流行操作局

かつたけい

流行操作局

 一階にドラッグストアが入っている、四階建ての小さな雑居ビルである。狭い階段を上った二階に、その会社はあった。


 窓もない小さな部屋で、二人の中年の男が、一人の若い男の面接をしていた。


 面接を受けている若い男、田中和夫は、服装に関してのセンスというものが全く無い。髪型にしても、髪型というよりは、ただそのままにしておいたら伸びましたというだけの単なるボサボサ頭である。おしゃれのセンスというより、人間として生きていくセンスが、そもそもあまりなかった。腹が減るから食う、食うものがあるから働かない、なくなったら働く。と、せいぜいそんな感じだ。後先どうしようという考えがないのだ。


 とはいえ、服に関して全く意識していないわけではない。真っ裸でいたら恥ずかしいという以上の常識はある。ズボンの上にパンツは履かないというくらいの常識はある。ただ、流行に関しての情報が入るのが非情に遅く、しかもセンスの無さのために流行を勘違いしてしまい、なんともみっともないとしか表現のしようのない着こなしをしてしまうのだ。


 田中和夫は、かれこれ一年半もコンビニでのバイトを続けてきた。しょっちゅうサボっていたとはいえ、そんなに長いこと続けてこられたのは、支給された制服であるため着る物に気を使わなくて楽だったからだ。しかし、そのコンビニは先日、潰れてしまった。 彼のせいではないにせよ、やる気のなさそうな接客ということで、少しは片棒を担いだかも知れない。


 ここ数日、木造アパートの四畳半で何もせずに惰眠をむさぼっていた彼であるが、貯蓄の全くない身なので、働くのは面倒だが餓死もしたくなしと、重い腰を上げた。そして現在、この面接の場にいるわけである。


 どんな仕事なのかは求人雑誌には何も記載されていなかったので分からない。近所の本屋で求人雑誌を立ち読みしたら、徒歩圏内で、なおかつコンビニより割の良さそうな条件が書いてあったので、さっそく電話番号をメモに書き写し連絡をとったのだ。実際やってみて嫌なら辞めればいいのだし、採用してくれるのなら職種にこだわるつもりはない。いう人がいえば立派な考えに思われるかも知れないが、田中の場合、単に世の中どうでもいいだけである。


「あなたは、流行についてどう考えていますか?」


 表情があるのかないのかよくわからない、黒スーツの面接官。二人いるが、二人とも同じような顔をしている。まったく違う顔なのは分かるが、纏う空気、発する空気が全く一緒なのだ。そのうちの一人に、そう尋ねられた。


 服の流行とかのことですか? と田中が問い返す。


 もう一人の面接官は、「無意味に『とか』を使うのはやめなさい。あなたは今、服のことをいっているのかを絞り込みたいから聞き返したのでしょう?『とか』で範囲を広げてどうするんですか」と田中の日本語を注意した。田中は男のこと口やかましい奴め、と思いながらも「どうも」と軽く頭を下げて謝った。いった直後に、また曖昧な日本語を注意されるかと思ったが、特に何もいわれなかった。


「服装に関して、いわゆるオシャレと呼ばれるようなことに関して、どう思っていますか?」


 そう尋ねられ、田中はガムシャラに頭を掻いた。

 大気中に舞い上がったフケが、深海のマリンスノーよろしくパラパラと舞い降りてきた。やたら頭を掻くのは、突然何かを訊かれて考え込むときの田中の癖だ。


 そのようなことを、こんなところで唐突にいわれても、何と答えてよいのかわからない。


 人によっては必要なのかも知れないが、あまり自分は興味はない。といったような内容のことを、しどろもどろになって話しただろうか。


 面接はそれだけで終わってしまった。


「では、田中さん、あなたを採用しますので、明日からここに働きに来てください。これから契約書を読んでサインをしてもらいます。その後に給料の支払い方法、その他の注意点についての話をします」





