魚は知っているのかもしれない

香坂 壱霧

🎣 🐟 🎣

「海に行くんじゃなかったの」

「釣堀の方が楽だろうと思って」


 閑散とした釣堀で、不意に思い出した。これは、元カノとの会話だったな。

「海が見たい」

 彼女の思いつきに付き合おうかと一瞬考えた。でも向かった先は、釣り堀だった。

「いいね海、じゃあ釣りでもしようか」なんて返事をしたくせに。


 水族館で見たペンギンみたいに泳ぎたい、ペンギンみたいになるんだと、小さい頃に勇んで習い始めた水泳、それを思い出すのが嫌で、気が付いたら車は山に向かってた。

 

 なぜ今日ここに来たのか、もやもやした気持ちがここで晴れた。

 早朝六時に目が覚めて、不意に釣りがしたいと思い立ち、無理やり開けてもらった釣り堀。

 彼女との数少ない思い出のある場所。あのあと、すれ違いがあって別れてしまった。海に行っていれば、別れなかったのかと、たらればを考えたこともあったか。


「おじさん、この釣堀、魚釣れないんだけど」

 通りがかった釣堀の店長に声をかけて文句を言う。

「魚も、人を選びたい時があるんじゃないか」

 無理やり開けてもらっておいて文句を言う自分に、おじさんはちくりと刺さる言葉で返してきた。

 堀の中は、魚の群れが確かに見える。

 つまらない大人になった自分にやすやすと釣られたくないようだ。うまくいかないとすぐに諦める、つまらない俺。

 釣竿を持つ手が冷えてくる。

 ため息をつくと、吐く息が白い。


「一匹釣れたら、海に行こう」

 諦めるのは、もう終わりにしようと思う。


〈了〉



✳2014年秋の終わり執筆、少しだけ加筆修正

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魚は知っているのかもしれない 香坂 壱霧 @kohsaka_ichimu

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