学校の怖い話『字の人』

寝る犬

字の人(じのひと)

 四年生のぼくには、三年生の弟がいる。

 ぼくと違って体が弱く、ときどき熱を出して寝込んでは学校を休む。

 連絡帳やプリントのやりとりは、ぼくの役目だ。

 普段からほーっとしてることも多くて、行き止まりの道をずっと眺めていたり、教室の隅にしゃがんで床を見ていたりしては、友達に注意されるようなやつだった。

 ただ、年が近いこともあって、友達みたいに仲は良い。

 一緒に対戦格闘ゲームをやって、あーだこーだ言い合うのが日課みたいな弟だった。


「あのさ、おにい


 いつものようにバカ話をして爆笑してた時、弟がふと真面目な顔になった。


「なに?」


 笑いすぎて息を整えようと深呼吸しながら、ぼくは聞き返す。

 弟はちょっと言いにくそうに口ごもった後、口を開いた。


「……ありがとね」


「なにそれ、きもちわり」


「いいじゃん、お兄がいてよかったって思ってんだもん」


 普段とは違って穏やかな笑顔に、ぼくはなぜだか不安を感じて座りなおす。


「ほんとおかしいぞ、なんなの?」


 真面目な顔で問いただす。

 最初は笑ってはぐらかしていた弟も、部屋の隅に目をやると、ぼくに視線を戻して小さく息を吐いた。


「やっぱお兄には話しておく」


 弟が語り始めたのは、弟にだけ見える『字の人』の話だった。


 最初に字の人を見たのは幼稚園の頃。

 その前から見えていたのかもしれないけど、ほかの人には見えない人なんだと知ったのがそのころだった。

 そいつは黒い服を着ていて、服には白と赤でごちゃごちゃと模様が入っている。

 最近気づいたのは、その模様は日本語でも英語でもないけど、文字なんじゃないかということだった。

 いつも平べったい帽子をかぶっていて、青白い顔をしている。

 分厚い布で目隠しをしていて、匂いをかぐようにキョロキョロと顔を動かしていることが多かった。


「なにそいつ、キモ」


「しっ、だまって聞いて」


 弟の話が始まったとたん、周りの空気がねっとりし始めたような感覚に陥って、ぼくは黙っていられずに茶々を入れる。

 慌てたように口の前に指を立てた弟にたしなめられて、ぼくは口を閉じた。


「字の人はね、匂いを嗅いで、だんだんと目的の子供に近づくんだ」


 最初は学校に現れる。

 学校にはたくさんの子供がいるから、目的の子供を見つけられないんだと思う。

 夕方になると校門を出た子供たちの中から、目的の匂いを探し出してゆっくりと後を追うんだ。

 動きは早くないから、すぐに捕まえることはない。

 何日も何日もかけて、確実に目的の子供の家の中まで入っていく。


「お兄も知ってるでしょ、向かいのようくん」


 向かいの家に住んでいた年上の友達の名前だった。

 ぼくが一年生のころに救急車が来ていたのを今でも覚えている。

 先生もパパたちも何も教えてくれなかったけど、それからすぐ、ようくんの家は引っ越した。

 前日に、弟はようくんの家に字の人が入っていくのを見たといった。


「ようくんは字の人に食べられちゃったんだよ」


「字の人って子供食うの?」


「うん、たぶん。食べるとこは見たことないけど」


「こわ」


 空気が重い。息が苦しい。

 弟がぼくの後ろを見つめていることに気づいて、慌てて振り返る。

 部屋の隅にはいつの間にか、白と赤で読めない字がびっしりと書かれた真っ黒な服の人が、四つん這いになって床の匂いを嗅いでいた。


「うわ――」


 叫びかけたぼくの口を弟がふさぐ。

 病気がちで体も小さい弟は、不思議なほど強い力でぼくを押さえつけていた。

 逃げたい。怖い。

 バタバタと暴れるぼくに気づいたのか、字の人の顔が上がり、ぼくたちに向けられる。

 血の気のない薄い唇がぐぐっと曲がり、笑ったように見えた。


「だいじょうぶ、一人食べればその家からいなくなるから」


 後ろからぼくを羽交い絞めにしながら、弟はささやく。

 字の人の顔がゆっくりと近づき、その口がメリメリと音を立てて頬を裂き、喉を裂き、天井の半分くらいまで開いた。

 口の中は真っ暗でバラのとげみたいなギザギザで埋まっている。

 怖いのに目もそらすことができず、ぼくは泣きながら口を見つめていた。


「お兄、ほんとありがとね。お兄がいてくれて本当に良かった」


 字の人は弟を狙っていたんだ。

 それに気づいた弟は、ぼくを身代わりにすることを思いついたんだろう。

 字の人は目が見えない。

 狙っていた子供とは、ちょっと違う子供を食べても気づかないかもしれない。

 それで「ありがとう」だったんだ。

 そこまで考えたところで、ぼくは力いっぱい突き飛ばされた。


――ばくん


 何かが閉じる音がして、同時にぼくは部屋のドアに思いっきりぶつかる。

 廊下に転がって部屋の中を見ると、弟が字の人に「ごくん」と飲み込まれたところだった。


「こら! うるさいぞ! ドタバタするな!」


「パ……パパ! ママ!」


 弟が字の人に食べられた。

 一階にいるパパたちのところへ向かって、ぼくは走った。


 それからのことはあまり覚えていない。

 ただ、弟は部屋で倒れていて、病院に搬送されたけど助からなかった。

 お医者さんの話では、外傷はなく、死因は心臓麻痺とか、そういうのだったと思う。

 向かいの家に住んでいたようくんもそうだけど、この辺では小学生の突然死が続いていて、原因はわかっていないのだとテレビで見た。

 それからすぐ、ぼくの家も引っ越すことになった。


 ……今考えれば、字の人に狙われていたのは、ぼくだったのかもしれない。

 弟は字の人をギリギリまで引き付けて、ぼくの身代わりになったんだ。

 あの日の前日、パパやママ、友だちや先生にも「ありがとう」と言って回っていたっていう話を聞いて、ぼくは確信した。

 あの日以来、字の人はぼくの前に姿を現してはいない。


 でも見たんだ。

 弟にしか見えなかったはずの『字の人』が、引っ越しの途中に通りがかった知らない小学校に入っていくのを。


――了

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学校の怖い話『字の人』 寝る犬 @neru-inu

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