白いものが掠める。空を見上げるといっせいに雪が降ってくるところだった。明日の朝も冷え込んでいたら嫌だなあ、ということを思う。駅に戻る道はいつもより随分しずかだった。



……ここまでが自分が文芸サークル所属時に書いたものだ。結局全部の文面を先輩に見せることはないまま先輩も自分も卒業してしまったが、あらためて見返してみると、登場人物全員なんと鼻持ちならない言動をするんだとちょっと笑ってしまう。でも往時はみんな大真面目だったのだ。


渥美先輩と知多先輩はそのまま学生結婚した。すぐに子供が生まれ、まだ元気なそれぞれの両親に孫の面倒を見てもらいつついまは二馬力のパワーカップルになっているという。なかなか計画的な人生だなあと思う。


多治見先輩は東京の大学院に進学し、そこから博士課程に進んだと聞いている。相当に厳しい道だと思うが、あの蘊蓄が懐かしくなることがたまにある。今会ったら、どこまで進化した文学談義が聴けるんだろうか。


そして苅谷先輩はというと……ぼくの傍にいるなんてことは当然ない。現実はそこまでご都合主義じゃない。そもそもぼくは大学のころから今まで自分の恋愛沙汰に自分でも少し驚くほどに興味が持てなかったし、彼女はずっと知多先輩を追っかけていた。が、彼女は四回生の頭で突如フィリピンへと留学し、そこから全く音沙汰がない。まさか死んでないとは思うが、卒業したかどうかもわからないので確かめようがない。


メゾン発狂はググったらまだあの名前のままであるようだ。立地がいいし家賃も安かったので学生はコンスタントに入っているんじゃないかなと思う。


ぼくは就職活動の果てになんとか拾ってくれた一社に入り、地味な新入社員としてさほど面白くもない仕事を続けている。大学や文芸サークルにいた頃の経験が生きるような仕事では全くないが、これはこれで反復のできない人生のひとつではないかな、ということを思う。



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丘の上の大学の思い出 @ef_utakata

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