 翌日、田中は出社した。私服で良いとのことなので、昨日と何一つ変わらない格好だ。単に昨日から着替えていないだけだ。パンツもそんなににおわなかったので、履き替えていない。


 社内に、昨日の男たちはいなかった。何部屋かあるものの非常に狭いフロアなので、いればすぐに分かるはずだ。

 別の男がいた。田中よりはまともだが、かなり服装のセンスの無い男だ。しかし田中には、男のセンスが自分の同種なのか、普通の若者なのか、それすら分からない。


 男から、仕事の説明を受けた。

 田中は服装のセンスはないし性格はズボラで、自分自身の生活に関しては誠にだらしがないが、人としての常識は持っている。男の話していることを即座に信じられなかったのも無理はなかった。


「我々の仕事は、市民の服装の流行を、この機械で操作することです」


 と言って、先輩はテーブルの上の機械を指さした。しかし田中には、どう見ても古くさい汚れたパソコンかワープロにしか思えない。


 キーボードと本体が一体型で、9型くらいのモノクロCRTディスプレイだ。

 キーボードは、テカテカ光沢を放つ赤いキーと青いキーのツートン。何十年も昔の電卓や、端末のキーボードに見える。少なくとも巷で騒がれているウィンドウズが動くような機械ではない。

 筐体の横には、外付けタイプの8インチフロッピー装置が置かれている。


 午前中は、会社の説明と、この機械の画面や簡単な機能説明をされた。


 仕事が仕事だから、説明書を渡すことは出来ない。メモも取っては駄目だ。だから、よく注意して聞いておくように。家に帰っても、けっして日記に書いたりなどもしないように。と、念を押されて。

 もしもメモを取ることが許可されているとしても、機械自体の操作が思ったよりも複雑だったし、機械の目的があまりに現実離れしているため、どうメモを取ればいいかも分からなかったに違いない。とりあえず、はいはいと頷きながら先輩の話を聞いていたものの、なんだか頭がぼおっとして、あまり脳味噌には入ってこなかった。




 そもそも流行というものは、経済と密接な繋がりがある。どんどん服を買わせることで、経済が動くのである。また、自分はオシャレ、あいつはダサイという差別が自らの競争心を刺激し、他人と研磨しあっていくことが出来る。国内だけの問題ではない。海外に負けないため、取り込まれないため、戦い続けていくためにも、自国民に流行という感覚を植え付けることは必要なのである。


 そのような判断を下した政府によってある秘密機関が設立されたのであるが、運営自体は外部委託として、民間会社が極秘裏に行っている。この会社も、その一つである。


 機械操作を実感させるために実際に触らせてもらえた。もちろん先輩にアドバイスを受けながらだ。「セット」と呼ばれる、流行認識を登録する作業を行った。性別、年代、性格、血液型、干支、体型、などなど無数に項目がある。これらの項目に当てはまる人間を「ターゲット」と呼び、既存の雛形をもとに少しずつ変えていくのである。干支だの星座だのと、どう細かく設定していけばいいのか全く思いつかないし、今回は年代と性別だけでターゲットを設定した。




 翌日、出勤途中に様々な人を見たが、確かに昨日自分が指定した通りに、人々の服装が変わったように思えた。ただそれは、先輩が「そら、変わっただろう」と、何度もいうからそう感じただけかも知れない。怖くてあまりもとの形をいじれなかったのもある。それに、田中は服のセンスが皆無のため、少しくらいの変化に気付けるはずもない。


 ただし、機械を操作する感覚は大雑把ながら飲み込むことは出来た。




 一週間ほど勤務をしたが、簡単にいうと椅子に座ってただ機械の動きを見守っているだけの、非常に楽なものだった。あまりの働く実感の無さにさすがの田中も少し不安になってきたほどである。


 田中は幼い頃から怠け者で、勉強などは赤点を取らぬ程度にしかやったことがない。大人になってからもそうだ。怠け者の中には、楽をしたいから今のうちに頑張って働いておくというタイプもいるだろう。田中はそうではない、食うに困ってからようやく腰を上げるタイプだ。

