第2話 卵焼き
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色々と葛藤はあった。あったが――ついさっき出会った少女、天宮甘音さんを自宅に招き入れた。自宅に向かう途中互いに自己紹介は済ませている。
驚いたことに天宮さんは近くの有名私立校に通う女子高校生だとわかった。そんな有名校の女子生徒を三十路のおっさんが…。
その先は考えるのをやめてできるだけ意識せずに無心で挑むことに努める。
「ごめんね。小汚い部屋だけど、どうぞ」
「い、いえそんなことありません! とても整理されていて、綺麗です!」
「ありがとう。そこのソファに座って待ってて。今飲み物を持ってくるから」
「は、ははい!」
彼女も相当緊張をしている。そりゃそうだ。さっき知り合ったばかりの男――それもおっさんの自宅に一人で訪問だからな。これが仮に既婚者で奥さんが居たら、他に女性が居る分少しは落ち着けたと思うけど。
「――じゃあ、聞こうか。あ、無理強いはしないから話せる範囲だけで大丈夫だからね」
テーブルを挟んで向かい合う。彼女の前に紙コップに入ったオレンジジュースを置き、自分の前に同様のものを置く。
「は、はい」
そうして彼女はぽつりぽつりと話す。
彼女の実家は裕福。裕福だが両親共に家に帰ることが少なく仕事に明け暮れて構ってなどくれなかった。そんな両親のもとで育った彼女は「親との壁」を感じながら過ごす。
親の都合で転校をする日々。学校に馴染めず親しい友人も作れず、高校二年生となった彼女はこれからもそんな生活をすることを危惧しこの街に移り住んだ時に「一人暮らし」をすると両親に伝えた。初めは渋られたもの仕様人を付けることを条件に許可を得た。
一人暮らし(使用人つき)を勝ち取り今回転校した高校で友人を作ろうと意気込んだところ…今までの暮らし、友人を作らなかった弊害が生まれ友達の作り方がわからなく絶望。そんなある日、男子生徒に告白された。「付き合う」という経験が初めてだった彼女は初め断ろうとしたが「こんな自分でも「必要」とされている」と嬉しく感じ告白に了承。ただ、それが転落の原因に。
彼女に告白をした男子はその高校で人気の男子生徒。狙っていた女子生徒たちは多数く居て、彼女は恨み妬みを買い嫌がらせを受けた。それがエスカレートしていじめに発展。両親に一言言えば辞めさせられる。でも両親に「一人暮らし」をお願いしている手前、迷惑をかけたら――「この生活が終わってしまう」と思い自分が耐えればいいと短絡的な考えのもと今まで耐えてきた。
自分には「自分を「必要」としてくれる彼氏が居る」だから何かあれば守ってくれると安易な考えを持って。その考えも裏切られる形となる。彼女に告白をした男子は「嘘告白」つまるところ「友人間の罰ゲームで転校生に嘘の告白」をするという馬鹿げた内容に彼女はまんまと嵌められたのだ。
その事実に目の前が真っ暗になる。でもその話を自分をいじめていた女子生徒たちに話せば理解してくれる、自分の味方になってくれる可能性があると思って行動に――
「――結局、話を聞いてくれず…」
悲しそうな視線をテーブルに落として自分の赤く腫れた頰に触れる。
「そんな、ことが…」
話を聞いた津田は彼女の過去にどう反応をすればいいのか考え、上手い言葉が見つからず、自分の未熟さに情けなくなる。
「何も信じられず、全てが嫌になった私は、この世から居なくなろうとしました」
「っ」
その言葉に息を呑み、自分が初めに見た彼女の何もかもを諦めた表情を思い出す。
「両親もどうせ私なんか。周りの人もそう。私は誰にも――「必要」とされない。そんな人生、もう、なんだか疲れちゃいました」
「……」
儚く微笑む姿は見ていて胸が痛む。なのに何も言葉を返せない。彼女の話を聞く――助けるために招待したのに。
なんか言え。なんか言えよ。彼女を励ます言葉を。彼女の心の傷を癒すために少しでもその顔を笑顔にするために俺は彼女を自宅なんかに招いたんだろ。なぁ、津田善信。
「――この世に、何一つ必要とされない人は居ない。俺だって、君の話を聞こうと「必要」とした。君は…」
「無理、しなくて大丈夫ですよ」
「っぅ」
なんだよ、なんだよそれ。なんでそんな悲しそうな顔で笑うんだよ。俺は。俺は…。
彼女の言葉、表情を見て言葉を無くす。
「話したら、少し楽になりました。多分、私はもう大丈夫です。お話、聞いてくださりありがとうございます。これ以上の長居はご迷惑を、お掛けしますので」
こちらの言葉を聞かずにそのまま立ち上がり、高校指定バックを持って――
「たまご」
「え?」
――部屋を出て行こうとした彼女に津田はそんな言葉――「たまご」と不可解な言葉を投げかけていた。彼女も彼女でその意味が理解できず、困惑した表情で立ち尽くす。
