幻視痛
@alra
本編
あれは数年前の夏のことでした。当時は岐阜県の小学校で短期でしたが用務員をしていました。そこでは私の他に年配の方が三人の計四人で働いていて、基本的に二人が休みで、他の二人で仕事をするといった感じでした。
学校が夏休みになって、私たちは基本的に飼育小屋の清掃や花壇に水をあげたりといったことをしていました。これがまた大変で、私はまだ若かったのである程度の暑さは耐えられましたが、それでも本格的な暑さには滅入ってしまいまして、とにかく早く終らせようと一生懸命に仕事をしていました。私以外のお二方はやはり辛いものがあったのでしょう、時々体調を崩されておりまして心配になったのを覚えています。
ある日のことです。その日もまた汗が吹き出す程に暑かったことをよく覚えています。その学校には中庭と呼ばれる簡単な空間があって、多くの花壇や畑があり、低学年の子達などがよく遊んでいました。夏場ということもあって雑草が生い茂っていたり、石ころが落ちていたりなどしていたので、それらを取り除くのがその日の私の仕事でした。基本的に腰を屈めているものですから、それはもう痛くなってしまいまして、時々徐に立ち上がっては体を伸ばしていました。何回目かの伸びをしているときに、ふと畑の隅の方に目をやると何かが煌めいているのが分かりました。私はそれに注意を引かれ近付いてみると、それは子供が着けるような大きさの指輪でした。その見た目もダイヤなどの宝石が付いたものではなく、何かのグッズでしょうか、のっぺりとしたピンクを主軸とした可愛らしいものでした。恐らくは誰かが落としたものなのだろうと思い、ズボンのポケットへと仕舞い込みました。そうしてしばらく作業を続けていると、学校全体にキーンコーンとあの懐かしい音が鳴り響きました。夏休みでもこの学校はチャイムが鳴るのだそうです。かなり古い設備らしく、日付に関係なく鳴るのだとか。そのため近隣の人は時間を確認する手段として用いていたりもするそうでした。これは授業が終わったときになるチャイムでしょう、十分程度経てばもう一度鳴るはずです。私たちはこのチャイムが二回鳴ったら交代としていたため、後十分の辛抱と思ってもうひと頑張りすることにしました。
とは言っても十分というのは早いもので、少しの作業をすると再びチャイムが鳴りました。それを認めると私は一階の用務員室へと戻りました。部屋にはエアコンがなく、扇風機と団扇でどうにか暑さを凌いでいる状況でしたが、それでも外よりはましでした。中で新聞を読み待機していた二人に声をかけ外に出ていくのを見届けると、私は近くにあった椅子に座り、ふーっと息を吐き出しました。少し経つともう一人の作業していた用務員が戻ってきまして、その人も私と同じく椅子に座った後に団扇を持って扇いでいました。体力が回復するのを待っている途中、私はポケットに仕舞った指輪のことを思い出し、尋ねてみることにしました。すると用務員はそれを見るなり怪訝そうな顔をして、椅子から立ち上がると戸棚の方へと向かいました。何かを探しているその様子を見ながら、何がなんだか分からない私はどうすることも出来ずただ座っていました。すると用務員はその何かを見付けたようで、それをもってこちらに持ってきました。それは古びたビデオテープでした。この部屋には今ではもう見なくなった箱形のアナログテレビがありました。その近くにはビデオデッキがあり、テープを再生できるようになっていました。そこにそのテープを挿し込み、彼はそれを再生し始めました。ガラガラという音を鳴らした後に画面に映し出されたのはどこかの、自然に囲まれた広場のような場所でした。私には最初、そこが公園のように見えました。そう思っているとカメラの手前の方から小さな女の子が出てきました。恐らく五、六歳くらいだったと思います。その子はカメラを持っている人、つまりは撮影者と何かを話しているようでした。その内容については、それはもう古びたものですから、画質が粗いのは当然として音質も悪く録に聞き取れませんでした。しかしながらその話が終わった後、女の子はそう、こちらを指差しながらはっきりと聞き取れる声で「もう来ちゃったよ、うしろ」と言っていました。そこで映像は終わりました。私は全く以て何だか分からず、漸くテレビから目を離し、隣の用務員へと顔を向けました。彼は無表情でずっとこちらを見ていました。そのときは体が震えたのを覚えています。私は些細なプライドから成るものでしょうか、平静を装ってこの映像について尋ねました。すると彼はゆっくりと口を開き、ただ一言だけ言いました。指輪の子だと。掌に乗せたままの指輪へと目を移すと、それは薄汚れ、醜く歪み、引きちぎられたような不可解な形へとなっていました。それに驚いた私は再び視線を男へと戻すと、そこにはもう誰もいなくなっていました。
これがあの夏の話です。その後の話ですか。私にもよく分からないことだらけでした。あの用務員はどこにもいないし、作業に出ていた二人に聞いてもそんな人はいなかったというんです。元から若い私一人と年寄り二人の二グループで活動していただろうと。部屋に戻ってビデオテープを再び再生しようとしましたが、それはもう壊れてしまっていて再生することはできませんでした。だから結局私の手元に残ったのはその指輪だけでした。ただの夢だと、暑さが見せた幻覚なんじゃないかとも思うんですが、指輪がある以上、本当なんだということを自覚させられます。あの後色々と調べてみましたが、映像の女の子も、その場所も、全く分かりませんでした。まあ情報が少ないですからね。僅かな期待でしたが徒労でした。指輪の所在ですか。もう、いやですね。あるじゃないですか。ほら、うしろ。
幻視痛 @alra
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。幻視痛の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます