たのしき恋の盃を

月庭一花

たのしき恋の盃を

 名も知らぬ鳥の声で目が覚めた。

 枕に頭を押し付けたまま、ちらりと窓の方に目を向ける。ベランダの先で梢が揺れているので、どうやらそこに鳥がいるらしいのだけれど、姿は見えなかった。

 ふと朝の、そんな一日の始まりの、気怠い、言葉にはできない感情を共有したくて、半ば無意識に左手を伸ばしたが、しかし隣には誰も寝ていなくて、改めてベッドの上に起き上がり、周囲を見回した。夜々子ややこさんはどうしたのだろう。どこかに行ったのだろうか。

 部屋の中には誰もいない。トイレかな。

 生理現象なら仕方がないけれど。

 少しだけ、寂しいな、と思う。

 寂しいな、と小さく声に出してみる。

 寝乱れたルームウエアを整え、改めてベランダに出て、葉の生い茂った樹の枝先を見やった。そっと手を伸ばす。枝には届かない。小さな鳥が飛び立つ。でも、やっぱり鳥の種類はわからない。

 目を下に向けると、小さな砂浜が広がっている。

 三年前の巡回式遊園地の残していったメリーゴーランドが、灰色の砂に埋もれてみすぼらしくなっている。

 ビニールの屋根は破れてしまって、どの馬も白く汚れていた。かつて子どもたちを楽しませた栄光は、どこにも残っていない。壊れたものを遺棄して団員たちは去っていった。戻ってくるのかどうか、誰も知らない。

 ぼんやりと、命を失った木馬たちを見続けていた。もう、見慣れてしまった遺物のはずなのに。朝の光の中では、より一層、死のイメージが濃くなっている。

 ベランダで何をしているの。

 そう、声をかけられて、声のぬしの不在のせいでちょっと拗ねていたので振り返らず、小さな声で、鳥、と答えた。

 鳥?

 あの樹の中で鳴いていたのよ。姿は見えなかったけれど。

 鳥。

 ……嘘。本当はメリーゴーランドを見ていたの。

 夜々子さんが隣にきて、一緒に壊れた遊具を見下ろした。

 コーヒーの豆を挽いたわ。一緒に飲みましょう。もうすぐパンも焼けるわ。

 すぐに興味を失ったのか、やわらかな黒髪が朝の光の中で弧を描く。少し遅れて振り返りながらその背中を見送る。

 朝ごはんの当番。夜々子さんだったかしら。

 キッチンに入ると、香ばしい香りが漂っている。夜々子さんの手でゆっくりと挽かれた豆は、朝露に溶けてしまった夢の残り香に似ている。焼きあがったばかりのパンは、日向の猫のような匂いがする。

 朝刊がダイニングテーブルの隅に置かれている。すでに夜々子さんが読んだあとのようで、少し形が膨らんでいた。新聞のトップを飾っていたのは、いつものように新型感染症の感染者の数と、それからLGBTに関する新しい法案の動向について、だった。

 夜々子さんがコーヒーを淹れてくれているあいだに、その記事に目を通した。

 見出しにある通り、そして多分こうなるだろう、と思っていたことが書かれているだけなのに、だからこそ無性に腹立たしく、そして悲しかった。ずっとこの動向を見守ってきた。その結末がこれなのか。

 2021年現在、この国では、LGBTの「理解増進」の法案でさえ、通ることがないのか、と思った。

 記事によると、与党は法案の中の「差別はゆるされない」という文言が気にくわないのだという。オリンピック前の成立を目指していたはずなのに、結局はこの体たらくだ。

 つい先日も、MtFの人が女子トイレを使うことを「ばかげたこと」と切って捨てた女性が所属している党なのだから、期待するだけ馬鹿らしかったのかもしれないけれど。それでも考えてしまう。どうして性的なマイノリティーはここまでないがしろにされなければならないのか、存在を否定されなければならないのか。「差別は許されないと明記すれば、行き過ぎた運動や訴訟につながり、社会に混乱が生じるのではないか」ってどいうことなのだろう。……朝から頭が痛くなる。この発言をした人は、本当に政治家なのだろうか。

 ゲイやレズビアンを指して子どもを作らないから「生産性がない」と言った人。性的少数者ばかりになったら国は潰れると言った人。そして生物学上、種の保存に背くと言った人。みんな与党の『議員』だ。

