戦国のIloveyou

仲野和哉

第1話

なんという文だ……だがなんとなく気にかかる……何故なのだろう、今は主君の人生における重大局面で自分もまたそのためだけに働かなくてはならないというのに…どうせいたずらの文なんかに囚われている場合ではない……けど……

  

わらわは幼き頃よりずっとあなたのことを夢に見てきました。あなたと会ったのはわらわが小谷城より母と妹たちと落ち延びる道中でのこと。母の着物の裾を怯えながら掴んで歩いていたわらわをあなたは心配そうにでも温かな目でじっと見つめていました。外の世界にも自分の心配をしてくれる人がいるということがどれだけ勇気をくれたことことでしょう。ああ、多分わらわはその時からあなたに恋をしていたのです。だけれどわらわも今年で15です。母のように政略結婚の手駒にされるのは時間の問題ですよね、でもわらわは夫となる人はあなたでなければ嫌なのです、怖いのです、あなただけが親身になって理解してくれる唯一無二の人だと直感がささやくのです。あなたと結ばれないのならわらわは死を選びます。もしもわらわを少しでも想うてくださるならお願いです、今日この文と同封した地図に書いてあるお寺の御堂までいらしてください。茶々は待っております。茶々を死なせたくないと思うなら必ず来てくださいませ。


空はどんよりと曇って月は見えずあまつさえ生温い水が落ちてきた。  

まるで空が泣いているようだな……暗い空を見上げて何かに導かれるように宿所を抜け出してきた三也(みつなり)はただなんとなくそう思った。宿所を黙って抜け出すということが、生真面目なところが売りなんだか玉に瑕なんだか聞く人によって評価が二分される彼には大変珍しいことであった。しかしそんなことは今宵の三也には気にならないことであった。そんなことより何か天命に動かされるかのように自分を突き動かす何かがただただ不思議だった。お茶々様は主筋の主筋にあたる姫君だ。三也がどうこうして嫁にできる娘御ではない。だが彼女は自分の妻になれなければ死にたいと言う……イタズラにしたって主君のそのまた主筋にあたる姫君の名を語ることは許されることではない。イタズラならイタズラでその犯人を炙り出し主君の前に突き出してやろう。彼はまだ主君の「お館様」である織田信長ありし頃、茶々姫とその城で主君の秀吉の供をした際に何度か鉢合わせたことはあるけれど、その度に嫣然と嬉しそうに微笑みかける姫を見たことはある。主君はそれを「お茶々様はわしを好いておるのじゃ」と言ったものだ。だがあれは自分に向けられたものだったのだろうか。三也は気持ちの整理がつかないまま夜の暗闇の清洲城下を姫に指示された寺の御堂へ居ても立っても居られず走って行った。


果たしてそこはいかにも古さびた密会というものには丁度良い寺の御堂だった。三也は理性ではイタズラと思いながら、もし本当だったらどうしようといういつもの彼なら不敬とでも言いそうな本能的な思いに翻弄されていた。でもイタズラ……というか三也が想像する通り彼を嫌っている同僚や上司の嫌がらせならば誰か見張りがいるかもしれぬ。ここは慎重に振る舞わなくては……と御堂に手を合わせた後三也は方々を見まわし確認した、その時である。


「ああ!本当に来てくださったのね。夢のようですわ三也殿……いえ佐吉殿と言った方がいいかしら?」

 

若々しい艶やかなその声の主である女性がそろそろと彼に近づいてきた。三也はあまりのことに気が動転して声が出ず恐る恐る顔を上げた。その声は確かに以前安土城で聞いた茶々姫のもののようだった。


「……ひっ姫君あなたは……」


「文に書きましたでしょうわらわはあなたが好きなのです。本来はそなたというのが適当なのでしょうけどそれではわらわが女主人として見下しているようで乙女心が許しませぬ。三也殿、姉君のお佐和様は息災ですか?わらわはお佐和様に遊んでもらい育ちましたのよ」


「……姉は宿下りしている間に病になり小谷城が落ちて間も無く亡くなりました。最後までお小さい姫様方が可哀想と泣いて……それであの時それがしは姉の代わりに姫様方の様子を見に行ったにですが……だからといって野次馬見物していた他の民と対して変わりませぬ」


「……そう姉君は亡くなったのですかお可哀想に。お佐和様はよくあなたのお話をなさいましたよ。可愛くて将来が楽しみな顔立ちをして頭もすごく切れると。本当にその通りですわね、女受けする綺麗な顔をしてらっしゃるそして賢そうな面立ちだわ。でもこう言ってはなんなんだけどわらわとあなたは似たもの同士の境遇なのね」


