事件シリーズ 反吐が出る

龍玄

酌量の余地なし

 身勝手な少年とは、無知で粋がる事でしか自我を出せない輩。

 事件は岐阜県安八郡で明るみに出る。長良川堤防道路から約30m下の雑草地で偶々通りかかったトラック運転手によって、頭から血を流して倒れている男性二人を発見。通報を受け、現場に赴いた警官によって既に死亡が確認された。

 亡くなったのは渡辺克敏さん(20歳)とアルバイトの江崎雅史さん(19歳)と所持品から判明。二人は中学校の同級生だった。司法解剖の結果、死因は二人共、数種類の凶器によって多数回殴られたことによる失血だった。

 発見場所一帯には多くの足跡や車の轍が残っていた。血痕も複数個所から見つかっていた。

 岐阜県警は、状況から複数人による集団暴行と断定。傷害致死事件として捜査本部を設置。

 同日に情報が齎される。中学時代の同級生と愛知県のボーリング場で見知らぬグループとトラブルになり空き地で襲われた、と20歳の男子学生が警察に駆け込んできたのだ。外傷を負っていたその大学生は襲ってきたグループに金品を奪われ、車で連れまわされ暴行された後、大阪で解放された、と述べた。

 警察は「?」と感じた。その大学生が一緒にいた中学時代の同級生二人は一緒じゃなかったのか、と。その問いに大学生は別の車で連れまわされ、一緒じゃなかったと答えてきた。

 長良川で発見された遺体との関連は直ぐに結びついた。警察は大学生から犯人グループの特定が急がれた。ボーリング場での目撃証言などから二日後には主犯とされる三人を含む複数人を指名手配した。その二日後に別件で主犯格の一人を逮捕。その二日後には仲間が捕まったのを知り、一人が出頭してきた。最後まで逃亡していた一人も二か月余りを経て彼らの知人宅で逮捕することが出来た。主犯格の三人は同じ暴力団の構成員だった。三人とも当時の法律では未成年だった。

 取り調べが進むと新たな事件が浮き上がる。彼らは遊ぶ金欲しさに同じ行為を繰り返していたことが判明。

 主犯格のグループのリーダーだったのは小森淳(19歳)。愛情を受け育てられるが中学時代から反抗的な態度が目立つようになり非行に走り、定時制高校に進学するも中退。職に就くも長続きしない。交際中の女性を通じて暴力団組員の安藤豊と出会った。

 安藤の舎弟として恐喝や強盗が日常になる。昼はパチンコ、夜は強盗に恐喝。その日暮らしの害虫そのもの。そんな小森がパチンコ店で知り合ったのが小林正人(19歳)だった。

 小林の母は小林を産み他界。父は弟に正人を託した。その叔父の会社が倒産。養母の弟は暴力団組員と不遇の幼少期を過ごしていた。小林もまた盗みが日常になり、非行がエスカレートしていた。養母から虐げられ、家出を繰り返し、中学卒業まで教護院で過ごしていた。卒業後、小森同様、職に就いても長続きせず、非行癖が抑えられず窃盗で補導されも治らず、窃盗や銃刀法違反でなどで特別少年院送致となる。退院後も非行は治まらず強盗致傷事件を起こし指名手配される。この逃亡中に小森と知り合う。小林は小森から暴力団員の安藤を紹介され、構成員となった。

 知人が恐喝被害を受け、その加害者が小林であることを突き止めたのが三人目の父が元暴力団の芳我匡由だった。匡由の父はサラ金から追われ金銭的に貧しく匡由はみすぼらしい身なりからいじめを受けていた。生活苦から母が失踪し、その夏、匡由は窃盗で逮捕され少年院に。退院後も非行を繰り返す中、結婚、長男を授かる。ホストとなって多数の女性と関係を持ち離婚。その頃、小林が起こした恐喝に芳我が絡むも小森の仲裁で問題は解決。その縁で芳我も構成員になった。ここに小森・小林・芳我の不良グループが結成され、そこに顔見知りの角野卓彦(18歳)が加わった。元々素行の悪さから小森・小林・芳我の三人は各警察署にマークされていた人物でもあった。

