勝利の女神よ微笑んで!
ソウ
第一話
決戦の日はあと二日。運命をかけた運動会はすぐそこに迫る。それまでには、この、超、超難関の問題を、クリアしなければならないのだ。なんとしてでも!
大きく両腕を振り、両膝を深く曲げ、思いっきり地面を蹴る。ぴょんぴょん、ぴょーんと必死に跳んだ。だがまだだ。目標まで届かない。もっと、高く飛ばないといけない。あいつはもっと高く飛ぶのに。何が違うんだろう。
何度も挑戦するけれど、なんでこんなにうまくいかない。刻々と近づくタイムリミットに、気持ちばっかり焦る。じとりと流れる汗をぬぐった。
諦めず何度も挑戦していたら、後ろから低く笑う声が響いた。聞きなれた低音ボイスは、たった今脳裏に浮かんだ奴の声だ。
「おーおー、鼻ぺちゃ。お前、まぁだやってんの?」
ゼェゼェハァハァと息を切らし、淳は馴染んだ声に振り返った。いつの間にこんな近くに。目と鼻の距離で、鼻筋のくっきりしたイケメンを、汗だくになってぎろりと睨む。噛みつくように口を開いた。
「当たり前だ!」
まだやってるに決まっている。この難関をクリアしないと、淳に明るい人生はこない、永遠にだ!
振り向きざまムキになって言い返す。しかし目の前の男はどこ吹く風だ。上背のある背中をかがませて、俳優顔負けの顔面偏差値を接近させてくる。小バカにした顔と声で、汗だくの額に、息をふ…と吹きかけてきた。
「でもさぁ、そんな汗びっしょりで練習しても、あんま成果なさそうだけど? 諦めたほうがいいんじゃね? 無駄無駄」
「黙れっ! 諸悪の根源がっ!」
そもそもだ。無理難題を吹っかけてきたのは、紛れもない目の前の男だ。なのになんて憎々しい。名称
陸上で鍛えた腹筋は割れていて、現役モデルも真っ青の八頭身。腹が黒すぎるのをうまく隠し、表面上は人当たりがいい爽やかスポーツマンイケメン。由緒正しい男子高校で、彼氏になってほしいベストスリーにランクインしている。別名イヤミマンだ。
「いや違ぇし。イヤミマンて……今初めていわれたわ。ってぇかな。なんで、俺さえも知らない、俺の正確な身長と体重を、お前が熟知してんだよ。まじきめぇぇ」
「キモくねぇしっ、常識だろ!」
バカにするなよ。何年追っかけまわしてると思ってるんだ。中一のときに、たまたま陸上大会で優勝したのを見てから早四年だ。
棒高跳びで大空へ跳ぶ姿は、なんて心地よさそうに天を舞うのかと感動した。この高校を受けたのも、貴弘が受験すると聞いたからだ。足りない頭で猛勉強して、嶺武高校に入学した。
隠れファンならぬオープンファンだ。家族構成も日常行動も、とっくに調査済みなんだよ。キモイなんて単純な言葉で片付けるな! くそバカ腹グロ大魔王が!
