Lit.
判家悠久
Dear Prudence.
芝浦工科大学の講師時代の親友鮭延郁人が、流行病で死亡したと、若妻の鮭延真砂子からメールが入った。
既に流行病の脅威が消え去った中で、何をとだったが。あいつ郁人の無養生を考えたら、思い当たる事なのだが、現実感がまるで無かった。これ迄にも研究に没頭して、そのまま病院に直行していたから。
おい郁人、まだ病院なんだろうと。俺は苦笑いしながら、ベルリンの冷え切ったフローリングに落涙した。
*
俺澤田忍は急ぎ日本に帰国し。鮭延郁人の葬儀に参列した。俺の方がモテて30代後半でも絶好調なのに、郁人は何をかあろう、芝浦工科大学の女子生徒の卒業暫しで、とても若い真砂子と結婚した。
7ヶ月の娘もいると言うのに、相変わらずマイペースだな、お前、郁人。
ここで、郁人の照れ隠しの一言が飛んでくる筈だが、郁人は遺影の奥底にいる。葬儀は家族葬で、涙の全ては通夜で使い切った。それでも泣いてるんだぞ、皆は、郁人さ。
*
その鮭延郁人の葬儀が終わったら、ベルリンに帰る筈が。ドイツの音楽シーケンスソフト会社HIGH WALLの辞令は、日本支社に止まり、鮭延郁人試作品の楽器ジェネレーター、いや正確にはDJロボット:スナイデルを完成させ、ソフトウェアに移植せよの厳命だ。
DJロボット:スナイデルは確かに、HIGH WALLのCEOのポケットマネー5000万円を研究費に当てがったが、よくある損失で決済出来る筈だった。
そう、DJロボット:スナイデルの秀逸な機能は、世界中の視聴者に、ただ福音を齎らす画期的なものだった。
さて設計図は、プログラムは、パッチはと、芝浦工科大学の許しを得て鮭延郁人の研究室のドキュメント捲りあげたが、俺ははたと気付く。
あいつ郁人は天才肌で、想像のままに制作に入るので、論文はいつも後付になる。そう、研究の成果はDJロボット:スナイデルのモジュールとして残るのみだった。そこから俺の、地道で長い検証が始まる。
*
検証から2年。無骨なDJロボット:スナイデルは、九官鳥のキャラクターデザインを筺体として、東麻布のクラブ:キャンディのDJブースに鎮座する事になる。それはDJロボットなら、ブースにいるよなだが、ここの経緯は由縁が育まれる。やたらと懐かしが振り返す。
西麻布のクラブ:ムーンと、東麻布のクラブ:キャンディは、東京都のど真ん中の港区の文化人のサロンとして機能する。
西麻布のクラブ:ムーンはテックハウス系で、何かと若者が集い、流行病以降やっと客が戻って来た。
東麻布のクラブ:キャンディはブレイクコア系で、音がただ劈き聴衆を選ぶ。選んだ果てに、大使館のとても多い界隈なので、噂の吐き場所になってはキナ臭い。
キャンディの歴史は、東麻布の知る人ぞ知るクラブで、オーナーの十文字撫子の一瞥を貰えなければ、直ちに黒服から弾き出される、極会員制のクラブだ。ブレイクコア系ならでは尖った音で、今も尚、クラブ音楽シーンの最右翼を陣取る。
俺忍と郁人も最先端と噂に聞いては、どんな機材を使ってるかで、繁々とキャンディのドアを叩いた。チェックとして、名刺の芝浦工科大学の講師の効果は覿面だった。そしてオーナー十文字撫子さんに面通しをする。
「困ったわね。思ったより、嗅ぎつけるのが早いわね。でもね先生、プルーデンスはうちのとっておきのディーヴァだから、ここは伏してご内密に」
さて、何をになったが。聞く程に、ディーヴァ:プルーデンスは芝浦工科大学の生徒で、俺達の可愛い生徒だった。
もっとも、ステージでは、そのピンヒールとアフロウィッグで190cmに届こうかで、誰なんだだったが。控え室に通されると、確かに身長は高いが、その面立ちは、そう。ノンカラフルの地味で、大きな黒縁眼鏡、三つ編み女子と、将来の郁人の夫人鮭延真砂子だった。運命の出会いと進展は、とっておきの秘密から始まる。
