昏睡強盗

あべせい

昏睡強盗



 とあるマンションの一室。

 冴えない中年男と、色気ムンムンの女がソファに腰かけている。前のテーブルには、缶ビールとコンビニのレジ袋に入ったボトルがある。

 女が缶ビールを飲みながら、男に話しかける。

「ねェ、もう飲まないの?」

 男の返事はない。

「眠いの?」

 ソファの背もたれに頭を乗せていた男、ようやく口を開く。

「うーむ。充分、飲んだ……おれは眠くなってきた……」

「あれっぽっちで? 安上がりな男ね」

 男、女のことばには応えず、

「このソファはベッドになる……その角のボタンを押してくれ」

 男は大きなあくびをしながら、ソファにもたせかけていた体を横に倒す。

 女はソファのあちこちを探るように見る。

「あッ、これね。待って……」

 スイッチらしきものを見つけて、

「押したわ。あー、動き出した。電動なのー、ヘェー、こんなの初めて。まったいらになったわ」

 大きな音を立て、ソファがシングルベッドになった。

 男はネクタイをゆるめ、上着を脱ぎ、目を閉じる。

「キミは勝手に飲んで、適当にやってくれ」

「コンビニで買ってきたワインはどうするのよ。飲むって言ったでしょッ」

「そうだっけ、か。ウムャャャ……」

 男はソファベッドに大の字になっている。

 女、そんな男を見下ろし、

「本当に寝ちゃうの。ねェねェ、ダメよ。寝ちゃ。ねェねェ……」

 女、男の頬をペタペタ、叩く。

 しかし、男の反応は、

「ウーウー、ムムムムゥゥゥゥゥ……」

 女は、仕方ないという風に、しばらく男の上着のあちこちを探っている。

「昏睡強盗って流行っているのよ。お金を盗られても知らないから、ね……」

 女、部屋の中を見渡す。

「この部屋、きれいだけれど、なんか、感じが違うのね。気のせいかしら……」

 女、テーブルのレジ袋からワインを取り出し、栓を開ける。

「このワイン、安物なンだよね。『ぼくの部屋で飲み直しませんか?』って言うから、酒屋に寄ろうとしたら、『コンビニでも、いいワインを置いていますよ』って。で、ついて行ったンだけど、やっぱり1本千円の安物しか置いていなかった。お金は、この男が出すンだからって我慢したけど、ケチなやつ」

 女、ワインをグラスに注ぎ、飲んだ。

「やっぱ、まずい……きょうは、これくらいにしておくか……。アーアー、そういえば、きょうは出だしからよくなかった。もともと、今夜は何もしないつもりでいたンだ。それなのに、この男が勝手に飛び込んできたのよね。いつものように居酒屋のカウンターで飲んでいたら、『お嬢さん、いいですか?』って。どうぞとも言わないうちに隣の席に勝手に腰かけてさ。わたし、32よ。お嬢さんなンて、呼ばれなくなって何年たつと思ってンの。まァ、相手だって、社交辞令で言ったンだろうけどね。この男は、『ぼくは39です』って、言ってた。でも、どう見たって、45、6ってとこよ。わたしだって、28って言ったからおあいこだけどね。……ワインはわたしには合わない。ビールにしよ。この男の缶ビールは、口を開けただけで、まだ手をつけてない。これをいただいて……やっぱ、ビールのほうがおいしいィッ……ちょっと、ぬるくなったけど、わたしはビールでないとダメみたい。ブランデーやシャンペン、ワインの柄じゃないのね。……きょうはもォ帰ろうかな。この男、これ以上お金持ってないみたいだし、この部屋だって、さ……」

