第22話

 降霊術の会が終わったあと、ひよりは風邪を引いて学校を数日休んだ。体が丈夫なひよりが熱を出したことに母と姉は驚いて、熱が下がっても余分に休めと言ってきかなかった。


 ──まぁ、たまにはいっか。


 溜まった家事をこなしていると、インターホンが鳴った。なにか荷物頼んでたっけ、と思いながらスコープを覗くと雪花せつかが立っていた。


「え、会長⁉」


 急いでドアを開けると、雪花は目を丸くして訝しい顔をする。


「ど、どうしたんですか⁉」

「なに、あなた病人なのに出てきて……寝てなくていいの?」

「今日学校じゃないんですか?」

「土曜だけど……」


 よく見ると雪花はブラウスにスカートの私服姿だった。え、とその場でしばらく固まる。何日も学校を休むなんて今までなかったから、曜日がわからなくなった。そうだ、バイトを休むように無理やり連絡入れさせられたのは一昨日のことだった。


「やっぱり寝てたほうがいいんじゃ」

「や、違うんですよ! お姉ちゃんが紛らわしいこと言うせいで……あれ、ていうか会長ってうち知ってましたっけ?」

みどりに聞いた」


 雪花は手に持っていた紙袋を差し出した。


「これお見舞い。変なことに巻きこんで、風邪まで引かせてごめんなさい。こんなもので済むとは思ってないけど……じゃあ失礼します」


 紙袋を受け取ると、雪花はすぐに足を引いて立ち去ろうとしていた。


「ありがとうございます! あ、あの! ちょっとお茶でもしていきませんか⁉ わたしもう熱下がってて、うつしたりしないんで!」


 ひよりが呼び止める勢いに引いたのか、雪花は一瞬固まってからため息をついた。


「じゃあ、少しだけ」

「どうぞ! 狭いですけど……」


 雪花はお邪魔しますと言ってから、アパートの玄関に行儀よく靴を揃えた。


 ──掃除しといてよかったぁ。


 誘ってしまったものの、碧が来た時より遥かに緊張感があった。ひよりがそわそわしているのが伝わったのか、雪花が首を傾げている。


「どうかした?」

「え! いえ、掃除しといてよかったなぁって……会長の部屋めっちゃきれいだったんで」


 とりあえず、居間に雪花を座らせて台所に立つ。湯沸かしポットに水を入れてスイッチを入れてから戻った。


「今、お茶いれますので! 緑茶しかないんですけど大丈夫ですか?」

「ええ、もちろん。あなたって……」

「え?」

「いえ……やっぱりなんでもない」

「えー! なんですか? 気になるところで止めないで下さいよ!」


 その時、ちょうど湯の沸いた音がした。ひよりは立ち上がると急須にお茶をざっと入れてお湯を注ぎ、急いで戻ってくる。


「で、なんですか⁉」

「……私って他所のおうちであれこれ言うような失礼な人に見えるのかなって」


 雪花は真面目な顔でうつむいている。座布団の上で正座した背筋がまっすぐ伸びていた。


「え? あー! そんなことないですよ! ただ、会長はすごくちゃんとした人なんで緊張しちゃうっていうか……あれ、わたしそんな風に聞こえる言い方してましたか⁉」

「ううん。ごめんなさい、忘れて」


 気まずい沈黙が流れた。ひよりは取りなすように声をあげる。


「あ! 貰ったお菓子食べちゃっていいですか? 今うちなんにもなくて」

「ええ」


 紙袋から出てきた立派な箱をあけると、色んな焼き菓子がいっぱいに詰まっている。


「え! めちゃくちゃ美味しそう~!」

「みなさん、気に入ってくれたらいいんだけど……」


 雪花が少し微笑んだのでほっとする。


 先日の一件をどう受け止めるべきなのか、熱に浮かされながら考えてみたものの答えは出なかった。雪花はみんなを騙していて、碧を傷つけた。星斗や紅太郎に余計な期待を抱かせて、裏切った。


 わかっていても、ひよりはどうしても雪花を責める気になれなかった。


「これは帰ってきたら争奪戦だな~。会長も一緒に食べましょ!」

「ありがとう」


 緑茶とフィナンシェの組み合わせは意外と悪くない。熱が出ている間、味の薄いものしか食べていなかったから殊更においしく感じる。


「……今回のこと、本当にごめんなさい」


 静かに雪花が言った。


「いえ……いや、よくはないです。わたしも最初は知らずに先輩に協力してたわけだし……烏丸君たちを騙すようなことしたのはよくなかったですよね。でも、なんていうか会長だけが悪いとはどうしても思えなくて」 