「似たもの同士ですか……」


「わらわは父上を、あなたは姉君を幼い頃に亡くしたのですもの……これってかなり大きな共通点だと思うの」


「……それはそうかも知れませぬが姫とそれがしではあまりに身分が違い過ぎます。来世に同じ身分に生まれたなら添い遂げましょうものをとても今生では無理がありまする」


「そう……じゃああなたもわらわを受け止めてくださるのね。茶々はなんて幸せ者でしょう、わらわは母と同じ道は歩みたくありませぬ。母に会って下さいまし。母からの命であればあの猿めとて主筋にあたるのですから逆らえませぬでしょう」


「……いや、そっそれはその……それがしには殿から縁談の話もありまして……」と三也は言いかけたが茶々姫は目を涙でいっぱいにして三也に抱きついた。これはいよいよ畏れ多いことになったと三也の頭は真っ白になってしまった。


「嫌です。嫌よそんなこと言わないで。あなたを他の女に渡すなんて嫌。そしてわらわは母のように政略のコマになれというのですか?何度でも言いますわらわは母上のようになりたくなりませぬ。わらわはワガママだと言うのは自分で分かっています。母のように生きるのが戦国の大名家に生まれた女の宿命なのも。でも……でもね……抑えられないのよ、あなたへの恋心が。あなたと結ばれなければわらわは幸せにはなれないと直感で分かるの!お願いわらわは心の病なんだわ。その病を癒せるのはあなたしかおりませぬ」


ああダメだ。いつもの自分ならここでこの姫を突き放さなければならないところだ。でもお茶々様はすでに自分の胸に飛び込んで微塵も離れる気配がない。男に対してはいくらでも冷徹になれる三也もこの姫にはからっきしだと悟る。それは自分がこの高貴な愛らしい姫君を愛しているからなのだろうか、その答えはその時の三也には分からなかった。分からなかったが、腕は素直に反応した。知らないうちに彼は茶々姫の震える肩を包み込んでいたのだから。自分はこれからどうなるのだろうか、自分の夢は殿の夢をお助けし、戦国の世を終わらせて安寧で健やかに眠れる平和な世を作ることだった。恋なんてそんな庶民の好いた惚れたの世界なんて無縁だと思っていた。でもお茶々様とここで出逢った今日を境にそれは一直線には行かなくなりそうな気がした。仕方ないどうしようもない、俺にはこの哀れで愛らしい姫を捨て置くことがどうしてもできそうにない。それが何故かは今は分からないけれども。姫の言うとおり茶々姫の母君であられるお市の方に会ってみようか。一か八か茶々姫との婚姻を申し出るしかないのか……暗黒の空は相変わらず泣いている。姉さん、これは姉さんの涙なのか。姉さんが俺と茶々姫を結んでくれるのか……


「佐吉……姫のこと頼みましたよ」


三也の頬にも無意識に涙が流れた。


「三也殿も泣いてらっしゃるの?」 


「え……」


三也がそう言いかけた瞬間だった。茶々姫は彼の肩に腕を回して彼に口付けをした。三也は彼女を払わなかった……それどころか口付けをし終わった彼女が涙を溜めた愛らしい目で見つめるので彼は自分を失ったように姫に口付けを返した……これは本当にいよいよこの姫に負けたな、三也は悟った。


後世清洲会議と言われる会議が清洲城で行われる中、三也は茶々姫に先導されて姫の母である今は亡き織田信長の妹であるお市の方に会いに行った。戦国一の美女と謳われるお市の方はそれは端麗で麗しい麗人であり主君秀吉が憧れてやまないのもわかる気がしたが、三也の頭は今は茶々姫のことで頭が一杯だった。


「……それでそなたたちは本当に夫婦になりたいのか?」


「はいお母様、茶々はここに居られる石田三也殿の室になりとうございます。猿めにそうお伝えくださいませ。親不孝なのは分かっています。長女として妹たちの示しにならぬことも。でも出逢ったしまってのです、本当の愛というものに。わらわはその愛無くしては生きていけないのでございます。胸が張り裂けそうな病気なのです」


「三也、そなたは?」


「礼を逸していることも、身分違いなことも承知しております。ただ天命にも逆らえないとも思うておりまする」


「……病気と天命か。フフフ仕方のない子たちだこと。よろしい、お茶々はどうも政略の駒にはなりそうにないとは亡き兄上も申していた。その旨筑前の守をはじめとした家臣団にも申し合せよう」


「かたじけのうございます!」


「ありがとうお母様!」


あれなんかあっさりと決まってしまったなぁ……三也はあまりにすんなりした展開に唖然とした。

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戦国のIloveyou 仲野和哉 @svarog0813

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