通い猫はお嫌いですか?

加糖のぶ

第1話 運命を変えた出会い



「また、来ちゃいました」


 俺こと津田善信つだよしのぶが住むアパートに小さな訪問者が訪れた。

 訪問者は夜風で靡く綺麗な金髪を片手で抑え、その吸い込まれそうな碧眼を柔らかく微笑み残った右手に不釣り合いな買い物袋を持つ。胸元にある赤いリボンがとても似合う高校指定の制服に身を包んだ小柄な小動物を彷彿とさせる美少女。


 天宮甘音あまみやあまね


 彼女は現役バリバリの美少女女子高生。俺のような30歳を超える何も特徴のない普通のおっさんとはなら縁もゆかりもなく、家に訪問すること自体不自然。そんな美少女と訳あって知り合いになった。


「…こんばんは」

「こんばんは!」


 はにかんだ微笑みは庇護欲を引き立てる。


 俺みたいなおっさんが考えるのはダメだと思うけど、普通に可愛いと思った。


「今日…」

「はい! 本日も、を振る舞いに来ました!!」


 買い物袋片手にムンと力こぶを作る。150㎝あるかないかの小柄な身長のためか買い物袋を持つ姿は小学生に見えてしまう。


「いつも、ありがとね」

「私が好きでやっていますので!」


 独身一人暮らしの家に女子高校生未成年が足を運ぶことは危ない。だから注意をする立場なのかもしれない。ただ彼女の幸せそうな顔を見たら…野暮なことは言えない。


「うぅ、夜はまだ少し肌寒いですね。寒いなぁ。寒いなぁ。チラチラ」


 さっきまでの元気な態度と打って変わって自分の身を両腕で抱いてぷるぷると小刻みに震え――視線をチラチラ。


「…外は寒いから、入りなさい」

「はい♪」


 彼女の戦略に負け、もう何度目かになる自宅訪問を許す。

 許可を得るとケロリと表情を変え、勝手知ったる顔で我が家に入って行く彼女――甘音さんの元気な姿を見て心が、暖かくなる。


 前までの自分の生活は「普通の日常」という言葉が最も相応しい。今となっては「相応しかった」と過去形になるものどこにでもある「日常」を謳歌していたと思う。

 やりたい職種に就くことができ、今の職場ではトラブルもなく。上司、同社員との仲も良好。帰宅したら嗜好品のお酒を少し嗜んで趣味のソシャゲに没頭。

 「日常」はある出会いで少しずつ色づき始めた。それは間違いなく彼女――天宮甘音という少女との出会いで。


「ほら! 善信さんも早く早く!」

「――はいはい」


 少し前に起きた出来事を頭の片隅で考えていると甘音さんお姫様に急かされ、苦笑まじりに我が家に足を踏み入れる。


 彼女との関係はどう表現したらいいかな。そうだな。「恋人」?「友人」?いや違うな。彼女との関係、それは――


 彼女の幸せそうな表情を見て頬を緩め、その彼女との出会いを思い返す。



 ∮



長谷川はせがわ課長。次の企画書できました。確認、お願いします」


 中肉中背、あまり特徴のないスーツに身を包む男性津田はレディーススーツを着こなしポニテにした黒髪が似合い大和撫子という言葉が正に相応しい美人の女性――“課長”と呼んだ女性の席に赴き声をかけた。


「えぇ、確認するわ」

「お願いします」


 軽くお辞儀をして手に持つファイルに入っていた資料を手渡す。


「……」


 女性は切れ長の目を細め資料に目を通していく。その様子を緊張した面持ちで見て「良い答えを頼みます」と切に願う。


「…うん。完璧。津田君だから初めから心配はしていないけど、一応ね。これで次の企画に通すわ」

「あ、ありがとうございます!」


 嬉しさ、達成感、開放感。その全てが津田の意思とは反して子供のような――素の一面を見せ、その場で右手を上げてしまう。


「ふふ、いいのよ」


 部下の過剰な喜びようを見た長谷川は口元に手を当て上品に笑う。上司に笑われたこと、人前でそれも会社で大の大人が醜態を晒したことに恥じ、縮こまる。

 周りからはヒソヒソと声が聞こえるも、津田に対しての嫌な視線は向けられることなくむしろ好意的な視線が向けられる。


「あ、あの…少し、取り乱しました」


 自分の失態、笑われたことに気づいた津田は周りの視線を気にしつつなんとか平静を装い、取り繕う。


「この後の予定は?」


 津田の心境を慮ってかその場の雰囲気を変えるべく、先の話題を広げることなくこちらの予定を聞かれた。


「…どうしましょう。手持ちの仕事は終わらせたので、何か手伝うことがあれば…」


 少し居心地が悪そうに頬を掻いて。


 当たり前のように残業に身を置こうとする。それは以前働いていた職場が原因。

 以前まで勤めていた会社は「ブラック」と呼ばれる会社ではないもの嫌な上司の下に就いたことで残業は当たり前、帰るのは終電間際。そんな状況に身を置いていた津田からしたら「定時で帰宅」とは選択肢に無く。


