寄せるわたしと祓うキミ
@matisato
第1話
それは、遠い昔にした約束。
約束、というよりは、割と一方的な、宣言。
『俺が、あなたを守ります』
呆然と座り込む少女を見下ろして。
赤い目をした少年は誓う様にそう告げた。
『約束です、必ず守ります。だから――』
だから、どうか。
◆◇◆◇
桜が舞っている。
ひらひら、はらはら。
薄紅の花びらが、風に揺られて舞い落ちていく。
咲花町立第一中学校へと向かう一本道の途中から、学校前まで続く桜並木は、今年も満開の花を咲かせ、薄紅のアーチを通学路に作っていた。
はらはらと舞う桜の花びらは、さながら薄紅の雪の様に幻想的で、この通りが町の名物になるのも頷ける美しさを見せている。
早朝であるが故にまだ人の姿はないが、後一時間もすれば、登校してくる生徒や散歩するご老人、花見に繰り出す人々で賑わうだろう。
そんな、桜並木の下を。
「どーしていつも、こうなるの、さっ‼」
私、北上真白は全力で走っていた。
卸したてのセーラー服のスカートを蹴り上げ、足下に積もる桜の花びらを踏み散らし、春の朝の爽やかさをぶち壊す奇声を発しながら、それはもう、全力で。
原因は私の背後。
てんてんてんつく、たまにぐしゃり。
ボールが跳ねるような軽快な音の中に、たまに腐ったトマトが潰れる様な、不気味で気持ちの悪い音が混ざり、聞こえてくる。
そんな音を立てるモノが、私を追ってきている。
当然それが、犬や猫である訳はなく。
私は必死に走りながらも、ちらりと後ろを振り返った。
そして絶望する。
あぁ、やっぱり見間違えでも勘違いでも無かった、と。
それは、一見すればボールの様に見えた。
ただよく見れば、それがボールなんかじゃないことは直ぐににわかる。
それにはちょっと赤い何かでべたついた、黒く長い髪が生えている。
髪だけでなく、血走ってぎょろりと動く飛び出し気味の目玉や、潰れた鼻、跳ねる度に赤い泡の散る、耳まで裂けた口などが、しっかりついている。
なんなら、おどろおどろしい呻き声なんかも上げていて。
まぁつまるところ私を追いかけて来ているのは。
「ザ・生首‼」
しかも一体ではなく群れをなしていっぱい。
しっかり表情の一つ一つまで確認してしまい、私は瞬間的にその生首達から視線を引っぺがした。
ちらりとでも振り向いたことを激しく後悔する。
走るスピードを死に物狂いで上げ、私は叫んだ。
「あーもうっ、ほんとにどうしてこうなった!!」
(わたしはただ、普通に学校に行こうとしただけなのに‼)
叫んで、けれど私は、本当は誰よりその理由を知っている。
何せこれは私の、生来の体質なのだから。
昔から、私の周りには奇妙なモノが寄って来た。
例えばそれは、大きな目玉だったり、顔に口しかない女の人だったり、はたまた喋る猫だったり。
とにかくまぁ、現実的に考えてありえないようなモノが、そりゃあもう、色々色々と。
それらは全く無害な奴もいれば、逆に人を食べようと襲ってくる奴もいて。
兎にも角にも、私はそういう『人でないモノ』を『引き寄せる体質』であるらしい。
曰くそういうことに詳しい幼馴染によると、であり、私にそんな自覚は全くなかったのだが。
そう、体質だ。
自分自身ではどうにも出来ないものである。
例えばこれで私が寺生まれだったり、陰陽師の子孫だったり、巫女さんの血筋だったなら、また話も変わっていただろう。
なんなら華麗にバトルでもして、今頃オカルトファンタジーの主人公よろしく妖怪退治でもしていたかもしれない。
だが残念なことに、私は普通の家の普通の子供。
こういうトラブルに遭遇しても、格好良く式神を呼び出したり御札を飛ばしたりは出来ない。
基本の選択肢は逃げるの一択。
たたかうのコマンドは最初から無いのだ。
(神様、生きるのって難しいね!!)
