廃墟、会議室、丸箱

イヌハッカ

廃墟、会議室、丸箱

 日給は150,000円、時給換算で50,000円になる。つまり、たった3時間のアルバイトが始まった。


「この箱をずっと見張ってればいいんだよな」


 派手な金髪をした男は、担当者がドアから出て行ったのを見届けるとそう言った。無地の半袖から見える右腕に、からすをモチーフにしたタトゥーがあり、周囲を威圧するような見た目をしている。


 箱、とは机の上にある丸い菓子箱のことだ。


「監視カメラとかもないですし、ね、ねててもバレませんけどね」


 同じくバイトに参加する小太りの男がヒヒッ、と笑う。


 朝の8時に4人で駅に集合し、乗せられたマイクロバスで数時間運ばれてたどり着いたのは山奥の廃墟だった。

 

 何らかの施設だったであろうその建物は2階建てで、俺たちは1階の会議室に通された。廃墟と言っても窓が割れているわけでもないので、施設が手放されたのは最近の事なのだろう。

 

 俺たちを連れてきたスーツの男は、部屋の真ん中に置かれた箱を3時間監視することを指示してきた。


 バイトの内容はそれだけであり、理由を聞いても分からないと言われた。スーツの男も金で雇われただけらしい。


 ただし、箱を開かないように、ということを徹底して念押しされた。それも理由を答えてはもらえなかった。


 中を見られたくないのなら、なぜ監視なんてさせるのだろうか。それも大金を払ってまで。それに本当に見られたくないなら俺たちにこそ監視をつけるべきだ。


「ま、3時間で15万だからな。真面目にこなそうぜ」


 金髪はそう言って壁にもたれて座った。見た目の割に真面目らしい。


 それをみた4人目、黒髪の女の子も同じように座る。見た目は女子高生ぐらいに見える。ここに来るまでの間、ずっと無表情で感情が読み取れない。


 それにしても、この部屋には机と箱以外に何もない。椅子ぐらい用意してくれてもよかったのに。


「移動に2時間ぐらいかかったのは予想外でしたけどね。求人には移動時間について書かれてなかったから」


 座りながらそう言うと、金髪は確かにな、といって笑った。


 それ以降、会話が発生することはなく、白い会議室の中は静かになる。

 

 部屋には時計もない。荷物はスーツの男に回収されたのでより時間が長く感じる。今何分経ったのだろう?


 相変わらず気になるのは、このバイトの目的だった。何かの社会実験だったりするのだろうか? 目的を知らせないのは妙なバイアスがかかることを避けるためとか。


 そうだとしても、やはり監視カメラも付けないのが気になる。バイト中の様子が分からなければ実験の意味もない。

 

 実は隠しカメラがあったりして、と探しても見つけられはしなかった。


 おもむろに小太りの男が立ちあがり、箱のある机に近づき始めた。


「おい、触んなよ」


「見るだけですよ。見るのは仕事の範疇でしょ?」


 小太りの男は覗き込むようにして箱を観察し始める。やはり、箱に秘密があるのだろうか。


 といっても、箱に特別な感じはしない。直径30センチ程度の茶色い箱には、有名な洋菓子店のロゴが入っており、結婚式の引き出物で貰ったと言われても納得できる。

 

 箱をのせた机が、中学校で使うような学習机だということが違和感といえば違和感だろう。


「何の変哲もないですね、中は何が入ってるんだろう」


 おい、と金髪が不機嫌そうな声を出した時だ。反対側に回り込もうとした小太りの男が机の角に体を引っかける。


「おっと……」


 机が派手な音を立てて倒れた。丸い箱は地面に落ち、俺の目の前まで転がり、そして蓋が外れた。

 

 箱の中には何もなかった。

 

 倒れた音の残響はすぐに消え、部屋がさっきまでの数倍は静かになったように感じた。


「てめぇ」


「だ大丈夫ですよ、すぐ戻せば! バレませんって!」


 そう言って小太りの男が机をもとの位置に戻す。そして箱を拾おうとしてこちらを振り向き、右足を踏み出した。


 その瞬間にひざまずくようにして男の姿勢が低くなった。


 あぶねっ、といった男は不思議そうに自分の左足を見る。俺もつられてその後足を覗き込む。


 その位置にあるはずのふくらはぎのふくらみが、不自然に消えている。着ていたスウェットの大腿部より下がぺしゃんこになっていた。


 あれ、と男が言うと、今度は左足全体のふくらみがなくなった。男の身体がさらに低くなる。


 今度は右足のふくらはぎが消えた。そして大腿部、さらに下腹部、右手から右腕全体、同じように左腕も消え、次の瞬間には頭以外のすべてが消えた。


 生首だけになった男がこちらに転がってきて、目が合った。ポカンとした表情をした男の顔は、まばたきすると無くなった。


 会議室では相変わらず音がしなかったが、そんなことは気にならなくなった。

 男の着ていた、大きめの服がその場に残っていた。


「何が起きた。……なぁ」


 金髪の男がこちらを見る。首を振ることしかできない。黒髪の少女もこちらを向いている。相変わらず無表情だったが、驚いているようにも見える。


「やべぇぞ、おい。何が起こってんだこれは」


 金髪が立ちあがって部屋の扉に向かって走る。


「どこ行くんですか、バイト中ですけど……」


「逃げんだよ! どう考えてもここに居ちゃまずいだろ!」


 いまだ座ったままの俺と少女に苛立ったように金髪が叫んだ。


 ハッとして立ちあがる俺とは対照的に少女は座ったままだ。金髪は構わず扉を開く。

 