「安心して。他は何も無いわ」

「え、ほんとですか?」

「うん。今週も津田君が頑張ってくれたお陰で予想以上に早く仕事が進んでいるのは事実だし、たまには定時で上りなさい」

「…課長は?」

「んー、少し確認したいことがあるからそれだけ終わらせたら私も帰るわ」

「なら俺も手伝いま――」

「ダメよ」

「(シュン)」


 断られたことにショックを受け俯く。そんな飼い犬のような津田を見て長谷川や他の社員たちは皆苦笑いを浮かべていた。


「津田君。以前も話したけど「帰宅できる時は帰宅する」――それは我が社の決まりよ。他の会社――はどうかはわからないけど…無理、しなくていいのよ?」

「…ですが」

です。今日は素直に帰りなさい」


 反論をさせまいと発言を遮る。その言葉を聞いて立ち尽くす。


「そうだぞ、津田。課長の言う通り帰れる時に帰るんだ。お前は俺たち以上に仕事をこなしている訳だしたまには、な?」

「そうそう。無理したら体壊しちゃうよ」

「早く帰って酒でも飲んで週末を楽しみな。あれだったら俺が良い店を紹介して――」

「お前はまだ仕事が残ってるだろ」

「流れで逃げれると思ったのに…」

『あはは』


 他の社員も津田を見かねて優しくフォローとも呼べる声をかけてくれる。それは中途採用として一月前に入ってきた津田善信という男について感謝をしているから。

 誰よりも真面目でお人好しで仕事ができ、他人を慮る優しい心の持ち主。この一月で仕事を共にし、助けられた社員たちは津田のことをしっかりと「仲間」だと思っている。


 だから皆心配をして帰宅を進める。


「ほら、皆もこう言っている訳だし。ね?」

「…わかりました。お言葉に甘えて、今日は帰宅させていただきます」

「うん、よろしい」

 