なんて、中学二年生が叫ぶにはあんまりな嘆きだと思いつつ、しかしそれくらい人生はハードモードなのである。
それこそ、今までよく生きて来られたよなぁと思ってしまう程度には。
思い出すと遠い目にならざるを得ない非日常的日常を、とりあえず頭を振って隅へと追いやり、わたしはどうしたものかと現状打破の方へ思考力を回す。
過去を嘆くより先に、今を乗り切らねばなるまい。
まだ死にたくはないし、と呟いて、状況を顧みた。
今、私が直面している問題は二つ。
一つは、言わずもがな、追ってくる生首達。
もう一つは、走っても走っても抜けられない桜並木だ。
町の名物なので、長いのは確かだが、かれこれ体感二十分近く走り続けているのに、未だに抜けられないのはどう考えても異常である。
(それに……)
桜並木に入ってから、一人も人と出くわさない。
いくら朝早くても、二、三人くらいとはすれ違いそうなものなのに。
(生首達が出てきたのも、桜並木に入ってすぐだった気がするし)
原因は、桜並木にあるのかもしれない。
(まぁそれが分かったところで何が出来る訳でもないけどねー‼)
何せこちとらオカルト素人。
原因が分かった所で対処法などあるはずもない。
が、何もせずに人生を運任せにする気もなかった。
伊達に物心付いた頃から怪奇現象に見舞われてはいないのである。
行動力だけは、人一倍ある方なのだ。
「とりあえずは、と」
変わらず全速力で走りつつ、私は周囲を観察する。
何か出口の様なものはないか、出口でなくても、違和感のある場所や、他とズレがある物は、と視線を走らせて。
ぴたりと、ある一点に目が留まった。
どこまでも続く桜並木、降り続く薄紅の花びら、追いかけてくる生首達。
ぱっと見では変わらない、美しくもシュールな景色の中。
酷く色鮮やかな木が、一本立っている。
他のコピーペーストしましたよ〜という桜の木達とは明らかに違う、現実感を主張している木だ。
とても美しい、桜の木。
色彩鮮やかに満開の花を湛えた枝が揺れている。
視線を逸らせない程の美しさに思わず息を止めていると。
不意に、誰かに囁かれた気がした。
『あの木があなたを助けてくれる』
誰の声だかわからない。
ただとても優しい声で、聞いているだけで安心出来る、そんな声音。
そんな声が続けて言った。
あの木こそが、私を守ってくれる、と。
どこの誰かもわからないその声。
けれど私は、声に従うことにした。
だってあんなにも色鮮やかで、綺麗な桜だ。
一瞬で人の目を釘付けにする、そんな神々しさすら感じさせる美しさ。
悪いものな訳がない。
生首達もあの木には寄らないようにしている様だ。
……あの木の所へ、行かなければ。
操られる様に、走る足が桜の方へ向く。
夢見心地の気分だ。思考はぼんやりとしているのに、体はしっかりと動いている。
生首達はにやにやしながら私を追ってきていた。
今にも齧り付いてきそうなそれらを避けて、私は、必死で桜の木へと手を伸ばす。
鮮やかな薄紅の花を湛えた枝が、応える様に、こちらへと伸びてきた。
手が届くまで、もう一歩。
(これで――)
これで助かる。
そう、指先が枝を掴もうとした、その時。
「――はい、ハズレ」
「へ?」
そんな言葉と共に、私は後ろからぐいと腕を掴まれた。
そしてそのままそちらへと引っ張られ、
「お、わ⁉」
ぼすん、と軽い音を立てて、誰かの胸に受け止められる。
急に現実感を取り戻した頭と、突然の事態に目をしばたたかせながらも、私はそろそろと視線を上げ、自分を受け止めてくれたであろう人物の顔を見た。
そしてそのまま、ぴしりと固まる。