真砂子とは、その日から30cm距離になり、こうなると郁人の真っ直ぐ振りが発揮される。世界のどの音楽メーカーでも開発していない、多重構造のイマーシブオシレーターシンセを開発し、ディーヴァ:プルーデンスのトラックで唸りを上げる。
そして各レーベルがプルーデンスの本格的争奪戦に入るが、それは、郁人と真砂子の結婚でお開きになる。
真砂子はパートもしつつ、郁人の世話で、ステージに戻る事はほぼ無かった。
そんな俺にも、キャンディに通う中で転機が訪れる。日本とドイツ人ハーフの営業職の阿武光乃に、ドイツの音楽シーケンスソフト会社HIGH WALLで、音楽ソフトのシンセプログラムを設計しないかだった。まあ、俺が郁人の交渉の窓口としても、ベルリンは一度は行ってみたかったので、芝浦工科大学から転籍をした。
シーケンスソフトは、コンスタントにバージョンアップし、賞賛の声を貰う。そして自然に俺は、開発の中心スタッフになっていった。
*
そんな開発の中心スタッフの俺が、何故にDJロボット:スナイデルの管理するかだが、スナイデルがハングアップしたら、代わりのDJして、フロアをぶち上げる。いや、それはついでだ。
DJロボット:スナイデルの機能の真骨頂は、2本ケーブルでターンテーブルを操作する事ではなく。そうDJプレイで自己学習し、過去の作品で数多にあった、アウトロのフェードアウトを再構築して、キッチリと曲を終了させる。その所謂AI的な仕様を、サンプリング経験解析しながらスタンドアローンで完遂する事だ。
完璧なアウトロ。実に地味な機能だが、俺達が思っていた以上に、レコード黎明期時代の老人が、噂を聞きつけて、キャンディに集う事になった。
「撫子さん、仮にもクラブなら、曲をスムースに繋げてなくちゃいけないですよね。何でアウトロに拘るのですか」
「ほら、あの時代って、来日公演なんて、ほぼあり得ないでしょう。来日してもほぼ見れないから。演奏がどう終わるか、違法ワンサカの動画サイトで唸るしかないのよ。音楽が好きなのに、見果てぬ思いで死ぬのは、如何なものでしょう」
「だからって、一週間に一辺救急車が来て、ご老人が力尽きて搬送されるのは如何でしょうね」
「忍も、だから、お昼の営業にほぼシフトしているでしょう。それだったら、スナイデルのアウトロ完璧機能を吸い上げて、web展開しなさいよ」
「そこ、スナイデルはよく分からないのですよ。DJの経歴と嗜好が無いと、納得の出来るアウトロがドロップアウト出来ないなんて、まあバグが安易に放出され続けるよりは、完成満足度100%で、これはこれですけどね」
「つまり、お言いなさいな」
「郁人の発明のままで閉じても、良くありませんか。仮にソフト化しても、世界中の配信サイトの著作権侵害になりますよ」
「よくも言うわね。このAIに実質支配された世界で、何を今更。おお、あのキャンディから世界、撫子さん、なんて、私もちょっとは表舞台に出たいものよ。このまま東麻布の女傑で終わるなんて、チヤホヤ度が、ああ、全く足りないわ」
そっちですか。決まってるでしょう。これはいつものやり取りで、俺は俺で、まあフロアの場数をこなして、郁人の最終到達点が何処か地道に探るしか無い。
*
2027年7月5日月曜日。この週明けの月曜日であっても、東麻布のクラブ:キャンディのオーナー十文字撫子の誕生日に当たり、恒例イベントとしてフル・ワンス・ザ・ナイトとして、厳選された100人余りが招待される。ドリンクも軽食も存分にも振る舞い。小麦粉多めの麻布カレーは、結局賄い分まで完食される有様で、兎に角盛り上がる。
その盛り上がりは、ステージへの客演が数多で、レーベル、非レーベルにも関わらず、最高の力量を見せる。
そして、真砂子にも順番が回ってくる。誰かにアフロウィッグを被せられては、ディーヴァ:プルーデンスと紹介される。