 女、グラスを持って立ちあがり、ビールを飲みながら、部屋の中をうろつく。

「殺風景な部屋よね。ふつうは壁に絵や写真を飾るけど、それがない。待って、よく見ると、その跡が日焼けせずに、四角く残っている。事情があって、外したのか……家具はソファベッド以外はドレッサーとロッカータンスだけ。グラスと湯のみが1つづつ、ドレッサーの上に乗っている。台所も料理を作った形跡がない。それよか、シンクを使った跡がない……独身だと言っていたけど、ホントみたい。でも、さっきも感じたけれど、なンか違う。もっとも、女房持ちの男が自宅に女を連れ込むわけないけど、さ。……でも、前に一人いた。どういうつもりかわからないけど、『おれ、独り者。気が合ったら、結婚してもイイよ』って言った。それがあとで、女房は出産で里帰りしていたとわかった。カレンダーに『出産予定日』なんて書いて、花丸で囲んであるンだもの。(男を振り返り)でも、あの男は、間違いなく独り者ね。女房がいたって、捨てられたか、逃げられる顔しているもの。さァ、帰るか。長居してたって、何もいいことないもの。(男に近寄り)記念に何か品物をもらっていくのが、わたしの流儀……何時だっけ。(男の腕時計を見て)もうすぐ午前さまか。この腕時計、テレビの通販で1万2千8百円で売ってたやつじゃない。あの居酒屋、暗くてよく見えなかった。こんな腕時計をはめているのって、お金持っているわけないのよね。『カモの懐具合は腕時計に聞け』って、わたしの格言だったのに、ミスったわ。……これからタクシー拾って……やっぱ寂しいから何かもらって行こッ。このネクタイにしようか。(男のネクタイの柄に興味を引かれて)この柄、なに? 知恵の輪みたいのが、いっぱい描いてある。珍しいィ。じゃ……」

 ネクタイの片方を握り、男の首から引き抜こうとしたそのとき、男が突然手を伸ばす。

「このネクタイはダメだ」

「キャーッ!」

 男の声に、女はびっくりした。

「あなた、起きていたの!」

「いま、目が覚めた」

 男、大きく伸びをして起きあがる。

「よく寝たなァ。キミ、何をしている? その前に名前を聞いていなかった。おれは、河東高籐(かとうたかふじ)だ。キミは?」

「紅冬子(くれないふゆこ)」

「で、おれのクビを締めるつもりだったのか?」

「な、わけないでしょッ。このネクタイの柄、おもしろいなと思って……」

「面白くっても、このネクタイはダメだ。この柄は、知恵の輪なンかじゃない。ワッパ、警察の手錠だ」

 女、ネクタイの柄を覗きこみ、

「ヘェー、手錠かァ……」

「これは本庁で、連続発生したサラ金強盗をあげたとき、班の全員がもらった警視総監賞の副賞だ」

 冬子、怖々、

「あなた、刑事なの?」

「昔はな」

「やめたの?」

「やめさせられた。不本意だがな」

 冬子、ホッとして、

「そゥ。で、いま何をやっているの?」

「キミと同じだ」

「エッ!? ウソでしょッ」

「探偵だ。キミも、探偵だろう」

「探偵!?」

 冬子、考えて、

「探偵でもいいか。似たようなものね」

「でなきゃ、こんな時刻に、見ず知らずの男の部屋に来る女はいないだろうが」

「そうよね。ふつうのOLが、あなたみたいな退屈な男の誘いに乗るわけないもの」

「よく言った。キミはふつうじゃない。で、どうする? このまま帰るか?」

「送ってくれるの?」

「送ってあげたいが、車がない。タクシー代は、ここに来るのに払ったのが最後だ」

「最後、って……お金、ないの……」

 冬子、河東の真意を探るように見つめる。

「知ってるだろう。おれの財布の中身。キミはこのまま帰ったら、昏睡強盗で捕まる。捕まるというより、おれが捕まえる」

「エッ!?」

 冬子は驚愕。

 河東は上着の内ポケットから財布を取り出し、中を開く。札はなく、小銭だけ。

「ここにあった5万3千円がなくなっている。札には赤いサインペンで印がつけてある。キミの財布の中には、印がついている札が5万3千ある」

「!……」

 冬子、下唇を噛む.

