第3話

 初夏の海に着いた。

 水気を含んだ潮風の温度がからだに触れてきて、砂浜に広がる人々の喧騒と、絶え間のない波音が混ざり合い、水平線までずっと続く海の青のまばゆい色に、目を細めた。

 わたしもウジイエくんも、波打ち際に向かって駆け出すような人には育っていなかったので、さっきコンビニで買ったアイスコーヒーなんかを飲みながら、白砂の上に座り込んで、ただ、ぼうっとしていた。

 空を見上げた。空は海より薄い色で、飛行機雲がかかっていて、なんだか平和的だった。隣を見れば、ウジイエくんは腕の内側を空に向け、日にさらしていた。

 彼は表情を浮かべる以前に意識を宙に浮かべているようで、まばたきもせず、ただ虚ろで、静物画に描かれた置物みたいだった。

 わたしが見ていることに気づいて、ようやく、

「ナマッチロイだろ」

 と、快活に笑った。

「たまには太陽に当ててやらんとね」

 わたしは立ち上がり、サンダルなんか脱ぎ捨てて、波打ち際まで寄っていった。砂に海水がたっぷりとしみ込んで、ひたひたとした。足の、くるぶしのあたりまで波があたって、引いていき、やっと、海に来たんだ、という心地がした。

 ふいに、小さな男の子が近づいてきて、

「ほら、見て、でっかいのとれた」

 と、わたしに、まっすぐに言った。

 少年は顔いっぱいに笑っていた。差し出した手のひらに、確かに大振りな貝が、ひとつ、乗っていた。

「ああ、潮干狩り……」

 それまで気づかなかったのが不思議なくらい、波打ち際にしゃがみ込んでいる人々は、みな一様に、貝を探していたのだった。

 わたしはあいまいにうなずいて、ついでに、微笑みかけた。少年も満足そうにうなずいて、身をひるがえし、家族のところへ戻っていった。

 水平線をまた、見つめた。ゆらゆらと果てがなく、見ているうちに、少年に向けた微笑みが顔からまっさらに消えていることに気づいた。

 わたしたちは誰かに見られて、ようやく表情をつくるのだ。

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プリン 鹿ノ杜 @shikanomori

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