第18話 今はまだそのままで

 えっ、と……

「矢吹くんのところに行かなくていいの?」とはどういう意味なんだろう?


 そんな疑問が顔に出ていたのか、それに答えるように川井ちゃんは言葉を続けた。


「最近、私のところに来なくなったからさ」

「え」

「責めてるんじゃないよ? ただ私以外にも避難場所ができてよかったなと思ったの」


 私には顔がわからないから、その人がどんな気持ちなのか推測するのには声しかない。川井ちゃんの声は落ち着いていて、怒ったり悲しんでいるような様子はなかった。


「避難場所……」

「あれ? 違った? ……濱砂さん苦手なんじゃないの?」

「ば、バレてる……」


 濱砂さんが苦手なのも、川井ちゃんを避難場所にしてるのも合ってる……


「わかるよそりゃ。苦手な人がいるのは普通だし、私も話し相手がいてよかったからさ。気にしないでいいよ」


 そうは言ってくれたけど、そんなにもあからさまだったのかな。少しだけ反省……川井ちゃん以外にも気がついてる人がいるのかもしれないし、本人やその周りの人にも伝わっているかも……

 いやでも、本人が気づいてたら止めてもらいたいんだが!? さすがに人が嫌がってるようなことをする人ではないと思ってるけど……きっとそうだよね……?


 そうして悶々もんもんと考えている間、川井ちゃんは特に言葉をかけることもなく見守っているようだった。

 でもバレてると思わなかった……川井ちゃんと話すの好きなのは本当だけど、失礼なことしちゃったかな……

 そう思って弁解をしようとした時。


「あのさ、」

「あ、ほら。来たよ」

「来たって誰が……」


 周りを見渡すと、矢吹くんが近寄ってきていた。


「また席離れたね」

「あ、うん。そうだね」

「……なにかあった?」

「いや? 特にないよ?」


 川井ちゃんの目の前で、ちょうど話題に上がっていた矢吹くんと話をするのは少し気まずい。横目でちらっと川井ちゃんを見ると、違う方を向いていてそれが逆に気を使われてる感じがして恥ずかしくなった。


「そう? じゃあはい。これあげる」

「ん? なに?」


 握り拳を見せられ、反射的に手を差し出すとその上にキャラメルが落とされた。


「美味しいから食べてみて」

「あ、うん。ありがとう」


 そしてもう用事は終わったのか、矢吹くんは背中を向けて歩いていった。


「私のこと見もせずに帰ってったなぁ」


 川井ちゃんの言葉に、私への態度の意味を邪推してしまって首を振るった。


 ***


 すべての授業が終わった後、図書部の当番のため、受付のところに座って作業をする。バーコードをスキャンして返却日を伝える、同じことの繰り返しであったが、私は案外好きだった。


「返却お願いします」

「はい。……あ、矢吹くん」


 顔を上げた先にいたのは矢吹くんで、こくんと頷かれた。周りをきょろきょろと見回した後、本を持って近づいてくる人に気づくと離れていった。なにか用でもあったのだろうか……

 そんなことを思っても追いかけることはできないわけで、目の前のことに集中する。


 それにしても、こうして学年関係なく生徒と接する機会があっても、顔が認識できる人はそうそういないようだ。あの3人以外には、彼らの部活の顧問である先生や、1部の生徒は顔がある。ただしその生徒はみんなテニス部に所属している先輩方らしい。

 やはり何かの作品の主要人物達といったところだろう。それに顔のある人達と関わることは本当になくて、あの3人以外だと……


「お願いします」

「はい」


 パッと視線を上に上げると見えるのは顔。噂をすればなんとやら。お顔がある先輩である。

 彼の名前は仙道千裕ちひろ。目が大きく可愛らしいお顔をしていて、身長は少し低めなのが悩みらしいと、あの3人が話していたのを聞いたことがある。

 実際に接していると、いつもふわふわとした柔らかい空気をまとわせており、私から見れば、本が好きな美青年と言ったところだろうか。たまにやってくるのも、部活が休みだったりするからなのか。

 あの3人の話題に上がるのだから主要人物であるのは確実なわけで、心構えをした上で遭遇したものの、やはり少しは動揺してしまったのはもう懐かしい思い出だ。


 いつも通り特に話すこともなく去っていく彼を見送って椅子から立ち上がる。他の部員と交代して向かった先は、部員たちが選んだおすすめの本たちが並べられた特設スペース。あの中から手に取ってもらえた本があるか気になっていたのだ。


 特設スペースに到着すると、ひとりの男性が立っていた。その後ろ姿に見覚えのあるような気がしてもっと近づくと、名前が表示された。


「気になるのあった?」

「あ、行村さん。これ、言ってたのだよね」


 矢吹くんのその言葉と、その手に持った本を見て思い出す。


「そうそう。この本だよ」

「だよね」

「読んでみる?」

「うん」


 ……そう言えば、さっき用事でもありそうだったけど、もしかしてこの本のことを聞きたかったのかな。まあ他に用事があればまた話しかけてくれるだろう。


 それから図書館が閉まるまで矢吹くんはその本を読んでいて、最終的に借りていった。

 そして帰り支度を終えて昇降口に向かうと下駄箱の側に矢吹くんが立っていた。


「あれ、矢吹くん帰ってなかったんだ」

「まだ途中だけど感想言いたくて待ってた」


 もう肌寒い季節になっており、乗降口近くは風が入ってきてより寒いのに、こんなとこで待ってたのかと思うと心配になってきた。


「体冷えてない?」

「大丈夫。寒いの平気だから」


 本人がそう言っているからそれ以上はなにも言わないが、本当に平気なのか疑いの目で見てしまう。風邪引いたら嫌だからね。


「あ、雨降ってる……」

「だね。でもなんかちょっと嬉しそう」


 ふいに外を見てみると、雨がぱらぱらと降り始めていた。眺めているうちにどんどん雨脚が強くなっていく。


「雨も嫌いじゃないからね」

「天気に好きも嫌いもあるの?」

「雨の後の虹は綺麗だと思うし、雨が屋根に当たる音も嫌いじゃないから」


 天気予報を信じて傘を持ってきていてよかった。そう思いながら傘立てから自分の傘を取り出す私の隣で、矢吹くんも傘を手にしていた。


「そういえば、今日は傘持ってるんだね」

「ん? ああ、前に借してもらったよね。あの時はありがとう」

「迷惑じゃなかった?」

「迷惑じゃないよ。あの時はあまり話したことがなかったから少し驚いたけど」

「あ、やっぱり驚かせちゃってたんだ……」


 傘を貸した梅雨の日から季節は巡り、今はもう冬となった。その間に矢吹くんとの関係も変化した。時々本について話をする程度だったのが、ほぼ毎日話すようになって、自然と接する時間が長くなっていった。この関係をどう表したらいいかわからないけれど、もう矢吹くんは私の日常の1部のようだった。


 これまでの矢吹くんの行動の意味を知りたいと思う気持ちと、知ってしまった後のことを考えて、どうにも動き出せないでいた。そんな状況にどうしたらいいのか迷っていたけれど、今はなぜかこのままでいいと思えた。

 こうして他愛のない話をしている今が心地よくて、まだこうしていたい。

 ちらりと見上げた矢吹くんは、そんな私を見て微笑んでいる気がした。

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真実のキスになれなくて 伏見 悠 @sacura02

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