「どうする? 帰るか、それとも、ここに残るか?」

「あなた、何者?」

「だから、元刑事だ」

「前に一度、元刑事って人に会ったことがあるけど、あなたみたいに、正義感を振り回さなかったわ」

「元刑事にもいろいろある。さァ、どうする?」

 冬子、困った顔で、

「どうする、って。帰ったら、捕まえるンでしょ。ここに残ったら、どうなるの?」

「おれの女房になれる」

 冬子に怒りが湧く。

「! 冗談じゃないわ」

「キミは自分が置かれた立場が、よくわかっていないようだ。まもなく、ここに警察が来る」

「通報したの。いつ?」

「キミが部屋の中を見回している間にだ。ポケットの中にある携帯を使った」

「警察が来たら、わたしを突き出す、って、こと?」

「おれも出来ることなら、そんな野暮なことはしたくない」

「かといって、あなたの女房になるなンて、真っ平だわ」

「キミが自由になれる方法が一つだけある」

 冬子は、じっと河東を見つめる。

 冬子には、河東の次のことばが予想できるのだ。

「まず、おれの財布から抜いた金を全ておれに返す。それから、キミは自分の財布をここに置いていく。そうすれば、ここに来る警察官に、キミのことをうまく説明する」

「うまく、って?」

「だから、キミのことをおれの女房だと話す」

「あなた、わたしの財布の中身、知っているの?」

「キミが居酒屋の勘定するとき、確認した。20万はある」

「!」

「20数万で、警察に連れて行かれなくてすむンだ。安いものだ」

「そうね……」

 冬子は考える。

「わかったわ」

 冬子はバッグから財布を出し、テーブルの上に置く。

 河東、財布の中を確かめてから、

「もゥいいぞ、帰っても……」

 河東は冬子の財布から1万円だけ抜き取り、

「タクシー代に持っていけ」

「ご親切だこと」

 冬子は一万円を受け取った。

 そのとき、インターホンが鳴る。

 冬子が出ると、

「警察です」

 冬子、驚く。河東の表情にも変化が。

「早いじゃない」

 河東は無言だ。

 冬子が玄関ドアを開ける。

 ドアの外に、制服姿の警察官が立っている。 

 冬子が尋ねる。

「なんですか?」

 警官が問い掛ける。

「あなたはどなたですか?」

 冬子は落ち着き払って、

「妻です。(奥に向かって)あなた、説明してよ」

 河東がゆっくり玄関に現れ、警官の全身をなめるように見る。

 警官、河東に向かって、

「ご主人ですか?」

 河東、急に自信が回復したようすで、

「そうですが……」

 と、いきなり、警察官の背後から、

「やっばり、あなたね」

 女が現れた。

 冬子より、一回り年上の女だ。

 河東、予想が当たったような顔付きで、

「おまえか」

 冬子が河東に詰め寄る。

「だれよ、この女!」

「おれの前の女房だ」

 河東、どうすべきか、懸命に考えている。

 警官、河東と冬子に対して、

「ご近所から、こちらの奥さん、光季(みつき)さんに通報があったンです。『昨晩、お宅に明かりが灯っていました。しばらく留守にします、ってうかがっていたのに』って」

 光季が乗りだし、

「そうよ。わたし、ドラマのロケで東北に行っていたら……」

 冬子、興味を示す。

「奥さん、女優さんなンですか?」

 光季、表情を変えず、

「そォ、売れない、ね。なのに、今朝ロケ先に、留守をお願いした隣の奥さんから電話がかかってきたから、気になって自腹を切って飛んで帰ってきたの。一人で部屋に入るのは怖いから、そこのバス停にある交番のお巡りさんにお願いして、ついてきてもらったのよ」

 警官が、硬い表情で、河東に話す。

「あなたが例え元のご主人でも、こちらのマンションはいまは奥さんの所有物なンでしょう?」

 河東、無言で頷く。

「でしたら、住居侵入の現行犯です」

 光季、警官の前に進み出る。

「カギはどうしたの。別れるとき、わたしに渡したじゃない」

 河東、だらしなく、

「合鍵があったからな」

「やっばり。あなた、前から、わたしのいないとき、わたしのマンションに出入りしていたでしょ。わかるのよ。灰皿の位置がずれていたり、洗面台の汚れ具合で。前々からおかしいと思っていたの」