 本心を告げると、雪花は首を振る。


「今日、普通に話してくれるとは思わなかった。これも受け取ってもらえなくても、投げつけられても仕方ないって覚悟を決めて来たの」

「そ、そこまでですか⁉」


 真顔で再び頷く雪花がちょっと面白くなってきた。しかし、ここは真面目に受け止めなければ、とひよりは咳ばらいをする。


「その、わたしはもうあんまり気にしてないので……会長にはいつも通りに接してほしいです」


 菓子折りは嬉しくて貰ってしまったが、今までより距離のある接し方をされるとやりづらかった。


「たぶんですけど、烏丸君や紅太郎君も同じ気持ちだと思います」

「ええ、あの二人は……特に烏丸君は何も気にしてないみたい。休み明けに教室までやってきて、祖父が管理していた土地のリストがほしいとかなんとか……卒業制作のことなんか忘れたみたいに」

「あは! 烏丸君らしい。別に忘れたわけじゃないんでしょうけど、何か気になることがあったんですかね?」

「さぁ? 私は負い目があるから必死に探して渡したけど。もちろん事業に差しさわりのない範囲で……」


 雪花は来年の卒業制作については、父親と話し合うと言っていた。果たして話が通じる相手なのか、ひよりは疑問に思ったが口を挟める立場でもなかった。


「結局、誰も私のことを罰しない」

「だって会長は何も罰されるようなことしてないじゃないですか」


 一連の行動は父親の指示に従っただけで、雪花は反発して対抗しようとしていた。雪花と碧の周りの大人がおかしかったのだ。

 それでも雪花は首を振る。


「ありがとう。でも、だからこそ私は行動で示さなければいけないの。それに……」

「それに?」

「私は碧から大切なものを奪った」


 百均のマグカップを両方の手のひらで包み、じっと中を見つめている雪花にひよりはなんと声をかけていいか迷う。


「……ごめんなさい。さっきから自分の話ばかり。やっぱり、帰ったほうがいいみたいね」

「あ、ちょっと! 会長! 雪花先輩!」


 ふいに立ち上がった雪花を止めるため、咄嗟に横を通り過ぎようとした手を掴もうとした。が、バランスを崩して机にぶつかりマグカップのお茶が派手にこぼれてしまった。


「大丈夫⁉ 火傷してない?」

「だ、大丈夫です……すみません。わたし、ほんとそそっかしくて」


 お茶は机の上にこぼれて、少しだけ服にかかったもののほとんど冷めていた。


「なにか拭くものある?」


 ひよりが台所からふきんを持ってくると、すぐに奪われてしまう。


「ほんと、そのままで大丈夫なんで! すみません」


 手早く机の上を拭いて始末をしていた雪花の動きが止まる。


「そうなの?」

「え? いえ、わたしが変に呼び止めようとしたから……」

「それを言うなら、私も急に立ち上がって帰ろうとした」


 机を挟んで中腰でしばし見つめ合うと、二人は同時に破顔した。ひよりは初めてそんな風に笑う雪花を見た。普段真剣な表情をしていることが多いせいか、笑うとギャップがある。


「雪花先輩って笑うと印象変わりますね」

「ええ? それってどういう……」

「あ、いや! もちろんいい意味ですよ!」


 なにがツボに入ったのか雪花はしばらく笑い続けた。机を拭き終わると、再び座布団の上に腰を下ろした。結果的に帰ろうとするのは阻止できたようだ。くだけた様子であーあ、とため息をついた。