 四人は日々の収入を恐喝によって得ていた。そのターゲットは暴走族風の者や不良少年に絞っていた。彼らには後ろめたさもあり、警察に訴えないと考えての事だった。その考えは的中し、恐喝を繰り返していた。

 グループを結成して二週間が経った頃、大阪の繁華街・道頓堀で小林と芳我が26歳の男性二人とトラブルになった。この繁華街は小林らが縄張りとしている地域であり、組事務所が近くにあった。連れていかれる中、一人は隙を見て逃げ出した。残された林正英さんは、事務所に連れ込まれ、監禁される。小林と芳我は林さんを工事現場に送り込み上前を撥ねようと試みるも受け入れてくれる工事業者がなく、その怒りを暴力として林さんに向けた。

 工事業者が見つからない以上、林さんを監禁している意味がなくなった。しかし、暴行した後は消える訳もなく、解放すれば自分たちが警察に追われる破目になる。通報されることを恐れた四人は林さんを片付ける選択をする。

 ただ金を得るために始めた恐喝・暴行だったが、命を奪う犯罪にエスカレート。これを止める者は誰もいない。腐った面々。生い立ちの不遇など考慮するのも躊躇う連中だ。それが社会の闇の事実だ。

 四人は林さんの首にベルトを巻き付け代わる代わる両端を引っ張り続け、殺害。その後、階下の中華料理店で食事をしている。

 遺体を放置しておくのは拙いと安藤に相談。その結果、大阪から遠く離れた四国の山中に遺棄することになった。

 その後も四人は何食わぬ顔で恐喝の毎日を過ごしていた。小林と角野は高校生二人を暴行し恐喝。金は奪われたが逃げられた。その親が警察に通報。角野は強盗致傷容疑で逮捕された。

 警察はこの捜査を建前に組事務所に家宅捜査に入った。小林・小森・芳我の三人は偶然外出しており警察の手を逃れていた。

 三人の逃亡生活が始まる。身を潜めたのが小林の地元の不良仲間がいる愛知県津島市だった。

 潜伏生活の五日後、不良仲間が集まっていた。その中に岡田貞香さんがいた。岡田さんはかつて小林と女性の件でトラブルになっていた。岡田さんは小林を睨みつけ、喧嘩になる。そこに小森・芳我が加わった。小林らは木曽川の河川敷に連れ出し、更に暴行。ぐったりした岡田さんを放置して逃亡。岡田さんは間もなくして絶命した。

 その翌日、小林ら仲間はボウリング場でこちらを見て笑ったと男性三人組に因縁をつけた。因縁を付けられたのが渡辺克敏さん(20歳)とアルバイトの江崎雅史さん(19歳)と二十歳の大学生だった。小林らは渡辺さんの車を奪い、自分たちの車と渡辺さんんの二手に分かれて岐阜県安八郡の長良川右岸堤防に到着。小林らは途中に立ち寄ったコンビニの駐車場で手に入れたアルミパイプで渡辺さん、江崎さんに襲い掛かった。容赦なく振り下ろされるパイプに二人は絶命する。

 もう一人別の車に乗せられた大学生は、抵抗せず車内に監禁はされたが命までは奪われないでいた。その後小林は別行動を取り、小森と芳我は大学生を乗せたまま大阪へ。大学生の処遇に困った二人は近鉄難波駅付近で解放した。その間に渡辺さん、江崎さんの遺体が派遣されていた。

 解放された大学生は直ぐに警察に駆け込み事件が発覚。大学生の証言から犯人が特定された。犯行後コンビニに立ち寄ったという証言から防犯カメラの解析が進められた。その結果、小林・小森・芳我の三人は指名手配された。

 小森は大阪府警が逮捕。愛知県で別の事件で逃走していた小林は一宮署に出頭。最後まで逃亡していた芳我も逮捕された。主犯格の三人の他、事件に関与した7人の全員が逮捕された。

 逮捕された者の供述から長良川事件以外に大阪事件、木曾川事件も明るみになった。犯人らの供述をもとに見つかった被害者たちは無残な姿となっていた。

 木曽川事件の岡田さんは既に白骨化が見られ、死因は特定できなかった。大阪事件の林さんはほぼ白骨化していたが司法解剖で生前に内臓破裂や鎖骨と除骨が骨折していたことが判明。事件の凄惨さが明らかになる一方、小林・小森・芳我の三人が未成年であったことから、少年院に何年か入ればまたすぐに出てこれる、と考えていた。