あ、阿呆ぉ。「たまご」じゃないんだよ。てか何が「たまご」だ。そこは「待って」とか引き留める言葉を使えよ。いや、引き留めることに成功したけど…。
自分の発言に羞恥し、混乱した津田は立ち上がると彼女に続きの言葉をかける。
「俺には君が必要だ。卵焼きを作ってくれ」
「卵焼…へ?」
彼女――天宮甘音はその言葉に固まる。
「月が綺麗ですね」や「君の味噌汁を毎日飲みたい」とは違うもの告白文句のような言葉を使った津田は間抜けな表情で停止。
・
・
・
「ぷっ」
「…え?」
妙な空気が数分続く。どうこの状況を打開すればいいか冷静になった頭で考えていた津田の耳に彼女の笑い声が聞こえた。
「ふ、ふふふ。卵焼きって。ふふ」
彼女に笑顔が戻ったことに喜びたいところ。ただそれ以前に自分が発言したことについて羞恥心が上回る。
「い、いや。あの、間違えたというか。いや、言葉のチョイスを。その、俺が言いたかったことは、君を必要としている人が居てだな」
しどろもどろになってなんとか弁明を試みる。そこには冷静さを取り戻した大人は居ない。冷静さを欠いた情け無い大人の姿。
「ふふ。大丈夫です。津田さんの言葉。しっかりと伝わりました」
「え、じゃあ」
「はい。もう「必要」とされないなんて言葉は言いません。身を滅ぼすこともしません」
「…よかった」
まだ全てが解決したわけではないのに彼女の言葉を聞いた安心感から本音が漏れる。そんな津田を見た彼女は薄く微笑む。
「「必要」とされている。なら、私に生きる希望をくれたあなたに。尽くしたい」
「…君のやりたいようにやればいい」
当初予定していた彼女のケアとはかけ離れた内容になった。ただ彼女を救うことはできた。なら、余計なことは口にしない。
「また、来てもいいですか?」
「…来たい時にくればいい」
そんな会話を交わしたあと、今日は遅いという理由でお互いの連絡先を交換してまた会うことを約束して別れた。
彼女との出会い。その境遇を聞いて老婆心が働いた。だから「来たい時にくればいい」そんな言葉が口から勝手に飛び出していた。世間体が気になるとかはある。それでも彼女を放っておけない自分がいた。
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それから、彼女は津田の前に現れることはなかった。少し心配になったもの“約束”をしたから大丈夫だろうと思いつつ彼女の学校の件で陰で動いていたある日。
彼女――天宮甘音はなんの前触れもなく津田のもとに現れた。
その日は会社の帰りでいつも通り残業をしてクタクタになって夜道を歩いていた。あの歩道橋が見えてきた時見覚えのある顔――この頃ずっと頭の片隅にあった少女がキョロキョロと誰かを探す仕草をしてそこに居た。
「! 津田さん!!」
津田の姿を捉えた彼女は親猫を見つけた子猫の如く駆け寄る。揺れる金髪のサイドテールは尻尾を彷彿とさせた。
「どうしてここに? 連絡してくれたらよかったのに。それか直接アパートに来てくれてもいいのに」
「…直接は、なんだか気恥ずかしくて」
「そ、そっか」
「えへへ、そうです」
彼女は小さく微笑む。その姿は前とは比べ物にならないほどに幸せそうだ。この数日で何かいいことが起こったのかもしれない。
「…場所、移そうか?」
「いえ。今回はこの場で」
「…後ろに居る男性、かな?」
話している間時折感じていた視線。それは彼女の背後にある電信柱に隠れ――てると思われる執事服に身を包む老執事。
「はい。今回は爺や――使用人さん同伴で。その使用人さんに怒られてしまいました。なので、あまり長居できないのでこの場で」
「そっか。じゃあ、早く済ませないとまた怒られちゃうな」
「ふふ。ですね」
歩道橋から少し離れた路地で二人は近状報告をするように話し合う。
なんでも彼女――天宮さんはあのあと学校で自分をいじめていた女子たちと「嘘告白」をした男子を呼び出した。これ以上変な噂や嫌がらせをすると出るとこに出ると。それでも案の定、彼ら彼女らは天宮さんのことをよく知らないからか自分たちの家がバックにいるからか全然反省の色を見せない。それどころか脅しにかかった。
その時、一人の女子生徒――生徒会長が運良く姿を現した。生徒会長は「ある噂」を聞き、見回りをしていた。すると一人の女子生徒を多人数で囲んで脅している光景を見て直ぐにどちらが悪いのか判断をした。生徒会長の権力、家柄を知っている彼ら彼女らは瞬時に顔を青ざめ罪を認めて謝る。
生徒会長に助けてもらう形になった天宮さんは涙ながら感謝。そんなこんなで生徒会長と友人になった。同級生ということ今回の件。出会い。二人は意気投合したらしい。
