第23話
手に持ったタッパーはまだ温かかった。
「あ、紅太郎だ」
「
隣家の門の外に星斗の一番上の姉・
「どっか行くの?」
「うん。
「あーテラリウム?」
「そうそう。私じゃわかんないから」
下の姉の南はもともと植物が好きで今はテラリウムに凝っている。紅太郎は小学生の時から様々な育成や栽培に付き合わされた結果、今では
門をくぐると、タイミングよく
「よ、補習組」
「最悪だよ。あと二点足りなくて補習とか……鬼じゃない?」
紅太郎はタッパーを渡しながら盛大に嘆いた。せっかくの土曜日に学校に行って再テストを受けた自分を誰かに慰めてほしかった。
「オマエが赤点ぎりぎりを攻めるからだろ」
しかし、返ってきたのは人情のかけらもない正論である。
紅太郎は聞こえなかったふりをして、縁側の前に立ったまま空を見上げた。今年は年末まで暖かい日が続いている。
「あがれよ」
「あー今日はいいや。ここで」
父が料理の支度をしているのを帰って手伝わないといけない。でももう少しここでさぼっていたかった。
「ちょっと待ってろ」
紅太郎が言うと、星斗は一旦中へ引っ込んでしまった。
暖かい陽の名残りが残った縁側に座って待っていると、しばらくして戻ってきた星斗の手にはお盆があった。
「お、羊羹だ」
「じいちゃんから送られてきた。見舞いの礼だって」
盆の上にはきれいに切られた羊羹と、急須が置かれている。高校生にしてはあまりにも渋いおやつだが星斗の好物だった。
紅太郎は急須を傾けてお茶をいれる。茶碗から立った白い湯気が風に乗って流れていった。
「お礼の電話するついでに聞いたよ。ビデオテープのこと」
「なんて言ってた?」
羊羹はあっさりと優しい甘さで食べやすかった。星斗は紅太郎が注いだお茶に息を吹きかけながら答える。
「あまりにじいさんの様子が尋常じゃないんで咄嗟に使ってたカメラが壊れたふりをして、私物のカメラのほうにも残したんだと。もとの映像は持ち帰れない可能性もあったから」
「へー……じいちゃんの機転だったわけか」
星斗の祖父が何を考えていたのかはわからないが、報酬をもらっておいて相手を今更脅す気はなかっただろう。それでも異常を感じて残しておくくらいの事態ではあったということだ。
「あと、俺がビデオの内容を覚えてなかったのは教育上よろしくなさそうな部分──殺したとかなんとか言ってたとこ──はじいちゃんが見せないようにしてたらしい。まぁ俺はそれでも目を盗んで見てたんだけど」
「はは、小学生とかだもんな。そういえば、会長にもらったリストは? 建物の場所が違ってたってやつ」
星斗はずっとそのことが気になっていたらしい。あの夜、雪花に聞いても解決しなかった点だった。
「調べてみたけど……あの建物が移築された記録はなかった」
「そうなのか? じゃあ、やっぱりあそこにずっとあったってこと?」
「いや、でもやっぱり変だ。学校が建つ前、あそこはただの何もない山だった。そんな場所にあるには不自然な建物じゃないか? 何のために立てられたのか目的がわからない。しかも学校の記録をいくらあさってもあの建物に関する記述は見当たらない」
「記録がないのが不自然ってことか」
続けざまに起こった事故の話を聞いたせいか、それまでただ変な建物としか認識していなかったのがやけに不気味に感じられるようになってしまった。
実際、紅太郎は二か月前の夜以来一度もあの塔には入っていない。色々あって卒業制作も一旦ストップしており、準備会が休止状態のまま新年を迎えそうだった。
「じゃあ、どこにあったんだ?」
星斗は紅太郎の質問に待ってましたとばかりに手をこすり合わせる。
「結論から言うと、会長のじいさんが管理していた時代から複数の企業の所有を経て、今は都が管理する公園になってる。俺の予想が正しければな」
星斗は日記の記述に当てはまり、かつ雪花の家が過去に所有していた土地のリストから条件に合うような場所を見つけたと言う。
「よく見つけたな。でも、なんでわざわざ移築する必要があったんだ?」