 しかし、あまりにも凶悪な事件であることから刑事処分が相当だと判断が下された。三人は家庭裁判所ではなく、名古屋地裁で起訴された。三人は強盗殺人・殺人・死体遺棄・強盗致傷・恐喝・逮捕監禁で起訴された。

 三人は裁判で事実関係を認めたものの殺意を否認したり、首謀者は自分ではないと主張し、責任を擦り付け合う見苦しさを露呈。傍聴席に座る遺族を挑発するように笑いかけるなど反省の色が全く伺えない異常な態度を見せて被害者遺族の怒りを買った。

 木曽川事件の証人として出廷した共犯の少女は泣きながら三人に向かって「あんたら人を殺したって自覚があるの?」と怒りとも悲しみとも取れる言葉を浴びせた。

 反省の欠片も芽生えない三人に検察側は手を緩めるはずがない。検察側は一連の事件における三人の役割に軽重はなく、刑事責任は同等であると判断してみせた。三人の反社会性は極めて顕著で矯正は不可能であり、少年と言う理由で刑事責任を軽減することは出来ないと死刑を求刑した。三人は「えっ」と驚きを隠せないでいた。三人は事の重要性に初めて気づいた。

 しかし、彼らが取った行動は、キリスト教徒の説話を受け、生きて罪を償いたいと訴えるものだったが、誰の眼にも死刑回避のパフォーマンスだと映った。

 弁護側の死刑回避を求めて約五年半に渡って計105回行われた第一審の判決は、この判決公判にて小林には求刑通りの死刑が。小森・芳我には無期懲役が言い渡された。

 弁護側も検察側も判決を不服として控訴し、名古屋高裁に移された。三人に死刑を求める検察側。弁護側は小林の死刑は重すぎて不当だと主張。小森・芳我には有期懲役が妥当と主張した。


 ついに判決の日


 小林が始終主導した事に加え、小森も主導的に犯行に関りを持ち、序列は下の芳我も積極的に犯行に及んでいた事と判断される。主文、小林正人、小森淳、芳我匡由を死刑に処す。


 弁護側は上告したものの判決が覆ることはなく、上告棄却となり三人の極刑が確定した。戦後、複数の被告人に対して死刑が同時に確定した事例はこの事件が発で在り、それだけ凶悪で世間を震撼させた事件だった。


 考える事を止めてしまい感情に任せた短絡的な行動しかとれない社会の害虫はあなたの側にも潜んでいる。人権弁護士は真に闇に落とされた者を救うべき存在であり、明らかな事実を前に生い立ちや責任能力などの言い訳で「償い」を回避させるべきではない。ローマ法王も言われたように人間は、ある考えに洗脳され、また考える事を拒否した者には、精神的に肉体的に生まれ変わるしか正しい道を歩めない、というのが事実だ。

 外国人を安易に受け入れる日本人。日本人はおおらかで寛容だ。しかし、外国人は違う。信仰する宗教が全てだと考え生きる者も少なくない。実際、神社に訪れ破壊し、神はアラーのみだと主張する者も身近な者となっている。宗教に寛容なのは日本だけで在り、世界では通用しない。宗教戦争を持って神の優劣を決める感覚など日本にはない。神は神であり。人の上に人を作らず。人の下に人を作らずのように競い合うものでないことを理解する者のみを受け入れるべきだ。

 罪を憎んで人を憎まずは、性善説で成り立つ。罪は罪だ。余程の事情がない限り、犯した罪を償うことが犯罪の抑止になる。精神鑑定など愚の骨頂だ。責任能力は全人にある。それを問えない時点で罪作りであり、社会の監視・管理下に置かなければ、多くの全員が被害を被る。それこそ理不尽だ。食べて同じの野菜も形が悪いからと商品として認められない。口では見た目で判断してはいけないというが、野菜や商品の世界では日常茶飯事だ。この矛盾にスポットを当てるべきだ。

 

 

 

 


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