 そうして一歩踏み出した時、男の姿勢が低くなる。


 勢いをつけた男の身体が転がり、扉の前の壁に激突する。

 男の顔は痛みに耐えるより、恐怖に染まっていた。先程と同じように足から、胴体と腕を経て、男の頭が残った。


 転がった頭は壁の方を向いて止まった。そして消えた。

 今度は消えた瞬間がはっきりと見えた。明かりを消すみたいに一瞬だった。


 パニックを起こしたが、その場から動けなくなる。どうして、箱を開けたのは小太りの方で、金髪の方は何もしていないはずだ。


 それとも、もうすでにダメなのか? 箱を開けてしまった時点で、4人全員が消えてしまう運命なのか。


 しかし、しばらく時間が経っても何も起こらなかった。建物に残された人間の数は、それ以降変化しない。


「慎重に、なった方がいいと思う。多分」


 少女が初めて口を開いた。床に手をついてゆっくりと立ち上がる。顔には冷や汗が浮かんでいた。


「……どうして。早く逃げるべきじゃないか?」


「これ以上、箱を開けちゃだめだから」


 意味が分からない。金髪が開いたのは部屋のドアだ。最初の小太りの男以外、箱は空けてない。


「最初に箱の蓋が取れたせいで、さっきまで部屋だったものは箱になったんだ。箱の内側と外側を、分けていたものがなくなったから、多分」


 会議室を見渡す。縦横高さが直角に交わる長方形の部屋は、大きな視点で見れば確かに箱というのにふさわしいかもしれない。


 最初の丸い箱を開け、箱の内と外の空間が接したことで、箱の定義は部屋全体に変わった、少女が言いたいのはそういうことだろう。


「ありえない。蓋がなくなったところで箱は箱だろ」


「でも実際そうなってる。扉を開けて、仕切りがなくなったから金髪の人は消えたんでしょ」


 廊下にはさっきまで男の着ていた服だけが残っていた。


「通気口は? 部屋は完全には閉じ切っていなかった」


「元の箱も密閉されてはいなかったはず。ある程度の隙間はムシされるって考えた方が自然だと思う」


 転がったクッキーの箱を見る。ただの紙製の箱の密閉率は確かに低いだろう。


「それに、こんな状況で常識を言ったって、無意味でしょ」


 少女の言葉に賛同せざる負えない。先ほど起きた出来事はどう見てもマジックのようには見えなかった。


 俺たちはとりあえず会議室の中でここをどう脱出するかを話し合った。会議室から出なかったのは、ここにこれ以上開けられるものはないからだ。


 話し合いができる以上、口を開けるのは問題なさそうだ。


「通気口や口みたいな、小さな隙間なら空間を繋げたことにはならなそう」


「最初の蓋はどうだ? 空いた隙間は通気口より小さいだろう」


「それは箱全体の大きさが問題だと思う」


 部屋全体が箱になったことで、相対的に蓋の大きさが小さくなった。しかし、菓子箱の時点では十分な大きさだった。こういうことだろう。


 開けてもいい隙間は、おそらく箱の中の広さとともに変化する。新たな隙間によって、箱の範囲が拡大すればその分無視される穴の大きさも広がる。


「会議室からエントランスまでは廊下でつながってるだけだ。このまま歩いて建物を出ればいい」


「問題は入り口の扉だよね」


 最初に建物から入ってきたとき、大きなガラス戸を開けて中に入った。建物の廊下まで箱の範囲は広がったが、あのサイズの扉を開くことはおそらくタブーだろう。


「どうする? 他に出口はない。どっちが開ける?」


「いや、どっちも開けなくていい。私たちは二人とも無事なままここを出られるはず」


***


 俺たちは他の部屋の扉を開かないよう、細心の注意を払いながらエントランスまでたどり着いた。


 玄関より小さい、部屋の扉なら開けるかもしれないが、それを試す勇気はなかった。


「それにしても、このエントランス。棚やら金庫やら、なんでこんなに扉が多いんだ?」

 

 おそらく、この施設を手放した奴らが使ってたものだろう。エントランスには錆びついたロッカーなどが放置されていた。


 持ち出す計画が途中で頓挫したのか、持ち出す途中で廃墟と一緒に捨てたほうが安上がりと気づいたのか。いずれにせよ、いい迷惑だ。


 俺と少女は物陰に隠れ、建物の外をうかがった。


 しばらくすると、ガラス戸の向こう側からスーツの男がやってくるのが見えた。手に持っているのは、最初に回収した俺たちの荷物だ。


「あの人に扉を開かせて、そのうちに外に出る」


 それが少女の考えた脱出方法だった。スーツの男は消えてしまうかもしれないが、二人は無事に外に出られる。


「男が扉を開いても、開きっぱなしにしてくれるわけではないから。すぐに出るよ」


 了解、と短く返事をする。スーツの男には申し訳ないが、しょうがない。

 