倒れ込んだ私を受け止め、頭ひとつ分高い位置からこちらの顔を覗き込んでいるのは、眉目秀麗という言葉が相応しい、学ラン姿の少年。
さらりと揺れる、染めた物じゃない金の髪。
外国人めいた端正な顔立ち。
金の長い睫毛に縁取られた切れ長の目は、ガーネットの様にきらめく深紅で、肌は象牙の様になめらかな白。
まるで絵本から抜け出して来た王子様みたいな、そんな容姿端麗な少年が、その綺麗な赤い目を細めて、私の間抜けヅラを上から見つめてくる。
何とまぁ少女漫画的シチュエーション。
普通の女の子なら、頬を赤らめるシーンだろう。
あくまで普通の女の子なら。
あいにく普通の女の子とは感性が違うらしい私は、少年の顔を見た瞬間、頬をひくりと引きつらせた。
ついでに血の気がさぁっと引いていくのを感じる。
恐らく、今の私の顔色は春の空に負けないくらいに真っ青だろう。
それこそ、猫に捕まったネズミのごとく。
少年はというと、そんな私に構うことなく、降り続く桜の雨に似合いの爽やかで晴れやかな笑顔をその美しい顔に浮かべていた。
なんかもう、見ただけで心が癒やされそうな、慈愛の込もった柔らかい笑顔だ。
だが、私はその笑顔を見て更に戦慄する。
何故なら私は知っているから。
この少年がこんな風に笑っている時は、どうしようもなくブチ切れている時だということを。
(ヤバい、かなりヤバい)
何せ顔は笑っているのに、目が全く笑っていない。
背に大量の冷や汗が流れていくのを感じつつ、私はさっきまでとは違う危機感を覚えてごくりと唾を飲んだ。
少年はにこにこと笑っている。
笑いながら、静かに口を開いた。
「探しましたよ、真白サン」
今日も朝から、随分愉快なことに巻き込まれてますね、と。
同学年の男子より少し低めの、柔らかな声が耳もとに落ちる。
(……あれ?)
思っていたよりも優しい声に、実はそんなに怒ってないのでは、と、ちょっとした期待と共に、私は少年を見上げた。
「まぁ、それはそれとして」
少年はそんな私にふわりと微笑みかけ……ぐっ、と私の首へと腕を回す。
(あ)
やっぱ駄目だこれ、と思った頃には時既に遅し。
「よくも人を置いて行きやがりましたねコノヤロウ」
「ぐえっ」
温度も高さも低い声と共に、チョークスリーパーの要領で私の首を絞め上げる少年。
私はカエルの様な呻き声を上げつつ、その腕をバンバンと叩いて叫んだ。
「しゅ、朱斗、ごめ、ってかギブ、ギブギブ!!、絞まってる、絞まってるから!!」
「絞めてんですよ全くもう」
ぎりぎりと腕に力を込めて、少年――朱斗は呆れた様にそう言うと、赤い目を半眼にした。
突然に現れて、人にチョークスリーパーを掛けてきたこの少年の名は、南雲朱斗。
私、北上真白の幼馴染であり、同じ学校に通う同級生、ついでに家が隣のお隣さんでもある……とまぁここまでならよくある普通の関係性だ。
が、彼と私の間には、もう一つ奇妙な繋がりがあり、それは普通とは言えないものである。
私は人で無いモノを寄せる体質だ。
そして何の因果か、この幼馴染は、その人で無いモノを祓う人なのである。
人に仇なす魔を退け、人々を守る者。
古来、人は彼らをこう呼んだ。
退魔師、と。
朱斗はその退魔師の大家、南雲家の子で、凄い力を持った最年少退魔師……なのだそうだ。
そこら辺は本人があまり詳しく話したがらないのでよく知らないが、確かに朱斗は退魔師である。
寄せる私と、祓う朱斗。
つまり私達は、幼馴染兼、護衛対象と用心棒、みたいな間柄なのだった。
私としては色々と、本当に色々と複雑な思いがあり、手放しに喜べる関係性とは、言えないのだけど。
「ほんとに、どうしてこう、気まぐれで護衛役置いていこうとしますかねぇ、真白サンは」
人の首をぎりぎりと絞め上げつつ、朱斗はやれやれと嘆息する。
