第31話 凜と彩香

この関係が歪なのはわかっている。

 血の繋がった姉と関係を持ち、姉を拘束しているのだから、これで貴女の思考はまともよと安心してもいいんだよと、そう言う人間はいないだろう。

 いたとしたら、そいつの思考は狂っている。

 だから自分が狂っているのは、自分が一番わかっている。

 わかってはいるが、もう止められないのだ。

 私には、止める術がわからない。

 わからないし、止めたいとすら思っていない。

 私の思考が狂い始めたのは、いつだったのか?

 最近?

 中学生の時?

 それとも小学生の時にお姉ちゃんが引き籠もってしまった時?

 お姉ちゃんが引き籠もる前?

 引き籠もる前は、よくお姉ちゃんの部屋で過ごしていたのを覚えている。

 あの頃は、素直に自分の気持ちを言えて、素直にお姉ちゃんと接する事が出来た。

 いつから素直になれなくなってしまったのか、身体が大人へと成長していくに連れて、心も大人になってしまっただけなのか、それともただ素直に表現するのが恥ずかしくなってしまっただけなのか、その答えはわからない。



拘束位は外してもいいとは思っている。

 お姉ちゃんが逃げ出さない事はわかっているし、自分が部屋を不在にする時は、外からも鍵を掛けるのだから問題はない。

 それでも一抹の不安を覚えてしまって、拘束を外してあげる事が出来なかった。

「お姉ちゃん、私学校行くから良い娘にしててね」

「うん」

 今日は登校日なのだろうか?

 夏休みにも登校日があるのは、彩香ちゃんから聞いていたから知っていたけど、今日ではなかった気がする。

 灯は不安を覚えて、今日って登校日じゃないよね? と何をしに行くの? と聞くと凜は人に会うためだよと笑顔で言うと部屋を出て行ってしまった。

 人に会うって、誰に会うの?

 もしかして彩香ちゃん?

 もしそうならマズイ。

 今の凜ちゃんは何をするかわからない。彩香ちゃんに会わせる訳にはいかない。

 灯は必死に手足の拘束を外そうと藻掻くが、拘束が外れる気配は全くなかった。

 凜が部屋を出て行ってから、既に一時間が経っていた。

 灯は未だ拘束を外そうと必死になっていた。手足からは血が滲んでいる。それでも拘束は外れなかった。

 こんなにも必死になるなんて、初めての経験。

 もし、手足の拘束が外れても、部屋から出られないのに、もし出られたとしても、家から出られないのに、それでも灯は必死に拘束を解こうと藻掻く。

 家から出られなくても、拘束が外れればスマホで彩香ちゃんに連絡を取る事が出来る。

 時間を考えれば、凜ちゃんは既に学校について彩香ちゃんと会っているかもしれない。

 それでも、電話を掛けて凜ちゃんから離れてと逃げてと伝えられる。

 今の私に出来る事はその位しかないから、拘束具が手足に食い込んで、血が滲んで凄く凄く痛いけれど、大切な人を危険から救えるのなら、自分が痛いなんてなんてことなかった。



灯が必死に藻掻いている頃、凜は教室で人を待っていた。

 夏休みの教室に人は居ない。

 凜は自分の席で待ち人を待つ。

 スマホを見ると、待ち合わせ時間までもう少しだった。

 そろそろ来る頃ねと思っていたら、教室の扉が開く音が聞こえて待ち人が入って来た。

「久しぶり」

 凜は振り向かずに言う。

「ええ、久しぶりね。りんりん」

 彩香の声には怒りが混じっている。一発殴ってやる位の怒りを纏って、座っている凜の前まで来る。

 凜は立とうともせずに、下から彩香を見やる。その瞳からは何も読み取れない。

 それ以上に凜の感情が全く読み取れずに、彩香は後退ってしまう。

 これが本当にあのりんりんなの?

