ログ・ロゲーニア

しょうりん

短編

 フェスティがエリオスに会ったのは、彼が八つになったばかりの頃だった。


 「エリオス、こちらはフレンディル将軍のご子息で、フェスティだ。今日から、お前の遊び相手になってくれる」

 彼は、エリオスの父、サークス=ガルダ司祭にそう紹介されて、恐る恐るその部屋に足を踏み入れた。


 父親から、司祭の息子の遊び相手になってやって欲しいと頼まれたのは、3日前の事。

 病弱で友達のいない彼の為に、毎週一日だけ部屋に訪れ、話し相手になってやって欲しいと言われたのだ。

 フェスティは、それがどういう事かいまいち分からなかったが、何時も忙しい父が初めて自分にくれた頼みごとであったので、何も考えずにそのまま頷いた。


 そして、今日が司祭の息子との対面の日。

 彼は、足を一歩踏み出しただけで、大きく目を見開いた。 

 一瞬、茫然とする。余りにも広すぎる部屋に・・・・。


 フェスティの父は将軍であっても、豪華な家に住んでいる訳ではない。

 彼の父は下級貴族であったが、技と知恵に優れた兵士であったため、国王からの褒章として将軍職を与えられたのだ。


 故に彼の父は、贅沢な生活が苦手な男であった。

 父の影響で常に質素な生活を送っていたフェスティにとって、エリオスの部屋は国王の部屋のようにきらびやかなものに映った。

 

 角度によって不思議な色合いに変わる淡いクリーム色の壁、一目で優秀な職人の手で作られたと分かる立派な家具、見たこともない大きな本棚とそこに詰め込まれた数々の本、一般人には手の届かない銀製の望遠鏡。

 司祭の家は、代々続く国でも有数の貴族だと聞いていたが、これほどとは・・・・。


 しかし、彼は同時に何とも言えない違和感を感じた。

 何故かカ-テンがきっちりと閉められており、日の光が遮断されている。

 薄暗い部屋のあちこちに置かれた燭台に灯るロウソクの明かりだけが、ぼんやりとその部屋を照らしていた。


 ・・・・・まるで、魔法使いの部屋みたいだ。

 心の中で呟く。


 「こんにちは、君がフェスティかい?僕は、エリオスだ」

 やや甲高い、だが妙に落ち着いた声が部屋の中に響き渡る。

 よく通る声だ。

 彼は初めて、これから遊び相手になる少年、エリオス=ガルダに顔を向けた。


 少年は、大人でも三人は眠れるんじゃないかと思うくらい、大きなベッドに横たわっていた。

 輝くような金色の髪と、透き通ったグリ-ンの瞳を持った、青白い顔の美少年である。

 その少年は、少し苦しそうに顔を顰めた後、ベッドの上で上半身を起こした。


 「・・・あっ、フェスティです」

 余り見た事のないタイプの少年に、どきまぎしながら彼は頭を下げた。

 「フェスティ、息子は病弱なんだ。外に出る事が出来なくてね、その為同年代の友達もいない。息子の友達になってやってくれないか?」

 ガルダ司祭は、フェステの頭にポンと手を乗せ、ゆっくりと言った。整った顔に、優しさと憂いの混じりあったような表情を浮かべている。

 「はい」

 フェスティは、すぐに返事を返した。それから、癖のある茶色の髪を掻き回し、少し照れて臭そうに笑った。

 彼の湖色の瞳は、どこまでも澄んでいて、人の心を和ませるような優しい色をしていた。


 「よろしく」

 エリオスは、やはり子供とは思えぬ落ち着き払った様子で、フェスティの方に手を延ばして来た。彼は慌ててベッドの淵に駆け寄って、その手をしっかりと握りしめた。

 「よろしく」


 これが、二人の最初の出会いである。

 この日から、二人の奇妙な友情が始まった。

 二人は全く正反対の性格をしていたが、どこか通じるものがあった。

 それは、運命の出会いであったのかもしれない。


 時は、容赦なく過ぎ去っていく。

 この世でどんな権威のある人間でも、手出しできないのが時の流れである。

 そんな時の流れの中でも、二人はやがて青年に成長していった。


 「フェスティ、もし僕が健康で少しばかり剣の才能があったら、もし君がもう少し狡くて冷たかったら、きっと二人とも英雄になれただろうね?そして、最高のパートナーになれた」

 エリオスは、読み掛けの本を閉じて、傍らにいるフェスティに語りかけた。

 カーテンが締め切ってある薄暗い部屋を、ベッドの脇にある燭台の蝋燭の火がオレンジ色に照らしている。

 その側でフェスティは、父から貰った銀の剣を、さっきからしきりに磨いていた。


 「俺は、今のままでいい」

 「だけど、君の父上は、君が親衛隊に入隊する事を望んでるんだろ?」

 長い前髪をかきあげ、エリオスは多少皮肉めいた口調で言った。

 二十歳になっても、彼の体は少女のように華奢だった。長く伸ばしている髪も手伝って、どことなく非現実めいた様相をしている。


 「親父はな。でも俺は、剣士にはなれない。どんなに修行したって、無理なんだ」

 フェスティ-は、溜め息をついて剣を鞘に収めた。

 鍛え抜かれた体、目立つ長身、精悍な顔つき。剣を持った彼を相手にすれば、恐らく誰もが震えあがるだろう。

 フェスティは、そんな立派な若者に成長していた。

 しかし、その青い瞳には殺伐とした色は無い。静かで優しく、朝の湖のように穏やかだった。


 「エリオス、何故そんな事を言う?お前は、非存在主義とかいう、俺にはちょっと分からない思想を信仰してたんじゃないのか?英雄なんて詰まらん野心だ。そういうのは、やりたい奴がやればいい」