私は息も絶え絶えに「はーなーせー!!」と叫んでいた。
「いい加減、ほんっとに、窒息、するっ、てか状況!! 今、こんなことしてる場合じゃ、ない、って!!」
「はい?」
首をこてりと傾げて、さも今思い出したように朱斗は「ああ!」と声を上げた。
「そういえば絶賛襲われているところでしたね、いやぁすっかり忘れてました」
「いや普通忘れないよね⁉」
「誰かさんに置いて行かれたのがショック過ぎてつい」
律儀に泣き真似をする朱斗。
人を絞めながら片手で目元を拭ってみせるその動作に、内心で「器用だな」と感心しつつ、それどころでは無かったと周囲に視線を走らせた。
生首達は存在を忘れるなとばかりに、私達の周りを囲んで、ずりずりと地面を這い寄って来ている。
いきなり現れた朱斗を警戒しているらしく、その動きはゆっくりだが、着実に距離を詰められている上、目は先程より血走り、歯もがちがちと鳴らされていた。
「我々餓えてますってアピールですかね。にしても這い寄る生首ってキモいな」
「それは私もそう思う……って違う! 早く逃げなきゃあいつらに喰われる!!」
生首に喰われて死亡、なんて死因は嫌すぎる。
あちこちかじられて死んでいる自分を想像し、私は青い顔でじたばた暴れた。
が、朱斗の腕はびくともしない。
同い年の筈なのに、この力の差はどういうことか。
「おのれ男女差……っ」
呻く私に、朱斗はにやにや笑っている。
「まぁまぁ落ち着いて」
何故にこんな余裕綽々なのか。後、そろそろ本気で息が苦しい。
顔色悪くもがきながら「何だか川が見える気がする」と零した私に、朱斗はようやく腕の力を少し緩めた。
「大丈夫ですか?」
「どの、口が、言うのさ」
ぜーぜーげほげほ咳き込みながら朱斗を睨む。
彼は悪びれずに目を細めた。
「すみません、つい」
「つい、で人の息の根止める気⁉」
「いやぁ、こう、ハムスターが手の中で暴れてるような、そういう愛らしさを感じて、つい」
ぽっ、と照れ笑いを浮かべる朱斗。
私は普通にドン引きした。
「何その愛らしい観、全く理解したくない」
(っていうか今こいつ、さらっと人を小動物扱いしやがったな)
朱斗の失礼な発言には後で異議を申し立てるとして、今は現状の打破が優先である。
未だ外されていない腕をぺいと引っ剥がし、私は後もう一歩で手が届いていた桜の木を改めて指差した。
「そんなことより早く逃げないと」
対して朱斗は緩く首を傾ける。
「何故、桜の木へ逃げようと?」
「何故って」
言いさして、私は、はたと、目を瞬かせた。
何故、だったろうか。
何故か、この桜の木は私を守ってくれると、そう思った。
確かにそう、思った、のだけれど。
(何かが、おかしい、様な)
背筋がゾッとして、全身が総毛立つ。
朱斗がすぅと目を細めた。
「気付きましたか?」
そういえば、私の腕を掴んだ時、朱斗が何か、言ってはいなかったか。
『はい、ハズレ』
ハズレ、確かに朱斗はそう言った。
背後の桜を振り返る。
他の木よりも色鮮やかな、一等綺麗に花を咲かせた桜の木。
薄紅の花びらが、はらはらと舞い落ちる。
その色が他のものより紅いのは、何故だろう。
どうして木から、花の香りに混ざって、ほんのり鉄錆の匂いがするんだろう。
そうして、花を湛えた枝に、重そうにぶら下がる、あれは。
紅い何かで湿った長い黒髪。
ぎょろりと飛び出た血走った目、潰れた鼻。
がちがちと、嫌に白い歯を鳴らす、それ。
それは私をその血走った目で捉えてにたりと笑う。
狂気の滲んだ笑みを浮かべるそれは、今、私達を取り囲んでいるモノと同じ。
生首だ。
一際大きな生首が、正に私が掴もうとしていた枝に、ぶらんとぶら下がっていた。