 あの優しかったりんりんが、今の凜からは優しさが微塵も感じられない。

 寧ろ恐怖すら覚えてしまう。

 この短期間に彼女に何があったのか。

 どうして、ここまで凜が変わってしまったのか、その理由も知りたくて、彩香は凜から会って話したいんだけどと、メールが来た時に、会う事を承諾したのだ。


変わった理由も知りたいし、灯の現状も知りたい。

 そして凜が元の優しい凜に戻る可能性があるのかを、彩香は見極めたかった。

 会って話せば、きっとわかってくれる。りんりんは親友だから、今は少し疲れているだけで、話して説得すればわかってくれる。

 そう信じている。

 私だけじゃなくて、皆信じている。凜が豹変した後から、どうすれば凜が灯を解放してくれるのか、凜を刺激せずに説得出来る方法を話し合っていた。

 いい方法なんて見つからなかった。今は、様子を見ると言う事に落ち着いてしまった。

 下手に凜を刺激すれば、灯を殺して自分もなんて言う最悪の結末を迎えてしまいかねない。

 そんな最悪の結末だけは、絶対に迎えたくない。

 

今日会う事は、響には話してある。

 くれぐれも刺激しない様にと、口を酸っぱくして言われている。

 現状を知りたいと、凜はどうなのか、灯はどうなのかを知りたいと響に言われている。

 椅子に座ったまま何も話さない凜に、彩香は久しぶりと声を掛ける。

「元気にしてる? 響さんは?」

「私もお母さんも元気にしてるよ。りんりんは? 灯さんも元気にしてるの?」

「私は見ての通り。お姉ちゃんは元気だよ。私が軽く拘束しちゃってるけど」

 未だに灯は拘束されているのかと、彩香は怒りを覚えるが、今は怒りを爆発させる訳にはいかない。

 もし怒りに任せて凜に飛び掛かっても、簡単に組み敷かれてしまう。勉強もそうだが運動神経も彼女の方が上なのだ。

 怒りを必死に飲み込んで、これからどうするつもりなの? と学校には来るの? と問いかける。

「学校には行くよ。どうするって、どういう意味?」

「どういう意味って、灯さんの事だよ。このまま束縛するの? 心が繋がってないのに」

 言ってからしまったと思った。あれ程響から、今は刺激するなと言われていたのに、刺激すれば、灯の身に危険が迫る可能性があると言われていたのに、刺激してしまったかもしれない。


彩香の言葉を聞いても、凜は表情一つ変えない。

「束縛? そんな事しないし、帰ったら拘束も解くし、お姉ちゃんには今までと変わらない生活をしてもらうつもりよ」

 別に嘘は吐いてはいない。

 帰ったら拘束を解くつもりだったし、拘束を解いても問題は全くなかった。

 灯は家からは絶対に出られない。

 それがわかっているから、本当は最初から拘束なんて必要なかった。

 念の為に一時的に拘束しただけで、数日様子を見て拘束なんて必要ないとわかった。

「ちょっとやり過ぎたと反省してるのよ。これでも」

「拘束を解いて、灯さんを解放するの?」

「解放? 意味がわからないんだけど、最初からお姉ちゃんは私のものだし」

 凜の言葉からは、凜の瞳からは灯を絶対に渡さないと言う強い意志を感じる。

 ここまで強い気持ちだったなんて、彩香の予想を遥かに超えていて、彩香は二の句を継げない。

 お母さん、私どうすればいいの?