 「僕は、病弱だよ。日の光りを浴びれば、死んでしまうほどにね。そんな僕に、何が出来ると言う?悔しがって生きるくらいなら、最初から無いと思う方がいいだろ。何も無い、この世に在る物は、全て幻なんだとね」

 「俺には、それも分からんな。お前は、生きている。俺の前に居る。俺は、それを知っている。それは、在ると言えるんじゃないのか?」

 エリオスは、小さく笑ってベッドに横になった。

 「だが、死ねば忘れるさ。何時消えるかも分からない命。消えてしまえば、誰も僕の事なんか忘れて思い出さない。君には健康な体があるから、僕の気持ちなんて分からないさ。僕は、君でありたかったよ」


 フェステは顔を顰めて、親友の端正な横顔にちらっと視線を送った。

 その時彼が何を考えていたのか、フェスティには分からなかった。エリオスは何時ものように皮肉な笑みを浮かべているだけで、別段変わった様子は見られなかったのだ。

 が、後に彼はその時の事を、苦痛と後悔と共に思い出す事となった。


 その数日後、エリオスは自ら命を絶った。自室で一人静かに永遠の眠についた所を、屋敷の侍女に発見されたのだ。

 最初に侍女は、彼の死を疑った。何故なら、その顔は余りにも穏やかで、眠っているようにしか見えなかったからだ。

 彼の死に立ち会った人間は、綺麗な死に顔だったと誰もが口を揃えて言った。

 その傍らに、一つの剣と手紙があった。

 フェスティに渡してくれと、走り書きを添えて。


 一ヵ月程旅に出ていたフェスティは、帰って来てその事実を知った。慌ててガルダ家に駆けつけた時には、既にエリオスは土の中の人になっていた。

 墓参りをした帰り、ガルダ司祭からエリオスの遺品を受け取った。

 飾りも何もない、貧相な剣が一本。それとブルーの封筒に入った手紙。その封は、誰も開いてはいない。フェスティが帰ってくるまで、きちんと保管してくれていたのだ。


 フェスティは、町を見下ろす丘の上で手紙を読んだ。草原に座り、傍らに剣を置く。


 『親愛なるフェスティ=フレンディル様


 この手紙を君が読む頃には、僕は僕としてもうこの世にはいないでしょう。

 君の事だから、きっと心を傷め、自分を責めているんじゃないかな。


 でも、その必要はないよ。

 何故なら僕はちゃんと存在してるんだから。


 いつか君に、ロゲーニアの話しをしたね。

 万物には、全て記憶が宿っている。

 その記憶在る物体を、我々はログ・ロゲーニアと呼ぶ。

 その剣は、ログ・ロゲーニアの剣だ。

 僕は僕の最後の知識を使って、ロゲーニアの剣を作り上げた。

 僕はある秘術書を手に入れてから、ずっとその特殊な製法を研究していた。


 最初は作るつもりなどなかったが、君と過ごすうちに、次第とそれが一番いい事なのではと思うようになった。


 君に託したその剣は、僕だ。僕の記憶が宿っている。

 その剣が在る限り、僕は永遠に存在し続けるだろう。


 意識の融合を、君は信じるかい?

 他人が自分になり、自分もまた他人と溶け合う。

 君は嫌がるだろうね。

 でも僕は、君を知っている。

 君が決して、友の遺品を処分出来ない事をね。

 その剣を持っている限り、使わずにいられない事も・・・・。


 力が欲しい時、その剣を抜くがいい。

 そうすれば、きっと君は最強の男になれる。

 そして抜く度に、君は僕を思い出すだろう。

 その剣を抜けば抜く程、君は強くなれるよ。

 僕の意識が、君の意識と融合するんだ。

 最後に、二人は一つになる。


 共に、最上を目指そうじゃないか。

 君の夢は、僕の夢だ。

 これからの君の活躍を、期待してる』


 手紙は、それで終わっていた。


 フェスティは、苦しそうに顔を歪め、剣に視線を落とした。

 幼少の頃から、彼は比類稀な剣の才能を持っていった。試合では、一度も破れた事はなかった。だからこそ、父も期待していた。

 しかし、彼には戦士としては重大な欠点があるのだ。

 どうしても、人を傷つける事が出来ない。虫一匹も殺せぬこの心優しき青年が、殺伐とした戦場で名を馳せれる筈もなかった。


 十年来の友が、剣に姿を変えた。名もない病弱な哲学者である。無を求め、自分の存在を否定して、それなのに最終的には永遠を選んだ。


 孤独なこの青年は、本当は何を欲していたのだろう?


 フェスティは、剣を手に取ってみた。信じられない事に、剣はまるで人肌を思わせるくらいの、ほんのりとした温かみを感じた。

 まるで、親友の温もりのような。


 ふっと、彼は長い睫毛を伏せた。瞳から流れる雫が、頬へ伝って落ちて行く。

 胸が刃物で刺されたように痛み、唇から嗚咽が漏れた。

 彼にとっても、エリオスはかけがえのない友だった。その友が選んだ結末を、彼はどうしても受け入れる事は出来なかった。


 夕暮れが、町を染める。

 日の光が有るかぎり、決して生きていては見る事の出来ない美しい外の風景。

 生まれて始めて、エリオスはそれを見たのだろう。

 しかし、その感想を彼に問いかける事も出来ない。

 フェスティは、剣を抱えたまま、何時までも何時までも、その場所を動こうとはしなかった。



                END

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ログ・ロゲーニア しょうりん @shyorin

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