 折れた津田は長谷川や他の社員に感謝の意を伝え、自分を拾ってくれて優しくホワイトな職場に誘ってくれた――長谷川の祖父である常務に心の中で感謝する。


「お疲れ様でした」


 デスクの周りを整え、帰宅の準備を済ませた津田は挨拶をする。


「お疲れ様」

『お疲れ!』

『お疲れ様〜』


 返ってくる返事に頬が緩みそうになり、それを噛み締めて二年ぶりの定時退勤をした。



 ∮



 夕焼けが照らす下。


「暗くない。こんな早い時間に帰宅っていつぶりだろうか…」


 会社から外に出て空気を吸う。仕事場である建物を背にその足で帰り道を歩く間、津田は内心自分の現状を見て胸を抑える。


「…これが「普通」なんだよな。今までが「異常」だった」


 歩きながらそんなことをぼやいていると周りの雰囲気に違和感を覚えた。周りは騒がしく、自分の横を通り過ぎる帰宅者たちが妙に浮き足立っていると感じて…。


「…そうか」


 スーツのポケットに入れていた携帯を取り出す。そして時刻――曜日を確認。


「25日の金曜日。週末なのは知っていたけど、給料日か…本屋でも寄るかな」


 まだ時間も早いと思い帰宅をすることなく進路を変え、駅前の本屋で時間を潰すことに決めた。


 ・

 ・

 ・ 


「――少し時間を潰すつもりで入ったけどかなり長居してしまったな」


 夜の帳が下りて暗くなった夜道を歩きながら人の気配が少ない道を進む。その右手には本屋で買った紙袋があった。


「この年になって料理の一つも作れないのは…流石にまずい。勢いで料理の本買ったけどさて、どうしたものか…」


 紙袋の中身を見て唸る。そこには「誰でも作れる簡単レシピ」という料理本。


「…挑戦あるのみ」


 一人暮らしをして早十数年。家事や身の回り仕事関係、人間関係は完璧な津田にも不得意なものはある。それは「料理」。

 今まで食事はお店。カップラーメンや冷凍食品、コンビニ、お惣菜で済ましていた。自炊はしたことはある。が、諦めた。ただこの機会に重い腰を上げようと決めた。


 大丈夫大丈夫。料理も仕事とかと同じで慣れだ。あとは積み重ね。まずは簡単だと風の噂で聞いた卵焼きでも…。


「ん?」


 帰路にある歩道橋を上っていくとふとあるものに目が行く。それは暗くて見えずらいと感じたものよく目を凝らしてみると――


「おいおい、まじかよ…っ!」


 血相を変えた津田は持っていた通勤用のバックと料理の本が入った紙袋をなりふり構わず投げ捨て――歩道橋の取手に身を乗り上げようとしている女性に急いで駆け寄る。


「……」


 女性は歩道橋の取手に乗り上げると悲しげな表情で――


「馬鹿な真似はよせ!」

「!」


 道路に今まさに身を投げ出そうとしていた女性を止めるべく背中から抱きつく。両腕で女性の体をしっかりと固定したことを感じた津田はそのまま背後に倒れ。


「ぐっ!」

「きゃっ!」


 背中に伝わる痛みに声を漏らし、女性は突然の振動に悲鳴をあげた。


 っぅ。と、よかった。体温を感じる。間に合った。小柄だから抱き寄せやすかったから助かった…あ。


「も、ももも、申し訳ありません!!」


 女性に抱きついていたことを思い出した津田はホールドしていた腕を解放して離れ、そこが歩道橋の床とわかっていながらそのまま土下座の態勢で謝罪の言葉を繰り返した。


「い、いえいえ! 私こそ助けていただいたのにお礼も言わず、放心してしまい…」


 女性は津田の土下座姿を見てオロオロして泣きそうな顔で近寄る。


「ど、土下座とかも大丈夫です。あなたが抱きついたのも私を止めるためだとわかっていますので…あの、本当に大丈夫ですので」

「…わかりました」


 言葉に内心安堵してそのことを臆面に顔に出すまいと誓って顔をあげる。


「!」

「?」


 その女性――の容姿を初めてしっかりと目にして息を呑んで、固まる。

 それは少女、彼女が日本人とは思えない容姿をしていたから。金髪に碧眼。御伽話から出てきたお人形のように整った美しい貌。


「あ、あの。何か私の顔についてますか?」

「…い、いや。貴女――君の顔がとても綺麗だったから、つい見惚れてしまって」

「き、綺麗…っ」

「あ」


 そこで余計なこと――失言をしたことに気づき目に見えるほどの脂汗を額に浮かべる。

 少女の方は津田に「綺麗」と呼ばれたことにより頬を赤らめて俯いてしまう。


 や、やばい。これって完全にセクハラだよな…言い逃れできない。


「あ、あの!」

「(ビクッ)」


 訴えられたら自分から罪を認めようと先のことを考えていると少女から声をかけられ、過剰に反応をしてしまう。


「私、本当に、綺麗、ですか…?」

「…へ?」


 何を言われるのかと身構えていたらそんな質問?をされてついつい間抜けな顔を晒す。


「あの、やっぱり、嘘、ですか…?」


 泣きそうな顔から一変。悲しげな顔になる。それは初めに見た彼女と同じ――


「嘘じゃないよ」

「っ」


 その質問に本音で返し、息を吸う彼女の瞳を見つめて優しく微笑む。


 なんでだろう。この話をなぁなぁで終わらせてしまったらいけないと思った。この子を一人にしてしまうと、何かまずいと。


「君は綺麗だ。この言葉は俺の本心。ただ――って、君。その頬…」


 彼女の目を見て向き合い言葉を続けようとして彼女の左頬が腫れていることに気づく。


「あ、あの。これは、その、見ないでください。こんな姿…私は、醜くて」

「…失礼」

「!」


 慌てて自分の手で顔を隠そうとした彼女の腕を優しく掴んでその赤く腫れた頬を見る。彼女の頬は白磁のように色白で綺麗。だから――はなおのこと目立つ。それは誰かに打たれたような跡で…。


「――俺には、君の事情はわからない。でも何かあったのはわかる。こんな見ず知らずのおっさんに話すのは嫌だと思うけど、何か手助けができるかも知れない」



 彼女の腕を離し代わりに真剣な顔でそれでいて優しく優しく彼女を安心させるように。


「ご迷惑を、おかけします」

「そんなこと考えなくていい」


 迷惑。迷惑か。この年でそんなことを考えてしまう。さっきの自殺未遂もそうだけど…だめだ、絶対に放っておけない。


「君が話を聞かせてくれたら、なんでも一つお願い事を聞こう、どうかな?」

「どうして、そこまで…」


 少し強引すぎたようで彼女はさっきまでの少し安心した表情から警戒の色を見せて不審がっている。経験上、その顔を見たら解る。


「「助けたい」そんな言葉じゃだめかな。軽いかな。軽いよな」


 少し諦めの表情を濃くして俯く。


 これ以上の言葉は逆に返って迷惑だろう。これで彼女を救えないなら、俺はそれまでの人間だ。所詮、ただのおっさんだから。


「…あなたは、悪い人じゃなさそうです。私を、助けてくれたから」

「……」


 少ししてまだ警戒は解かれていないものこちらの目を見て話してくれた。


「…信じて、みます」

「…いいのか?」


 コクリと小さくも確かに頷いてくれた。


「ただ、あの、ここだと人の目もあるので」

「そうだね、場所を移そうか。ここからだったら…近くの喫茶店にでも入ろうか?」

「……」


 適切な提案を出すと少女は何か答えるわけでもなく津田の顔をじっと見続け。


「は?」


 彼女の口から出た提案に素で返す。



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