「それな。気づいてねぇかもだけど。ぜんっぶ声にでてっからな」
「ひえっっ!?」
鼻先が、くっつく距離まで迫ってきた貴弘にビビる。勝手に声が出ていたなどといつからだ。またやらかした。
淳は焦りをごまかして、あたふたと、両手で口元を塞いだ。動揺した様子を見て、貴弘が短い笑いを飛ばしてくる。うーわー。こいつ今、さらっと鼻で笑いやがった。
「いつもながらだけど。思考と声帯が直結すんのってすごくね? もうそれ特技っしょ。しかも人のこと、くそバカとか言ってるし」
「そのとおりだろ! なんで、なんで……っ、一大決心で告白したのに、よりにもよって、あんな条件出すんだよ! 俺への、明らかな嫌がらせだっ」
淳は涙目になって、迫る男にがなり立てた。事の起こりは一週間前。嶺武男子高校には、伝統的な験担ぎがある。
運動会で、狙った相手に勝負を挑む。男と男の真剣勝負に勝てば、願いごとが叶うのだ。ただし、競技種目は挑まれた相手が決める。受けた相手は、もちろん勝負を避けてもいい。
毎日だ。淳が貴弘をストーカーしていることは誰もが知る。日々のストーカーでは満足できず、いつ勝負を持ちかけるかと噂されていたほどだ。限界を迎え、貴弘に挑戦したのが一週間前だった。
しかしだ。余裕の笑みで、勝負を承諾した貴弘が決めた対決は、なんとパン食い競争だ。お世辞にも淳は身長が高いとは言えない。こうして貴弘と肩を並べたら、22センチの差がある。
身長に合わせ、あんパンの高さは調整されるだろう。だが、漫画研究部に所属する淳の両足は、生まれたての小鹿のよう。体力もなければ脚力もない。
棒につるされるだろう、ぶらぶら揺れるあんパンがどれだけ欲しくても、ピンポイントでかぶりつけるわけがなかった。きっと最初から、淳にはできっこないとわかっていたのだ。だから、受けなくてもいい勝負をわざわざ承諾したのだ。
これを、くそバカ腹グロ大魔王と言わずしてなんと言おう。長年陸上で培ったその脚力を、一日だけよこせと言いたい。
「けどっ、ずぇっったい諦めないからな! まだあと二日あるんだからな!」
見ていろ。こうなったら、意地でもぎゃふんと言わせてやる。そして目指すは念願の両思いだ。鼻ぺちゃで吊り目がちの、お世辞にもかわいいとは言えない平凡以下の顔を崩して淳は叫んだ。思いのたけを、腹の底から。
貴弘はやはり小ばかにしたように両手を上げて身を引く。くっきりしたアーモンド型の両目を、にんまりと細めた。爽やかイケメンは、お手上げのポーズで淳から距離を取り、軽いノリで口を開いた。
「そりゃあ楽しみだ。そうだよな、あと二日もあるよな。特訓の成果をぜひ披露してくれよ」
「うるさいっ、もう陸上部へ行けよ! 練習するんだから」
「へーへー。当日はぶっ倒れん程度にがんばれよ」
がぅるる、と淳は小型番犬のように唸る。ひらひらと手を振りながら去っていくイケメンを、どうにか追い払うのに成功した。
***
決戦の日だ。運動会当日、泣いても笑っても勝負は一度きり。淳は、寝る間も惜しんでジャンプをし続けた。急激に酷使されてしまった両膝が、がくがく悲鳴をあげている。
「淳、がんばれー! ファイトー!」
「負けるなー! 跳べー!」
ぎりぎり平々凡々な淳を応援してくれるのは、同じクラスの仲良し組だ。ほとんどが、有名どころの貴弘を応援するなかで、数少ない声援に勇気をもらう。最後まで、諦めてなるものか。淳は練習の成果を精いっぱい発揮した。
風で、ぶらぶら揺れるあんパンを目指し、思い切り地面を蹴る。痛む膝をなだめ、鞭打って、低い身長で飛び跳ねた。だがあんパンはかすりもしない。こうなればと舌も使って引き寄せる。が、淳をあざ笑うかのようにあんパンはすり抜けた。いつもは清々しい風が憎い。袋のがさつく感触だけが、虚しく舌先に残った。
あんパン嫌いになるぞ、こんちくしょう。ぴょんぴょん飛び跳ねていれば、残り三十秒の笛が鳴った。残すは火事場の馬鹿力だ!
平凡な吊り目をカッと見開き、低い鼻の穴も膨らませ、息を止めて瞬発力を極限まで高める。淳の、秘めた渾身の力を出し切るのだ! タイムリミットの瞬間、汗だくになって高く高く空中を飛躍した。
結果は――。
惨敗だった。淳は制限時間内に、あんパンにありつけなかったのだ。結果はタイムなしに終わった。不本意すぎる、ひどすぎる、身も心もぼろぼろだ。対して、貴弘は余裕でパンに食いついていた。
ぶら下がるあんパンに大口開けてかぶりつく、不格好な競技なのに、イケメンはどこまでも華麗だった。しなやかな体躯をバランスよく維持し、一発で正確に食らいつく。
普段は爽やか系でとおす、雄々しい姿に、悶絶する野太い声がおぁぁと上がった。貴弘は、わずか6秒という神業を成し遂げた。そして野太い声を背に、ありつけたあんパンを頬張っている。
無情だ。せめてあのあんパンになりたかった。ではなくて。今すぐ、ストーカー記録に伝説の一ページを刻まねば。ではなくて。この瞬間、とにもかくにも悔し涙を零したい!
