丘の上の大学の思い出

@ef_utakata

「特定班」の思い出

きっかけは大学一回生の前期、学部生混合で必修の、コンピューターの使い方についての講義だった。最近は大学ではじめてキーボードに触る学生も多く、将来卒論執筆などで駆使するために最低限のofficeソフトやメールソフト、インターネットブラウザの使い方を覚えるための講義だ。近くの席の知らないもの同士で班を組まされて、講師の指定した課題を班の中で互いに確認しながら達成する。


ただ、ぼくが所属した班はぼく自身も含めて全員がPCの使い方に覚えがあるメンバーだったらしく、課題の後に随分時間が余ってしまった。


「こんな表入力とか修正も、スクリプト組んで正規表現咬ませたら秒で終わるのにな」

「スクリプト組むのに時間掛かってたらワケないけどね。そういやExcelにpython入る話って結局どうなったんだろ」

「今更VBA覚えてマクロ組むなんてやりたくねえしなあ」


そんな話が出来るメンツに会うのはお互い初めてだったようで、たまたまその時に出来たグループチャットがサークルの母体となった。


最初は講義情報やお互いのPCの困り事について情報交換する程度のものだったが、理工学部に在籍するメンバーのひとりが講義の一環で開発したという顔認識ツールについて、必要なデータの収集や使い勝手の確認を他のメンバーに依頼するようになったあたりから雰囲気が変わってきた。


それは写真から人間の顔を抽出して、その特徴のデータを画像以外の形に加工して大量に保存、比較可能にするというものだった。


許可を得て撮影された受講生の顔から作成した一覧のデータと、学内の任意の場所で撮影した動画から抽出した顔画像のデータから、受講生の顔を検出するという課題の一環で開発されたものである。


学内の様々な場所で撮影した動画を得るために、メンバーのひとりがグループチャットの各位に動画データ収集と、ついでに作成したプログラムの動作確認を依頼したのだった。


「これ、別に街中のカメラ画像とかでもいいよね?」

「インターネットに顔写真が上がった人はこれを駆使されると大変だな」

「インターネット上の個人の特定か、こういうアイデアはあるんだけど……」


そんな情報交換が行われるようになりだし、主に理工学部所属のメンバーが中心になって、インターネット上の個人特定や類似のさまざまな方法について実際にツールを作って試すひとが出てきた。


そんなメンバーに影響を受けたのか、ほかのメンバーもインターネット上の個人の特定についてやや悪ノリめいた興味を持つようになってきた。


最初は学内の有名人(教授や変わった学生)のSNSアカウント(本人とは明示されてない)ものについて特定を試みていたが、学内のミスコンおよびミスターコン応募者の裏垢(コンテスト開催にあたって公開された「表垢」ではない)を見つけようとする試みが始まると互いに競い合ってアカウントを特定しようとした。


最終的には、インターネット上でランダムに見つけたアカウントを槍玉に挙げて仲間内で競争をするまでになっていた。競争にはメンバーで決めたルールがいくつかあって、それぞれ別のターゲットを決めて、最初に鍵垢(非公開)に追い込んだ奴が勝ちとか、最初に住所を特定してドアにアカウント名を書いた紙を投函した奴が勝ちとかいうものがあった。


これをぼくらは「特定班」と読んでいた。特定したらそれで「ゲーム」は終わりで、それ以上なにかをすることに興味はなかった。インターネット上で「脇の甘い」個人に警鐘を鳴らすというような、倫理観の薄い歪んだ正義感に突き動かされていた面もあったのかもしれない。


それ以外にも、様々なツールを開発するメンバーがいた。ひとりは、写真からGPSや撮影日時などのexif情報を用いずに撮影場所を特定するツールを作っていた。


写真内の瞳の反射から撮影した側の人間を拡大して復元したり、写りこんだ稜線のかたちから地球上のどこで撮ったかを特定したり、手が写った写真から指紋の二値化画像を抽出したりなど、データからそれを取得した本人の意図しない個人情報を如何に抜きだしてくるかに血道をあげていた。