 でも、多かれ少なかれ皆、同じようなものかもしれない。自分たちに関係がない、と思えば、こんなものなのかもしれない。

 ため息をつくと同時に、かちゃ、と瀬戸の触れ合う小さな音がして、ソーサーに乗せられたティーカップが目の前に置かれた。たゆたう黒い液体が、白いカップの中から薄く、湯気を立ちのぼらせている。

 そして。

 六枚切りのイングリッシュブレッドが一枚ずつ。マーマレードのジャム。レタスオンリーのハネムーンサラダに、アルペンザルツのハーブソルト。

 眉間にしわが寄っているわ。

 夜々子さんが自分のおでこを指差して、苦笑してみせた。

 少し笑みを返しながら、ねえ、と訊ねた。

 夜々子さんも今日はお休みでしょう? どこかに出かけない?

 夜々子さんが対面の席に座り、両手で自分のカップを持ち上げた。逡巡しているのは、すぐに見て取れた。

 新型感染症が蔓延して、どこにいっても窮屈な思いをするようになった。外で食事を摂るのも一苦労で、お酒なんてもってのほか。もう、遠出なんて長いあいだしていない。

 返事を待ちながら。

 黒く、苦い液体を嚥下しながら。

 先ほど読んだばかりの記事を反芻する。

 この人と結婚できる日は、いつか来るのだろうか、と思う。同性の恋人を持つことだって当たり前だと言える世界が、いつか来るのだろうか、と思う。

 一花いちかはどこに行きたいのかしら?

 夜々子さんと一緒なら、どこへでも。どこにでも。

 そういう答えが一番困るわ。夜々子さんは小さく笑って、少し困った顔をした。

 目的のあるどこかへ、ではなく。ここではない、どこかに。

 閉じ込められて、隔絶されて、同性同士で結婚できる「どこか」に行くことができない。たどり着けない。それが苦しい。息苦しくてたまらない。

 もしも夜々子さんが今日、新型感染症に罹ってしまったら。

 重症化して、入院することになってしまったら。

 どうしたらいいのだろう。何もしてあげられなくなる。他人だから。赤の他人のままだから。

 夜々子さんと一緒になりたい。家族になりたい。

 そう願うことは、間違っているのだろうか。間違いなのだろうか。

 もしかしたらこの新しい感染症は、世界の閉塞感が具現したものなのかもしれないと、ふとそんなことを思う。思ってしまう。人と人とが交わることができなくなって、場の空気を読むことが全てとなって、誤解と差別が蔓延し、世界が淀んでいく。腐っていく。いつかこの病の霧が晴れる日は、来るのだろうか。

 新しいコーヒー、美味しい。

 よかった。前のより少し深煎りなの。一花、ちょっと苦いほうが好きでしょう?

 パンにマーマレードを塗る。

 一口齧る。

 夜々子さんが淹れてくれるものならなんでも美味しく感じるわ、と言うと、夜々子さんがそっと、唇に人差し指を押し当ててきた。

 その場しのぎの言葉。嘘じゃないけれど本心でもない。一花の悪いところ。

 今も?

 さっきも。……まあ、塞ぎたくなる気持ちもわからなくはないけれど、ね。

 夜々子さんは自分のカップをソーサーに戻し、新聞を一瞥して、手に取った。そのまま立ち上がると、ラックの中にぱさりと放り込んでしまった。汚らしいものを扱うように。ぞんざいに。そして静かに、朝の食事を続けた。

 日の光がテーブルの上に射していた。

 夜々子さんの座っている席とのあいだを斜めに区切るように、光の線が引かれている。小さな沈黙が澱となって、その上に降り積もっていく。それを払拭したかったわけではないけれど、リモコンを手に取り、テレビの電源をつけた。

 流れているのは新型感染症のことばかり。

 適当にザッピングしていると、ニュースとバラエティーがごちゃまぜになったような番組が流れていた。その番組だけが駄目になりかけているLGBT関連法案のことを取り扱っていた。

 夜々子さんがちらりと視線を上げた。観てもいい、と訊ねると、いいよ、と小さな声が返ってきた。一緒にその番組を観た。

 でも、彼らは何を話しているのだろう。笑い声と討論が絡み合って、もつれあって、何をしゃべっているのかよくわからない。

 かたり、とテーブルの上で音がした。

 夜々子さんが画面をじっと見つめている。彼女のサラダボウルがいつの間にか空いている。唇の端に、マーマレードが薄く光っている。

 画面の中では、最近女性誌でも見かけるとても綺麗なMtFの子が、法案についてのコメントをしているところ。

 澄んだ声。

 完璧なお化粧。

 艶やかなストレートの黒髪。

 淡い色合いのジャケットと同色のスカートのコーディネートも素敵。

 それに何より、おでこの形が真珠のようにつるりとしていて、美しかった。

 本当に、どこからどう見ても女の子にしか見えない。ううん、女の子以上に女の子に見える。もっとも、それだけでトランスジェンダーの人を判断してはいけないってことも、十分わかっているのだけれど。でも。

