第14話 《染み付いた過去》

「…ふう」「さてと」

 私は柊木さんの恋愛会議を終えて、カフェで解散した。文字通り一息ついて、携帯で時間を確認する。6時を過ぎたところだった。

「帰って宿題して間に合うかなーー」

 そう一人言を言って、ふと考える。そうだ作戦の中身を煮詰めないといけないな。

「純粋に可愛い柊木さんが、あざとさを使わず先生と結ばれる方法…」

 ダメだ。水樹先生が生徒と付き合う未来が見えない!!!

 私はその場で頭を抱えた。

「卒業まで作戦に付き合わないと行けないのかなぁ〜」

 憂鬱だ。仲間に入って安全を確保しようなんて思わなければ良かった、長期的な捨て身作戦なんて自殺行為だったと、私は全力で後悔を憶える。

「ニーチェは言った。考えすぎたことは全て問題となる」

 そんなふうに落ち込みながらも、私の頭はセリフほどコミカルにはなっていなかった。これからどうするべきか? どこをとっかかりにどんなイベントを起こす? …を実行してさがした場合のリスクは…? どうしたっけ考えすぎてしまう、そして私はこういう時の呪文を唱える。

「完璧は存在しない」

 私は私らしさを遂行すればいい。

 これは哲学者や他の偉人の言葉ではなく、私自身の教訓なのだ。

 私はカフェの近くに留まったまま、耳を塞ぐ。

 こうしていると、頭が落ち着いてくる。哲学をしているのとは違った感覚。

「こういう時は何も考えないのが1番だ」

 そうだ。柊木さんと作戦会議をした内容をそのまま採用しよう…。それでいいじゃないか。

 そうやって私を肯定してみるが、どこか空虚な感情が湧き上がる。そしてその空虚さとはなんなのかを自問する。自分の語彙を用いれば、この感情を形容することが可能だと考えた。けれど分からない、少しも形容できない。大抵の感情は二字熟語も2つ、接続詞に繋いで表現できるものだと考えていたが、分からなかった。ただ一つだけ頭に浮かぶのは、悔しいという言葉だけ。

「何か大筋を間違えている気がする…」

 言うと、頬をつたう水の気配を感じ、横にあるカフェの窓に映る自分を見つける。

「……」

 窓に映る自分は涙していた。俯瞰ふかんしてみればそれだけだが、それだけが妙にジワリ心に染み入った。

 なぜ私は泣いているのだろう?

「ツタッ!」

 気づくと私は転んでいた。ホントに無意識のウチに転んでいた。

「痛っ…」

 四つん這いになっていた姿勢で右手をひるがえすと、たくさんの切り傷が出来ていた。あるいは浮腫むくみとでも言おうか、とにかくコンクリートな地面の模様にそって傷ついて血がしたたっていた。

「痛い…」

 涙が手のひらに落ちる。……なぜ泣いているのか。そんな疑問と共に目蓋まぶたの異常を感じる。

「?」

 刹那――目蓋が痙攣けいれんしていることに気づく。

「逃げなきゃ」

 無意味な言葉が口を突いて出る。

「…」

 取り敢えず身体を起こそうとするが、足に力が入らない。

「…くッ」

 無力さで歯噛みする。

 こういう時はストレスが限界に来ているのだと、私は知っていた―――。

 それは、交通事故で姉が亡くなった日と。姉の眠る棺を抱いて泣いた日と。姉が亡くなって優しかった母が偉大だと思っていた父と口汚く罵り合いをしている狂声を、1人離れた部屋で盗み聞いていた夜。それが発展し離婚し、もう会えないと分かって見送る母の背中を思い出した日や。それからは姉の葬祭でのみ会い、そんな日にいがみ合う両親を目の当たりにした夜。それらの時は決まってこんなふうに身体が言うことを聞かなくなる。

 どうして、――どうして今、私は泣いているのだろう?

 そんな悲しい出来事なんてなかったはずなのに。―――どうして私は、動けない。

「四つん這いでどうしたー?」

 聞き覚えのある声がする。後ろにコンコンと足音を立たせながら、聞こえてきたのはスッキリとした清涼感のある声だった。

「知ってるか? うちの学校の制服のスカートは、四つん這いになるとパンツが見えるんだぞ」

 その声はそう言いながら、足音は私の正面に回る。見上げると、そこには私を見下ろす日向さんがいた。

「もう、そんなに顔をぐちゃぐちゃにしてぇ」

 日向さんは綺麗な所作でスカートのポケットからハンカチを取り出して手渡してくれた。白くて無地でふわふわしていてピンクのラインが入った可愛いハンカチだった。 けれど私はなぜだか状況を飲み込めずにいる。

 そこで緊張が解けたようで、やっと立ち上がることができた。

「ちょっと手ぇ貸しなさい」

 ………。

 私はハンカチを受け取った右手と反対の手を差し出した。日向さんは優しく左手の手首を掴むと、ポンポンと軽い手つきで汚れを払ってくれる。

「あっ、やっぱり手、怪我してる」

 言われて、見れば右手よりも悲惨なことになっていた。

「ほら、そのハンカチでぐしょぐしょの顔を拭きなさい」

 そうやって言われて、私は電源の入ったロボットのように、ようやく状況を理解することができた。私は言葉に甘えて顔を拭く。

「……」優しい肌触りが涙を誘う。これじゃイタチごっこじゃないか…そうやって心で茶々を入れるが、代わりにこんな言葉が口から漏れていた。

「ありがとう」

 そう言ったのをすぐ後に気づいて、驚いて目を見開く。

「ハンカチは洗って返してくれればいいわよ」

 言われて、胸の奥に温かいものを感じる。

「今日、私と約束があったじゃない、なにがあったの?」

 言って日向さんは、優しく微笑んで背中をさすってくれた。

 私はあっさり、柊木さんとの話をはなしてしまった。

「そうなのね、でもそれだけじゃ人はこんな風にはならないものよ、きっと気づかないうちに何か許せないことをやってしまっていたんじゃないかしら」

 許せないこと…気づかないうちに…。

 日向さんは声色を変えずに言うのだったが、それはとても響く言葉だった。

「また負けちゃいましたよ」

 私は言いながら、はにかんで笑う。

「すごいな、声色変えずにすごいこと言うんですもん、崇められるのもわかるな〜」

 私は緊張が完全に解けてしまったことを感じ、泣き腫らした顔で間延びする。グイッと伸ばした足に、また違和感を感じたので触ってみる。

「あはは…」

 膝もやらかしていた。

「あちこち怪我しいちゃってるのね、家が近くだから、ウチで手当てする?」

 すごく献身的だな。なんて思いながら、言葉に甘えることにした。


 約束、それは先週金曜日のあの屋上で日向さんに悩みを聞いた時のことだ。アレで水曜日の件が大きく解決に近づいた。

 そんなことを胸のうちで喜々と考えつつ。

「ただいまー」

「お邪魔します」

 日向さんの気の抜けるような声に続いて家に上がると、廊下にお母さんらしき人が駆けてきた。

「お世話になりま…」

 私はお辞儀をしようとした姿勢で固まる。

「なにか?」

 日向さんの母親は、すごく味のあるで立ちをしていた。

「タバコの……」

 あまりのインパクトに、私は声を漏らしてしまった。そう、その人は先週の男の姿を見る為に歩いていて偶然男と居合わせてしまったあの時の、煙草の女性だったのだ。

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未熟で不似合いなふたり 彩芽綾眼:さいのめ あやめ @0ayame

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