「――つかちゃんって言うんです! 本当にカッコよくて、素敵なお友達です!!」
少し興奮気味に話すそんな彼女を見て心が暖かくなるのを感じる。
「何はともあれ、よかった。学校のことも無事納まり。念願だった友人もできた――」
「それもこれも津田さんのお陰です。救いの手を差し伸べ、話を聞いてくれた。私の背中を押してくれた。そんな津田さんに感謝をしても仕切れません。ですが…これでこの関係が終わりみたいな顔は…やめて、ください」
「……」
表情を読み取って懇願された。
…環境や境遇が変われば彼女は変わる。輝ける。だってこんなにも優しくて可愛くて人に愛される要素を持つ子なんだから。「助けた」という理由だけで俺みたいな大人が近くにいるのはだめだ。だめだけど…。
「――約束、したからね」
「!」
その言葉を聞いた彼女は暗い表情をぱあっと眩く明るい笑顔に変える。
「俺は自分の言葉に嘘をつかない性格でね」
乗りかかった船。これも何かの縁。
そう思い彼女に本心を伝え、彼女の背後にいる付き人に視線を向ける。もしも自分の発言が至らないなら何か――
「(ぐっ)」
右手の親指を上に上げハンドサイン。
怒られるか最低でも警告をされると思ったけど…予想を良い意味で裏切られたな。
「ふふ。爺やの許可も取りました。なら、津田さん?」
「うん。こんな俺でよければ」
「他の方ではない…津田さんだからいいんです。私はあなたの側に居たい」
こちらが出した手をその小さな手で優しく包み込み、握り返してくれる。
「もう、絶対に離しませんから」
「はは、お手柔らかに頼むよ」
サラリーマンのおっさんとお嬢様の美人高校生との不思議な関係が始まる。
∮
「善信さん、今日はカツです!」
過去の出来事に馳せ、席で待機していた津田のもとに白色のエプロンに身を包んだ彼女がおぼんに料理を乗せてやってくる。
料理を作ってくれる。それもこんな天使のように可愛くて甲斐甲斐しい少女が。それは嬉しい。けどさ…あれからほぼ毎日のように我が家に通われると思わないじゃん。普通。
彼女――天宮甘音と出会って一月。
「ありがとう。今日も美味しそうだね」
思ってもそんなことを口にした時には彼女を悲しませることは目に見えている、だから無駄口は慎む。
「当然です。愛情を込めて作ったので!」
料理の数々をテーブルに置いて堂々と胸を張る彼女は、見ていて微笑ましい。
「カツかぁ。明日、ちょうど大手の取引先と打ち合わせがあるからゲン担ぎになるな」
「はい、だから作りました」
「うん。うん…?」
つぶやいた言葉に返ってくる言葉。その意味深な言葉に少し、いやかなり…。
「…甘音さんに明日、何かあるって話したっけ?」
「いえ、聞いてません」
「……」
「調べました」
「そっか」
つぶらな瞳を細め、純粋に。
まあ、いまに始まった話ではない。別に自分に実害があるわけではないし。善意は受け取ろう。どんな手段を使ってその情報を得たのかについては…少し気にはなるけど。
「召し上がってください」
「うん、て…」
余計なことは考えず揚げたて熱々のカツを食べようと箸を伸ばした時、ある物が目に入る。それは赤い小型の缶飲料。「マカ○元気」と書かれたドリンクだった。
「甘音さん? これは?」
「コンビニ…?に寄ったら珍しい物が売ってました。「元気」と書いてあるので、善信さんに飲んで欲しくて買ってみました」
「そ、そうか。ありがとう」
多分、他意はない。多分。無駄な勘繰りはよそう。彼女の言う通り俺を「元気」――「サポート」したいだけ。それ以上もそれ以下もない。こんな純粋可憐な子が変なことを考えるわけない。あってはだめだ。
「うん、カツ美味しいね。他の料理も」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑う彼女がソワソワとした様子で「マカ○元気」と自分を交互に見ていることは――目を逸らして知らないフリをする。
か、彼女との関係はどう表現したらいいかな。そうだな。「恋人」?「友人」?いや違うな。彼女との関係、それは――「家族」。
そんな言葉が相応しい。両親に甘えられなかった彼女は親の代理として俺に甘えているのだろう。そう、決して俺と彼女に男女の関係などない。あるはずがない。だって、歳の差があるし、彼女の人生を汚したくない。
出会った当初から目に見えるように変わった彼女のスキンシップには…目を瞑る。
※まずは、短編として、人気があれば長編として連載する予定です。
通い猫はお嫌いですか? 加糖のぶ @1219Dwe9
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