 この子が生まれついた性別のせいで女子トイレに入れないなんて、どうかしているとしか思えない。

 夜々子さん。

 わたしは訊ねる。

 この子が女子トイレに入っていても、違和感ないよね。

 そうね。

 夜々子さんが答える。

 この子なら、ね。

 含みのある言い方だけれど……どういう意味だろう。テレビは流れ続けている。

 セクシャルマイノリティーの中でも、トランスの人は自分たちとは少し違うと考えてしまうことがある。関係のない人たちだと思ってしまうことがある。

 ゲイやビアンの人からアセクシャルを正しく理解してもらえないことがある。

 同じマイノリティーの中でもそういうことは度々起こる。でも、自分だって、認識していないだけで差別してしまっていることがあるかもしれない。理解してあげられないこともあるかもしれない。けれど性自認と性的指向は誰もが持つもの。自分の性自認がわからない、性的指向を持たない、という場合も含めて差別の対象とされてはならないもの。わたし自身はトランスジェンダーのアセクシャルだけれど、パンセクシャルやノンセクシャルだって否定されたり非難されたりするべきものじゃない。すべてのセクシャルマイノリティーの存在を「ばかげたこと」だなんて言っていいはずがない。全ては人の尊厳の根幹に関わることなのに。ただ、幸せに暮らしたいだけなのに。どうしてそんな単純なことがわからないの? わたしたちを否定して、拒絶して、差別して、それで残るものは何?

 画面の中の彼女が、そう切々と訴えていた。

 胸が熱くなる。

 いつしか彼女の言葉に、釘付けになっている自分がいる。

 彼女の言葉だけが胸の奥まで届いて、ことり、と小さな音を立てる。

 彼女、とわたしは認識し始めている。

 わたしね、と夜々子さんが言う。

 夜々子さんはじっと画面を見つめている。

 それを横目に、手を伸ばして、唇の端のマーマレードをそっと拭うと、夜々子さんは少し驚いた顔をして、慌ててこちらを振り返り、朱鷺色に頬を染めた。彼女の名残を舌先で舐め取ると、苦い、恋の味がした。

 わたし、あの子の姉だったことがあるのよ。

 夜々子さんが小さく咳払いをしたあと、慈しむような目で再び画面の中の彼女を見た。

 やさしい、視線。

 その視線に少しだけ、嫉妬する。

 姉。……姉? 姉妹だったということ?

 それは、どういう意味なの?

 でも訊けない。無言でパンを一口齧る。

 やっぱりマーマレードはほろ苦くて、胸の辺りが切なくなる。

 森の中の、寄宿舎学校で。

 夜々子さんは言う。

 わたしはあの子の、あおの、姉だったの。


 メリーゴーランドは潮風に吹かれ、からからに乾いていた。塗装の剥げた木馬の表面には細かな亀裂が走り、金具は全て錆び付いている。

 ビニールの天幕に指で触れると、ほろほろと粉のように崩れた。

 火をつけたら一瞬で燃え尽きてしまいそうね。

 移動式遊園地の忘れ物。夢の遺骸。

 ……さざ波の音が聞こえる。

 小さな砂浜をあとにして、森の中に足を踏み入れる。獣道を踏破しながら幾日も幾夜も進むと、かつては寄宿舎学校だった、その成れの果てへとたどり着く。

 ヤグルマギクの青い花が一面に咲いている、美しい廃墟に。

 歩き続けながら、同性愛者には生物学的な存在価値がない。そう言い切った政治家の言葉を胸の内で反芻していた。

 生物学、と一口に言ってもその分野は様々だ。分子生物学的根拠なのか、それとも社会生物学的根拠なのか。非ユークリッド幾何学(例えば球面上に描かれた三角形の内角合計が180度を超えてしまうこと)が理解できず、算数的にそんなのは間違っているよ、と言うのと同じで、生物学的に間違っているというその政治家の言説は、ひどく無知で蒙昧で頭の悪い発言だな、と思う。

