第2話 不条理は無慈悲に訪れる
「おい、起きろ。手紙ここに置くからな」
閉じていた視界の外側から無愛想な声が聞こえて、ふっと瞼を押し上げた。
すぐに見えたのは見慣れた天井だ。
そして横を向けば、発した声と同じくらい無愛想な俺の親父が、むすっとした顔で立っていた。
半分空けたカーテンから差し込む光に照らされた、ばかでかいマッチョなおっさん。
灼けた肌に白髪交じりの短髪……というかほとんど坊主だが、鳶職や工事現場の人間にしか見えない親父は、正直起き抜けに見たいタイプの代物では無い。(これでいてシステムエンジニアだったりする)
朝からマッチョなおっさんとか、我が親ながら目覚めが悪いわ。
内心を顰めた眉で表しつつ、「はよ」と略した挨拶をすれば「ん」とこれまた略した返事が返ってきた。
こんなだから、亜洲葉には似たもの親子だとよくからかわれている。
そんな性格は似ているらしいが見た目は全く似ていない、というがっしりマッチョな親父の隣には、形だけの俺の勉強机があり、
その上には先程言っていた手紙らしき白い封筒が一通置かれていた。
「手紙ね。まだあったんだ」
「必ず読むんだぞ」
「へいへい」
誕生日の朝、毎回決まって交わされるやり取りは、俺が物心ついた頃からでかれこれ……八回目になる。
一番最初は六歳の誕生日。
その時まで写真でしか知らなかった母親が書いた物だと渡されたのが、あの机にあるのと同じ『手紙』だった。
俺の母親だった人は、俺を生んで一月もしない内に死んだらしい。
原因は病死だと聞いているが、親父も話したくないのかそれ以上は教えてくれなかった。
ただ一つわかっているのは、母親は俺の誕生日に毎年分の手紙を用意してくれていたという事だ。
六歳になった日にそれまでの六通を受け取ったが、全部で何通在るのかは親父しか知らない。
写真で見た限りでは美人な部類に入ると思うが、人柄も中々良かったらしい。
たぶん良い母親だったのだろう。
今日の分を含め十四通目になるが、母親からの誕生日の手紙が途切れたことはなく、ほとんど恒例行事みたいになっていた。
まだあるのかと言ったのは、まあ照れ隠しみたいなもんだ。
しかし俺も馬鹿ではないので、小学生の頃には親父が書いているんじゃないかと勘ぐったこともあった。
が、筆跡は明らかに女性のもので、しかも親父には女の知り合いどころか、親戚すらいなかったため捏造するのは無理だと断定した。
「読んだらいつものやつ、しておけ」
「わーってるって」
無愛想な顔で念押しするようにじっと俺を見た後、それだけ告げて親父は部屋を出て行った。
いつものやつ、ってーのは筋トレのことだ。何のこっちゃって話だが、なぜか俺の家ではこれが義務になっている。
親父曰く『筋肉あれば医者いらず』らしい。
まあ貧乏だから医者代すら節約したいって話だ。
ってか誕生日おめでとうの一つも無く筋トレやれってどんだけ脳筋なんだあの親父は。
まあ、言われたところでぞっとするだけだから別にいいけど。
それはさておき、母親からの手紙は毎年気になっていたので、俺はいつもより素早く起き上がり机の上に手を伸ばした。
置かれていた封筒を取ると同時にペーパーナイフも一緒にペン立てから引き抜く。
そして再びベッドの上に胡座をかいて座り込み、布団の上で確認する。
「この封筒、毎年見てるけど綺麗だし、昔の物にしては色褪せてないよな……」
右手に持った白い封筒を、窓から差す光に翳しながら眺めた。
俺の部屋は二階にある為、一階よりも朝は明るい。
白は白でも、和紙で出来た封筒は厚みと暖かみがあり、色も単純な白では無く金箔の欠片なのか小さく輝く破片が混じっている。その僅かな輝きが、まるで自分を祝福してくれているように思えて、俺は柄にも無く嬉しい気持ちになった。
母親の命日でもある自分の誕生日を、嫌だと思わなかったのはこの手紙があったからだ。
「さて、今年は何て書いてありますかね」
ペーパーナイフを封筒の隙間に差し込み慎重に切り開きながら、俺の気分は少しだけ上がっていた。普段はあの親父と二人きりであまりテンションの上がる事など無く、あってもネトゲでレア品が泥した時くらいなものだが、この時ばかりは違う。
「……? 珍しいな、今回なんか短くないか?」
折り畳まれた封筒と同じ色の便箋を取り出しながら、思ったことをそのまま吐き出す。
去年までは、裏側からでもわかるくらい長い文章で祝福の言葉や人生のアドバイス的なものが綴られていたが、どうやら今回は違うらしい。
中心部分に何行かは書かれているが、明らかに昨年のものとは違っている。
