第3話 生きるために
「ぅぁ、あぁ……」
声になっていない音が漏れる。手を伸ばした所にあるのは、必死の形相で俺の肩を掴んだ親父の、切り取られたばかりの首だった。焦りなのか驚きなのか、目を大きく瞠ったまま『親父』は転がっていた。
切られた部分と、首無しとなった身体からは噴水のように血液が噴き出し、部屋を真っ赤に染めていく。
びしゃり、と。飛び散ったまだ温かい液体が俺の頬にかかった。
「ミツケタァ……ッ!! ミツケタ!! ヤドヌシ!!」
俺の部屋の窓から中を覗き込む、馬鹿でかい蟲(バケモノ)の青眼が、形に変化は無いのに嗤っているみたいに見えた。
それを見て、俺の脳内が一瞬で赤に染まる。全ての血が一点に集中し、怒りではなく、これまで感じたことの無かった憤怒とも言える感情に、心の全てが支配されていく。
「っざけんなっっっ!!! っざけんなよぉおおおお!!! テメェえええ!!」
もう自分が何を言っているのかも判らない。俺は無我夢中に叫び、窓に居る蟲の方へと向かう。だけどその瞬間、この場にはそぐわぬ音が階下から響いた。
どこの家にもある、来客を知らせる合図。チャイムの音だ。
その音が響いた瞬間、俺の中の嫌な予感が爆発して、「あ……?」と小さく声を漏らした。
「曜ー? おじさーん? いないのー?」
間延びした声が階下にある玄関のすぐ外から聞こえる。けれどそれは、今は決して聞こえてはいけない筈の人間の声で。
間が悪いだとか、そんな事では片付けられないほどの、あってはならない女の来訪だった。
「あ、ずは」
俺が名を呟くのと同時に。
窓の外に居た蟲(バケモノ)が動く気配がした。
ぶわり、と部屋も外の空気も全て動かして、巨大な蟲が羽ばたいていく。
窓から遠ざかる蟲の青い眼が、俺を嘲笑っているかに見えた。
動転した頭のまま、ふと視線を下げれば、切られた親父の首が俺の方を向いていた。
大きく見開かれた眼にはまだ、光が宿っているかに見える。
気のせいでも、俺にはそう見えた。
行け、と。
言われている気がした。
「亜洲葉ぁぁぁっっっ!!! 逃げろぉぉぉっっ!!」
出せうる限りの声を絞り出し、俺は部屋で叫びを上げた。届いた声にアイツが反応して、一瞬でもあの化け物から逃げてくれたら良いと。
巻き込みたくなかった。アイツだけは。
驚いて逃げてくれたらいい。俺の事なんて考えず。
そうしたら、そうしたら―――俺は。
「っぁぁぁあああ!!」
俺は雄叫びを上げながら、ベッドを足場に窓から外へ飛び出した。
場所は二階。普通なら地面に落ちる。
だけど、『今の俺』にはなぜかそうならない【確信】があった。
「出てこいよっ!! 俺ん中にいるんだろっっっ!?」
二階の自室から飛び出した宙の上、俺はそう怒鳴った。
制服のシャツ、左胸、心臓の上を掴みながら。
どくどくと五月蠅い心音。
それに混じる『何か』。濁流のように流れ込んでくるそいつの意識、無機質な温度、そして細胞。
手紙を読み出してから熱くて重くて気持ち悪い、俺の命には何かが混じり込んでいた。
否、きっと元から俺達は共に在ったのだ。
上げた叫びに呼応するかのように、俺の胸―――心臓が、ばくん、とあり得ない音を響かせる。
「出ろおおお!! 永帝っ!!」
俺の心臓と成っている『碧のソレ』が、強烈な熱さをもってぶわりと光を放ち、俺の胸部分から吹き出るように、この世界へと具現した。
辺り一帯が、大きな影で黒く染まる。
俺の家から近隣の家まで、幾つもの家々を覆い隠すそれは、さながら巨大な人型兵器のようで、しかし手から足、胴に至るまでは樹木の緑を纏っていた。硬質な金属の質感を持ち合わせているのに、その素材は今まで目にした物のどれとも違う。
金属なのか樹なのか、鉱石なのかもわからない材質で創られたそいつは、頭部に烏帽子付きの兜をつけており、凝った装飾がされた中心、額部分には大きな碧の勾玉を一つ埋め込んでいた。
淡い光を放つ碧玉は規則的に輝き、俺にはそれがまるで脈打っているかのように見えた。
妙に懐かしく感じる碧の光に目を奪われていたのも束の間、俺の脚が軽い音を立てて『ソイツ』の肩と思しき所に着地する。靴越しに感じる堅い感触は地面のそれとは違い、もっと軽い木の板の上に乗った時に近い。
とりあえず落ちずに済んだことに安堵しながら、俺は遙か高い所から自分の家だった場所を見下ろした。
玄関部分では、目当ての人物である亜洲葉が腰を抜かしたみたいに座り込んでいるのが見える。
……良かった。無事だった。
そうほっとしたのも束の間、永帝がズワリと動き、僅かに向きを変える。
そこには先程親父の首を切り取ってくれた糞蟲野郎が、青い眼を俺達に向け空中で停止していた。
「……魂に刻まれる、とか何とか言うよな。二次元じゃさ。けど俺の場合、心臓に刻まれちまったら逃げ場が無いよなぁ……ほんと、えらいもん背負わせてくれたもんだぜ。身を守れったって、生きるためにはそうするしか無いじゃねーか」
心の臓に刻まれた、僅かな情報を脳内で理解して、そこに切られた親父の首の光景も一緒に閉じ込める。
怒りも、憎悪も、動揺も。
全てこの馬鹿デカイ永帝に乗せて。
俺は歯をぐっと食い縛り……覚悟を決めた。
「―――んじゃま、始めるか。【生きるため】に【生きること】を」
噛み締めた唇から垂れた血の一滴。
それが落ちた地面に座り込む、亜洲葉の驚愕した顔が、なぜか哀しかった。
碧玉ノ永帝 国樹田 樹 @kunikida_ituki
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