「っ⁉」
あんまりにもシュールな光景に、私は思わず、ひくりと息を呑む。
美しい花と、不気味な生首のアンバランスさはひたすらに奇っ怪で、何故あんなものの側に行こうとしたのか、分からなかった。
そもそもどうして、あれが自分を守ってくれるだなんて思ったのか。
生首はぶらぶら揺れながら何事かを呟いている。
『オイデ、オイデ』
見た目とは裏腹の、優しく安堵を誘う声音。
(そうだ、確かあの時も声がして)
ぐらりと目の前が揺れた。
意識がふわふわと曖昧になって、足が勝手に動こうとする。
嫌だと思うのに、桜の方へ。
「ダメですよ、真白サン」
そう手を引かれて、私はハッと我に返った。
見れば、朱斗が咎める様な目で私を見ている。
「全く、ほんとに気が多いんだから。俺というものがありながら余所見だなんて許しませんよ」
溜め息混じりで吐かれた台詞に、私は「いやそうじゃないだろ」とツッコミを入れた。
朱斗は聞いているのかいないのか、私を自分の背中側へ押しやる。
「確か首なりの木、でしたっけ」
生首から私を庇うように前に出て朱斗が呟いた。
「何それ」
「いわゆる流行りの怪談です。少し前に、この桜並木で首吊りがあったとかで、そこから妙な噂が広まり出したんですよ」
昨晩、ウチに調査依頼が来た話なんですけど、と前置いて、朱斗は語る。
曰く、
「ある女が桜の木で首を吊った。その木には女の霊が取り憑き、それは生首となって桜の木へぶら下がる。それを見た人は呪われて、ぶら下がる生首の仲間入り、とか何とか」
まぁよくある怪談ですよね、と笑って、しかしそこで朱斗は目をすがめた。
「けど、俺の目は誤魔化せませんよ。ねぇ」
桜の木さん。
低く呟いて、朱斗は学ランの袖からするりと何かを抜き出す。
十五センチ程の細いそれは、黒い鉄で出来た針。
先端は鋭く尖り、後ろには紋様の書かれた御札が一枚、赤い紐で結び付けられている。
朱斗はおもむろにそれを、桜の木へと投げつけた。
ひゅん、と真っ直ぐに飛んだ針は、鈍い音を響かせて、木の幹へ深々と突き刺さる。
「大方、死体の血に味を占めたんだろうが……少しやりすぎたな」
消えろ。
温度の無い声で、朱斗が告げた。
それに応じる様に、針の御札がひらりと揺れる。
一瞬の沈黙の後、御札の紋様が赤く輝き、そこから光と共に真っ赤な炎が溢れ出した。
炎は針を伝い、あっという間に桜の木へと燃え移る。
『ギィ、ァアアア‼』
すると、この世のものとは思えない悲鳴が、桜並木に響き渡った。
桜が、悲鳴を上げている。
ぶら下がっていた生首は焼け落ち、断末魔を上げる木が、火を振り払いたがっている様に、ざわざわと枝を揺らした。
だが火は消えない。
轟轟と一層激しさを増して燃え上がり、ついには木、そのものを飲み込んだ。
木が燃えるにしてはおかしい、やけに生臭く鼻につく匂いが辺りに立ち込める。
私は思わず鼻を袖で覆い、辺りを見回した。
気が付けば、周りを囲んでいた生首達も、炎に焼かれごろんごろんと転がっている。
いつの間にやら他の木にまで炎は移り、桜並木全体が火に包まれていた。
舞い散る花びらすら燃えていて、頬を打った熱に、私はようやく茫然自失状態から我へ返る。
「って、熱っ⁉」
そりゃ熱いだろう。周囲が大炎上してるんだから。 火の粉と化した花びらを慌てて振り払い、私は朱斗の袖を引っ張った。
「ちょ、朱斗、このままじゃ私達まで」
「燃えますね☆」
「燃えますね☆ じゃ、ない!!」
このままではこの訳わからん桜並木と共に焼死エンドだ。
それは嫌だ。死ぬならもっとマシな死に方が良い。
(っていうか、まだ十四年しか生きてないのに死にたくない!!)