 だから一つ、生物学的な反論をしたいと思う。

 生物としての人間には、他の動物とは明らかに異なる部分がある。

 他のどの動物も、雌は生理が終われば寿命を終えるようにできている。これは遺伝子に数パーセントの差異しかないチンパンジーも同様で、雌は寿命を終えるまで生殖が可能なのだ。

 なら、どうして人間にだけこれだけ永い余生があるのだろう。ジョージ・クリストファー・ウィリアムズはこの疑問に対して、『おばあちゃん仮説』というものを唱えた。死の危険性を伴う自分の出産を早くに脱し、社会や文化の伝播を担う。また別の子育てのサポートを行う。人間の子どもはとても未熟で、文化の伝承には膨大な時間と莫大な労力が必要で、女性の余生の長さは今いる子どもたちの生存率を高めることになったのかもしれない。また、文化の継承の役割を担うことで閉経後の女性は集団的適応度を高めたのかもしれない、というのがその仮説のあらましだ。この学説をイルカなどの海洋哺乳類で証明しようという動きもある。

 それなのに。この学説を逆手にとって生殖能力を失った女性には生きる価値がない、と言った都知事がいたけれど。無知って恐ろしい。

 この説はまだ仮説の域を出ていないが、もしかしたら同性愛者の存在意義の、証左にだってなるかもしれない。生殖能力を失ってなお存在意義のあるヒトという種であるならば、子を残すことのできないとされる同性愛者にも、社会生物学的な意味が生まれる。文化の伝承。多様な社会の創造。生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならない.....そう言ったのは、『innocence』というアニメの中の、サイボーグだった。同性愛者のカップルにはまだ里親が認められていない。けれど、いずれは他人の子どもを育てることだってできるようになるかもしれない。海外では同性愛者の里親制度など、一部では行われていることなのだから。それに、そのさらに未来の世界では、自分の遺伝子を残す手段だって、確立するかもしれない。

 そもそも自然界において、同性でカップルを作る動物は珍しくない。すみだ水族館のペンギンが、雄同士でカップリングした例だってある。

 ならば改めて問う。

 その水族館のペンギンは、生物学的に間違っているから処分しなければならないのだろうか。

 すべての生殖能力のない人間は価値がない、と切り捨ててしまえばいいのだろうか。

 多くの人がこの質問にはノー、と答えるだろう。極端な優生学的思考は、現代ではタブーとなっている。

 ならば同性愛者だけを排斥するのがいかにおかしなことなのか、というのも自明なことだと思えるのだけれど。

 そもそも同性カップルが子どもを持つことに否定的なくせに、片親が……特に女性の片親が子育てしていくことにも冷たいくせに。何を子ども庁の設立とか言っているのだろう。政治家は種の保存なんてことを言いつつも、本気で理解しようとしているわけではなく、正しく認識しているわけでもない。自分の中の、こうあるべき、という家族像を壊されるのが嫌なだけなのだ。

 崩れ落ちた礼拝堂の前を通り、寄宿舎に向かう。かつてカトリック系のミッションスクールだったせいか、苔むした聖人の像があちらこちらに見えた。片手に剣を持ち、反対の手で聖書を抱いた女性の像が悪魔を踏みつけている。あれは夜々子さんの守護聖人、聖ディンプナの像だ。

 同性愛者の存在意義については、あるいはそういう側面もあるかもしれない。でも、トランスジェンダーの人についても同じことは言えるのかしら。

 夜々子さんが問いかける。

 ヤグルマギクの可憐な花が、さやさやと風に揺れている。

 踏み分けると青い匂いが立つ。

 トランスジェンダーの存在意義。この世に生まれ落ちた意味。たとえば今はもう、社会的な男女差は少なくなってきている。賃金格差や差別は相変わらずあるけれど、政治家や会社の上役に女性は少ないけれど、建前上はそうなっている。夫が家事をし、妻が働きに出る家庭だって多くはないけれど、少なくもない。でも、それをして社会的な性の逆転とは言わない。それに。

 夜々子さんの発言がテレビに出ていたあの綺麗な子……咲洲さきしま青のことを念頭に置いているのだろうな、と思うと言葉が喉の奥で詰まってしまう。花を踏み分ける音だけが、静かに響いた。

 同性愛者にはまだ表面的には寛容であっても、トランスジェンダーに寛容だとは言い難いこの国で、マイノリティー同士団結しなければならないことは、理解しているつもりだった。

 トランスジェンダーがこの国で自身の性を獲得するためには、2021年の今はまだ、手術によって性的な能力を捨て去らねばならい。それはある意味、ジェノサイドだとは言えないだろうか。虐殺とは呼べないだろうか。

