三人は又恋を知る

椋鳥

三人は又恋を知る 第一幕

 最後まで彼だった友人への墓参りも今年で最後となる。「ごめん。落ちてしまった。」心海に反響する飽くまで透き通った音。夕焼けが綺麗で妙に鼻に付く花粉の匂いは、早すぎる春を訴え掛けていた。来年からは此処に来る事は無くなる。遠くに児童の「わらふ」(わらう)様な音がしたかと思うと、二人乗りした自転車を追う自転車が「いとも」(とても)楽しげに走り去るのが見えた。


 この墓の作られた田舎町は「あかつき」(夜明け前)の頃から太陽が少し昇るまでの景色が都会よりも見え、下手な夜景よりも綺麗だと友人からは聞いた……聞いていた筈だが思いの外そんな事は余り無く、普通と呼んでも差し支え無い景色が広がっていた。そんな景色を眺めていた所為だろうか「いつしか」(いつの間にか)古い記憶が煙の如く頭の中に立ち込めた。


––––四月上旬、卯月


「ええと……名前は田中です。好きな物は特に無いと思います。一年間どうぞ宜しくお願い致します。」完全に明白とは断言出来ない自己紹介を端的に済ませる事には成功する。しかし、次の為に直ぐに座り性能が然程長けた訳でも無い思考を巡らせた。結果の「良し」(素晴らしく)「悪し」(悪い)に関わらず、この意外性や教養の垣間見れ無い紹介により生徒の興味や関心、曳いては卒業に至るまでの距離感をもはや水平線と見間違える程広げるのが今日という一日に課せられた使命なのだと思う。


 担任の教師、主に担当している教科は国語が間を置かず「次後ろの席の方お願いします」と指示し次の生徒の自己紹介が始まる。「やうやう」(だんだん)と過ぎて行く時の合間で、一体何故故にこの場所に居るのかを必死に思い出していた。


 一般的に底辺高校という名が相応しいこの学校の名は「県立陽西南高等学校」と「いふ」(いう)と入学する以前から話には聞いていた。だが地域に根差す社会からは「ヒガナイ」として名が轟いている事は、入学するまで知り得なかった。勝手に耳に入って来た情報に拠ればその名の由来は文字の如く「陽の全く届かない学校」だ。聞いていて気分の良くなる話では無いが、在校して居るだけで否が応でも干渉してくる系統の会話だから仕方無い。また、聞こえて来る話は善行とは真逆の迷惑話ばかりで何ら意外性のない内容だった。


 話に聞いていた時期の「ヒガナイ」には自らの進路に向き合う生徒は存在すら許されて居なかった。その為、過半数の生徒が遊び呆けて自我の希薄な存在になって行ったと聞く。だが僕自身が学校で生活している範囲では、学習に本気で取り組む生徒の姿を少数だが見受ける事が出来た。


 しかし残念な事にその一部の生徒を除き通常の思考回路を持つ生徒、つまり比較的に「おろか」(おろそか)でない生徒の存在は見受けられず、僕も又その一人であった。


 しかし何故そんな場所に入学したのか。理由は文にすると言い訳にしか聞こえず、話さずに居るのも過去の後悔の垂れ流しの様で気分が悪い。当たり前だが全ての選択の責任は僕に還元され、その結果の上で此処に僕は存在している。だからと言っては何だが説明させて貰おう。最初から最後まで単純明快な話だが、それ故に僕には厄介極まりない昔話を。


「今は昔」(今ではもう昔の事だが)僕はとある失敗をした。最近の若い世代の方には良くあると思うが、僕は通常の人間の約一倍ほど携帯電話の使用による影響が大きかった。深夜まで就寝する事が無いので朝は起きられず、帳尻合わせか学校では居眠りの常習犯。それに伴う学力低下は進路先の減少を齎した。僕は今まで「よろず」(様々)なことを明確に決定せず高校受験直前までを過ごした。まあこの事を具体的に間違いだと気付いたのは入学する僅か、三日ほど前だったと思う。


 その時だ……今まで過ごした長い「うし」(憂鬱)でしか無い多大な時間を、別の事柄や趣味に活かせば良かったと考えたのは。


 そして三年間自主的に学校でやった事を上げるなら、運動部なら何処でも良いと入った部活動だろうか。だが案の定結果を見ても過程を見ても「むげ」(全く酷い)と言わざる終えない。結果を言えば掃き溜めの様な結果しか残せず、過程に眼を向けても隣の芝生を見ては羨ましいと部活の度考えては悔しくなる惨めさしか出てこない。


 一緒に頑張ろうと誓った仲間は耐え切れず部活動引退。僕は部活動を辞める覚悟が持てず続けたが、傷を掘り返すだけの行為に価値も意義も初心も見出せず、かと言って辞める覚悟も決まらない。だが僕にとって不快な「わざ」(行為)を繰り返すのは精神衛生上「わろし」(よくない)だろう。その為の解決策として当時僕が必死に至った答えが、部活には参加するが土日祝日は参加をしないと言う物だった。だから僕はそう決心して次の日に担任の下へ向かう事に決めた。


 丑三つ時を先取りした景色を窓越しに眺めながら、廊下を今だけ無心に成れる事を切に祈りながら歩く。圧迫と重圧に胸を支配され機械のように身体を動かす。涙も汗も同じ水分なのに何故感じ方が異なるのか、など無駄な雑念を仕舞い込みながら一歩一歩歩みを進める。部室に接近してくに連れて指先から脚に掛けての振動が一向に止まず、相変わらず振動する。