「暫く、歌って無いし、気持ちもまだあれですので、喉が開いて無いませんけど。いつもの定番の一曲だけ聴いて下さい『The Beatles - Dear Prudence』」
リミックスはビートルズワークス寄りではなく、DJロボット:スナイデルの内包するビートマシンで鳴らしたジャングルの倍速トラックで進行する。そして歌い出し、ディーヴァ:プルーデンスは、ジョン・レノンとは掛け離れたストレートボイスで響かせる。
ディーヴァ:プルーデンスは、ディーヴァに有り勝ちな、ドスの効いた低音やら、キーンとした高音を響かせる類いではなく、曲調に合わせて、どのイコライザーの隙間を見計らって、音をぶつける事なく響かせる。皆々が、心に染み入ると口にするが、テクニックとしてはそんな感じだ。
音楽シーケンスソフト会社HIGH WALLに、昔プルーデンスを紹介した事があるが、曲調毎に、帯域の張りを持たせるなんて、何てPAだと一笑に付される。俺がプルーデンスの3曲分のイコライザー波形を見せると、ただ沈黙する。起伏のあるABCパートそれぞれで、プルーデンスが感性だけで、隙間の帯域の張りを持たせている。完璧だの感嘆。
皆にサブスクリプションミュージックのプレイリストをくれとせがまれるが、プルーデンスは普通の主婦だと言うと、ドイツ語で「Es ist unglaublich!」を5連発して、フロアでのたうち回る。それはそうだ、全ての音源が世界配信される訳では決して無い。
ただ現在のステージ、DJロボット:スナイデルのサビへの持ち上げ方、またはトラック差し引きが、抜群に冴えている。プルーデンスを抜群に持ち上げている。
ロボットが的確にマシンビートを鳴らすのは当たり前だが、イコライザーの加減が、敢えてプルーデンスの為に開けて、存分に歌えと促している。
それは、開発者が夫である郁人だったら、SSDに蓄積された、プルーデンスのデータも存分だろうになった。
そしてエンディング。オリジナル曲では、フェードアウトにしても消化不良の形で何故か閉じられるも。DJロボット:スナイデルのリミックスは、ロックともジャズとも言えるインプロビゼーションが加熱して行く。アウトロでジョージと思しきトレモロが再構築されては何度も鳴り、テンポを落としまくったトレモロが余韻を残すと、信じられない声を聞いた。
「Good luck to you.」
聴衆は新しいアウトロを聞けたとの、いつもの反応だが。その最後の言葉は、鮭延郁人そのままの柔らかくも張りのある声そのままだった。ディーヴァ:プルーデンスいや鮭延真砂子はその場で屈み込み、項垂れ、ありがとうございましたで、袖に戻った。
俺も袖に行き、真砂子を慰めた。
「こんな事続いたら、真砂子の将来が、一生郁人に縛られる。もう、スナイデルを分解しよう」
「いいえ、こんなの郁人さんの数少ない茶目っ気ですよ。それより、忍さん。スナイデルの移植をどうかお願いします。郁人さんも、それを望んでいたから、忍さんしか出来ない、スタンドアローンの保全にしたと思います」
「そんなに、故人の声、郁人の声が聞きたいのか」
「ええ、きちんとお別れの一言交わせませんでしたから。ここ忍さんも一緒ですよね」
『Dear Prudence』は、やはり世界は美しいの詩情で溢れている。郁人は回路の中からでも、真砂子をより外へと導こうとしている。
そう魂に形はなく、この素晴らしい世界と融合している。
AIは善か悪か。今もヒューマニズムを訴える連中に弾劾されている。ただ、その人物に響けば、心に安らぎをもたらす。郁人、お前の真意はそこにあるのか。俺は、漸く静かに頷く。
Lit. 判家悠久 @hanke-yuukyu
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