青くなる私とは対照的に、朱斗はどこまでも余裕そうだ。何となく腹が立つ。
「確かに焼死は嫌ですねぇ」
「自分で火つけておいて言う台詞かっ」
思わず入れたツッコミに「だって」と朱斗は薄く笑った。
「木精って面倒なんですもん、焼くのが一番楽だなぁ、と」
「それで自分まで焼けたら本末転倒じゃん」
「はい。なので」
ひょい、と何の前置きもなく、朱斗が私のことを抱き上げた。
しかも横抱き、いわゆるお姫様抱っこで。
「はぇ?」
あんまりにも軽々と、しかも唐突に抱き上げられて、咄嗟に反応出来ない私へ、朱斗はやたらきらめいた顔を向けた。
「焼け死ぬ前に、さっさとこんなとこ抜け出しちゃいましょうか、真白サン」
「え、ちょ」
「レッツゴー」
妙に楽しげに、ふざけた調子で朱斗が駆け出す。
何でこいつ同い年の人間軽々持ち上げて走れるんだ。
未だに頭の追いつかない私は遠い目になりながら現実逃避気味にそんなことを考える。
と、そこで。
『サヌ、逃ガサヌゾォ』
「朱斗!!」
おどろおどろしい声と共に、燃え盛る桜の枝が四方八方から伸びてきた。
「おー、しつこい。やっぱり面倒だな、木精」
ひょいひょいと軽く伸ばされる枝を躱し、溜め息混じりに朱斗は呟く。
「朱斗、降ろして」
いくらなんでも私を抱えたままじゃ追いつかれる。
そう言おうとした私を遮って、朱斗は言った。
「大丈夫ですよ」
ふわりと微笑みを浮かべ、私を抱える腕の力を強くして。
決して離すまいというように。
「約束したでしょう、俺があなたを守るって」
信じてくださいよ、なんて苦笑混じりに告げられて、ふと遠い昔の記憶を思い出した。
『俺が、あなたを守ります』
それは、約束、というよりは、割と一方的な、宣言。
今と変わらない赤い目をきらめかせて、朱斗が私に告げた、誓いの言葉。
『約束です、必ず守ります、だから――』
だから、どうか。
「……あーもう、分かったよ」
その代わりちゃんと逃げ切れと、落ちないように朱斗の学ランを強く握る。
満足げに目を細めて、朱斗は迫りくる枝を引き離すために強く地面を蹴った。
火と花と悲鳴と怨嗟と、様々なモノが渦巻く桜並木を真っ直ぐに駆け抜けて。
「朱斗、あそこ」
「ええ、出口ですね」
炎と薄紅が視界を覆う中、不意に桜並木が途切れた箇所が見えた。
私達がそれに気付いたのと同時に、桜の木も最後の足掻きとばかりに根や枝をしならせる。
ぼこりと地面が根に割られ、出口への道が枝によって隠され始めた。
道が閉ざされる。
けれど朱斗は足を止めない。
「残念だが、捕まってはやらねぇよ」
言って、私を抱えたまま、朱斗は袖口から何かを抜き落とした。
ぱりんと割れたそれは、恐らくガラス瓶。
「清めの水よ、邪を捕らえよ」
『⁉』
歌を口ずさむように、朱斗がそう唱えると、ざわめいていた枝がピタリと止まった。
『――っ‼』
「悪いが、これでも退魔師なんでね」
物言えぬまま動けなくなっている木に、朱斗はにやりと笑って見せると、悠々とした足取りで出口らしき所へ向かう。
「この先が、出口?」
「そうです」
桜並木が途切れた先は、道も何も無い、真っ暗闇が広がっていた。
空間そのものが途切れた、虚無の穴、みたいな感じだ。
「これ、もしかしなくても飛び降りなきゃなやつ?」
「ですねぇ」
「マジか……」
朱斗に抱えられたまま穴を覗き込み、私は眉を下げる。
正直ちょっと怖いのだが、どうも状況は覚悟を決める時間を与えてはくれないようで。
『待、テェ』
めきめきと、背後から枝が蠢く音がする。
「足止めの術がもう切れるか」
やっぱり木精は面倒だと舌打ちした朱斗が、仕方ないとばかりに溜め息をつく。
「すみません真白サン」
「あ、ハイ」
