異星人はただのクズ

海沈生物

第1話

 異星人の彼氏に大変失望している。昨日も「今日は取引先相手と家畜人間の唐揚げを死ぬほど食べてきたし、いらないー」と帰宅してから断ってきたし、この前も私とのデートの約束を「今日やっぱ土星から来た異星人の友達とご飯食べに行くし、やめとくわー」と当日になって断ってきた。


 せっかく「異星人の恋人を作る」という長年の夢が叶ったというのに、こんなドタキャンばかりするようなクソ野郎を引いてしまうなんて、なんて不運なのだろう。もっと報連相ができる完璧超人な、人間の上位互換みたいな異星人と付き合いたかったというのに。こんな人間でもいそうなダメ人間……いや、ダメ異星人を引いてしまって、私の心は大変な失望に包まれていた。


 しかし、そんな異星人との付き合いも数ヶ月が経った頃のことだ。たまたまお互いの休日が重なった日があって、部屋の掃除をしていると、押し入れから一枚の写真を見つけた。そこには、知らない女性と異星人の彼の笑顔が映っていた。そこに映る彼は、私と一緒にいる時には一度も見せたことがなさそうな笑みを浮かべていた。


 その笑みはとても無愛想だった。誰かに媚びるわけでもない、ただ無愛想な笑みであった。それなのに、その笑みは優しかった。つい「私がこの笑みが心の底からのものであると分かっている」と勘違いしてしまいそうな、そんな不思議な笑みだった。


 けれど、その笑みは私に浮かべられていない。その優しさは私に向けられていない。私はこんな優しさを向けられる価値のない、ただの人間でしかない。その事実に、私の心に制御できないほどの激情が走った。


(私の異星人はこんな浮かれ野郎みたいな顔をしない……っ!)


 私は顔中の皺をギュッと引き締めると、写真をビリビリに破いて、ゴミ箱に投げ捨てた。ソファーの上からポテチのカスを零していた異星人の彼氏は、ムッとした顔でこちらを見てくる。


「人の写真を勝手に破って捨てないでよー」


「はぁ? 掃除中にポテチのカスをポロポロと床に零しているようなやつに言われたくないんだけど?」


「怒らないで、怒らないで。怒ったら血圧上がるよ?」


「怒らせているのは誰だと思っているの!?」


「うーん……誰なの?」


 本気で言っているのだろうか。目を見る限り、彼の顔色はふわふわとした、いつも通りのように見えた。私はため息をつく。


「……もういいわ。怒る気力も失くした」


「そう? なら、引き続きポテチを食べてるねー」


 彼はプイっと私に背中を向けると、パラパラと食べたポテチの粉を床に零す作業を再開する。その光景にまたため息をつきながら、心の中で軽く舌打ちをする。どうして、彼はこんなにも私の理想―――――報連相ができる完璧超人と―――――からかけ離れた存在なのだろうか。


 これならまだ、以前付き合っていた人間の彼氏の方がマシである。毎日玄関で「いってきます」のキスをして、毎晩発情期の盛りついた獣みたいに交尾を繰り返していた。そんな堕落的で破滅的な時間を過ごせる相手の方が十二分にもマシだった。


『理想を見るな。現実を見ろ』


 実家にいた頃、リアリストの父からしつこく言われていた言葉が頭に過ぎる。あの頃は「子ども相手にそんな夢のないこと言うなよ……」と思っていたが、今考えると、あの言葉は正しかったのだなと思う。

 

 異星人のような未知の相手に理想を抱いても、結局は現実で実現してしまえば、現実という枠組みによって矮小化された、ただの一つの人格を持った生き物になってしまう。理想は叶ってしまえば、それで終わりなのである。


―――――もういっそ、別れてしまおうか。


 私たちにはまだ子どもがいるわけではない。結婚もまだしていない、今ならばまだ、あの堕落的で破滅的な頃に戻ることができる。


 以前付き合っていたような人間をマッチングサイトで探して、なんとか相手を見つけることができたのなら。またあの堕落的で破滅的な時間に、脳を空っぽにして快楽に溺れることができる。抱えているのが辛い失望を抱く必要がなくなるはずだ。もう、こんな辛い思いをする必要がなくなるはずだ。


「……それなのに」


 それなのに。私の心は……理性は、彼と別れることを拒んでいた。彼はろくでもない人間である。部屋の掃除も手伝ってくれないし、ポテチは床に零すし、ドタキャンをしまくるクソ野郎だし。


 それなのに。私は、そんなダメな彼のことが好きだった。私の心を嫌な気持ちにさせる彼のことが、どうしようもないぐらい好きだった。嫌いであればあろうとするほど、彼のことが好きになった。彼の寝起きのまま整えていないぼさぼさの髪も、彼の背中から生える内臓みたいな色の触手も、その癖に丁寧に切り揃えられた爪も。彼の全てが好きで、好きで、好きで、堪らなかった。愛おしくて、愛さずにはいられなかった。


 ふと、私は彼の背中から生える触手に触れる。突然触れられたことで「ピクリっ」と触手は震えると、まだポテチを食べている彼は私の方を見てくる。


「んーどうかした?」


 彼は相変わらず無愛想な顔ではなく、いつものふわふわとした表情を見せてきた。その表情は写真の中のものとは明らかに異なるものであり、その事実に心がキュッと苦しくなる。……でも、それでも。


「……ソファー、自分で掃除をしておいてよね? 汚したのは貴方なんだし」


「えっ!? ついでだし、やっておいてくれないの? ついでだし」


「そんなカスのヒモ男みたいなことを言ってもダメでーす。たまには自分でやってくれないと、私もストライキ起こすからね?」


「専業主婦なのに?」


「パートやっているわよ、バカ」


 私は彼の背中の触手をペシッとしばく。痛みから触手が少し震えたのを見ると、失望から沈んでいた心が少し軽くなった。決して、彼への失望が消えたわけではない。彼がもっと、理想的な人物であればと思う。それでも、私は今の理想が満たされない現状も悪くないなと思っていた。



―――――



 一体、なぜ、どうして。そういった感情が発生する前に、彼の触手が抜かれ、私の身体は血を噴き出しながら地面に叩き付けられた。自分の周囲に血溜まりが生成されていくのを見ながら、私は頭に疑問符を浮かべる。その疑問に応えるようにして、彼が私の前に出てくる。その時、私はを理解した。


 彼の笑みはとても無愛想だった。誰かに媚びるわけでもない、ただ無愛想な笑みであった。それなのに、その笑みは優しかった。つい「私がこの笑みが心の底からのものであると分かっている」と勘違いしてしまいそうな、そんな不思議な笑みだった。


 つまり、あの写真に映っていた女性の笑みは……あの写真に、二人の顔しか映っていなかったのは。しかし、そう気付いた所でもう遅かった。彼は触手で私の顔を持ち上げると、スマホで写真を撮ろうとしてくる。


「ほーら、笑って笑って?」


 彼の優しい声が聞こえてくる。こんな死にかけの人間とツーショット写真を撮ろうとするなんて……なんて、イカれたクズ異星人なのだろうか。けれど、それでも好きだった。そんなことをされてもなお、私は彼のことが好きで好きで堪らなかった。愛おしくて、愛さずにはいられなかった。

 私は死力を尽くして痛みを堪えると、精一杯の笑みを浮かべる。


 ぱしゃり。


 カメラの音を最期にして、私の意識は途絶えた。


 

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