 担当を任されて間も無い顧問に話を通すと直ぐに許可を貰えた。だが間もない担当顧問は一つの忠告を僕に伝えた。「休日に来れない事情が有るのは分かるが、もし部活動に参加出来無いなら大会や校外での公式試合に出るのは難しくなる。」と其れだけを言った。その後直ぐに担当顧問は光の中に走り去って行く。はっと瞬きをすると全てが朧気な地獄夢かの如く思えて仕方ない。成果を出す訳でもなく努力して来なかった事を呪い、それらが全て僕自身の責任という罪を突き付けられ、全てを棒に振った。そして自動的か運命的かは知らないが、この通称「ヒガナイ」で学校生活を行っている。これが此処に至るまでの僕だったし今更掘り起こして後悔がしたい訳では無い。ただ何故こんな底辺高校に入獄したかを整理して表に出し、自分の覚悟や規範を頭に滲ませ忘れぬ様にしたい。その考えが心の内に蛍火だけでも残れば後は些事だ。


 入学式の合間様々な思いが浮上した。それは、「お前は馬鹿だ」と言われたく無いという事や、筋道立てて合理的に思考出来る様に成るには?とか文学の世界にもっと浸りたい?とか低学歴という事実を覆して自分の人生を勝ち取りたい。などの勝手な思考や願望の羅列だった。だが僕はこの何の変哲も無い言葉の羅列に無限に限りなく近い可能性を感じた。そう、「国立大学に行く。」という不確かで非現実的かつ突拍子も無い願望が叶うとその時から信じて疑わずに居たのだ。まさに心情は「かぎりなし」(この上ない)位にまで跳ね上がり、この先の行動の原動力となった。


 気付けばそんな風に心境は変わり、入学式が終わるなり次の日から早速行動を開始する事にした。具体的に何を変えて行けば正解なのかは知らないが、現状出来得る事から開始した。朝は早くから登校し皆が携帯電話に勤しむ中自習を続け、昼は図書室に通い詰め続け、放課後は部活には入らず図書室で自習をした。


「お前……ここに居る人間じゃ無いよ」と度々外野から言われては大抵無視か「はい」と低い声で応答するかの二択を繰り返し、廊下を移動する際も常に単語帳を開く事で自習における時間の無駄を限りなく削減した。「かこつ」(不平を言う)事を人にせず、人に言われる事もなく唯直線の様に進行を続ける。そんな事「おぼろげ」(普通だ)と思った人も結構居るとは思うが、大学受験の「大」の字すら知識に無い僕には現在それ以上の物は考えつく教養も思考も無い。


 足りない知識も経験も多々有る中、困難かつ面倒を極めると予想された「ヒガナイ」の生徒との関わりは最低限の会話をするか、全く話さずに一日を終えるかの二通りで済んでいた。しかし相反するかの「やうに」(ように)先生方との会話の回数が増加した。


……それは一体何故か?回答は単純明快。今の現状(中学生以下)の学力では解けない問題の範囲も母数も相当数あった為だ。携帯電話も所持して無いのも加えれば自然と先生方に聞きに行く回数が増える。過ぎていく湯水の時間を経て何とか出来る範囲で復習する事を心掛けられる様になるが、理解できない問題はやはり先生方に助け舟を出して貰い、一所懸命に「かたし」(難しい)日々を乗り越えて行った。


––––五月中旬、皐月


 過ぎれば定期テスト前日を迎えた。今までに類を見ないほど自分の「ここち」(気持)が躍動するのを僕は感じた。それは嵐の如く荒ぶりを引き起こし、水の中の様に鮮明に透明に心を満たした。三週間と言う時間は武者震いはこの事だと本質的に体で理解した。明日に備えて早く就寝せねば結果に響くとは頭で理解しても、何故か目が覚める。不思議で仕方ないと思いつつ僕は瞳を閉じた。


――六月上旬、水無月 


 テストの個表が帰って来た。しかし相反する様に結果は2位であった。理由はまた単純で明白だ。今まで当然のように学習しないで日々を過ごした報いだろう、少し位学習した程度では底辺高校で僕は一番を獲る事も叶ない。そう自嘲すると僕は「まあ、そうだよな。」とだけ言い、教室を後にした。


――七月上旬、文月


 前回と同様にテストは2位であった。これは1位の頭が良いと言うより僕の意識の変化が促した結果だろう。考えれば直ぐに分かるが「ヒガナイ」で一番を獲る事より遥かに優先すべき順位の高いものは、幾らでも存在する。確かにその他の事柄を無視して1位を獲りに行くという手段も無くは無いのだが、本質的に時間をかけるのは其処では無いと二位を二回獲って初めて考えた。


 僕は一体何処で何を行いどんな風に生きて行きたいか、今に一度考えた方が良いだろう。


――八月上旬、葉月


 夏真っ盛りな陽射しが射貫く季節に僕は、学校にある少し広い部屋で自習を進めていた。もはや夏休みも始まって七日、いやそれ以上経ってるが、別に居残りしてる訳ではない。この学校、「ヒガナイ」に設置された名目の上では「自習室」で青春を謳歌している。だが溶けずに残っている無数の問題は何ら夏の影響を受けない様で少し空しい。


 この「自習室」は学校の校長では無く教頭の指示により完成が成された。昔は生徒の母数が多かった受け皿の様なこの高校は、少子化の影響で現在の生徒の数は減少の傾向にある。この自習室はもと三年の六組か五組の教室があった物を改装して作られている。


――九月下旬、長月


 夏休みも終わり、凍える季節を迎えに行けそうなこの頃、僕は考えていた。それは昔の中学校での出来事だった。


 僕は誰に対しても親切丁寧で、クラスの人々にも常に語彙を荒げずに接してきたつもりが、どこか他人のような距離感に満足いかない人がある時問いかけて来た。



















椋鳥です。

第一幕がこれにて終了となります。

お疲れ様でした。

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