しっかりつかまってて下さいね、と囁いて、朱斗はトンと地面を蹴った。
「う、わ」
襲い来る浮遊感に、思わず声を上げる。
落ちるという感覚と、大丈夫だろうかという不安は、しかし宝石の様に輝く赤い目にすぐ打ち消された。
安心していいと、その目が伝えている。
だから私は、代わりに上を見上げた。
穴の上の方、燃え尽きようとする桜が、それでもこちらに枝を伸ばしてこようとするのが見える。
だが、それは叶わない。
炎に包まれた桜は段々と灰になり、やがて全てがするりと闇に融け消えていく。
最後の一片の花びらが、ふわりと風に消え、何も残らない宙を私は見つめた。
少しずつ、視界が暗くなる。
まるで眠りに落ちていく様に、意識が曖昧になっていく。
何もかもが遠くなるような感覚の中、確かだったのは。
私を抱える朱斗のぬくもりと、力強い腕の感触だけだった。
意識が途切れる瞬間、ほんの一瞬だけれど、あの約束の続きを夢に見た。
『約束です、必ず守ります。だから――』
きらめく赤い目で、キミは私を捉えて言う。
『だからどうか、俺とずっと一緒にいて下さい』
幼い日に交わした約束。
けれど、私は。
その約束の理由を、未だに知らずにいる。
ぱちりと目を開けると、夢と同じ赤い目が、すぐ目の前にあった。
本当に真ん前、ドアップで。
「いや近い」
「おや」
ぐい、と近すぎる距離を離すために相手の肩を押し、私は半眼をそいつに向けた。
「何してんのさ、朱斗」
「目覚めのキスでも贈ろうかと思いまして」
「ほんとに何してんのさ……」
戯けたことを宣う朱斗に呆れを含んだ息を吐いて、私はぐるりと周りを見渡す。
見覚えのある景色だ。多分、学校近くの公園だろう。
私はベンチに座っていて、朱斗がそんな私を覗き込む様に前に立っていた。
どうやらあの奇妙な桜並木からは無事に抜け出せたらしい。
「で、結局あれは何だったの?」
安堵の息と共に問えば、朱斗はあっけらかんと答えた。
「ああ、桜の精ですよ」
「……あれが?」
流石に驚いて、私は目を見開く。
「ええ。とはいえ、死体の穢れと妙な噂で歪んでたので、本当の姿とは言えませんでしたが」
本来なら美しい姿で気に入った人間を誘って生気をかっぱらうんですよ、相手がからからになるまで根こそぎ。
「取り憑かれたら大概死にます」
さらりと吐かれた恐ろしい言葉に、私はゾッとする。
「じゃあ、もう少しで私も」
「桜の木の下の死体に仲間入り、でしたね」
良かったですねぇ、優秀な幼馴染が間に合って。
笑ってない笑顔を向けてくる朱斗に、私は目を泳がせる。
「ご、ごめん」
「別に構いませんよ、真白サンの一人登校チャレンジは今に始まったことじゃないし」
「……」
「昔から定期的にしますよね、毎回失敗してますけど」
じと目でこちらをねめつけてくる朱斗に、私は目を逸したまま頬を掻いた。
そう、私が一人で学校に行こうとするのはこれが初めてではない。
大体年に二、三回の割合で私はこの愚行を犯す。
(一応、理由はちゃんとある、んだけど)
思いながら、私は「だってさ」と口を開いた。
「……迷惑、掛けたくないんだよ」
遠くの方に見える桜並木の通りへ視線を向けながら、ぽつりとそう零す。
小さい声だったのに聞き逃さなかったらしい朱斗が、肩を竦めた。
「迷惑だなんて思ったことは一度もありませんよ」
「うん、知ってる」
知っている。朱斗が気にしていないことくらい。
気にしているのは、私だ。
護衛対象と用心棒。
非日常的日常を生きている私を、朱斗はいつも守ってくれている。
約束だからと、そう言って。
(けど、私は)
その約束の理由すら知らないままに守ってもらっているのが、心苦しい。
私が、朱斗の重荷になっているのではないかと。