別のメンバーは、SNSで数千の偽造アカウントから成るボットネットを作って、実際には流行っていないワードをトレンドに載せるのが趣味らしかった。最近はSNS企業側の対策が強化されて、偽造アカウントをいかに人間に見せるかに苦労しているとのことだった。


彼らはこのサークルでやっていたことを活かして公安や防衛関係の職場への就職を狙っているらしい。面接で大っぴらに活動履歴を言うことはないだろうが。


自分はそうした実社会に知識や技術を応用したいというモチベーションは薄かった。ぼくが興味があるのは、インターネットで一度アカウントを捨てたひとが、また別のアカウントを始めたときに前のアカウントが持っていた情報からその本人であると特定する方法についてだった。


もちろん住んでいるところや上げた個人情報から照合する方法はあるのだが、ぼくが興味があるのはその人がネットにあげた文章やコンテンツのみから同一人物であると判定する方法についてだった。


たとえば絵を描く人だったら、その人のタッチや選ぶ題材から同一人物であると類推することはたやすい。が、これが文章だったらどうだろう。また、これを人間が判定するのではなく、機械で一定の確率のもとに推定させる方法はないだろうかというのが、ぼくの考えていることだった。


ぼくは「転生追跡」と呼んでいるが、まず転生前後と推定される特定のアカウントが発しているすべての情報(文章、絵、動画などのコンテンツすべて)を数理的に評価できるベクトルなどの特定の形式に変換する。そして転生前後のベクトルがどの程度似ているかを評価することで、その二つのアカウントが同一人物のものであるかどうかを判定するのだ。


メンバーの助言を受けながら、そうした動作をするプロトタイプに近いプログラムをぼくは書き上げた。これでぼくは、かつて追っていたVTuberが転生したあとのアカウントを特定したいと思っている。今のところ、転生を疑われるVTuberは出て来ていない。


ぼくは就職などへのモチベーションは薄いが、自分の学んでいる技術や知識が世界にどんな影響を与えるのかに関心があり、これはサークルメンバー全員に共通していると思う。また、これもメンバーに共通していることだが、インターネットの向こう側に生身の人間がいて、自分たちと同じような生活をしているという意識は薄かった。そうした生身の人たちをなかばおもちゃにする形でサークル活動をやっていたと言えるかもしれない。


そんなサークルのメンバーのひとりの家に、活動で使用している非公開垢のIDが書かれた紙が届く。

「今月の特定班トップが俺だから誰か嫉妬してるんじゃないか?」そんなことを彼は言うが、メンバーの性格を考えるとそんないたずらを考えて実行しそうなやつはいない。


翌日、他のメンバー全員にも似たような紙が届きはじめ、これでサークル内に犯人が居る可能性は、誰かが自作自演をしている場合をのぞいていったん排除された。が、送られてきた紙にはサークル内のメンバーしか知り得ないはずのチャットのログなどの情報が記載されている。


僕らは自分たちがしていたことの恐ろしさに気付くようになる。サークル内のメンバーは互いに疑心暗鬼になるまではいかないものの、それまで皆がやっていた特定班の活動はストップした。


そのしばらく後、ぼくはサークルのメンバーのひとりから理工学部のA教授がぼくとそのメンバーを呼んでいるとの連絡を受ける。そのメンバーは教授が自分とぼくが知り合いであると知っていることを不審に思っていた。果たせるかな、呼び出された場所に行くとサークルのメンバーが揃っていて、そこにA教授が現れた。


「多分、皆はなぜ私がこのメンバーを知っていてここに呼び出せたのかと疑問に思っているね、その答えは端的にはこれだ」と言って見せたのはおそらくSNSのアカウント名が印刷された紙切れだ。以前ぼくらのなかのメンバーのひとりが「特定班」としてターゲットの家に投函した一枚だった。


そして教授は、僕ら一人一人に送ったチャットログなどサークル内部の資料が印刷された紙を提示してみせた。「数ヶ月前、娘からインターネットのアカウントを特定されて困っているとの相談を受けてね」そしてA教授は経緯を話し出した。