 何も知らない男が銀メッキの取っ手を握り、ガラス戸を引いてエントランスの中に入った。


「あれっ」


 男の右足がなくなり始めるのと、俺が走り始めるのは同時だった。閉まりかけている扉を押し開けて少女の方を振り返る。


「離してッ」


 少女の足元にスーツの男が縋りついている。しっかりと足首を掴んでいるのが見える。


「扉はずっと開けてる! 落ち着け!」

 

 少女は力づくで引き抜こうと、前のめりになる。


 その体勢はまずい。

 

 直後に、男の右手が消えた。均衡していた力がなくなり、少女が体勢をくずす。

 思わず伸ばした少女の手は、乱雑に置かれたロッカーにあたった。


 ドミノ倒しにいくつかのロッカーが倒れる。その結果、ロッカーの錆びついた扉がきしみながらゆっくりと開き始めた。

 今はまだ隙間が小さいが、このまま広がれば空間同士が接することになる。


 半狂乱となった少女は手当たり次第にロッカーを閉じる。嫌な音が静まっていく。


 少女が一点を見つめて動かなくなった。残る扉は一つだけのようだ。


 それはドミノ倒しの終着点。最も離れた場所で横倒しになり、両開きの扉をこちらに見せつける大きなロッカーだった。


 このロッカーが開くことで少女が消えるかは、実を言うと確定してはいない。


 入り口のガラス扉をスーツの男が開けたことで、箱の定義は地球全体、さらに言えばもっと広く、宇宙全体へと変わったはずだ。


 それだけ箱の大きさは大きくなり、それだけ開けていい隙間の大きさも広くなったはずだ。

 この世のどんな扉を開こうと、体は消えないかもしれない。


 でも、箱に許容される隙間にがないとも限らない。

 それは会議室で話し合った際に生まれた最悪の想像だった。建物から出た後も、この状況が続くのだ。


 自宅の扉やコンビニの自動ドアまで、警戒すべきタイミングはいくつあるだろうか?

 まさに絶望というのにふさわしいだろう。俺たちは考えることをやめて、外に出ることに集中するようになった。


 ロッカーを押してしまった少女は、その時の会話を思い出したのだろう。


 少女はスーツの男が身につけていたベルトを拾うと、開きかけの扉に投げつけた。


 扉はベルトによって押し戻される。しかし、扉は完全に閉じ切る寸前で急に動きを止め、またゆっくりと開き始めた。


「……何で」


 ベルトの勢いは扉を押し戻すのに十分だった。しかし、先ほど倒れた衝撃のせいか、枠が歪んでしまっていたのだ。


 少女は両膝をつき、開きつつある扉を見ていた。動く気力などなく、完全に絶望している。


 扉はどんどん開き、ロッカーの空っぽの中身を見せる。あれが完全に開ききると、少女は消えてしまうかもしれない。


 俺はガラス扉を思い切り外に押し出し、全開の状態にした。


 そして素早くスーツの男に近寄ると、すでに頭だけになっていた男の髪を掴んだ。


「え」


 それを開きかけていた両開きのロッカーに放り投げる。


 ボーリング玉程度の重さがある生首に勢いはつかなかった。しかし、どうにか開きつつある扉の上に届いた。


「何すんの!」


 生首の重さによって完全に扉が開く。少女は叫んだ。俺はその声を聞きながら、急いで閉まりつつあった玄関を押さえに戻った。


「安心しろ。もう大丈夫だから、ゆっくりこっちに来い」


 少女は泣く寸前だったが、いつまでも自分の右足が消えないことに気がつくと、ハッとした顔でこちらを向いた。


 最初の小太りの男は、机を揺らして落とした箱の蓋が取れ、消えてしまった。


 この事から、たとえ間接的でも空間を広げる行動は出来ないことを、会議室では確認しあっている。


 しかし、さっきロッカーを開けるために使ったのは、スーツの男の頭だった。


 半開きの扉は頭の重さによって全開になった。それは、スーツの男が開けたことになったようだ。


 正直、一か八かだった。が、結果的に俺も少女も消えることはないようだ。


 足元に残された自分たちの荷物を回収し、慎重に玄関から外へ出る。


 建物の目の前には道路が通っており、男の乗ってきたマイクロバスがあった。


 バスの運転は出来ないので、山道を歩くことにする。しばらく下っていくと、一面に田んぼの広がる平野に小さな駅が見えた。


 俺たちは駅のホームでベンチに座り、帰りの電車を待つことにした。


「15万、何に使うつもりだったんだ?」


 沈黙が気まずくなった俺は少女に話しかける。


「韓国で推しのライブがあって、旅行代に」


 少女は疲れた顔で答えた。


 やがて電車がやってきた。開いた扉から乗り込む。そして俺たちは一両車へ、扉を運転手を確認しに行った。


 運転手は無表情で街の方を見ていた。列車は止まることなく、線路を走り続ける。

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