やっと

桜桃

第1話 土の臭い

 実家は農家で、朝から晩まで土の臭いがしていた。お母さんとお父さんは、いつも土まみれ。


 汗を流して楽しそうに畑を耕しているのはいいと思う。でも、私も一緒に畑を耕すのは別。


 私は都会の人になりたいの。こんな田舎で、土を耕し続ける生活は嫌だ。

 学校に行っても私は土の臭いがすると言われ、臭いと遠巻きにされていた。そんな扱いされるのが本当に嫌で、嫌で。私は一刻も早く実家から出たかった。


 都会の学校に通う為、必死に勉強をした。数少ない友達の誘いを断ってまで、早く実家から出たいという一心で勉強を頑張った。だから、レベルの高い学校に通う事も出来たし、大手の会社に就職も出来た。


 順風満帆の人生、そう思っていたのに。


 少しのミスが、大きなミスに変わる世界。マウントを取られてストレスがたまるし、ミスの擦り付けもされる。

 上司は私の話を聞いてくれないし、周りの人に愚痴をこぼしても特に発散が出来る訳ではない。


 家に帰っても休む時間すらない。持ち帰った仕事を片付けないと周りの人に迷惑がかかる。寝る時間すら惜しんでやらないといけない。


 辛い、辛い、辛い。


 こんな生活を、私は望んでいたの? 私は今、何がしたいの?


 わからない、わからない。


 仕事を終らせても、また次の仕事が来る。終わらない無限ループ。


 パソコンを叩いていた手が止まる。こんなことをしても意味はあるのか、なんでこんなことをしなければならないのか。

 母親の反対を押し切ってまで、なんで私はこんな生活を望んでしまったのか。


 もう、いいかな。もう、諦めてもいいかな。


 頭の中に浮かぶのは、私の未来ではなく、私の死に方。頭に勝手に過って、それすらも辛く苦しい。


 私が居なくても誰も困らない、私の変わりは沢山居る。だから、もういなくなっても、いいよね。


 そう思っていたら、いきなり鳴り響いた着信音に驚き思考が止まった。


 中を見てみると、お母さんからのメール。


『余計な事だとは思うけど、やっぱり気になってしまうの。お願い、お野菜を送ったから食べてくれないかしら。お母さんは、いつでも貴方の事が心配なの。ごめんなさいね』


 メールが途中から歪んでしまい読めなくなった。涙が溢れ、今までの自分が馬鹿だなと思って。私はあふれる涙を拭きながら、お母さんに電話をした。

 嗚咽でうまく話せなかったはずなのに、お母さんは優しく相槌を打ちながら聞いてくれていた。それにまた、涙が溢れる。


 数日後、宅配便の人が、大きな段ボールを持ってきた。中を開けると、お母さんからの手紙と、土のついたお野菜。

 今まで嫌いだったはずの土の臭いが部屋の中に広がる。昔ならこれだけで怒りが芽生え、お母さんに怒鳴り散らしていただろう。でも、今はこの匂いが懐かしくて、温かくて。


 また、あの実家に帰りたい。


 この時、私はまた、涙した。





 数年後、私は今、駅にいる。キャリーケースを片手に、電車を間違えないように確認しながら来た電車に乗る。

 移り変わる景色を見ながらお母さんにメールをして、カメラに景色を収める。


 景色がどんどん移り変わり、建物が沢山あった景色から自然豊かな景色に移り変わる。どんどん緑が増え、建物がなくなる。土の臭いが鼻を掠め、思わず笑みが浮かぶ。


「この匂い、私はやっと、大好きになったよ」

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やっと 桜桃 @sakurannbo

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