頑張って、死ぬほど頑張って。やっと四年間の思いを成就できると思ったのに。悔しい、情けない。そんなに、貴弘は自分と両思いになるのが嫌なのか。淳は、悲鳴を上げる膝とともに泣き崩れた。
他の競技を見る余裕も元気もなく、崩壊する涙腺をどうにかしようと人目につかない場所へ逃げ出す。ひとり寂しく、ひぐひぐ溢れる涙をぬぐっていれば、背後で誰かが追いかけてくる気配がした。
「うおーい。鼻ぺちゃ。クラスの応援しねぇの? お前、好きだろ。こういうお祭り騒ぎ」
うるさい、うるさい。好きだよ、大好きに決まってる。みんなでワイワイするのは何より楽しい。でも、今はそれどころじゃないんだよっ。手加減なく打ちのめされた傷ついた心をどうしてくれる!
「いや、だってさ。お前のじゃなくて、俺のお願いを聞いてほしかったからなぁ」
ぐずぐず座りこむ淳の前に貴弘が移動してきた。その足で、真正面に立ち、丸くうずくまる淳の両脇を抱え上げてくる。貴弘の腕でうつむく身を正されて、正面からべとべとの顔を覗かれた。
涙で濡れた顎先に、貴弘の長い指先が添えられる。上向かされ、しっかりと顔がお見合いした。
「うわ。すっげぇ顔。涙と、おまけに、ぺっちゃんこの鼻から鼻水もたれてら」
きったねぇと小バカにされて笑われる。不細工なのは百も承知だ。そんな嫌味を言うために、わざわざ抱き起したのか。本当にイヤミマンだ。
「だから違うって」
「うるさいっ! そんなに俺が嫌いなら、どっか行けよ! くそバカ、嫌味野郎、腹グロっ! 大魔王っ!」
「そんなこと言うなって。俺のお願い聞いてよ」
「なんで負けた俺が、聞かなきゃなんないんだよっ」
「えー。真剣勝負して、勝った相手の願いが叶うんだろ? 挑戦者と応戦者、どちらか一方だけの願いごとが叶うとは、限定されてないし」
「うっ……う…、ぇ?」
そういわれてみれば確かにそう。験担ぎでは、勝負に勝った相手の願いが叶うとされているだけ。勝利を得た『挑戦者の願いのみ』と、特定はされていない。だが。ここまで打ちのめして、この期に及んで何を言う気だ。
「な、なんだよ……っ」
ストーカーをやめろとか、ちょこまか視界に入ってくるなとか。貴重な隠し撮りをやめろとか。そんなところだろうか。どれも嫌だ。
刻一刻と、目の前に迫る死刑宣告を待つ。小動物のようにぷるぷると怯えていれば、目の前のイケメンがぷはっと笑った。文句なく爽やかに。
「二年C組、松尾淳くん。ね、お願い。俺と付き合って?」
淳は驚きに固まった。付き合って、付き合って、つきあっ――。信じられない!
夢ならば、覚める前に返事をしようと、口を開いて身体が動く。両手を広げ貴弘に飛びつこうとした。急激に鍛えられた淳の身体は、想像以上に大きく跳ねあがる。が、抱きとめられる前に阻止された。
「ぁいっ?」
「そのあんパンあげる。俺、好きじゃないんだよな。あんこ」
知ってる。あんパンは淳の大好物だ。大きく開いた口に、食べさしのあんパンを突っこまれる。淳は泣き笑いして、幸せに浸りながら頬張った。どうやら夢ではないらしいと。なんておいしい。
頑張ってよかった。諦めないで本当によかった。食いついてよかった。思い描いた結果とは少し違う形になったけれど、きっと淳は、それ以上の幸運を手にできたのである。
++おしまい++
勝利の女神よ微笑んで! ソウ @0-0
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