第6話
「おい、何処へ行っていたんだ。何だ、その犬は・・・」
小原警視正は何処かで見たことがあるような犬を睨んだ。
(はて・・・?)
棟方警部はコリー犬を連れていた。
「何だ?」
「警察犬です」
「警察犬・・・そうか、さっそく探索してくれ」
「俺がそんな指示を出したのかな・・・」
小原は首をひねった。
まだ誰も来ていない座敷で、小菊は美知の紹介で、仲次と会う。
「俺はこの屋敷の主人石坂主税の前の美穂の子で、小谷仲次。母はこいつの・・・いや親父から追い出されたんだが・・・」
仲次は父である主税を睨み、ニンヤリと笑った。
美知が、
「やめてよ。お兄さん。こちらは、私の友達の新藤小菊さんよ」
仲次は頭を下げないし、いい顔もしない。この女は・・・誰だ・・・という眼で小菊を睨んでいる。
「ごめんなさい、小菊さん、兄はこういう人なんですよ」
美知は苦笑いを浮かべた。
数時間前にも玄関で父主税と仲次は顔を合している。
「どうして来たのか?」
主税の言葉はきつく感じられる。妻の美穂が家を出た理由はさておき、子である仲次への不満もあるのだろうか。仲次はそんな父に不快なのだろう、一言も返事をしない。だが、ここで父親を怒らせるわけにはいかないと思った仲次は、
「だから、言ったように黄金の兎文鎮が戴きたいんだよ。俺にもこの屋敷の何かをもらえるんだろうな、親父」
石坂主税は否定しなかった。
「分かった。考えてみる。だが、今はいかん。黄金の兎文鎮を盗もうとする泥棒が、今日の夜、ここに忍び込んで来る。まず、そいつを捕まえるのが先決だ」
「分かった。分かった。言っておくけど、その泥棒は俺ではないからな。俺は正々堂々と頂に来たんだからな」
この親子の会話を聞いていて、小菊は不敵な笑みを浮かべた。
座敷に集まった六人を前にした小原警視正の一人一人への尋問は見事なものであったが、集まった六人から確かな情報は得られなかったのだ。もちろん、各々の部屋、持ち物を調べたが、黄金の兎文鎮はなかった。座敷に集まったのは、まず石坂主税、美知親子、祖父の石坂玉四郎は車椅子で来た、小谷仲次もいたが、座敷の中を動き回り落ち着きがない、そして、下働きの三人だが、大久保武と塩野乙美だが、今なお行方が分からない。長田清秀なのだが、まだ座敷に現れていない。そうそう、忘れてはならないのは、新藤小菊である。この女は小原正治警視正の傍らに座り込んでいた。そこへ、主税の妻である玉枝がやっと外出から帰って来た。これで、六人となった。
「あと一人ですな・・・」
警視正は呟いた。
ところで新藤小菊は、なぜ今もこの屋敷に堂々と居残っているのか・・・彼女にはある人物が気になっていた。ある老人の存在が、今も小菊の心を乱していたのだ。彼女はまだその老人と顔を会わしていないのである。
「警視正、私が見て来ます」
といい、小菊は立ち上がった。そこへ、ハンカチで口を押えながら、座敷に入って来た。
「遅れました。風をひきましたようで、気分が優れませんので・・・」
長田清秀は座敷の入り口に座った。
「どうぞ、中にお入りください」
という警視正の言葉に、
「いえいえ、私はここでいいです」
長田清秀は小菊が抱いている黒猫が気になるらしく時々怯える眼で睨んでいる。
ウウ・・・
警察犬のコリーもその老人を睨み唸っていた。棟方警部がそのコリー犬を抱き抱えている。小菊はコリー犬の視線の先の人物の様子を観察していた。
(何処かで・・・)
彼女にはまだ記憶を蘇らすことは出来ない。モヤモヤとしたやるせない感じだ。話しかけてみる必要があるのかも知れない、と彼女は思った。だが、この場面の主役は、小原正治警視正である。
(任せるしかない・・・)
だけど、思い切ってこの子を離してみるのもいいかも知れない。こんなことを思う小菊であった。
九鬼龍作の指定した時間には、まだ三時間ほどあった。すっかり暗くなり、庭には三か所に明かりが点き、ほんのりとした雰囲気が漂っていた。
座敷に集まった六人の人たちの他に黒猫もコリー犬もいた。黒猫は小菊の膝にいて、小菊がしっかりと飛び出して行かないように押さえていた。コリー犬は座敷の縁側から顔を出し、中に様子を窺っていた。もちろん、その傍には棟方靖男警部がいた。小谷仲次もいたのだが、他の人たちは静かにしていたのだが、この男が実に騒がしかった。
座敷机の上にはガラスケースがあったが、黄金の兎文鎮はなかった。それを見て、仲次が、
「何もないではないか・・・誰が盗んだんだ。この中にいるのか・・・」
他の人は黙っているのに、この男だけが騒いでいる。
「君、静かにしてくれ。これから、それを調べるのだから・・・」
小原警視正が声を張り上げた。さすがに警視正の声には迫力があり、仲次は黙ってしまった。小菊が会いたがっていた長田清秀も縁側から入った入り口に、隠れるように座っていた。小菊は黒猫の首を持ち、動こうとしているのを止めていた。残酷だが、こうでもしない限り、この黒猫は彼女の手から飛び出して行きそうな勢いがあった。
(どうした?)
