第三話 紫陽花

その日も雨が降っていた。

「梅雨時とはいえ、こう雨ばかりじゃ気が滅入るなあ」

お父さんが、天気予報を見ながらそう言った。



 お母さんの病院へ行く途中、ガヤガヤと人混みができていた。あの家の前だった。

「何かあったんですか?」

以前、この家の話を聞いたおばさんに問いかける。

「『殺し』だってさ」

おばさんが僕の耳元で囁く。

「えっ?」

僕は目を見開いた。

「だ、誰が?」

「前の奥さん。殺されてたみたいよ」

「えっ?」

どういうことだ? 前の奥さんって誰だ? 誰が誰を殺したって??



 家の中から、ジャンパーを頭から被った男の人が出てきて、パトカーに乗せられた。あれが旦那さんだろうか?

「離して! 離してったらあ!! あたしじゃない! あの女が悪いんだからさあ!!」

あのヒステリックな女の人が叫び散らしながら出てきた。

「ほら、暴れないで! 早く乗って!」

警察の人に両脇を抱えられている。

「なんでなの?! なんで毎日紫陽花が飾ってあるの? ねえ?!」

「パニックを起こしてますね。早く中へ。」

警察の人が、無理矢理、別のパトカーに女の人を押し込んだ。


 刑事物のドラマでよく見る黄色いテープが張られ、みんな、その中には入れなくなった。


 



 その真相は、その後のニュースとワイドショーである程度明らかになった。



 あのヒステリックな女の人には双子の姉がいた。

 僕にはよくわからない大人の事情があって、妹は姉を殺してしまったのだ。

 姉の夫は妹をかばい、庭の隅に死体を埋めた。山の中とかでは発見されやすい。かえって、自分の家の庭の方がわかりにくいだろうと考えていた。


 しかし、困ったことが起きた。妹の方に、姉の性格が乗り移ったような様子が見られるようになってきたのだ。姉が一番好きだった紫陽花を切ってきて、リビングに生ける。その様子は、姉そのものだった。しかし、暫くして、ハッと気付いたようにパニックを起こす。

「なんで? なんで紫陽花があるのよ?!」

彼女は自分自身が生けたことを覚えていない。殺した姉が化けて出て、それを生けていくのだと信じ、恐怖に震えていた。


 完全に二重人格になっているのだ、と夫は思ったし、何とかせねばと思った。が、病院でどう説明すればいいのかわからない。下手をすれば、彼らのやったことがバレてしまうかもしれない。彼が悩んでいる間にも、妹の状態は日に日に悪化してくる。


 彼は、庭じゅうの紫陽花を抜いて捨てた。妹の知らない間に、死体の場所も移した。庭一面に人工芝を敷き詰めた。これでもう彼女が紫陽花を摘んでくることはできない。段々と落ち着いてくるのではないかと祈った。


 けれど、自体は更に悪くなった。妹は幻覚を見始めたのだ。そこにあるはずがないのに、部屋に紫陽花が生けてあると言う。


 限界だった。彼女を病院に連れて行こう。全てを警察に話そう。そう思い、夫は自首した。


 今、庭は全て掘り返され、死体が探されている最中だ。


――というような話だった。



 ということは、僕が見た優しいおばさんは、あのヒステリックな女の人と同一人物だったのか……?


 いや、まてよ……


 この報道が正しければ、その優しいおばさんが僕に紫陽花をくれた頃には、それはやっぱりそこにはなかったはずなのだ。

 その家の庭には、隅から隅まで芝生が敷き詰められていた。

 紫陽花は全て抜いて捨てられた後だったのだ。


 あの近所のおばさんの話を思い出す。花は全部抜かれたようだった、と。



 じゃあ、あれは――


 あの、優しいおばさんは、きっとだったのだ。そして紫陽花も……。



 いじめにあって、悲しくて辛くて泣きそうな僕の気持ちを、あのおばさんは、冷たい土の中から感じとってくれたんだ、きっと。

 そして、やはり土の中から、紫陽花を取り出して、僕にくれたのだと思った。



 もうすぐ、あのおばさんは、あの冷たく寂しい土の中から出てくることができるだろう。

 そう、に、彼女は眠っているのだろうから。



「ありがとうございました。これからは安らかに眠ってください。」

僕は、心からそう祈った。

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紫陽花 緋雪 @hiyuki0714

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