私は地獄にいない

あおいの人

第1話 私は地獄にいない

「人間ってどういう生き物だと思います?」

時刻は夕方の4時。

私たちはいつも通り図書館に集まり、終わりのない話をしている。

「うーん、そうだなぁ...」

この人は私の先輩。名前は知らない。

ただこの関係に名前はいらないと、私は思っている。

先輩と出会ったのは、1年前のこの図書館。

偶然2人とも同じ本を手に取ろうとしたのが出会いだった。

それから図書館で会うたびに軽い雑談を交わしていたが、ある日

先輩が哲学を好きなことを知った。

私にとってそれはあまりにも素晴らしい情報だった。

何を隠そう、私も哲学が好きなのだ。

正解のない問題を永遠と様々な視点から考え続ける。

普通の人には分からないかもしれないが、私にとっては答えがないからこそ

より真実を追求し考え続けれるという、楽しさがあった。

それから私は図書館にくるたび、先輩に1つの話題を提供し、図書館が閉まるまで

先輩とともに議論を続ける日々を送っていた。

今日もそんな変わらない1日だと思っていた。

「自己中心的で無責任な生き物だね。」

そう言い先輩は私のことを見つめた。

私はその回答に戸惑ってしまった。

普段先輩は「と思う」というような話し方をする。

それは答えのない問題に対し自分の意見を言っているから、そういう言い回し

をしているのだと思っていた。

しかし、今回は「自己中心的で無責任」と言い切ったのだ。

かれこれ先輩とは1年の付き合いだがこんなことは初めてだった。

「...なぜですか?」

私は普段、先輩に聞いた後、自分の考えを言う。そういう流れでやっていた。

だが、今回は先輩の話を先に聞こうと思った。

ここまで言い切った先輩の話を聞きたくなったのだ。

「そうだなぁ...」

そう言い先輩はうつむいた。

これはよくある光景だ。

先輩はたとえ話をするとき、分かりやすい例えを探してくれるのだが、その時によく

うつむいて考える癖があるのだ。

「君はSNSはよく見るかい?」

そう言い先輩は私のことを見た。いい例え話が見つかったようだ。

「そうですね。よく見ます。」

「うん。なら最近自殺ライブがあったのは知っているかい?」

知っている。女子高生二人がマンションの上から同時に飛び降りるのをライブ配信したものだ。

「はい、知っています。」

「君はあれを見てどう思った?」

どう思ったか。生々しい。怖い。かわいそう。あとは...

「死んでほしくないと思いました。」

私がそう言うと先輩は少し顔をしかめた。

「...それはなぜだい?」

私はそういわれ少し言いよどんでしまった。

それはあまりに自己中心的だと思ったからだ。

しかし、私はそれを言うことにした。先輩との会話には嘘をつきたくなかった。

「...それを見るのが、そういうことがあったと知りたくないからです。」

私がそう言うと先輩は少し遠い目をした。

「そうだね。僕もあの動画の投稿は見たんだ。けどコメントはひどいものだった。」

そう言い先輩は少しうつむいてしまった。

「『こんなもの撮るな』『何がしたいの?』『かまってちゃんかよ』

そして『死んではいけない』」

私はその言葉を聞き少し顔をしかめてしまった。あまりにひどいと思った。

「コメントに彼女達の死を悲しみ嘆くコメントはなかった。多くは彼女たちの背景も心も考えない残酷で、自己中心的なコメントだった。でも、僕はそこを言いたいんじゃないんだ。僕があまりに残酷だと思うのは「生きてほしい」ということだ。」