なにかするにしても、壊せばよさそうなものだ。紅太郎が聞くと、星斗は嬉しそうににやりとした。
「問題はそこだよ。なんでだと思う?」
「えー……カメラマンが死んだあとってことだよな? 壊したら呪われそうだから移築した、とか?」
紅太郎は日記に事故が続いたのでお祓いをした、という文言があったことを思い出しながら言った。
「惜しいな。それだけなら別に移築する必要はない」
「えーじゃあなんなんだよ。もったいぶらずに言えよ」
「よく考えてみろよ。あんな大きな建物を移築したとしたら、大変な労力だったはずだ。いかに
どういった工程を踏むのか紅太郎は想像もできなかった。一度解体して組みなおすのだろうか。そういえば、石造りの塔にはところどころ改修したあとが残っていた。
「北山家にはそれを押してでも移築する理由があった」
「ふむ?」
「金だよ、金」
星斗は喋り過ぎて口が乾いたのか、冷めかけた湯飲みの茶を一気にあおった。
「どういうこと?」
「もともと建物があっただろう土地に開発の話が持ち上がったのは、事件から約40年後の1960年代のことだ。当時は高度経済成長の真っ只中、建設ラッシュだった。そのころ、北山家はすでに次の代──つまり会長のじいさんの代に移っていた」
「つまり……会長のじいさんは土地を売りたかったからわざわざ移築したってこと?」
やっと正解に辿り着いたのか、星斗は深く頷いた。
「いわくつきってことを隠したかったんだろう」
「でも40年も前のことなのに、大げさじゃないか?」
「会長のじいさんは大げさじゃない、と判断したんだろうな。たぶん母親──ほら、例の占い師──の助言があったんだろ。関係あるかわからないけど、ちょっと物騒な新聞記事もみつけたんだ」
星斗は再び立ち上がると、図書館からコピーしてきたという新聞記事を持ってきた。テスト期間中に暇だったから調べていたらしい。こっちは補習まで受けていたというのに余裕で結構なことである。
「じいさんから土地を買ったA社は大型宿泊施設の建設を予定していたが、他事業の経営悪化から計画は頓挫。次の所有者であるB社はマンションの建設を予定してたがこれも結局は実現しなかった。なんでだかわかるか?」
「えー……なんか嫌な予感すんだけど」
紅太郎は縁側に腰かけたまま後ずさった。早くも暮れてきた空も相まって、うすら寒くなってくる。
「ここまで言われて予感もクソもないだろ。まぁでも当たってる。結構大きな死亡事故があってそれが新聞にも載ってた。事故を発端に企業の管理体制が問題になって倒産してる」
「……やっぱり~」
縁側に広げられた記事を恐る恐る覗くと、『B社で死亡事故多発、管理体制に問題か』というタイトルが見えた。
「偶然……じゃないってことだよな」
「いや、偶然だろう」
星斗の返答に、紅太郎は肩透かしをくらった気になった。
「なんだよ。めちゃくちゃ怖がらせといて」
「A社に関しては経営が悪化して結局土地を手放したってだけだし、B社だってもともと管理体制に問題があったなら起こるべくして起こった事故だろ。会長のじいさんは高値で売って資産を増やしたわけだけど、それだって単に運がよかっただけかもしれない。俺はリストの中から建物があったんじゃないかって土地にあたりをつけて、新聞記事を見つけただけなんだ。恣意的に結びつけるのは危険だよ」
「もー……じゃあ、なんのつもりで調べたんだよ?」
文句のひとつも言いたくなる。ただでさえ、再テストを受けて来たあとで脳が疲労しているのだ。羊羹ふた切れくらいではこれ以上ついて行けそうにない。
「いや、面白いだろ?」
「どこが?」
「会長のじいさんがあの建物を移築した意味があったのか全くわからないところが」
「意味は……あったんだろ。だって偶然かもしれないけど、いわくつきの場所が高く売れたんだから。そのあとも成功したから今があるんだし」
「そう。だからやっぱり移築は必要だった。要はおまじないだ」
「おまじない……」