内容は―――
【曜へ
十四歳の誕生日、御目出度う。
貴方がこれまで無事に成長できたこと、母は嬉しく思います。
そして、そこまで大きくなってくれた貴方に、感謝する次第です。】
「何だ……? 口調もいつもと違うな」
書かれた文章を視線でなぞりながら、首を傾げる。
不自然なほど、これまでの書き出しとは異なっていたからだ。
綴られている文字は確実に今までと同じものだが、前回まではもっと軽い書き方だった。
口調が柔らかかったといった方が正しいだろうか。
前回十三の誕生日に読んだものは中学生活はどうかとか、気の合わない人間がいたら無理に合わせる必要は無いだとか、そういった人生のアドバイス的な、俺という息子に寄り添うような優しさと慈愛に溢れた書き方をしていた。
だけど、これは――――
【貴方宛に書き綴ったこの手紙も、貴方の歳と同じ十四を迎えました。
十四はこの倭において、男児は元服を迎え成人となる時です。ですから漸く、母は貴方に全てを伝える事が出来るのです。】
「十四で元服って……江戸時代じゃあるまいし」
時代錯誤な言葉に、ついぼやきが漏れる。先程までの気持ちは消え失せ、なぜか便箋を持つ手がじわりと熱くなっていく。
昨年まで読んでいたものと筆跡は同じなのに、並んだ黒い文字にはどこか切羽詰まるような気配を感じた。
手が震えたのか偶に歪んでいる字があって、それが余計に今回の手紙の異質さを際立たせている。
……まるで、緊張を押さえながら書いたみたいだ。
【貴方が母の腹に居た時、母は一つの賭けをしました。
それは貴方は勿論のこと、周囲の全てを巻き込む、とてつもなく分の悪い賭けでした。】
「賭け? 何だこれ。一体何の話だ?」
首を傾げながらも、なぜか、俺は嫌な予感を感じていた。
これまで嬉しいとさえ思っていた母親からの手紙を、これ以上読み進めてはいけないような、二度と後戻りが出来なくなるような―――そんな感覚。
白い便箋を握る手に、じっとりと汗が滲む。
【貴方はこれから、彼ら蟲達と闘い続ける事となりましょう。犠牲も出る事でしょう。けれど貴方は生き延びねばなりません。それしか方法が無いのです。貴方はそうしなければ生きられない。貴方の心の臓は、他の人間とは違うのです。曜、心しておきなさい。たとえ誰がどうなろうと、貴方は自らの身を守るのです。永帝と、共に】
「えい、てい……?」
【永帝】
母親の字で綴られた、その二文字にだけどうしてか視線が吸い込まれる。
音の響きが脳内で反射して、まるで端から知っていたみたいな感覚に陥り、妙に心音が五月蠅く聞こえた。
まるで自分の心臓が巨大化したみたいに、身体全体がどくどくという心拍音に支配される。
「何で、今年に限ってこんなネトゲの序章みたいな手紙なんだ……? 俺の事笑わせようとでもしてんのか……?」
違う、そうではない、と思考が断言しているのに口からは反対の言葉が綴られていた。
まるきし説得力の無い、上擦り震えた声が俺の喉から漏れている。
便箋を握りしめた手が、いつの間にか小刻みに震え始めた。胸が押しつぶされるように圧迫されて、息継ぎすら上手く出来ない。
急激に、自分の周りから空気が奪われたようだった。
浅い呼吸を繰り返しながら、酸素の足りない頭で「なにが、どうして」と考える。
しかし突然、だんだんと床を踏みならす大きな音が部屋外から鳴り響き、俺ははっと思考を戻された。それと同時に、扉が勢いよく開き、もの凄い音と共に親父が中に飛び込んでくる。
「曜っ! 呼んだな!? 呼んだんだな!? 逃げ――――」
部屋に飛び込んできた親父が、俺の肩を掴んだと同時に【ソレ】が部屋の空気を真っ二つに引き裂いた。
バジュウ、だか、ザンだか判別し難い音が鼓膜に響く。
不条理にもまさしく空間ごと【ソレ】は部屋を引き裂いたのだ。
突き破った窓硝子ごと。
俺の―――親父ごと。
一瞬、目に映った【ソレ】は、禍々しく、人には見えなかった。
黒く長く、棘があり、先端は鈎状で、死神の鎌みたいな形状をしている。
いつか観たパニックホラー物の、洋画に出てきたばかデカイ昆虫の怪物みたいな。
そんな奴が。
俺の部屋の窓一杯にぎょろりとした青い眼を写し、伸ばした黒い脚は部屋に飛び散らした夥しい血痕に濡れて、光っていた。
「お、やじ――――」
呆然と呟いた俺の声に応える人はいない。
無慈悲に切り取られた親父の首が、光る硝子の破片と共にベッドの上に転がっていた。
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