「充分、気をつけていたンだが……」

 冬子、警官を諭すように、

「あなたは若いから知らないでしょうけれど、(河東を示し)この人は、本庁1課の刑事だったンよ」

「エッ!? 本当ですか!」

「いまは探偵しているけれど、この部屋に入ったのも、ここに昏睡強盗を誘い入れ、逮捕するためだったのよ」

「昏睡強盗ですか! で、被疑者はどこですか!」

 冬子、慌てて、

「それは昨日の話よ。ねェ、あなた」

 相槌を求めるが、河東は黙ったまま。

 冬子、仕方なく、

「昨日は、昏睡強盗に昏々と説教して、帰した、って。そうだったわね」

 すると、光季が乗り出し、

「わかった。あなた、昏睡強盗の上前を刎ねていたのね」

「上前!?」

 警官の表情に変化はない。

 光季、続けて、

「説教と言いながら、『見逃してやるから、財布を置いていけ』って言って、昏睡強盗を追い払う」

 冬子、驚いて、

「あなた、どうして知ってンの!」

 光季、苦笑いをして、

「このひと、それで本庁をクビになったンだもの。それよか、あなた、本当にこのひとの女房なの? 若そうなのに、お気の毒。何も知らないのに」

 冬子、戸惑って、

「わたし、どうしたらいいの……」

 冬子は考える。このまま帰ろうとしたら、この男(河東)に昏睡強盗だと垂れこまれて逮捕される。ここにいたら、住居侵入男の女房にされてしまう……。

 すると、河東、冬子の心の中を読み取ったのか、

「安心しろ。問題はすぐに解決する」

「なに言ってンの。目の前に警察官がいるのに……」

 河東、冷静に、

「こいつは偽警官だ」

 警官、急におどおどしだす。

 光季、怒りに震え、

「あなた、何言い出すの! (警官に)警察手帳を出して、このバカに見せてやってください」

 河東、落ち着いている。

「警察手帳は警察ものの小道具の中では、一番精巧に出来ているンだ。おれは昔、テレビドラマのスタッフに頼まれ、指導したことがあるが、そのとき教えてもらった。最も難しい小道具は、拳銃だ。オイ、偽警官、その腰の拳銃で、おれを撃ってみろ。いいから、早く」

 警官、腰に手をやるが、拳銃が抜けない。

「光季、だから、やめようと言ったンだ。おれは降りるよ」

 河東、冬子に、

「おれたちが離婚した原因は、女房の浮気だ。それも、この女はドラマで共演した若い男優とすぐにデキる。(偽警官に向かって)キミ、ドラマのスタッフに無理を言って警官の衣装と小道具を借りてきたンだろうが、官名詐称がどういう罪になるか知っているのか。知らないのなら、すぐにここから立ち去ったほうが身のためだ。俳優生命に傷が付くゾ」

 偽警官、帽子を脱いで一礼する。

「すいませんでした。失礼します」

「待ちなさいッ! バカーッ! だから、あんたはいつまでも、芝居が上達しないのよ!」

 偽警官、光季が止めるのもきかず、靴のゴム底を見せながら、駆け足で逃げて行く。

 光季、萎れて、

「あなたがいつも、わたしの留守中に部屋に出入りしているとわかったから、あの若い俳優に頼んで、脅かすつもりだったの。どうして、偽警官とわかったの?」

「おれはおまえも知っている通り、昔は悪徳刑事だった。悪の道は知り尽くしている。第一、おまえはそこのバス停にある交番のお巡りさんといったが、あの交番は夜8時以降は無人になるンだ。それに、スニーカーをはいたお巡りはいない」

 冬子、ニヤリッとして、

「奥さんもわたしと同様、この人に、足下を見られた、ってわけね」

                (了)

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昏睡強盗 あべせい @abesei

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