その4 一方の雪斗は……。

 一日のはじまりは、大好きな光の明るい声で、まどろみながら目覚める。

『雪ちゃん、雪ちゃん。もう、起きてっ。むうう、ぜんぜん起きてくれない……。ねえ、そろそろ起きないと会社に遅刻しちゃうよ』

『んー……。光が、ちゅーしてくれたら、起きる』

『なななななっ! ゆ、ゆゆゆゆゆ雪ちゃん、朝から、なに言ってんの!?』

『冗談だよ』

『ええっ! もおおおおおっ。雪ちゃんのバカ!』

 怒って、ハムスターのように頬をふくらませる光。

 あー……。今日も、朝からかわいすぎるな。

 横たえていた身体を起こし、ふくらんだ光の頬に、そっとキスをする。

『ゆ、雪ちゃんっ!?』

『やっぱ、冗談にするのやめた。光が、かわいすぎるから』

 そしたら今度は、不意をつかれて、光の方からオレの頬にちょこんとキスをしてきて……、

『わ、わたしだって、やられっぱなしじゃないもん!』

『ふふ。なんで、口にしてくれなかったの?』

『っっ~~! 最近の雪ちゃん、なんか意地悪なんだけどっ』 

 顔をトマトみたいに真っ赤しながら、リビングの方に逃げていく光。

 ―———と、こんなイメージで。

 大人になったら、かわいくて仕方のない幼馴染の光と、脳みそが溶けそうなほど甘々な結婚生活を送る予定だった。

 ちなみに、まだ付き合ってもないけど、結婚するのは確定事項。

 光が、オレ以外の誰かに、あの太陽みたいな笑顔を向けるとかありえないし。

 けど……。

 まだ中学生になったばかりの現実のオレは、まだまだクソガキだ。 

 光から、満面の笑みで「大好き!」って伝えられるたびに、戸惑ってしまって。ドキドキしすぎて平常心を保てなくなり、ついそっけなくしてしまう。

 でも、ほんとは、そのたびに自己嫌悪で死にたくなっている。

 はあああ……情けないな。

 いつか、光に、大好きだってちゃんと伝えたい。

 妄想が爆発してる夢の中の自分のように、素直に甘えてみたい。

 でも。

 たとえ想いが通じあったとして、その幸せは、いつか壊れるかもしれない。

 もう一人の自分が、亡霊のように心にささやいて、邪魔してくる。

 いつも全身全霊で想いを伝えてくれている光が、オレを裏切るわけないって思っているのに。理屈ではなくて、心にブレーキがかかってしまう。

 さっきの光の態度は、そうやってモタモタしつづけていたオレへの、罰なんだろうか。

『とにかく。中学では、他の友達と一緒に帰るから!』

 光が泣きそうな顔で去っていった瞬間、雷に打たれたように身体がしびれて、一歩も動けなかった。

 心の中でひそかに思い描きつづけてきたバラ色の未来が、無残にも砕け散る。

 なんで。どうして、あんな急に。昨日まで、大好きって言ってくれてたのに。

 未練がましく、みっともない気持ちが、ヘビのようにとぐろを巻いて心を占領した。

 もう、光と一緒に、登下校することはできない……?

 大きなハンマーで殴られたかのような衝撃に、しばらくその場を動けなかった。


✳︎


「雪ー。冷凍庫のアイス、なくなってるよー。コンビニまで買ってきて」

「…………」

「この前は、あたしが行ってあげたでしょー。雪ってばー。ねえ、聞いてんのー?」

「…………」

「ははーん。その、『世界は、明日滅亡します』とでも宣言されたような顔。さっきからソファに座りこんでてウザいぐらい陰気くさいし、さては、光ちゃんとなにかあったな?」

 ギクリ、と大げさなぐらい肩が跳ねあがる。

「あー、なるほどねー。もしかして、振られでもした?」

 グサリ。

 春姉の容赦なさすぎる言葉のナイフが、心の柔らかい部分をめちゃくちゃに斬りつける。

「まあ、そりゃあねぇ……。いくら雪のことが大好きな光ちゃんでも、あーんな塩対応を繰りかえされたら、もういいやって愛想を尽かしても仕方ないよねえ。光ちゃんって、明るくて素直で、すっごくかわいい女の子だし。雪にベタベタするのをやめたら、あっという間に、優しい彼氏ができちゃうかもねー」

 春姉、やめてくれ……!! 

「ま、自業自得でしょ。いつまでも素直になれない、雪が悪いもん」

 そんなトドメを刺すようなこと言わなくても、オレはとっくに虫の息だよ!!!! 

 嫌だ……。嫌だ嫌だ嫌だ。

 光に彼氏なんてできたりしたら、そいつのことを呪い殺しそうだ。少なくとも、そのぐらい恨めしい気持ちになる自信がある。誰も、幸せにならない。

 いつの間にか冷蔵庫をはなれていた春姉が、オレの隣に腰かける。

 その重みで、わずかにソファが揺れた。 

「まあ、雪の気持ちも、分からなくもないけどねぇ。高校生にもなると、周りは恋バナばっかになるけど、あたしも内心では妙に冷めちゃうことがあるんだ。……どうしても、家を出ていったお母さんのことを思い出して」

 春姉は、人形のように整った顔に、わずかな憂いをにじませた。

 サバサバとした性格で美人な春姉は、たぶん、すごくモテてる。

 けど、今まで彼氏らしき存在がいた形跡はない。

 きっと、春姉の心にもオレと同じ影が落ちている。オレたちは、似た者同士だ。

「あんなことがあったら、ひねくれもするよね。信じるのが、怖いのもわかる。けどさ……そうやっていつまでも逃げてたら、いつの間にか、大切なものも失っちゃうよ」

「…………どうしたら、良いと思う?」

「ん?」

「春姉は……光の心を取り戻すには、どうしたら良いと思う……?」

 大きな瞳が、ちらりとオレに視線を投げかける。

 それから、桜色の唇の口角が、楽しそうに吊りあがった。

「雪って、ほんと不器用。そうねぇ……。もう完全に手遅れかもしれないけど、雪にできることがあるとすれば、一つしかないんじゃない?」

「や、やるっ!!」

 春姉は、ピシリと人差し指をたてながら、偉そうにのたまった。

「素直になりなさい」

「……ん?」

「雪が普段からどれだけ光ちゃんのことが大好きなのかを、ちゃんと言葉で伝えるの。ほんとは夢の中で新婚生活を妄想しちゃうくらいには好きなんだよーってね」

「なっ……!!!! な、なななな、なんでそのことを」

「えっ、ほんとにそうだったの? ウケる。なんか怪しい寝言をつぶやいてることがあるから、ちょっとカマかけてみただけだったんだけどー」

 クッソ……鬼だ、悪魔だ、魔王だ。春姉は、ほんとに良い性格してる……。

 だけど今の弱りきったオレは、そんな鬼姉に、情けなくすがる他ないわけで。

「とにかく。恥ずかしいとか、怖いとか、そーゆーの全部抜きにして、全力で光ちゃんにぶつかってみたら? 今まで光ちゃんがしてくれたことと、同じことをすればいいと思う」

「わ、わかったってば!!」

「わかれば、いいの。じゃ、少しは元気になったみたいだし、アイス買ってきてねー」

 春姉に追いたてられるように家を出て、コンビニに向かう道中、オレはあらためて自分の心に誓った。

 もう、なんのかんのと言い訳をして、光にそっけない態度を取るのはやめにする。

 全力で、光の心を取り戻すんだ!

【完】

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今日から大・大・大好きな幼馴染に嫌われます! 久里 @mikanmomo1123

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