それは嫌だと思う。
出来れば朱斗とは、対等な存在でありたい。
後ろめたさも引け目も無い、そんな友人でありたかった。
単なる私のエゴだけれど、どうしても捨てきれない思いだ。
(でもそれで余計に手間取らせてたら、本末転倒だよなぁ)
私はただ、胸を張って朱斗の隣にいたいだけなのに。
嗚呼、人生とはままならないものよ。
肩を落として遠い目をする私に、朱斗はやれやれと苦笑する。
「気にしいですね~、真白サンは」
そしておもむろに私の頭へ手を伸ばすと、ぐしゃぐしゃに撫で回し始めた。
「わ、ちょっと」
抗議の声を上げる私を無視して、朱斗は言う。
「これは俺の約束で、俺が決めて、俺が好きでしていることです。真白サンが気に病む必要はありませんよ」
だからそんな顔しないで下さいと、朱斗は私の頭をぽんと叩く。
春の朝陽に照らされたその顔は、クラスの女子が騒ぐのも頷ける程、本当に綺麗で格好良い。
運動神経抜群で、頭だって良くて、性格はちょっとアレだけど、表面上は穏やかな朱斗は、男女問わず人気者だ。
対して私は、飛び抜けて良いところも、得意なことも無く、容姿だって平凡。
この幼馴染が何故私を気にかけるのか、たまに分からなくなる。
約束にしたってそうだ。
何故あんな約束を私としたのか。
(理由聞いても教えてくれないし)
今まで何度か訊ねたが、いつも見事にはぐらかされて結局分からずじまいだった。
(ほんと、何でかな)
朱斗と私があの約束をしたのは、七年前。
つまり私達が七歳の頃で、仲は今ほど良くなかったはずなのだが。
(うーん、謎)
朱斗の顔を眺めて考え込んでいると、その朱斗が首を傾げた。
「どうかしましたか、人の顔じっと見つめて」
やっぱりキスがしたくなりましたか、なんてからかってくる朱斗に、私は思い切り顔をしかめた。
「な訳ないでしょ、ってか女子のファーストキス安易に奪おうとすんな」
「いいじゃないですか別に、減るもんじゃないし」
「減るわ、私の中の何かが確実に減るわ」
主にきららかな思い出とかが。
「はいはい。で、何ですか」
「……何でもない」
言って、私はふいと顔を背ける。
どうせ、今ここで約束について聞いても、いつも通りにはぐらかされるのがオチだ。
「えー、気になるんですが」
「別に、ただ、腹立つくらい顔が良いなーと思っただけ」
「顔が良いとは思ってくれてるのか」
「何か言った?」
「いえ何も」
何やら朱斗が言った気がするが、丁度風が吹いて聞こえなかった。
その風に乗って、薄紅の花びらが舞い散ってくる。
「そろそろ行きましょうか。せっかく早起きしたんです、桜でも見ながら」
「私、さっき一生分の桜見た気がするんだけど」
「そんなこと言わずに、今度は生首なしですから」
ね、とごく自然に私の手を取り、朱斗は微笑む。
「大丈夫、俺があなたを守りますよ」
「……」
その言葉に、私の心中はまだ少し複雑だ。
それでも、私はその手を握り返す。
「分かってる、信頼してるよ、朱斗」
「はい」
手を引かれるままベンチから立ち上がり、私達は通学路へ向けて歩き出した。
そのまま繋がれた手を見つめて、私はぼんやりと考える。
(いつか)
いつの日か、何のしがらみも無く、この手が取れる時が来たら。
その時は、約束の意味を教えてもらいたい。
(それまでは、まだ)
この、近いようで遠い距離感の、ままで。
(なんて、我ながら甘ったれだと思うけど)
そう、私は溜め息をつく。
春の暖かな朝は、私の面倒な心の内など知らないとばかりに、清々しさに満ちていた。
寄せるわたしと祓うキミ @matisato
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