第5話
大久保武は黄金の兎文鎮のある部屋に入る別の方法を知っていた。この屋敷の下働きに雇われて、この大きな邸に興味を持ち、屋敷を探索している時に、彼が偶然発見したのだった。最も、彼はこの事実は誰にも言っていないし、またいう必要もないと思っていた。いずれ役に立つ時がある、と彼は思っていた。その役に立つのが何であるのか・・・その時点では何も分からなかったのだが・・・。
いや、もう一人、秘密の抜け道を知った者がいたのだ。今あちこちと動き回っていた小菊である。小菊は今まさにこの屋敷の秘密の抜け道に入って行った。手には先ほど松脂をぐつぐつ煮ていたものが入っているビニール袋を手にしていた。
「やはり・・・な」
辿り着いた所は、座敷の奥の間だった。
「こんなことだろう、と思ったわ。あの頃の武士の館には往々にして、こういう仕掛けがしてあるものね。さあ・・・てと」
この頃になると、熱かった松脂は、今はもう手で触ることが出来た。しばらくの間、小菊は奥の間で何やらやっていて、終えるとまた元の抜け道を戻って行った。
この抜け道は、玉四郎も知っているが、主税はまだ知らない。まだ父である玉四郎から知らされていないのだろう。その内、玉四郎は跡継ぎである主税に、この秘密を伝えなければならない。秘密の抜け道は下働きの部屋がある裏の物置小屋の中から続いていて、座敷の奥の部屋の屏風の裏に出られる。
そして、さらに、もう一人この抜け道を知っている者がいた。長田清秀である。一体、この老人は何者なのか・・・今の所小菊にも分からない。大体、彼女は長田清秀にまだ一度も顔を会っていないのである。
彼・・・清秀はすでに動き始めていた。
長田清秀の怪しい動きに気付き始めていた乙美は目立った行動はしていなかったが、絶えずこの老人の動きに眼を配っていた。時には人知れずに、清秀の後を付けたりしていた。
(変な人ね。何をしようとしているのかしら?)
乙美は老人の不可解な行動が気になって仕方がなかった。その好奇心がいけなかったのだ。それで・・・。
乙美を殺したのは、清秀だった。その動きが、彼には目障りだったのだ。いつも清秀の視界の中に、この女はいた。
(この目障りな女を葬る・・・)
清秀は作業小屋に乙美をおびき寄せ、殺した。だが、死体が発見されたわけではない。下働きの女がいなくなったと気付いたのは、大久保武だけだった。その彼も・・・何処かへ用事に行ったのかも知れない、と、思っただけに過ぎない。
清秀は事を急がなくてはならなくなり、すぐに行動を起こし、黄金の兎文鎮を盗み取った。例の秘密の抜け道から座敷の奥の部屋に忍び込み、簡単に手に入れることが出来たのである。ガラスケースごとではなく、黄金の兎文鎮だけを盗んだ。少し重いが愛用のジャンパーのポケットに入るからである。
大久保武は乙美のことが気になっていた。用事に行ったとしても、なかなか帰って来ないのはおかしい。
(用事でないとすると・・・)
この屋敷が警官に取り囲まれている以上、ここから出ていないはずである。
(ここの・・・何処かにいるはずだ)
武は嫌な予感がした。しかし、その予感が意味するものが何なのか、彼には思い浮かばない。
この頃、新藤小菊は何処にいたかというと、玉四郎の部屋にいた。
「黄金の兎文鎮は石坂家に伝わる家宝です」
と、玉四郎はいう。
「しかし・・・今となっては、厄介な家宝なんですよ。小菊さん・・・と言いましたね」
と、老人はいう。
「もう・・・手放したくなりました。武田信玄公も許して下さると思います」
老人は疲れ切った哀しい表情で顔を曇らせた。
美知もやって来ていて、この話しの中に入っている。
「実際、武田信玄公もこんなものを気紛れで作ったことに後悔したからこそ、手放したのかも知れません。私も、そろそろ手放してもいい頃だと思っていたところです。何でも・・・九鬼龍作ですか、そいつにくれてやってもいいと思います。ほほっ・・・」
玉四郎は笑ったが、その表情にはやはり寂しさが漂っていた。代々受け継がれたものを守り抜く苦しさが見て取れた。
「やっと肩の荷が取れそうです」
玉四郎は苦笑した。
「小菊さん、私は今初めてあなたに会ったんですが、あなたが気に入りました。いや、いや・・・」
老人は手を振った。
玉四郎は小菊に、
「あなたに黄金の兎文鎮をあげよう。九鬼何某に盗まれるより、その方がいいような気がしています」
と、いうと、笑った。。美知は一瞬驚くが、
「お爺様、いいですね。御爺様の長い苦しみを開放するのには、それがいいですね」
と、同意した。どうやら玉四郎老人は美知には何かとぐちというか悩み事をしゃべっていたようだ。
「お爺様、良かったですね。私も賛成です。でも、九鬼龍作とやらは怒るかもしれませんね」
美知は小菊を見て、ちょっぴり笑った。
「そっちの方は、私がうまくやりますから・・・」
今度は小菊が微笑んだ。
「美知・・・」
玉四郎がいった。
「いい友達なのか?」
「はい、お爺様・・・」
下働きの乙美が消えまま、今度は大久保武が消えた。
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