 そんなものに加担するわけにはいかない。

 学園の、古びた回廊式の中庭はすでに禁足地となっていて、顔のないアイレンたちが手と手を取り合い、輪になって踊っていた。

 人であって、人でない者たち。

 人造の、永遠のマイノリティたち。

 くすくすと笑っている彼女たちに見つからないように、そっとその場を離れた。

 本当と嘘とを見分ける目を、わたしは持っていないわ。

 夜々子さんが小さな、それでいて通る声で言う。

 だからトランスジェンダーと称して女子トイレに入る男性をわたしは擁護しない。それがデマや憶測なのだとしても。悪いのは犯罪行為をする人なのだとしても。怖いものは怖いのよ。でも、だからこそ、わたしは男性と女性と、ジェンダーフリーのトイレがあればいいと思う。お風呂もそう。自分の体を作り変えることの重さをすべての人が知らない限り、嫌だと思う人がいるのであれば、忌避する人がいるのであれば、お互いに配慮してしかるべきだと思う。もちろん、自分の体の性が間違っているのだから、本当の.....心の性に従って生きたいという気持ちもわかる。でも、人は見かけでしか判断しない。判断出来ない。例えばオリンピックの競技を男女で分けたのだって、元々は公正が保てないから。不公平だから。MtFの人が女性の大会に出て問題になるケースがあるけれど、逆にFtMの人が男性の大会に出て問題になったっていうケースをわたしは寡聞にして知らない。メリットがないからかな、と思ってしまう。だからわたしは、ジェンダーフリーの大会があれば、なければ作ってでも、それに出るべきだと思うの。よく知りもしないでって言われるかもしれない。傲慢な考えだって言われるかもしれない。けれど、それでも自分の欲求や要求だけを押し通すのは権利とはまた別のものだわ。わたしは青を知っている。あの子のことは信用している。だからトイレという超プライベートな空間にいることを許すの。でも、他のすべてのトランスジェンダーを称する人を、信頼する根拠がわたしにはないわ。

 ねえ、夜々子さん、それはおかしいわ。これってトランスジェンダーの存在意義の話じゃなかったの? それに、そもそも存在意義なんて考える必要があるの? わたしたちは、彼らは、彼女たちは、最初からそこにいるのだもの。ここにいるのだもの。どうしようもないじゃない。だから皆の寄る辺が必要だと思うの。団結する必要があるのだと思うわ。

 自身のアイデンティティーのために?

 わたしたちが戦う、よすがのためによ。

 夜々子さんがやわらかな笑みを浮かべた。

 一花は誰と戦っているの。敵と思った瞬間にわたしたちは別れてしまうわ。同じものではなくなってしまうわ。

 同じもの。同じ……もの。そうなのだろうか? 本当に? ゲイやレズビアン、バイセクシャルを非難するのも、トランスジェンダーを忌避するのも、同じ奴らじゃないか。殴ってくる人間は、皆、同じじゃないか。

 わたしはマイノリティーとマジョリティーを区別しない。誰のことも敵だなんて思っていない。でもね、信用できるか、信頼できるかはまた別の話。わたしは一花も知っている通り、男性が苦手なの。男性が近くにいるだけで体が硬くなってしまうの。昔、とても酷い目にあったから。心が女でも、体が男なら、わたしは駄目なの。だからね、それは理屈じゃないの。わたしはそういう人間なのよ。青だけがわたしの特別なの。でも、それ以外の人たちも、わたしたちを認めない人たちも、また別の誰かからは認められない。全ての人に認められたヒトなんていないように。誰かは誰かにとって、すべからくマイノリティなの。

 それって、あの子以外は、ということ?

 違うわよ、あの子以外も、ということ。

 木造の寄宿舎に入る。人の住まなくなった建物の匂いがする。廊下にわだかまっていた冷たい空気がゆるゆると動いて頬を撫でた。割れた窓から射し込む光。舞う埃の粒子。床板が軋む音がする。

 性同一性障害はWHOによって精神障害から除外された。「国際疾病分類」が改定され、「病気」や「障害」ではない、とされた。

 でも、最初からわかっていたことだったのかもしれない。自分が何者なのかという命題は、自分自身にしか答えようがなく、自分は誰を愛するのか、愛さないのか、自分が誰なのか、誰でもないのか、その答えを知っているのは、自分だけなのだから。わたしはわたし。それ以外にはなりようがない。それ以外には、何者にもなれないのだから。やがて今みたいな.....トランスジェンダーに対するジェノサイドのごときこの国の要件も、緩和されるかもしれない。本当にそんな未来が来るとは、今はまだ思えないけれど。

