最終話 それが現実だから
辛い現実を受け入れる。逃げることをやめる。悩んで悩んで悩みまくる。そうすればお姉ちゃんはまた戻って来てくれるのだろう。
でもここは青森で、私の住んでいる場所からは遠い。見慣れない景色にいれば、お父さんのこともお母さんのことも、考えずに済む。このまま凍えて死んでしまえば、もう二度と苦しみを感じずに済む。
そのはずなのに、気付けば私は来た道を戻っていた。
雪の積もった道を一人ぼっちで歩く。歩いていると自然と涙が溢れ出してくる。失って初めて気付くとは言うけれど、私は私が想像していたよりもずっとお姉ちゃんに救われていたのだ。
「……馬鹿みたい」
自分で諦めておいて、また会いたいなんて思うなんて。
歩いていると、どこからかお姉ちゃんの声が聞こえてきたような気がした。
私は小さく微笑む。一人で駅まで戻った。バスはなかったから、新幹線に乗って家に帰ることにする。一人ぼっちの帰路は孤独で辛かった。気を抜けばすぐに逃げてしまいそうになる。現実に向き合うのは恐ろしい。
けれど、私はお姉ちゃんが大好きで。
そのためなら、今度こそは頑張れそうな気がするのだ。
新幹線に乗っていると、夜空の下に見慣れた景色がみえてくる。胸が苦しくて、息も乱れて、それでもお姉ちゃんのことを思い出すと少しは気分がましになる。新幹線から降りると、どんよりとした冷たい空気が肺に入ってきた。
駅を出て、自宅に向かう。
両親はどうしているのだろうか。私はお姉ちゃんを取り戻せるのだろうか。
不安しかない。けれどここまで来たんだ。もう前に進むしかない。
住宅街を歩いていると、ついに私の家がみえてきた。体が鉛のように重くて、気を抜けば止まってしまいそうになる。ドアノブに伸ばした手が、震えている。それでも私は精一杯の勇気を振り絞って、扉を開けた。
その瞬間、玄関にお父さんとお母さんがやって来る。二人とも作りものみたいな表情で「良かった」と息を吐いていた。もしも今、私が嘘をつけばこのいびつな家庭は壊れずに済むのかもしれない。
けれどそれは結局逃げることと変わらない。嫌なことを嫌だと言えず、そうしていればやがては悩みだって悩みだと思えなくなるだろう。辛いことを日常になんてしたくない。
たとえそのせいで、これまで守り抜いてきたものが壊れてしまうのだとしても。
「……お母さん。お父さん。私、ずっと我慢してました」
蚊の鳴くような声だった。
「高校だってそう。好きな物だって好きだと言ってこなかった。好きな人だって誤魔化してしまった。でもそれは結局、私が臆病だったから」
「……何を言っているの?」
「私憧れてたんですよ。幸せな家庭に。けど今回のことでもう、分かったんです。そんなのあり得ないって」
冷え切った体がますます凍えていくようだった。その言葉を口にすれば、私はもう、戻れなくなるだろう。これまでみてきた夢は砕け散ってしまう。それでも。
もう、嘘はつきたくない。
「私、お父さんのことも、お母さんのことも、自分のことも大嫌いです! 産まなければよかった? そのままお返ししますよ。私はあなた達なんかの子供として生まれたくなかった!」
お父さんもお母さんも表情をこわばらせていた。
十年間、ずっと願っていたものが音を立てて崩れていく。胸が苦しい。悲しみは止まないだろう。でも私はもう、一人じゃない。
私が玄関の外で、壁に背中をあずけていると愛しい人の声が聞こえてくる。
「ただいま。瑞希」
私は涙を流しながら、お姉ちゃんに抱き着いた。
そんな私の様子をみて、お姉ちゃんは申し訳なさそうにしている。
「そんな顔しないでよ。お姉ちゃんは間違ってない。これでいいんだよ」
苦しいのに、悲しいのに、幸せで。情緒がおかしくなりそうだった。
私はお姉ちゃんの胸の中で、涙が枯れるまで泣いた。きっと十年分の涙なんだと思う。小学一年生の私は泣くことすらできなかった。取り繕った笑顔で、喧嘩をする両親の間に割り込むだけだった。
でも今日からは好きなだけ泣いていい。
苦しいなら苦しいと叫んで、幸せなら幸せだと心の底から笑えばいいのだ。
「お姉ちゃん。末永くよろしくお願いしますっ」
私は泣きながら笑って、お姉ちゃんにキスをする。
そしてもう一度、左手の薬指に指輪をはめた。
銀髪碧眼の空想のお姉ちゃんが現実にやって来る百合 壊滅的な扇子 @kaibutsu
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