愛とか、それ以外とか

きづきまつり

第1話

右腕の冷たさに気が付くと、その感覚はだんだんと広がってきた。動かすと体を覆うはずの布団に触れることもない。右半身、いや、体全体冷えきっているようだった。目をあけると室内はほのかに、それでも何度か瞬いてしまう明かりに包まれていた。ようやく開けていられるほどになると、視界のほとんどが一定のリズムで動く布団の塊で占められていることに気がつく。

 また、か。

 彼は布団を体に巻きつけて、私に背を向けた状態で完全に眠っていた。彼はいつもこうだ。眠りに落ちる直前は私に布団をかける気遣いを見せることもできるが、お互いに意識を失えばあとは力比べで、勝ちを譲ってくれたためしはない。なんとか布団を引っ張りだし、自分の領域を確保してもぐりこむ。それでも密着しなければならない程度のスペースしか取り返すことはできなかった。

 その背中に触れると、あらためて体の冷え切っていたことが自覚される。その温度差に起きてしまうのではないかと思われたが、呼吸の乱れ一つ生じることもなかった。感覚が鈍いというか、おおらかというか。寝ているときも彼は彼らしい。

 今爪を立てて、この背中に傷の一つでもつけたら、彼は目を覚ますだろうか。目を覚まして私を糾弾するか、笑って受け流すか、それとも、なにか私の予想もしない顔を見せるだろうか。

 彼と付き合いだして、もう五年にはなるだろうか。大学で出会い、社会人となっても関係は何となく続いていた。周りからは結婚について聞かれるし、私も考えることはある。ただ、決定的な機会はなかなか訪れない。かといって他に甘い誘いがあるわけでもなく、恋人のいる身でそう遊ぶ気にもなれない。保守的だね、と友人に言われたが、そのフレーズは妙に面白かった。

 不満はもちろんある。ただ、その不満にも馴れたのだ。この五年間で受容できるようになったといってもいいかもしれない。本気で嫌だったなら、別れることができたタイミングだって無数にあったはずだ。それをしなかった過去の自分を信じているのか、この五年間を無駄にしたくないのか。この防衛機制を保守と呼んでも、あながち間違いではないのかもしれない。

 彼もまた、私に不満はあるだろう。彼に合わせる気はないし、家事だって私は得意ではない。友人からの誘いは断らないし、いまさら二人で出掛けるのに特別着飾ることもない。それについてどう思っているか聞いたことはないし、仮に不満といわれても私は私の生き方をそうそう変えることもできないだろう。維持するための努力を怠るような状態を、世間は惰性と蔑むだろうか。

 ただ、彼の考えは、本当のところ私にはわからない。残業は増えた。それは社会人として、年数が上がって後輩もできた以上は仕方がないのかもしれない。別々の時間も増えた。原因はむしろ私のほうが多い。枕元にはさきほど使ったティッシュと、少し離れて、充電中の彼の携帯電話。パスコードは知っている。今も変えていないだろう。いや、変えていたならその時点で――

 私は性器に手を伸ばす。周辺はややがさついていたが、まだ指に取る粘液はある。濡れた人差し指で、彼の背中にゆっくりと触れる。マーキングにもならない、かすかな呪いだ。間抜けな男は起きる気配もなくいびきになりきれない鼻息をたてて眠っている。

 そのとき、私はようやく指先が温まったのを感じて、ほどなくして再びまどろみに包まれる。次に目を覚ました時には布団の中でありますようにと、薄れ行く意識の中でそんなことを願って。

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