自然と黒猫の視線の先に、小菊の眼が動き、止まっている。コリー犬も唸り声を立てていて動きたいのを我慢しているように見えた。その傍には、棟方警部もいた。コリー犬は警察犬としての訓練されているためか、動きたいのをじっと動かないでいた。その内に、小菊は、
「この人・・・何処かで・・・見たような・・・」
白い口髭が口元を覆い、眼が幾分誰とも視線を合わしたくないのか、忙しく動いていた。
こう呟いた小菊であったが、まだ思い出せないでいる。この間も小原警視正が事件の説明をしていた。
「この中の誰かが黄金の兎文鎮を持って行ったのに違いはありません。我々はこの屋敷を猫の子一匹逃げ出せないくらいの警備をしていました。そうなんです。ここに入り込むことも、ここから出て行くことも出来ないはずです。だがら、犯人はこの中にいます。そうです、警察はあなたたちの持ち物を調べます。きっと見つかるはずです。でなければ、可笑しいのですよ」
小原警視正の言葉は自信に満ちていた。この場合、
「これから、みなさんの持ち物を調べます。ご協力ください」
警視正は、
「誰から・・・」
集まった面々の背後を歩きながら話している。
この時、
「すいません。気分が良くないもので、ちょっと失礼して構いませんか?」
長田老人がゆっくりと立ち上がろうとする。
小菊は妙なことに気付いたのである。長田老人は手の指をカリカリと掻きはじめたのである。
(もしかして・・・)
思い切って、小菊は試しに黒猫を離した。小菊は棟方警部に眼で合図をし、コリー犬の背中を叩かせた。
「行け・・・」
という合図である。
「やはり・・・!なぜ、気付かなかったのか・・・」
小菊は悔やんだが、仕方がない。もっと早く顔を会わしておくべきだったのだ。
(あの・・・古川信綱だ。こいつも変装していたのか・・・吉野の事件は窃盗という軽い罪だった。そのこともあり、すぐに釈放されたのだ。その後、信綱が何をしていたのか、小菊には分からない。どうして黄金の兎文鎮の存在を知ったのかも分からないが、とにかくその存在を知り、石坂の家に潜り込んだに違いない。本物の長田清秀はどうなったのか、こっちも分からないが殺された可能性もある)
だが・・・それを調べるのは警察の仕事なのだ。小菊そうは思う。
とにかく、古川信綱がその三人をやっていたとしたら、とんでもない殺人鬼になった変貌したことになる、人の命を何とも思わない奴になってしまったようだ。あの頃は未熟な駄々っ子のような盗っ人だったが、時が経った末の信綱の姿を想像できないこともなかったのだが、
(まあ、いい・・・)
小菊は、ふふっ、と、声をだして笑った。彼女は信綱の後を追った。
だが、信綱は消えた。
小菊は長田清秀の部屋に入ったのだが、何処にもいない。
(何処へ・・・?)
行ったのだ。
そこへ、小原警視正が飛び込んで来た。
「奴は、何処にいる?」
「警視正、見ての通りです」
「ただ・・・黄金の兎文鎮が残されています」
長田清秀の机なのか・・・結構古びているが、使い古されていて鈍い光沢が窓から入り込んでいた陽光に輝いていた。
「とにかく奴を捕まえるのが第一ですよ、警視正。何が起こっていたのか・・・奴がすべてを仕組んだに違いありませんよ」
小菊はそう見ている。警視正もそう見ている。
まだ、この屋敷の中にいるのか・・・。
(多分、いないだろう・・・)
結局、大久保武と塩野乙美は見つかつていない。本物の長田清秀がどうなったのか・・・それも気になる。
この事件にはまだ解決していない。この二人の行方も去ることながら、いなくなった長田清秀は当然指名手配されているがまだ捕まっていない。
そして、肝心なのは、九鬼龍作は指定した時間に奴は現れなかったのである。
「奴にしては珍しい失態なのかもしれないな」
小原正治警視正は不思議がった。
この事件は何もかもが、今も未解決のままだった。
「これで・・・終わりなのか・・・」
と思うと、煮え切れない思いが、小原正治警視正にはした。
「黄金の兎文鎮は九鬼龍作の手に渡らなかった・・・」
ことになるのだが・・・。
「これでいいのか・・・」
送られて来た耳はDNA鑑定の結果、塩野乙美のものだと分かった。
「女は殺されているんだろうが、遺体はまだ見つかっていない。それにしても、大久保武は、何処に消えたのか・・・気になる・・・」
限られた関係者だから、すぐ下手人が浮かび上がって来てもいい筈なのだが、
「誰が・・・」
一人も怪しい人物が浮かび上がってこなかった。唯一犯人と思われるのが、長田清秀なのだが、この老人も消えていた。それに・・・判然としないのが、なぜ乙美の耳が削がれて、石坂家に送られて来たのか・・・犯人のただの気紛れから耳を削いだのか・・・?
いずれにしろ、黄金の兎文鎮は石坂玉四郎から小菊にプレゼントされたことになる。
その数日後、彼・・・九鬼龍作は黄金の兎文鎮は使い、筆で文を書いていた。もちろん、小原正治警視正への感謝状である。
いや、いや、宣言通り黄金の兎文鎮は頂いたというお礼の手紙である。
《了》
九鬼龍作の冒険 激闘編 武田信玄の黄金の兎文鎮 青 劉一郎 (あい ころいちろう) @colog
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