「会長のじいさんは母親が高名な占い師でずっとその教えを聞かされて育った。たぶん父親もそうだったんだろう。だから、その土地のよくわからない建物で事故が続いた時──それがどういう事件だったか今となっては日記に書いてあったことしかわからないけど──お祓いをして長いことそのままにしておいた。でも、いざ開発の話が持ちかけられて莫大な金が舞い込むかもしれないとなったら……」
「まぁ売るよな。後味悪い気はするかもしれないけど」
「その後味の悪さを解消するための手立てが移築だったとしたら?」
随分大掛かりな解消の仕方だが、入ってくる額に比べたら微々たるものだったのかもしれない。
「だから、北山家はずっとお祓いを続けてたわけか」
「さぁな。でも紅太郎の言う通り、さっさとじいちゃんに聞いてればよかったよ。そうしたら、あんな大変なことにならずに済んだのにな」
それはどうだろう。星斗がいくら主張したところで、雪花の決意が早々変わったとは思えない。
しかし、紅太郎はあえて別の言葉を口にした。
「星斗でも間違えることあるんだな」
「だから言っただろ。俺は紅太郎が思ってるほど賢くないんだって」
「俺にとっては賢いよ。ずっと」
星斗は眉をしかめると無言で茶を啜った。てっきり茶化されると思ったら、照れている。
「ま、これに懲りてちょっとは他人の意見も聞けよな」
助け舟のつもりでそう付け加えた。星斗の反応をどう受け取ったものか、紅太郎はずっとわからないでいる。
──これは脈があるんだろうか、ないんだろうか……。
色々あったせいで告白自体うやむやになった感もあったが、前よりは意識されていると思っていいのだろうか。
「ていうか、オマエらが付き合ってるって噂立ってたぞ」
「へ? ゴホッ、ゲホッ……」
そんなことを考えていたせいで、咄嗟に変な裏声が出た。その拍子にお茶が気管に入ってむせてしまう。
「おい、目開けて寝てんのか」
星斗は紅太郎を横目で見て白けた顔をしながらも、タオルを持ってきてくれた。
「お前らって……?」
「
「なんで⁉」
「知らん」
いつの間にそんな噂が星斗の耳に入るまでになっていたのか。確かに仲のいい友だちではあるが、クラスメイトにも面と向かって聞かれたことはなかった。
「それはちゃんと否定しないと……ひよりさんにも迷惑かかるし」
「あいつがそんなの気にするかよ」
聞かれてもいないのにどうやって否定するのかという問題は置いておいて、紅太郎は平静を装って一歩踏み込んでみることにした。今しか聞けるタイミングはない。
「へ、へー……じゃあ、星斗は気にした?」
「してない。全然してない」
星斗は思い出したように羊羹を食べている。姿勢が悪いせいで表情は見えなかった。
「ほんとに?」
「だって紅太郎が好きなのは俺なんだろ」
不意を突かれて、紅太郎は黙る。どんな顔をしているのだろうと覗き込んだ次の瞬間にそんなことを言われたので、まともに目が合ってしまった。
紅太郎が固まってしまったので、星斗は怪訝な顔になる。
「なんだよ。オマエが言ったんだろうが」
「そうだけどさぁ。心変わりしたかも、とかちょっとも思わないわけ」
その自信は一体どこから来るのだろう。いや、星斗は昔からずっとそうだった。いつもまっすぐに進むべき道を信じている。挫折したり、揺らいだりしても根本的なところは変わっていない。
「はぁ? オマエそんな半端な覚悟で俺に好きとか言ったのか?」
星斗の返事を聞いて、紅太郎は確信を深めた。と、同時に喉の奥から笑いがこみあげてくる。
「ふふっ」
星斗から紅太郎の望む感情は返ってこないかもしれない。
それでも、星斗はいつまでも隣に紅太郎がいると信じているのだ。今はそれで十分だった。
「へんなヤツ」
「そうだな」
ふん、と鼻を鳴らした星斗もなぜか笑っている。それから二人して日が落ちたばかりの空を眺めた。ひときわ輝く星が高いところに道しるべのように光っていた。
トリス学園映画準備会~ボツになった脚本に関する備忘録~ 丘ノトカ @notoca-oka
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