第16話 絶句
奏さんの住む街は、俺の訪れたことのない街だった。俺の最寄駅からは、七駅くらい離れている。俺の家から駅まで歩いてだと――奏さんの最寄駅に辿り着くのだけで、なんやかんや一時間かかるとまではいかなくても、電車を逃したりしたら、五十分はかかるかもしれない。
思ったよりも、あった奏さんの家と俺の家の距離に驚きながらも俺は、先導して住宅街の中を歩いている奏さんの後ろをついていく。
「ここが私のお家だよ」
そう言って、奏さんが歩を止めた。
「へ、へえ……。こ、ここが……」
内心、女子の家に上がることなんて、すず姉の家以外なかったので、緊張していたのが、声に出てしまった。
「海里くん、緊張し過ぎだよ。別に親が家にいるわけじゃないし」
「そ……そっか……」
俺は、ほっ、と息をつく。
と、そこで。
――今まで、とんとん拍子で話が進んでいたからすっかり、忘れていたけれども、親がいない……?
俺は、少し違和感を覚えた。
まあ、クリスマス(厳密にはクリスマスイブだが)の日に仕事がある人は山ほどいる。というか、年末の忙しい時期だし、社会人からすればクリスマスよりも正月の帰省とかの方が大事だとも思えるし、働いている人がほとんどだろう。
しかし、そうはいっても――。
明かり一つ灯されていない奏さんの家は、この住宅街に妙に馴染んでいた。
ここに、このようにあることが正常である。
そんな雰囲気を醸し出している。
「どうかした?」
奏さんが家のドアの鍵をいつの間にか開け始めていて、僕がぼーっと突っ立ているのに気がついたみたいで、振り返った。
「あ、いや、何でもないよ。新しめの家なんだなって」
「あー、うん。お父さんが新しいもの好きなんだ」
そう言って、奏さんは、家のドアを開ける。
そして、どうぞ、上がって! と、待ちきれないと言わんばかりに喜色満面の笑みを浮かべる。
お邪魔します。
俺は、そう言いながら、奏さんの家に入った。
「特に面白いものとかは、何もないけど、できるだけ楽しませるよ! 私の家のお客様第一号ですから!」
奏さんは、ニコニコしながらそう言う。
奏さんが話せば話すほど、俺の中の嫌な想像がクリアになっていく。
「それじゃ、リビングに行こう!」
嫌な想像で頭がいっぱいになっている俺のことなど露知らず、奏さんがリビングがあると思われる方へと歩き始める。
なぜに、リビング? と思ったけれども、奏さんが、パーティーは広々とした場所でやるべきだよ! と主張してきたので、頷いておいた。というか、奏さんの言う通りな気がしたのだ。
またもや、ぼーっとしている俺を奏さんが、見かねてこっちこっち、と手招きをしてくる。
手招きをしている奏さんの方へと行くと、奏さんがリビングの明かりを点ける。そして、俺の家よりも大分広々としたリビングスペースが見えた。
――なんだよ……。これ……。
俺は、思わず、絶句してしまった。
うん。
彼女の家に上がらせてもらっておいて、何様だ、という感じではある。けれども、実際、俺は――、
――なんだよ……。これ……。
そう思ってしまった後、絶句してしまったのだった。
俺の目に飛び込んできた、光景を前には、そうせざるを得なかった。
俺の目にまず、飛び込んできたのは、あまりにも整っている――家族で暮らしているというには、整いすぎているリビングだ。
通常、リビングには、食卓やテレビがあったり、キッチンが併設されていることがほとんどだろう。
まあ、奏さんの家もそうなのだけれども――。
けれども――。
奏さんの家のリビングには、それ以外のものがない。
なさすぎる。
奏さんが学校でもらっているであろう保護者向けの配布物。
家族写真が入った写真立て。
今朝の朝刊。
そういった家族を感じさせるもの、生活感を与えてくれるものが一切なかった。
だからこそ――。
食卓に置かれたその置手紙と五千円札は余計に目立った。
奏さんが血相を変えて、食卓に走って、それを回収した。そして、後ろ手に隠す。
「ごめん。ちょっと、家のことやってもいい? やっておかないと気が済まなくて……。いつも、この時間に冷蔵庫の整理とかしてて……。偉いでしょ?」
奏さんは、悲しんでいるのか苛立っているのかよくわからない表情に笑顔を混ぜ合わせていた。
「うん。大丈夫だよ……」
「ありがと! あ、でもお客様にそんなところ、見せるのはあんまりよくないか……」
奏さんが、ちょっと、私の部屋で待っててくれる?
そう俺をリビングから追い出そうとする。
「家事……手伝おうか? ていうか、これもパーティー準備の一環――というか……。うん、だから、一緒にやろうよ」
俺は、気がつけばそう言っていた。
後になって後悔したことだけれども――俺の言っていたことは、奏さんがあまり見せたがらない部分を見せろと言っているようなものだった。
「あ、見られたくないところがあったら、一瞬、出て行ったりするからさ」
「ううん。大丈夫、気持ちだけで嬉しいから! 家のこと、って言っても、十分とかからずに終わるから!」
「そっか……」
それしか返す言葉はなかった。
俺は、奏さんに従って、リビングを出た。
そして、奏さんに案内されるままに入った、明らかに奏さんの部屋でないけれども、奏さんの部屋とされた部屋で奏さんが家事を終えるのを待つことになった。
この部屋は、奏さんの部屋でない。そうすぐにわかったのは、奏さんが所有しているはずの大量のCDとアコースティックギターがなかったからだ。
部屋が散らかっていたりだとか、何かしらの理由で見せられないこともあるだろう。それに、この部屋には、デスクと、俺もよく知っているベストセラー小説が並んでいる本棚、そして、ベッドがある。そのため、この部屋で奏さんは寝ていて、趣味の部屋は、別にある――そういう可能性も否定はできない。
けれども。
俺は、この部屋からは、奏さんを感じられないな、と思った。
直感でしかないけれども、ほとんど確信に近かった。
それじゃあ。
本当の奏さんの部屋は、どんな部屋なのだろうか。
そんなことが気になってきてしまった。
――いやいやいやいやいや。
絶対、ダメだ。
許可もなしに人の部屋を見るのは、絶対に許されない。
俺は、鶴の恩返しに登場するおじいさんの気持ちだった。
リビングからは、もちろん、鶴がいるわけではないので、織物をする音ではなく――、おそらく冷蔵庫が開いて勢いよく閉められた音、微かな何かを捨てている音、水道を使っている音が聞こえてきた。続いて、食器が洗われて、かしゃん、と置かれている音がした。
そうこうして、過ごすこと、七分程――。
もちろん、この七分の間に奏さんの部屋を見に行ったりなんてしていない。
それよりも、差し迫った問題があることに、独りで勝手に鶴の恩返しの気分を味わい始めてすぐに思い至った。
――奏さんってもしかして、ずっとこんな感じでクリスマスを独りで過ごしてきたのではないだろうか。
物心ついてからずっとこんな感じだったとは、思いたくないが――少なくとも、ここ数年はこんな感じだったのではないか。
そんなことばかりを考えてしまって、部屋のことなんて忘れてしまったのだ。
ぐるぐる、と同じことを考えている内に、水が流れる音が止まった。
そして、階段を上る音が聞こえてきた。
「おまたせ、私の都合でごめんね? パーティーの準備、しよ?」
奏さんが、笑顔を貼り付けて言った。
嫌な想像が頭を巡っている俺には、その笑顔は、とても痛々しく映った。
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