最終話 それだけの話
宗像琉衣は授業を終えた後、友人たちからの誘いを断って一人で下校していた。高校二年生だった琉衣は三年生になっており、既に地元への大学の入学を決めていた。
夜桜市の空は雲で覆われている。この冬の季節になると、雪が降ることも珍しくはない。琉衣は寒そうに首に巻いているマフラーの位置を直すと、制服のズボンのポケットに手を入れて、歩いていく。この道は琉衣の帰宅する方向とは違うのだが、ある場所に向かうためにこの道を通っていた。以前はよく通っていた道だが、琉衣がこの道を歩くのは約一年振りとなる。
この道は、シツツメ商店に向かう時に通っていた道だ。
今から約一年前に、シツツメは夜桜市のダンジョンの第一階層で血塗れの状態で発見された。発見された時には既に心肺停止の状態で、死後数時間が経過していたらしい。それに加え、もうひとつの出来事もあってシツツメの死は当時、大きなニュースとなった。
それは雨宮凛音が行方不明になったことだ。人気配信者が突如として行方不明になったことでマスコミは当然、ネット上でも非常に騒がれた。以前から夜桜市のダンジョンの攻略をするというのは彼女の口から告げられていたため、ダンジョン攻略に失敗してしまい、命を落としてしまったのではというのが最も有力な説だった。
しかし何故、夜桜市のダンジョンを唯一攻略したと言われているシツツメが第一階層で死んでいたかというのは、未だに謎に包まれたままだ。そもそも第一階層は一般公開もされている安全が確保された場所であり、決して命の危険があるような場所ではない。
その上、シツツメの体には何かで貫かれたような傷がいくつも確認された。そのことから自殺の線は否定されており、何者かによって殺害されたのでは──という推理も出ていたが、結局のところ真実は解明されてはいない。そもそも誰かがシツツメを殺害したとして、人目のつくような場所に放置する理由は無いはずである。
その二つの事件は当然、夜桜高校に注目を浴びせてしまった。今でこそ落ち着きを取り戻したが、数か月間は取材のマスコミや野次馬、このことを面白おかしく取り上げようとする動画投稿者などが大挙として押し寄せ、一時期はまともに授業を行うこともできなかったほどである。
シツツメが亡くなってしまい、主を失ったシツツメ商店にもそういった輩がやって来ては店内を勝手に撮影していた。だがそれを見かねたシツツメの知人や、近所の住人たちが一時的にシツツメ商店の管理をして、勝手に入ったり撮影をしたりというのを防いでいた。しかし主を失った店はもう営業することはなく、琉衣を含めてシツツメ商店に通っていた生徒たちももうその場所とは疎遠になってしまっていた。
いや、むしろシツツメと関わっていた者たちは、シツツメの死を少しでも早く過去のものとするため、あえて立ち寄らなくなってしまったのかも知れない。それぐらい、彼の死は衝撃的なことだったのだ。
「……あれ? シャッターが開いてる」
シツツメ商店のすぐ近くまでやってきた琉衣は、閉まっているはずのシャッターが開いていることに気づいた。誰かがいるのだろうかと思いながら、シャッターが開いた店の中を覗き込んだ琉衣は、黒いスーツ姿の男性を視界に捉えた。店内の掃除をしていたその男性は琉衣に気づくと掃除を中断して、顔を店の入り口に向ける。
「ん? あ、確か君は……琉衣君だったか? 久しぶりだな」
「あ、はい、そうです。藤村さん……ですよね。シツツメさんの友人の」
「覚えていてくれたか。何度か会ったことがあるぐらいだったけどな」
琉衣はぺこりとお辞儀をしてから、店内へと入った。藤村は手に持っていた箒を適当な場所に立てかけ、琉衣へと向き直る。藤村の言う通り、何度か会ったことはあるが、きちんと会話をしたことはなかった。
「今日はどうした? 夜桜高校の生徒がここに来るなんて、随分と久しぶりじゃないか?」
「理由は特に無いんですけど……何となく、ここに来ようと思ったんです。シツツメさんが亡くなってから、来ることもなかったから……藤村さんは、お店の掃除ですか?」
「ああ、まあな。週に何回か来て、掃除をしているんだ。人が来なくても汚れるからな……汚くしていたら、四季が夢の中に出てきて、文句を言いそうだしな」