 自分なら、りんりんを説得出来ると思っていた。

 親友の自分なら、きっと元に戻してあげられると、そう勝手に思っていた。

 そんなのは、大きな勘違いで間違いだと言う事に、彩香はやっと気づいた。

 遅すぎたと後悔するには遅かった。


何も言えなくなった彩香を無視して、凜は自分がどれだけ灯をお姉ちゃんを愛しているのかを語り始めた。

 二人きりの教室で、凜は灯への愛を語る。

 黒板の前に、窓際に、扉の前にと移動しながら彩香に、灯への愛を語る。

 凜の一言一言が、彩香の気力を削いでいく。

 凜の声を聞いていると、自分なんかでは到底凜には敵わないのではないかと、そんな気持ちになって、もう灯を諦めようと思ってしまった。

 彩香ちゃん。彩香ちゃん大好きだよ。

「灯……さん」

 灯の声が聞こえた気がした。

 大好きな彼女の声が聞こえた気がして、彩香は気力を取り戻した。

 そうだ。私は大好きな彼女を、彼女との時間を取り戻す為に足掻かなければいけないのに、心が折れそうになってしまった。

 そんな自分が情けない。


教卓の前で、授業する教師の様に灯への愛を語る凜。

 そんな凜の前に立つと、彩香は灯への想いを語り始めた。

 凜の瞳から自分の瞳を逸らさずに、自分の気持ちを語る彩香を見て、凜は少しだけ戸惑う。

(この娘、こんなにも自分の気持ちを言える娘だった?)

 マイペースな所があって、相手をとても思いやれる優しい女の子。

 その優しさからか、相手に気を使って、自分の気持ちを本音をあまり言わないイメージがあった。

 そんな彩香が、今自分に灯への想いを熱く語っている。

 彩香の気迫に押されそうになってしまうが、凜だって灯の事が大好きだ。だから、灯を一番愛しているのは、自分だと自負している。

 いくら親友でも、その気持ちで負ける訳にはいかなかった。

「いくら彩香がお姉ちゃんを愛していても、私の愛には絶対に勝てないんだから!」

「それは、こっちの科白せりふだし! 私の方がずっとずっと愛してるし、りんりんには負けないし」

 そんな言い合いを延々と繰り返している。

 いくら夏休みの学校とは言え、部活に励む生徒も、顧問の先生もいない訳ではない。

 このままでは、偶々教室を通りかかった生徒が、喧嘩している二人に気付いて、先生に報告されてしまい兼ねない。


二人共熱が入ってしまって、暫らくはその事に気付いてはいなかったのだが、先に冷静になった凜がここでは誰かに聞かれるかもねと、そう言って彩香を制止した。

 まだまだ灯への愛を語り足りないと言った表情の彩香に、また語り合いましょうと、今日はこの辺にしましょうと凜は、教卓の前から移動する。

 凜に優しく諭されて、彩香もこれ以上は我儘を言えないと、わかったと言うしかなかった。

「今日は話せて良かったよ。彩香とは喧嘩別れとかしたくないし、でもお姉ちゃんは渡さないから」

 いくら親友でも、それだけは譲れないと宣言すると凜は、教室から出て行こうとする。

「りんりん、待って」

 教室を出て行こうとしていた凜を呼び止めると、凜の前まで行って、いきなり凜にキスした。

 突然の事に目を丸くして、凜は驚いてしまう。

 彩香が自分にキスをしている。こんな場面を誰かに見られたらと、凜は彩香を放そうとするが、彩香は更に力を入れて唇を押し当てる。

 数十秒? それとも数分? さすがに息が苦しくなったのか、彩香が唇を離す。

「返して貰ったよ。灯さんのキスを」

 そう言って彩香が微笑む。

 彩香は、凜が自分にした事と同じ事をしたのだ。

 まさか同じ事をするなんて、彩香を甘く見ていたと、今度は自分からキスをすると、これでお相子よと、今日は引き分けねと言って、教室を出て帰って行った。

 凜の後ろ姿を見つめながら、恋のライバルは強敵だなと、灯の恋人である事に甘んじていたら、灯を奪われてしまうかもしれないと言う恐怖と、絶対に負けないからと言う気持ちで、彩香は凜の後ろ姿を見つめていた。

 


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引き籠りの姉がすきになったのは、私の親友でした。 椿 セシル @tsubakikanon

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