 楽したい、働きたくない、などと価値観や希望を述べているだけなのに、何故か怒ってくる人種がいる。そんなに楽をしたいなら死ねば楽なのに、などと嫌味をいってくる者もいる。そいつらこそ、偽善者の単なる揚げ足取り野郎だ、と田中は思う。




 ある日のことである。会社には、田中以外誰もいなかった。自分が一番だなんて珍しい。だが、もうじき仕事開始時刻だ。誰もいないのは妙だ。電車遅延だろうか。


 田中は待ってみたが、一向に誰も来る気配がない。

 でも、仕事の要領はもう飲み込んでいたので、実質の問題はなかったが。

 というわけで、誰もいないが仕事を開始だ。


 電話のベルが鳴っても無視してしまおう。話をされたところで、どうせ自分には分からない。社員からの遅刻や欠勤の連絡だって、報告を受ける上司自体がいないのだから、自分が聞いておく必要もないだろう。


 主な仕事は例の機械の監視と、レポートの作成だ。


 仕事はとても楽で退屈なものだったが、普段は社員がいる手前、まじめに仕事をしているふりをしなければならず、それが田中にはとても辛かった。今は、自分一人だけなので、思い切り居眠りしていられる。


 偉大なる居眠り人、田中は昼飯も食わずに夕方まで眠りこけた。


 結局、誰にも起こされることなく、自力で夢の世界から戻ってきた。


 三十分ほどして終業時間を向かえたので、タイムカードを押して木造の四畳半へと帰った。

 会社の鍵がどこにあるのか、閉めて自分が鍵を持ち帰ってしまってもいいのか、よく分からないので施錠はしなかった。

 常識的にどうかとも思ったが、誰も来ないのが悪いのだから、自分がとやかくいわれる筋合いはない、と。




 翌日も、会社には田中以外誰も来なかった。


 しばらくは端末の前で画面を見つめていたが、どうやら昨日と同じで誰も来なさそうだと思うやまた居眠りを始めた。


 夕方になり、目が覚めた。


 このようなこと二日目にして、田中はようやく、この会社は大丈夫なのか、ちゃんと給料は振り込まれるのか、と不安になった。確かにやっていることは楽だが、給料が貰えないのでは意味がない。


 そもそも、何が流行操作をする機械だ。常識的に考えて、そんなものがあるわけがない。

 だいたい何だこの古くさい機械は。コンセントに電源プラグコードと、8インチフロッピー装置が繋がっているだけで、通信回線らしきものすらないじゃないか。そもそも端末ではなく孤立した機械だ。こんな物のキーボードを叩いて、何がどうなるのか。


 この会社の連中はきっと気が狂っているのだ。

 何かが起きて、おかしい頭が余計におかしくなって、そのままどこかへと失踪してしまったのに違いない。


 と、ここで田中はふと悪戯心を覚えた。


 機械を好き勝手に操作してみたのだ。


 サボっていたとはいえ、毎日この機械と向き合ってもいるわけだし、初日に一回だけ流行操作とやらも、させてもらったこともある。いざ機械をいじってみると、意外と簡単に、自分の望むよう操作することができた。