 わたしがあなたを愛するように。あなたがわたしを愛するように。

 わたしはぽつりと呟く。なにかの歌の歌詞。誰の歌だったかは、忘れてしまった。

 わたしがあなたを信用するように。あなたがわたしを信頼するように。

 夜々子さんが歌うように微笑んでいる。返歌。それもあの歌の歌詞だったろうか。そこからは二人とも無言になって、朽ちた階段を登っていく。

 この学園ではね、一年生と二年生が共棲みをするの。三年生は一人部屋。一年生は共棲みの二年生を姉と呼び、二年生は共棲みの一年生を妹と呼ぶ。ラテン語でsoror systemaというのだけれど、日本語だと……姉妹制度、かしら。

 長い螺旋階段を上がっていくと天井が崩れている。藤の蔦がそこから入り込み、窓枠に絡みついていた。春先にはとても綺麗な紫の花が咲くのよ、と夜々子さんの背中が言った。

 夜々子さんは……咲洲青のことが好きだったの?

 あの子は誰も好きにならないわ。

 ……テレビで彼女は自身のことを、確かアセクシャルだと言っていたような気がするけれど。でも……。わたしは質問とは噛み合わない夜々子さんの答えを聞きながら、最上階にたどり着いたことを知る。

 崩壊し、崩落した天井の隙間から、薄日が射している。

 どうして咲洲青は女子の寄宿舎学校に入学できたの?

 さあ、どうしてかしら。

 ちょうどあの頃、女子大に入学したトランスジェンダーのことが話題になっていた。そのことが関係していたのかもしれない。していないのかもしれない。わからない。女子大に入ったその人は……トイレはどうしていたのだろう。咲洲青は? 皆に許されていたのだろうか。

 どうしてこの学園は……廃墟になってしまったの?

 夜々子さんは振り返り、みんな死んでしまったからよ、と言った。

 かつて使っていたという部屋に入ると、割れた窓からここにも藤の蔦が入り込んでいた。緑の葉が西からの風にゆらゆらと揺れている。

 朽ちたベッドには二人分の骨が並んでいた。ひとりは夜々子さんで、もうひとりが咲洲青だという。行儀よく、胸の上で手を組み合わせた格好で。その空っぽの胸郭を、そっと守るように。静かに眠っている。風雨にさらされた骨は白く洗われて、まるで薄荷をまぶした砂糖菓子のようだった。

 美しいから正しいのではない。

 その反対に、正しいから美しいのでもない。

 骨。だからかもしれないが、ふたりの面差しは、とてもよく似ている。


 次の日から、夜々子さんは新聞を取るのをやめてしまった。テレビも見なくなった。

 世界から……社会から、情報から隔絶されてしまうと、随分と心穏やかになった。あれほど心の中で渦巻いていたもやもやは、朝露みたいにどこかへ消えてしまった。無理解な政治家の発言も、新しい感染症のことも、東京のオリンピックがどうなったのかさえ、関心の埒外だった。トランスジェンダーがオリンピックに参加していたのか、メダルを取ったのかどうかもわたしは知らない。次のオリンピックはパリだったか。もっともっと、世界は開けて行くのだろうか。

 でも、今は。

 わたしには夜々子さんがいて、夜々子さんにはわたしがいる。それだけでいい。それだけで良かった。

 桑の葉だけを栄養とし、自分たちの体内で作られた糸を吐き、玉繭の中で寄り添う。白い二頭の蚕のように。

 わたしたちは火を放ったあの日からずっと、ふたりで寄宿舎の廃墟に住み続けている。ぼんやりと四季の移ろいを見つめ続けている。居並ぶ骨たちの番人として、ただ、生きている。

 回廊に住まう顔のないアイレンたちは、相も変わらず手と手を取り合って、輪になって踊っている。くすくすと笑いながら、永遠に。……永遠に。


 メリーゴーランドにふたりで火を着けると、あっという間に燃え上がった。

 わたしたちも顔を無くしてしまったのかしら。

 わたしたちは顔を無くしてしまったのかしら。

 わたしたちの顔を無くしてしまったのかしら。

 夜々子さんは何も答えず、焔を見上げながら、ただ、くすくすと笑っていた。



 ふふ、だから言ったでしょ?


 あなたは頭でっかちに過ぎるのよ。

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