第17話 離さないでほしいな
奏さんの家庭環境が気になりつつも、俺は、奏さんとクリスマスパーティーをしている。
夕飯はもう既に済ませているため(時間帯的には本来、今が夕飯どきだが、もう俺たちは、混む前にとちょっとお高めのレストランで済ませている)、ケーキやお菓子を食べるくらいのささやかな会だ。
コンビニでチキンも買っておけばよかったかも、と思い「近くに買いに行こうか?」と言った。が、奏さんは「別に大丈夫だよ、ケーキもあるし」という感じなので、チキンはなしになった。
というわけで。
ケーキを食べ始めて、パーティーですることもなくなってきた今、残されたことと言ったら。
後は――。
プレゼントをいつ渡すか問題を解決しなければ……。
予定では、イルミネーションを見た後、帰り際に渡すプランだったので、完全にタイミングを見失ってしまっている。
――奏さんの家を出るときにでも渡すか?
流れ的には、今がいいような気もする。
うーん。
でも、やっぱり、去り際にスマートに渡す方が元々のプランに近いし……。
うん、去り際に渡すプランで行こう。
そんなことを考えていると、奏さんが「どうかした?」と声をかけてきた。
「あ、ケーキ、ホールで買っちゃったけど食べきれるかなって……!」
咄嗟に俺がそう言うと――、
「余裕だよ! クリスマスは明日までだし!」
奏さんが笑顔を浮かべる。
「クリスマスは、明日までか。確かにそうだね」
奏さんの言葉で今日は、まだあくまで、前夜祭に過ぎないことを思い出す。なぜ、人は、本番よりも前夜祭的なものの方が盛り上がるのだろうか。
学校の文化祭だって、ちょっと違うけれども、後夜祭の方が盛り上がっているような――気合が入っている――気がするし、イベントそのものは軽視されているような気さえする。
子供時代のクリスマスにしろ、イブの日やその夜にもらったプレゼントで遊んだりして当日を過ごすから特別感はないし……。
「クリスマスってなぜか、イブの日の方が重視されがちだよねー。なんでだろうね?」
俺の思考を読んだかのように奏さんが微笑みながら疑問を投げかけてくる。喜色満面という言葉が似合うこれ以上の笑顔を俺は、見たことがない。
「子供のころは、プレゼントがもらえるとかそんな感じでクリスマスイブを待ち遠しく思ってたけど、今もそうなのは、本当になんなんだろうね?」
そう言った瞬間、自分の失言に気がついた。
奏さんに子供時代のクリスマスの思い出がない可能性。あるいは、悪い思い出しかない可能性があることを思い出したのだ。
しかし、奏さんは、気にしている様子を見せずに、
「私、今、少し考えてわかっちゃったかも」
ふふっ、と小さく吐息混じりの笑みを漏らす。
奏さんの笑い方がいつぞやのように妖艶で、背筋がぞくりとしてしまった。
「こういうことしたいからなんじゃないかな?」
そう言って、奏さんが近づいてきて、俺の唇を貪るようにキスをしてきた。
ちょっ!? 奏さん!? と言おうにも口が塞がってしまっていて、受け入れる外なかった。
思い切り身体を強張らせる俺のことなど露知らず奏さんは、俺の唇を食み続ける。
唇を割って入ってきた奏さんの舌は、さっき食べていたケーキのクリームの風味が残っているのか、甘い味がした。
やがて唇が離れると、息をするのも忘れていたせいで、大きく息が乱れた。
「ビックリした……?」
奏さんが悪戯な笑みを浮かべる。
「……ビックリしたも何も……」
呼吸を整えながら、ぼーっとしていた頭を再起動しながら言葉を探す。
「どういうつもりで、こんなこと……」
俺は、そういうことばかりしたがる彼氏にならないように、気を張っていたのに、奏さんの方から揺さぶりをかけられて、頭が真っ白になっていた。
「海里くんとこういうことがしたいから……じゃダメ……?」
「ダメではないし……嬉しいけど、こういうことばかりするのは、ダメじゃない? ほら、奏さん、俺がそういうことばかりしたがるようになったら嫌でしょ? 奏さんだって、嫌なときあるだろうし」
俺がそう言うと、奏さんが表情を曇らせた。
「私は、全然いいよ。海里くんがそういうことばかりしたがるようになっても。だって、私のことが欲しくて欲しくて仕方なくなるってことでしょ? それって最高じゃん」
俺は、このとき。
付き合い始めてから初めて、奏さんのことを心の底から怖いと思った。
思ってしまった――。