 もちろん、浮世の何が変わるとも思えないが、この機械の中のデータは色々と変化するだろう。もし奴らが戻ってきたら、きっと嘆き悲しむに違いない。

 あの社員どもは、何月何日、世間はこんな流行でした、操作したのは我々です、と誇りに思い込みたいだけだ。こんな機械ごときに、実際は何の力もないのだ。

 試しにこの機械の中で、流行をめちゃめちゃにしてやる。機械操作で浮世の流行が変わる? 馬鹿馬鹿しい、変われるものなら変わってみろ。


 田中は、キーを叩く。


 男は年齢や性格を問わず、髪型は逆モヒカンかチョンマゲ。上はジャケット、下はフンドシ。Tシャツは胸に大きく1や2などの一桁数字。


 設定完了。


 セット。


 女はずるずると長いスカートか、もしくはずるずるのパンタロン。服はブラウスを後ろ前。アフロヘアーで、鼻は洗濯バサミで摘み、そしてお歯黒だ。


 設定完了。


 セット。


 これで、あいつらが戻ってきたらびっくりするだろう。


 田中は、一応タイムカードを押して、そして職場を後にした。






 翌朝。

 田中和夫は街を歩いている。

 周囲には数えきれないほどの通行人。

 いったいどこから湧いてくるのか。毎日毎日、みんなで同じような服を着て、同じような顔をして。

 とは田中がよく思うことだが、ただ今日は何故だか街の雰囲気がいつもと違っていた。


 ほとんどの人間が、異様な格好をしていたのである。

 上半身はジャケットを着ているものの、下にはフンドシ一丁。ジャケットの中は一桁数字のシャツ、おそらく七分袖。髪型も逆モヒカンであったり、チョンマゲであったり。女は女で、アフロヘアーに、ブラウス後ろ前、ズボンやスカートを地面にズルズル引きずっている。


 あの機械の効果は本当だったのか。

 田中は思った。


 通行人の中には、ごく一部ではあったが、流行に全く踊らされていない者もいた。これまで一般にダサイと呼ばれてきた格好の者たちなのだが、田中にはよくわからなかった。


 わかったことは、今ここを歩いている「流行にこだわる奴ら」、「オシャレを自負する奴ら」、こいつらは救いようがないほどに阿呆だということだ。


 今年はこんな服がオシャレだ、という誰かが鼻クソをほじりながら考えた流行に、プライドを捨てて飛びつく。どんな格好だって平気でする。あまつさえ、そういうことに興味のない者をダサイと馬鹿にする。自分の脳味噌で物事を判断することが出来ない知能の異様に劣った連中なのだ。


 結局、まともなのは自分のような人間ではないのか。


 「来年はポコチンやオッパイ、お尻を出して歩くのが流行のようですね」って有名人がいえば、こいつら本物の阿呆ばっかりだから、本当にその通りの格好になるんじゃないか。


 また、田中に悪戯心が芽生えた。


 それじゃあ、その通りにしてやろうじゃないか……


 田中は会社のあるビルへ向かった。


 だが、そのビルに田中の勤めていた会社はなかった。


 一階にあるドラッグストアの事務所兼物置として利用されているだけだった。


 ここの二階に○○という会社はありませんでしたか? と一階で店員に尋ねたが、自分がここに来て一年、ずっとうちの事務所ですよ、とのこと。


 そんな馬鹿な。


 幻だったとでもいうのか。


 内心、自分には流行に敏感な人間への劣等感があり、そういった感情が見せた幻だったとでもいうのだろうか。


 だが、いま目の前にいるこの店員や、外を歩いている人間たちの、阿呆な格好は何と説明すればいいのか。

 現実に、ジャケット、ふんどし、チョンマゲではないか。


 考えても仕方の無いことは考えない。

 田中はビルを後にした。

 途中、コンビニでツナマヨのおにぎりを買い、木造四畳半へ帰った。






 翌々日、田中はまたアルバイトの面接のために、街へと出た。


 人々の服装は、もうもとの通りに戻っていた。


 田中は、彼らが非常に間抜けな服装をしていたことは覚えているが、具体的にどんなだったのかは、もうよく覚えていない。


 通りを歩いている間、やたらとみんなが自分を見ていた気がする。自分のことを笑っていた気がする。だが、田中は平然と構え、全く気にもとめない。

 オシャレで賢いと自負している連中ほど、ダサくて馬鹿だということに気が付いたから。


 そんな阿呆に笑われるのならば、光栄な話じゃないか。


「なんだね、君のその格好は」


 面接官は呆れ顔であった。


 田中は、チョンマゲ頭に、裸の上にジャケットをはおり、下はフンドシ一丁という出で立ちであった。


 わけが分からない。

 いったいこの格好の、何がそんなにおかしいのか。


 田中はキョトンとした表情を浮かべていた。

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