第18話 Call my name.

「行ってあげて。しゅ…」


そう、いつかが駿に言いかけた時、既に、駿は走り出していた。


「…全く…。人をなんだと思ってるのよ…。大人の女の私だから、これで済むんだからね…」


そう、いつかは呟いて、駅へと一人、帰って行った。


100m、80m、50m………。次第に、天稀の背中が近くなる。声をかけるまで、後少し…そして、ついに…。


「天稀!!」


「!!」


びっくりしたように、天稀が振り返った。すると、天稀は、なんの前触れもなく、なんの躊躇もなく、なんの恐怖もなく、なんの遠慮もなく、


「駿!!駿―――――――!!!」


と、泣き出した。そして、あの頃のように、駿に抱き着いた。駿は、驚きはしたが、それよりも、嬉しくて、嬉しくて、悦びが体中から溢れ出た。そして、きつく抱き締め返すと、こう、繰り返した。


「お帰り。お帰り。お帰り。お帰り。お帰り…天稀………お帰り」


「会いたかったよー!駿ー!!寂しかったよー!」


「何言ってんだよ…、いなくなったのは、お前の方だろうが…」


泣きながら、訳の分からない事の言う天稀を、それでも、愛おしく、駿は、離せないでいた。



とりあえず、泣き止んだ天稀を、アパートに連れて帰った。


「ほら。開けろよ。鍵、まだ持ってるんだろ?」


「…バレた?」


そう言うと、天稀は、キーケースを鞄から出すと、2本のうちの1本を握りしめ、鍵穴に入れると、ガチャリと鍵穴を回した。


「空いた…。まだ、この部屋、駿の部屋なんだね…」


「うん…ずっと、僕と、天稀の部屋。何も、変わってないよ。入って」


「うん。お邪魔します」


「違うでしょ」


「ん?あ…あぁ…た、ただいま…?」


「そう」


部屋に上がると、天稀は懐かしくて、また、涙が出そうになった。天稀は、すっと台所に行って、お茶を入れ始めた。手に提げていた袋から、紅茶の箱を取り出し、あの頃と何の配置も変わらないカップの置き場から、カップを2個取ると、シュンシュンと沸き上がる蒸気がやかんから出始めると、火を止め、カップにお湯を注いだ。


「はい。どうぞ」


「…ありがとう」


ゆっくりとした時間が2人の間に流れた。永い永い時間を埋めるように、2人は黙って、しばし、時を過ごした。


「どうして…」


そして、駿は、勇気を出して、本題に移った。


「どうして…急にいなくなったの?」


「……駿と、釣り合う人間になりたかったの」


「え?」


「大検を、受けて、バイトしながら、奨学金もらって、大学にも行ったんだ。それで、いつか、自分に自信がついたら、駿に逢いに行こう、そう思ってた」


「…今日、あそこを歩いてたのは…」


「…行こうと…したら…駿が女の人といるの見て…もう、駄目かと思って…」


「…ごめんね。でも、その人の事は、僕も申し訳ない事をしたんだ」


そう、全ての事を、ありのままを、駿は天稀に話した。ずーっと天稀を探していた事。途中、ほんの少し諦めかけて、いつか先輩と付き合った事。でも、今日、別れた事。




「駿、一つ、聞いて良い?」


「…いいよ」


「ここに、帰って来ても…良い?」


「勿論…良いよ。待ってたよ。天稀」


「…もう一回…」


「え?」


「もう一回、私の名前を呼んで。駿がつけてくれた、私の名前…」


「天稀。好きだよ」


「『好きだよ』…は、頼んでない…」


「じゃあ、天稀。天稀。天稀。天稀」


「もう!何それ!」


「ははは!」


こんなに、笑ったのは、天稀が、いなくなって以来だった。


それでも、天稀は、その名前を呼ばれる事が、本当に嬉しくて、嬉しくて、やっぱり、泣いてしまったのだった。





『天稀』




それは、唯一、天稀が手に入れた、幸せの名前―――…。

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Call my name. @m-amiya

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