第18話 消失
死んじゃいたい、なんて言葉が無意識に口から飛び出した。
お姉ちゃんはぎょっとした表情で私をみつめている。かと思うと目を閉じて、私の唇にキスをした。
「……そんな酷いことをいう唇にはお仕置きです」
「ご褒美だよ」
笑顔を浮かべてみるも、声は乾ききっていた。
「……私が選択を間違えたせいで亜美ちゃんを傷付けて、お父さんとお母さんにも見捨てられて。いつかお姉ちゃんも私の前から消えちゃうのかな」
「消えないよ」
お姉ちゃんは私の頭を優しく撫でてくれた。
でも、消えないはずがないのだ。
「お姉ちゃんは実体を持ってるけど、実際にはイマジナリーフレンド、ってやつなんでしょ? イマジナリーフレンドは大人になれば自然と消えていくんだって。大人になれば、きっと色々と割り切れるようになるんだろうね」
お姉ちゃんは複雑そうな表情で私をみつめていた。
「私もそうなっちゃうんだろうね。悩むことにすら疲れてしまって、悩み事を悩み事だと感じられない。どれだけ嫌でも仕方のないことだと諦めるようになって、変わる勇気も消えちゃって」
そんなのはただの人形だ。周りに動かされるだけの、自我を持たない人形。人間としては、死んでいるに等しい。でも私にはどうにもそうなる未来しか見えないのだ。
「……そんな風になるくらいなら、死んじゃいたいよ」
私がそう囁いた瞬間、お姉ちゃんは凄い力で私を抱きしめた。
「大丈夫だよ。私は絶対に消えない。瑞希もそんな風にはならない。私が約束するから」
その声は震えていた。私はその約束が叶わないことを知っている。
だってもうほとんど諦めてしまっている。変わろうとしたって無駄なんだ。だったら何も感じず、苦しまず、ただ流されるままの私である方がいい。自分を殺したほうが、いいのだ。
私はお姉ちゃんに抱きしめられたまま、目を閉じた。睡魔があっという間に襲いかかってきて、まどろみに飲まれる。
次に目を覚ますと、窓の外は一面が銀世界だった。まだ太陽は昇っていないけれど、大地はうっすらと明るく光っている。
青森、だもんね。冬ともなれば雪も降るか。
「……凄いよね」
お姉ちゃんが耳元でささやく。
「お姉ちゃん、こんな景色みたの初めてだよ。瑞希と一緒にみられてよかった」
私もそう思う。きっとこの景色の中で、私たちは別れることになるのだろう。そう思うと、悪くない気がした。私はまた自分を殺すのだ。そして今度こそは、そのことになんの疑問も抱かなくなる。
変わろうとしても、結局、より状況を悪くしてしまうだけなのだから。
地平線から太陽が昇る。私たちは駅前でバスを降りる。空気は非常に寒く、身震いするほどだった。私は慌てて鞄の中から上着を取り出して、お姉ちゃんにかけてあげる。
「ありがとう」
そう告げて、お姉ちゃんは私にキスをした。
私たちは雪の降る町を歩いていく。どうやらお姉ちゃんは宿を目指しているみたいだった。お姉ちゃんが言うには、そこで働かせてもらえないか頼むのだそう。
でもお姉ちゃんの体は、もう、半透明になってしまっている。そんな体でどうやって働くというのだろう? 降る雪だってお姉ちゃんの体を通り抜けてしまっている。
「大丈夫だよ。瑞希。お姉ちゃんは、消えない」
お姉ちゃんは半透明な自分の手をみつめながら、微笑んだ。その瞬間、左手薬指の銀色の指輪が音を立てて落ちる。
私は何も言わず、それを拾った。
雪の街を歩く。時間が経つにつれて、お姉ちゃんはますます透明になっていく。太陽が高く上るころになると、目を凝らさないと目視できないくらい、透明になっていた。
泣きそうになるのを堪える。こうして消えていく過程をまざまざと見せつけられるのは、余りにも辛かった。でも今の私になにができる? 大切だと思っていたものを失って、心も揺らいでしまって。
現実に立ち向かおうと思っても、立ち向かえないのだ。
お姉ちゃんの頬を透明過ぎる涙が零れ落ちていく。それに触れようとするも、私の手のひらでは受け止められなかった。すり抜けて、真っ白な地面に落ちていく。
お姉ちゃんは悔しそうに拳を握り締めていた。もう、私たちは手を繋ぐことすらできない。
雪はますます強く降りしきる。街中なはずなのに視界が真っ白でなにもみえない。お姉ちゃんの息遣いが近くから聞こえて来るだけだ。
「お姉ちゃんね、瑞希のこと、ずっと好きだった。現実で会えたらなって、ずっと願ってたんだよ。やっと瑞希に会えて本当に嬉しかった。二人で色々なところに行けて、幸せだったよ。だから。だからっ……」
辛いことに向き合うくらいなら、なにもかも、全てから逃げてしまいたい。それが当たり前なのだ。私はこれまでずっと逃げてきた。言いなりになるという方法で、自分の自由すらも手放して、辛いことを遠ざけていた。
でもこの二日間だけは、私も私でいられた。これまでの人生で一番幸せだった。たくさん悩んだ。たくさん苦しんだはずなのに、それでも幸せだったのだ。どうしてなのか。考えれば思い当るのは一つだけ。
お姉ちゃんがそばにいてくれたから。
「瑞希。一緒にいてよっ……」
吹雪の中から声が聞こえてくるたびに、私の心は揺さぶられる。私は拳をぎゅっと握りしめ、震える声めがけて、猛吹雪の中に必死で手を伸ばす。
伸ばした手の銀色の指輪がきらりと光る。
だけどその瞬間、吹雪が晴れて。
お姉ちゃんの姿はもう、どこにもなかった。
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