「みんな結局、碧のほうへ行くのよ」


 また返事に困るようなことを言う。


「あなたもそうでしょ?」

「そんな……雪花先輩と碧先輩は全然違うじゃないですか」


 思わず、怒ったような呆れた声を出してしまった。なぜか雪花は嬉しそうに笑って、膝を崩した。何気なく背後を振り返った雪花の視線を追う。


「あ、洗濯物忘れてた!」


 ひよりは畳んでいる途中で放置した洗濯物に気づいて、恥ずかしかった。しかし、雪花は全く違うものを見ていた。


「お父さま、亡くなってるのね」

「え? あーはい。もうだいぶ前なんですけど……」


 仏壇に添えられた父の写真はひよりにとってもはや景色と化しているので、雪花に言われるまで気づかなかった。


「幼稚園の時とかなんで、あんまり覚えてないんですよねー」

「そう……お線香あげてもいい?」


 雪花は線香をつけて手を合わせた。


「あ、じゃあせっかくなんでお菓子も置いとこう」


 ひよりは父の写真の前に箱から取り出した菓子をいくつか並べると、地味な仏壇がとたんに華やかになった。



 ***



 年が明けたその日は雲一つない晴天だった。空港はひどく混雑していたが、ひよりはすぐにエスカレーターの陰にいた碧を見つけて駆け寄った。


「碧先輩!」

「あ、ひより。よくわかったね」


 ニット帽を目深にかぶって、スマホに目を落としていた碧は顔を上げるとぱっと笑顔になる。ひよりは元気そうな様子に安心するとともに、これから滅多に会えなくなるのだと思うと胸が苦しくなった。


「ここすごく広いのに」

「先輩はなんか光ってるからわかるんです!」

「そうなんだ、すごい」


 引かれたかな、と心配したが碧は気にしていないようだった。ラフなパンツにスウェット姿で、足元に置いたナイロンのボストンバッグを持ち上げる。


「荷物、それだけなんですか?」

「うん。ほとんど先に向こうに送っちゃったから」


 ひよりはあらかじめ調べていた人の少なそうなカフェまで案内する。碧を目立たない席に座らせるとカウンターで注文した飲み物を持っていった。


「ありがとう。こんなとこあったんだ」


 席は狭いが、メインの通路から死角になっていて落ち着いて話すことができる。ひよりは何度もフロアマップを確認して狙いを定めてきたのだ。

 ニット帽をとった碧の髪は年末に会った時より短くなっていた。真ん中で分けた前髪が目元にかかって、少年っぽさが際立った。


「すみません。ろくに準備も手伝えなくて……」

「え、なんで?」


 あの夜から二か月ほど経った年末、碧は学校を中退し、母のいる国へ移住することを決めた。所属していた事務所も辞め、芸能活動も一旦すべてを白紙に戻した。


「テスト、無事に終わってよかった」


 期末テスト前に碧の準備を手伝うはずだったのに、結局寮に行って雪花に教えてもらいながら勉強する事態に陥ってしまった。


「おかげさまで補習にならずに済みました。会長にもご迷惑を……」

「大丈夫。雪花はああ見えてひよりのこと気に入ってるよ」

「え! 本当ですか? あ、でも今度一緒に買い物する約束してるんです。今はちょっとばたばたしてるんで先になると思いますけど……」


 碧が来年の卒業制作の主役から降りたため、準備会は予定の調整に大忙しだった。春までに脚本を選び、配役も決めなければならない。

 雪花は今まで裏で決めていた脚本や主役の選定を、透明性のあるオーディション形式にするために父親と掛け合っている最中だった。


「雪花のこと、よろしくね」

「はい。でも……」


 雪花と碧の関係がどう変化したのか、ひよりには知りようがなかった。ただ、そう告げる碧の声は少し寂しそうに聞こえた。


「あの……わたし、卒業したら絶対先輩のこと迎えに行くので! まっててください!」

「ふふ、なにそれ。プロポーズ?」

「え⁉ いや、そんな大層な意味では……」

「違うの?」

「違わないです!」


 思わず勢いよく立ち上がってしまい、碧は目を丸くしていた。ひよりははっと辺りを見回してから席につく。人目につかない場所を選んだのが功を奏して誰も気づいていなかった。


「うん。待ってる」

「はい」

「迎えに来て。部屋がヤバくなる前に」

「先輩、それは片づけましょう」

「うーん……」


 碧は椅子の背に大きく体をあずけて伸びをした。それから、おもむろに耳の後ろに手をやる。


「これ、あげる」

「え? これって……」


 無造作に渡されたのは碧がいつもつけていたピアスだった。碧の瞳に似た色の石が光を受けると湖の底を照らしたように輝くのを、ひよりは知っている。

 中学の時、碧に出会ってからずっとその横顔を見ていた。


「昔、お母さんからもらったんだ。お母さんはおばあちゃんからもらったって」

「そうだったんですね! で、でも、そんな大切なもの……」

「うん。でも、なんとなく……ひよりに持っててほしいから」

「は、はい!」


 泣くまいと決めてきたのに、鼻の奥がツンとした。ひよりは必死に唇を噛んで涙をこらえた。

 ひよりが受け取ったピアスを大事に手の平に受け止めている間、碧はまた大きな伸びをして笑っている。

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