第7話 逆流
「嫌なら止めるよ。
じゃあ誰にも見つからないうちに、早くお帰り。」
「帰る場所があるなら帰るが、俺には帰る場所がない。」
「それは君の問題であって、僕には関係ない気がする。」
「それは違う。
あんたに金がないのが悪いんだ。」
「無茶苦茶だね、君は。
でも凄く面白い。」
とはいえ、このまま彼をここに置く訳にはいかない。
「さて、どうしよう?」
「うん、どうにかしてくれ。」
しばし考え込む紫月。
「そうだ、何とかなるかも。
でも一つ条件がある。」
「何だ?」
「僕は王宮から出たこともないし、これからも出られない。
だから城壁の向こう側の話を聞かせて。」
「そんなことなら、お安いご用だ。」
「じゃあまずは自己紹介ね。
僕は紫月、この国の第三皇子でいずれ生贄になる身だ。」
「はっ、生贄!」
その言葉に口をアングリさせた少年に、生贄の制度を簡単に説明する。
彼の反応は最初驚いた様子だったが、話の最後には紫月を気の毒に感じた様だ。
「次は俺だな。
名前は泰然、この国よりずっとずっと北方にある小さな国から来た。」
泰然は国に内乱が起こり、逃げて来たらしい。
この時代どの国も異国人は正規のルートで入国しない限り、仕事も滞在もできない決まりとなっていた。
すなわち逃げて来たとしても、外交上は自国に反旗を翻したとみなされ、正規に入国できず当然仕事にも就けないから、生きるためにこうして泥棒になってしまったそうだ。
「泰然の事情は理解できるけど、泥棒はいけない。
盗られる人は大迷惑だよ。」
「盗みを止めたら、生きていけない。」
「だからここで暮らせばいい、こんな広い空間に僕一人だから。」
「いいのか?」
「あぁ、いいよ。
でも就寝前に世話人が部屋を見回るので、寝る時だけ隣りの仏殿に行ってもらうよ。
あの仏殿は前の王朝のもので、もう誰も近づかないから。」
”では早速今日からどうぞ”と、紫月は泰然を仏殿に案内する。
「埃っぽいけど、布団代わりになる座布団とかあるし、適当に使っていいから。」
「詳しいんだな。」
「うん、小さい頃からたまに入ってたんだ。」
「確かに埃っぽいけど、こんなに大きくて立派な建物なのに、使ってないってもったいないな。」
「そうだね、王宮はもったいないものばかりだよ。
じゃあ僕は、部屋に戻るからね。」
仏殿を出て扉を閉めようとした紫月を、泰然が呼び止めた。
「待って!
あっ、あのぅ、ありがとうな、こんな俺を。」
「何言ってんの、今更。
あっそうだ、明日鶏が鳴く前に部屋に来て、朝ごはん一緒に食べよう。」
「ああ、行くよ。」
「良かった。
じゃあ、おやすみ。」
そう言って扉を閉めた瞬間だった。
目の前の景色が、グニャグニャ歪み出す。
とてつもない船酔いになり、今にも吐きそうな感覚。
「これは・・あの時と同じだ。」
なってみて思い出したが、現代からここに来た時にエレベーターの中でもこうだった。
そしてそこからは、また意識を失ってしまう。
紫月は、汚れた壁にもたれて座っていた。
「気がついた!エレベーターの中で目を開けたまま、フリーズするんだもん。」
「梨咲?」
「ごめんね、エレベーターが怖くて固まっちゃったのね。」
「あれっ、塾にはもう行ったの?」
「ううん、今から行くの。
今度は階段で行こうね。」
ここは現代、紫月が元いた世界。
理由はわからないが、本来彼女がいるべき場所に帰って来たのだ。
紫月はゆっくり立ち上がり、階段に向かう梨咲の手を取り止める。
「どうしたの、まだ辛い?」
「そうじゃないの。
行かないと兄様や泰然が心配する。」
「兄様って誰よ、紫月は一人っ子じゃん。」
「僕はいないといけない、生贄様だから。」
それだけ言うと、エレベーターの中に消えて行った。
僕は、生贄の人生を生きようと思う! 雪乃 椿 @tsubayuki
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