ぼくらにとっては運の悪いことに(ある意味では運のいいことに?)ぼくらがターゲットにしたアカウントは教授の娘のもので、たまたま教授が家に帰ってくるときにアカウントを特定した旨を記した紙が投函されたらしい。そしてさらに運が悪いことに、その紙を投函した奴は教授と顔見知りで、教授は自分の家のマンションから家を知るはずのないその学生が出て来るのを目撃したらしい。その後娘さんがあんな被害にあったのだから、自分の知っている学生が関与している可能性について疑いを持ったようだ。


ここから教授がサークルの各メンバーを捜査していった方法は種を明かせば簡単で(いや簡単な方法ではないのだが)僕らはサークルの活動に当たって大学学内のwifiを利用することがあった。A教授は学内ネットの敷設時に専門家として関わりがあったことから、学内ネットの通信ログにアクセスする権限を持っていた。


その通信ログのうち、自分の家から出てきた学生のものを確認すると、自分の娘のものと思われるアカウントにたびたびアクセスしていることが分かった。さらに、自分が受け持っている講義で開発したツール(先述の顔認識ツールを開発した講義はA教授の担当だった)を共有しているメンバーがいて、そのメンバーも自分の娘のアカウントにたびたびアクセスしていることがわかった。


次にPCの通信ログからメンバーが学内でPCを使用している時間帯を特定し、学内にいたメンバーがPCから離れた一瞬の隙を突いてキーロガーと画面を盗み見るプログラムを仕込む物理ハッキングに成功した。一瞬だけとはいえパスワード保護をしないままのPCを放り出して離れてしまったのは彼の一生の不覚と言えるかもしれない。


こうなってしまうと後の情報はA教授側に筒抜けである。セキュリティをはじめとするPCの知識は教授のほうが完全に上なので、ぼくらが見抜けなかったのは当然といえば当然だ。


「教務にこのことを全部報告しても良かったんだが」とA教授は前置きして、「君たちがやっていた活動そのものは罪に問えるものではないということ、君たちが持っている技術と知識はITセキュリティーのために大いに活かせるものであることを勘案して、これ以上活動をしないのであれば私のところで止めておくことにしたい。あと私の娘には謝ること。別に対面でなくてもよいがね」


まあ、教授も娘のためとはいえ物理と電子両方のハッキング行為に手を染めた後ろめたさもあるのだろう、ぼくらのもたらした被害についてはそれで不問にしてくれた。


教授の娘さんとは直接会うのはお互い抵抗があるということで、教授と一緒にWeb会議の画面越しに(向こうはカメラは表示していなかったが)会って経緯を説明し、詫びた。声を聞く限りでは許してもらえたようだ。


さて、今回の件を通じてぼくらは懲りたと言えるのだろうか?少なくともぼくにとってはそうだが、ほかのメンバーの内心についてはぼくはわからない。


自分が身に付けたことが世間にどれくらい通用するのか試してみたいという思いはぼく自身もメンバーにも共通してある。そして、このレベルのことをやるとどこかから怒られが発生して、場合によっては世間から排除される可能性があるということをぼくらは貴重な実例をもってして学んだわけだ。


では怒られないように対策すれば何をやってもいいかと言われればもちろんそんなことはないと今ぼくは思うが、懲りてないメンバーが居たとしたらそうしたことを思っているかもしれない。そいつはうまくやるかもしれないし、うまく行かずに本当に世間から排除される目に遭うかもしれない。


この一件以降サークルのメンバーで集まる機会はなくなったが、噂によるとメンバーにはサークルで造っていた各種特定ツールの開発をまだ進めているやつがいるらしい。そのひとりは将来A教授のラボに配属されてそのツールで論文を書きたいのだとか。


ぼくはというと、そうしたモチベーションを沸かせることもなく、少し暇になった学生生活を新人VTuber漁りに費やしている。転生追跡のツールは、実際に転生先を明かしている、あるいは実質的に明らかなVTuberについてかなりの精度を示すようになっている。


考えてみれば声紋というものが指紋と同様にあるのだから、それさえ取ってくれば転生先を特定することはたやすい。だが、彼女と一致するVTuberはいまのところまだ、出て来ていない。

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