「奏さん……。それは、違うよ。間違ってるよ」
俺は、気がついたら口を開いていた。
「違うって……? どこが?」
「お互いに愛し合うってそういうことじゃないと思うんだけど。それじゃ、俺の一方通行じゃん。そもそも、そうなったら、好きって気持ちも欲望にまみれてごちゃごちゃになっちゃう気がする」
「一方通行? でも、海里くんが喜んでいて、私も喜んでいるって状況だよね? 私の海里くんに喜んでほしいって思う気持ちは『愛』じゃない……そう海里くんは、言いたいの?」
「それは……」
反論しようと思えばいくらでも反論できそうではあった。
けれども、だんだん、と奏さんの瞳は左右に揺れ始め、声は震え始めていて、俺はもう何も言えなかった。それに、愛の形だって人次第だし、自分が間違っているような気さえし始めていた。
「ごめん、むきになって……」
奏さんが俯いた。
「ああ、いや、俺の方こそ決めつけで色々言って、ごめん……」
「ううん……私の言ってたことやばいかな? 引いた? 嫌いになっちゃった……?」
奏さんが俺の胸に縋りついてくる。
「驚きはしたけど……。うん。嫌いにはなってないよ」
価値観に差異があっただけのことで、すり合わせはできるはずだ。
価値観が違うからってすぐに関係を切るのは違う。
「ごめんね……。嫌いにならないで……。あんなこと急にしちゃったのも、海里くんに帰ってほしくなくて……それで……」
「ええっと、つまり、誘惑してそういう気分にさせれば、俺が泊るって思ったの?」
こくり、と奏さんが頷く。
やっぱり、家庭環境に問題ありって感じか。
本人に問いただすつもりはない。こればかりは、奏さんがあまり話したくなさそうにしているし、自分の口で話してくれる日を待とう。
はあ、と俺はため息をつく。
「そんなことしなくても、言ってくれれば、泊るよ」
「ほんとに?」
瞳を潤わせながら奏さんが訊いてくる。
「うん。親にも連絡入れとくよ」
俊樹あたりの家に泊って夜通しゲームすると言っておけば問題ないだろう。
テーブルの上に置いてあったスマホを手に取り、メッセージを入力する。そして、送信っと。
「……」
親に今日は帰らない旨のメッセージを送って、二つ返事で『はーい』とだけ返ってきた。
普通さ、一応なんか、疑ったり、するもんじゃないの?
俺に限ってそんなことはないと思われているのか、何にも疑われなかった。
なんだろう。ものすごく助かるけど何とも言えない気持ちだ。
そう何とも言い難い気持ちに襲われていると、奏さんが急に後ろから抱き着いてきた。
「奏さん? どうした?」
「好き」
そうひとこと奏さんが呟いた。
突然、好きと言われて、きょとんとしていると。
「大好き。こんなに人に大事にされているって思えたの初めて」
奏さんがさらに抱きしめる力を強めてくる。背中に双丘が押し付けられて、さっき偉そうなことを言っておきながら、どうしてもドキドキしてしまう自分もいる。
落ち着け。落ち着け。
海里、お前は理性的な男だ。
俺は、いつぞやのことを忘れて、そんなことを言い聞かせる。理性的であったことなんてむしろなかったような気がするけれども、今だけは理性的にならなければ。
――今、ここで、欲望のままに行動すれば俺と奏さんはダメになる。
そんな確信があった。
理性を保とうと必死になっている俺の耳元で奏さんの暖かい吐息が聞こえ始める。
さらに心拍数が上がる。
「ずっと、一緒にいてね。離さないでほしいな」
耳元で囁かれたその言葉は、脳に直接響くようだった。
俺は――、
「うん。離さないよ」
自分の鼓動なのか奏さんのものなのか――もはやわからない鼓動を感じながら俺は、約束した。
俺は、奏さんに恐怖心を覚えながらも約束してしまった。
でも、奏さんは、自分の言っていたことの危険性に気がついた様子も見せたし、反省するそぶりも見せた。
きっと、俺の価値観も理解しようとしてくれるはずだ。
きっと、俺たちは大丈夫。
だから、俺が奏さんを離すことなんてないだろう。
「ほんとに? ほんとに、離さないでいてくれる?」
「うん。だって、俺も奏さんのことが好きだから」
***
思い返せば、このクリスマスイブが引き返すラストチャンスだったかもしれない。
メンヘラな君を離せない。 しろがね @drowsysleepy
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