そういうと先輩は少し悲しそうな、怒ったような顔をした。

「生きてほしい。助けもしないし、話も聞かない。でも自分がそういう事実を、現実を見たくないから。知りたくないから生きてほしい。」

先輩は少し苦笑いをしながらつぶやいた。

「あまりにも無責任で残酷じゃないかい?」

そう言い先輩は話を締めくくった。私は何も言えなかった。

先輩の話が、あまりにつらく、残酷で。でもそれは現実で、その現実に私もいることがあまりにつらくて、悲しくて。

「少し重い話になってしまったね。すまない。」

そう言い先輩は少し頭を下げた。私はここで話を切り上げるべき気がした。

これ以上はいけない。そう本能的に感じた。でも少し引っかかることがあった。

「...先輩ってSNSもテレビもあまり見ないですよね。なぜその投稿を知ったんですか。」

先輩は以前自分でSNSもテレビも見ないと言っていた。普通なら偶然で済ませられる。

しかし今回は偶然で済ませていい話ではない気がしたのだ。

「...少し昔話をしようか。」

そう言い先輩は、昔の暗い、冷たい思い出を話してくれた。


僕には昔、愛する人が居たんだ。僕はその人と人生を歩みたいと本気で思っていた。

彼女は優しくてきれいで、心が綺麗な人だった。

僕はそんな彼女の人柄に惹かれたんだ。でも1つ問題があった。

それは彼女の親だ。俗にいう毒親だったんだ。

父は弁護士。母は医者。彼女はそんな親からの圧を受け続けていたんだ。

でも彼女は耐え続けていた。僕もそんな彼女を支え、寄り添っていた。

高校3年の時。彼女の進学が決まったんだ。大学は医学系でわざと地元から遠い大学にしたんだ。親から離れるかつ、納得させるため。向こうの親も納得していたよ。

僕も彼女と同じ大学に進学が決まったから、これですべて解決すると思っていたんだ。でもある日、彼女が僕に相談してきた。

「もう耐えられない。」

そう言い彼女は泣いた。でもその時点で卒業まであと数週間だった。

もう少し耐えれば親元から離れ自由になれる。だから僕は言ったんだ。

「もう少しの辛抱だ。頑張ろう。」

彼女は納得して帰っていったよ。いや、納得したように見えていたんだ。

翌日彼女は自殺した。自室で首を吊ったんだ。訳が分からなかった。

あと少しだったんだ。あと少しで自由になれたんだ。なのになんで今なんだと。

僕は親が何かしたんだと思った。だから僕は彼女の葬式が終わった後、親を問い詰めた。そしたらあの人たちはこう言ったよ。

「大学をやめるように言った。浪人してもいいから地元の大学に行くようにと言った。」

僕は絶望したよ。僕の知らないところで彼女に新たな絶望の目が植えられていたんだ。

僕はそれに気づけなかった。いや、気づこうとしなかった。

あの時ちゃんと話を聞いていれば、気にかけていれば、未来はきっと変わっていた。僕の発言が、自己中心的で無責任な僕の言葉が、彼女を殺したんだ。


私は彼の話を聞いて何も言えなかった。

普段何を考えているか分からないのもあってか、高校時代にそんな経験をしていたなんて、想像もできなかった。

「僕は今でもあの時のことを後悔しているんだ。なぜあの時、あの瞬間、彼女の話をちゃんと聞かなかったのか。その時のこともあってか自殺関連だけはSNSとかで見てしまうんだ。」

「そう...だったんですか...」

私が顔を俯かせながらそういうと、彼は少し困った顔ではにかんだ。

「すまない。少し重過ぎる話だったね。でも今は後悔しているだけじゃないんだ。

今僕には愛する人が居る。」

そうか。今は大学2年。おそらくあの話は高校3年の時だろう。もうすでに2、3年は立っている。今彼女ができていてもおかしくない。

「あの時の事を忘れたわけじゃない。でも縛られ続けるべきでもないと思ったんだ。

だから僕は彼女のことを愛し寄り添い続けると決めたんだ。いつまでも。」

「...先輩は強いですね。」

私だったら忘れることができず、先に進むことができないだろう。

「強くなんかないさ。ただ、止まってしまうことが怖いんだ。過去に縛られ、潰されてしまうことが。けど彼女は受け入れてくれた。僕のことも。僕の過去も。

今の僕があるのは、彼女のおかげなんだ。彼女がいなかったら僕は進めていなかったと思うよ。」

「...のろけですか?」

私が少し茶化すと先輩はいつもより楽しそうに笑った。

「たまにはいいだろう?こういうのも。」

「そうですね。先輩の事、知れてよかったです。」

時計を確認する。先輩と会ってからすでに数時間経過している。

そろそろ帰る時間だ。

「先輩。最後に一ついいですか。」

「あぁ。構わないよ。」

「先輩は今の彼女さんを愛し続けますか?」

「あぁ。いつでもいつまでも愛すよ。たとえ彼女が...」

先輩は少し遠くを見つめて寂しそうな眼をした。

「...彼女が地獄に行こうとも。」

そう言い先輩は立ち上がった。

「もういい時間だ。帰ろうか。」

荷物をまとめ入口へ歩き始める。私はたまらず先輩へ声をかけた。

「先輩!」

先輩が入口の手前で少し振り向く。

「私は先輩のことを尊敬しています。もし先輩が地獄に行っても私は先輩のことを尊敬し続けます。」

先輩は少し悲しそうな顔をした。

「ありがとう」

そう言い、先輩は図書室を出た。

その数日後先輩は死んだ。


毎年この日になるとあの時のことを思い出す。

優しく強かった先輩のことを。

先輩はこの日、当時付き合っていた彼女と一緒に自殺したらしい。

理由は分からない。遺書もなかったそうだ。

けど、私には先輩が自殺した理由がわかる気がした。

先輩は最後まで彼女を愛し続けたんだ。

そして、死んでもなお彼女を愛するため、共に逝ったのだ。

聞いたわけでも知っているわけでもない。

それでもあの時の先輩の最後の声が、目が、覚悟を決めた瞬間なんだと今では分かる気がする。

そして私はまだこの世界で生きている。

先輩のことを忘れれるように仕事に打ち込み、仕事が終われば酒に溺れ、死んだように眠る。そんな毎日を繰り返し、少しでも先輩のことを忘れて生きようとしている。

でもこの日だけは、思い出してしまう。

先輩のことを。あの言葉を。私の言葉を。

『私は先輩のことを尊敬しています。もし先輩が地獄に行っても私は先輩のことを尊敬し続けます。』

『ありがとう』

私は先輩ほどの覚悟はなかった。彼のように後を追うことはできなかった。

私はこの世界であの言葉に縛られ、潰されないように生きることしかできなかった。

「死にたい」

ふと呟いてみてもその言葉に中身はなく、意味もなく部屋に響いた。

あまりにも軽い言葉だと他人事のように思った。

タバコに火をつけ、スマホに目を向ける。

SNSでは自殺を配信した動画が流れてきている。

橋のようなところから少女がこちらに手を振った後、静かに落ちていく。

私ができなかった、しなかったことを私より若い彼女は成し遂げたのだ。

「いいなぁ」

呟いた後に嫌悪する。あまりに自己中心的で無責任だと思った。

きっとこれからも無慈悲に時間は過ぎる。私は死ねず、生きる気力もなく余生を過ごすのだろう。先輩から逃げながら。

タバコを吐き出し紫煙を見上げる。少しでも早く死ねるように始めた煙草も吸わないと落ち着かなくなる程依存している。

どれだけ時間が経とうと、後悔は消えず、罪悪感だけが心に沁みついて取れない。

あの日の後悔が、この日の絶望が、心に残り続けるのだ。

あぁ、今日も


私は地獄にいない






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