カラー・トーク

渡貫とゐち

一色の世界

 俺たちの目は、世界の多くの色を観測することができている。

 これはとても幸福なことだ。


 赤色、青色、混ぜてしまえば紫色。白や黒――などと、挙げ出したらきりがない。

 世界は一つの色で構成されているわけではないのだ――それが当たり前である俺たちの生活。


 だからこそ、その幸福は、あらためて意識してみなければ『恵まれている』とは観測できないのだ。

 なくなって初めて気が付く――親元から離れたことで、当たり前に完了されていた家事全般の苦労を知り、毎日、家事に労力を割いてくれていていた親のありがたみを知るように。


 だから最初は戸惑ったものだ……、世界が、『青』一色になった時は。


「おれは黄色っすね、目がチカチカしますよ……困ったものっすねー」


 人によって見えている色が違うようだ。

 他の知り合いに訊ねてみれば、赤と答える者がいれば白と答える者がいる。


 緑、茶色……中には金色なんて者もいた。

 砂利道を歩けば、落ちている砂利の全てが輝く宝石に見えて――

 しかし着色されているだけで、石であることは変わらない。


 石を金色に塗れば宝石になるのか?


 自分の目は騙せても、鑑定する側は騙せない……――人によっては黒一色に見えている者もいるのだから、ただの石にしか見えていない者だって当然いる。


 そもそもただの石なのだ。

 金色の世界を見ている者だけが騙されているだけで……。


「先輩、気を付けてくださいよ――全てが青色に見えているなら、信号機も全部が青色に見えているわけですからね……。安全だと思って渡ったら車に轢かれた、なんて最期は嫌じゃないっすか?」


「信号機は、色もそうだが、位置でも分かるんだよ。右側が光っていれば赤信号だ。……だった気がするがな。正直、曖昧だが……、正確な情報を調べることもできない。人に聞くのが一番だが、言葉に騙されたら、色に騙されているのと同じことだろう?」


「専門家の言葉くらいは信じた方がいい気もしますけど。専門家を疑い出したら、誰の言葉も信用できませんし……」


「だから自分の目と体験で納得する。人に騙されるよりも思い込みで誤解した方がまだマシだろう?」


 後輩からの共感を得るのは難しかったようだ。


「でも、なにかしらの対策はされると思いますけどね。じゃないと世界中で事故が起きますから。まあ、対策する人も、世界が一色にしか見えていないのでしょうけど……」


 なので、任せても大丈夫なのか、と疑う後輩である。


 俺が言ったのは、そういうことなのだが……。

 共感してくれないのはちょっとした座標のずれなのか? ――まあいい。


 とにかく、仕事どころではないが、それでもパソコンくらいは立ち上げて仕事に取り組むフリをしなければ。


「ほれ、不安そうなお前に土産だ、買ったばかりのコーヒーだが、ブラックでもいいだろ?」


 俺には青色に、後輩には黄色に見えているらしいけど……なのにブラックとは面白い冗談だ。


「あ、ちょっと先輩っ、投げるのは、」


 俺が投げた缶コーヒーを、後輩が途中で見失ったようで……、

 高く上がった缶コーヒーが、放物線を描いて後輩の額に思い切り当たった。


 床に転がるコーヒーから目を逸らし、


「す、すまん。そうか、背景だって黄色だから、急に黄色いものを投げれば背景に溶け込んで分からなくなるか……」


 黄色が二つあっても、別のものだと認識できるのは観測できる色の数が多いからだ。

 黄色でも違う黄色を、この目がちゃんと分かってくれているから。


 だが、今は本当に全てが一色であり、差がない色で世界を見ている……。


 もちろん、じっくりと見れば、同色でも、見えているものの形が分かり、日常生活に支障をきたしても、生活が不可能にはならない――が、急に飛んできたものを受け取るには、背景の色と飛んでくるものの色が同じというのは、相性が悪過ぎる。


 俺だって、キャッチできるかどうかは怪しい。

 一部始終を見ているなら話は別だが、今の後輩への不意打ちは、俺が悪い……。

 あれじゃあ受け取れないな……。


「ほんとにすまん、次からは気を付け、」


 と、床を転がる缶コーヒーを拾おうとした時だった…………どこにいった?


 青一色の床の上を転がったはずの、青一色の缶コーヒー……あれ?


 マジで、どこにいった?

 どこにもなくて…………観測ができない!?


 あらためて。


 複数の色を同時に認識できる以前までの目を使えた俺たちは、恵まれていた……。


 めちゃくちゃ幸せだったんだな、と今なら思う……。

 脚色なんてしていないぞ? 良く言っているわけでもない。


 ここで色を付けたりはしないのだ。



 ―― 完 ――

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