番外編1 甘い声の男の場合
「なあ、いい加減、手、どけてや」
呆れたような、優しい声にますます頬の熱は上がり、まるで燃えているように熱くなった。顔を覆った指の隙間から、ちらりと盗み見れば、こちらを見ている彼の視線とかち合った。
「っ、嫌、です」
「なんで?」
砂糖菓子のように甘ったるい声が鼓膜をくすぐり、耳を塞ぐために、あともう二本、腕が欲しいと思った。でないと、いつまで経ってもこの熱が冷めない。
「顔、見たいんやけどなあ」
のんびりとした声色でそう言いながら、つつ、と顔を隠す指をなぞられる。こそばゆい感覚に身震いして、それでも顔から手を離すことはできない。
「……強情やなあ」
耳元に直接吹き込まれた台詞と、耳殻に触れる柔らかい感触に、近い近い、と心臓は破裂間近に騒ぎ出す。
「もー……こんなん、何回もやったことあるやんかあ。何がそんなに恥ずかしいん?」
事の始まりは、彼のふとした思いつき、というか気付きだった。
「来島さあ、いっつもチューする時、音するくらい、ぎゅって目瞑るよな」
なんで? と言われて、無意識にそんなことをしていたんだなと自覚した。
「なんでも何も、その、マナー? とちゃいます……?」
「何のマナーやねん」
けたけた笑う彼に、つられて笑ったのも束の間。
「ほな、たまには目開けてチューしよか」
と、自分の笑顔をぴしりと引きつらせたのだ。
「いやいやいやいや」
「ええやん、ほら。目ぇ開けててや」
ゆっくりと、悪戯に目を細めた田ノ上さんが顔を近付けてきて、瞬間、耳まで燃えるように熱くなって、思わず目を瞑った。
「あっ、こらー、開けてて言うたやんかぁ」
息のかかる距離で、甘い声にそう咎められたが、だからといって目を開けたら、また口付けてこようとするに違いない。
「なんなんすか、そのノリ……」
「んー?」
ちゅ、とリップ音が聞こえ、頬に柔らかな感触があったことから、恐らく頬に口付けられたんだろうとわかったが、
「困ってる顔も可愛えで、さーとしくん」
なんて、砂糖を煮詰めて、更に蜂蜜とメープルシロップを入れたみたいな甘ったるい声に、羞恥と快感で背筋がぞわぞわした。恥ずかしさで爆発しそうだ。
反射的に両手で顔を覆うと、信じられないくらい熱をもった、頬。ああ、恥ずかしい。
「えー、顔まで隠してまうん?」
「いや、も、勘弁してください……」
そうして、先の押し問答を繰り返ししていたわけだ。自分自身も大概だが、こうなった彼は絶対に折れないし、かといってこっちが折れるわけにもいかない。だって恥ずかしいし。
「もー……こんなん、何回もやったことあるやんかあ。何がそんなに恥ずかしいん?」
「はっ、恥ずかしいもんは恥ずかしいんです!」
上擦って、みっともない声が、ますます羞恥心を煽る。何を一人で、こんなことくらいで、こんなに
「興奮してんのや」
まるで心の中を覗かれて、ピタリと言い当てられたみたいだ。
「あ、あ、違、違うんです、恵さん、そんな、はしたないこと、考えてなんか」
恥ずかし過ぎて、とうとう涙腺まで馬鹿になったのか涙が滲んできた。ず、と鼻を啜れば、ポンポンと頭を撫でられて
「ごめんごめん、もうお前に意地悪せんとこって、毎回思ってんねんけど、あかんわ」
なんて、やっぱり甘い、それでいて優しい声が言った。
「もう意地悪せえへんからさ、顔見せて?」
その言葉に、おずおずと掌を外せば、困ったように笑う恵さんがいた。
「恵さん、ごめんなさい、俺、なんか、あかんのです、その、はず、恥ずかしくて」
「うん」
「こんな、なんか、処女みたいな反応、すみません、気持ち悪いだけやのに」
「そんなことあらへんよ」
今度は、慈しむように目を細めて、田ノ上さんは優しく俺の頬に手を添えた。
「ごめんな、お前が恥ずかしがりなん、知ってて意地悪してしもた、優しいしてやらなあかんてわかってんねんけどな。ごめんな、意地悪な俺のこと嫌いにならんといてな」
頬を撫でられて、そのまま滲んだ涙を拭われた。甘い声。嫌いになんて、なるわけない。
「恵さんの、方こそ、俺のこと、嫌になってませんか」
「俺が? あるわけないやん」
俺はお前のこと、可愛くて堪らんようになって、いけずしてしまうくらい、好きやで。
甘い、甘い声は、どろどろに自分を溶かしてしまう。
理性も、自我も、羞恥心も。
「俺も、恵さんが、好きです」
「ありがとう」
いい慣れない、むず痒い台詞に、彼はいつも通り美しく微笑んで、そして。
「こんな意地悪する俺のことも、許してな、悟志」
目があったまま、ゆっくり口付けられて火が出そうなくらい恥ずかしくて、きっと顔も真っ赤になっているだろう。
それでも、目を閉じることは許されない。結局のところ、あの甘い声に、自分は抗うことはできないのだから。
美しい男たちの話 石衣くもん @sekikumon
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