と藤村は言って、どこか寂しそうに笑う。藤村は昔からシツツメと付き合いのある友人であると同時に、一番の友人でもあった。こうしてシツツメ商店の掃除を行っているのも、そのことが大きいのだろう。
「確かにシツツメさんなら、あり得ますよね。何掃除サボってんだって言いそうです」
「はは、言うよなあいつなら。……琉衣君、その。彼女は──八雲伊月は、どうなってる? 状態は良くなったのか?」
藤村は琉衣にそう尋ねる。伊月はシツツメに好意を寄せていた少女であり、シツツメ商店に良く通っていた。そしてシツツメが亡くなったことを最も悲しみ、そして絶望した人間でもある。以前に藤村が小耳に挟んだ話では精神的な面で非常に不安定になっており、自傷行為も確認されてそのことが原因で入院し、学校は休学中だという。少しでも回復していて欲しいと藤村は思っていたのだが、琉衣の表情が物語っていた。
「やっぱり、まだ良くないのか」
「……伊月は少し前に、家族と一緒に引っ越しました。もう夜桜市にはいません。ここにいたら、伊月がシツツメさんのことをずっと引きずるからって。少しでもそのことを忘れさせてあげたいって伊月のご両親が、夜桜市を離れる直前に教えてくれました」
「ああ、そうか。……そうだよな、そうなるのも当然だ」
藤村は自分を納得させるように呟き、頷く。伊月が慕っていたシツツメはもうこの街にはいない。ここにいてシツツメの死にずっと囚われ続けるぐらいならば、遠く離れた地に移るのも自然なことである。
「伊月がいなくなってしまったのは寂しいですけど、あいつが少しでも良くなってくれるのなら、俺はそれで充分です。……藤村さんは、どうなんですか? ダンジョンの方は、まだ忙しいですか?」
「ああ、それなんだけど……ここ最近、ダンジョン内でモンスターの姿を見かけないらしい。そんなことあり得ないはずなんだけどな。で、探索が容易になって、最下層近くまで潜れるようになったんだが、これまた変な話でな。四季が辿り着いた最下層に入れないんだと。行方不明になった雨宮凛音はそこにいるんじゃないかって噂なんだが、どうやっても最下層に行けないんだから、確認しようがないらしい」
不思議な話だよと、藤村は肩をすくめる。神妙な面持ちをしていた琉衣は「雨宮さんは」と、口にしてこう切り出した。
「もしかしたら、シツツメさんと何かあったんじゃないんですか? 雨宮さんが行方不明になったのと、シツツメさんが亡くなったこと──無関係だとはとても思えないんです。雨宮さんはあのダンジョンの攻略を目的としていたし、そのことでシツツメさんにずっとアプローチをしていた。もしかしたら、それが拗れて……」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないな。今となっちゃ、確認する手段も無い。……四季が何か隠していたのは俺も知っていたけど、教えちゃくれなかった。多分、俺がしつこく聞いても口を割ることはなかっただろうな」
藤村はいつもシツツメが座り、文庫本を読んでいたカウンターの奥に視線を向けた。そこにはシツツメが亡くなる前──ダンジョンに向かう直前まで読んでいた文庫本が置かれており、そのまま放置されている。読み手を失ったその本が、最後まで読まれることはこれからも訪れることはないだろう。
「四季はきっと、俺たちが知ったところでどうにもできない何かをずっと抱え込んでいたんだ。恐らくダンジョンの最下層に辿りついてから、ずっと。それを抱えたまま、四季はこの街で過ごしていた。俺はそれを知りたかった。知って、あいつの役に立ちたかった。あいつがどう思っていたかは分からないけど、俺は親友だって思っていたからな」
「シツツメさんが亡くなったのは、その抱え込んでいた何かのせいだってことですか?」
「あるいはな。でもきっと四季は、その抱え込んでいたものは下したはずだ。こう言うと四季の奴は怒るから言わないようにしていたんだけど、あいつ、責任感が強い上に優しい奴だったからな。俺たちに心配をかけないように自分だけで解決したんだよ、きっと。……でも、死ぬことなんて、なかったのにな」
藤村は震える声でそう言った。琉衣は下唇を噛み、無性に泣きたくなってしまった。下を向いて涙が零れそうになるのを堪えながら、琉衣は言う。
「今度俺も、シツツメさんのお店の掃除、手伝います。それぐらいしか、できないから」
「お、ありがとうな。四季の奴も喜ぶよ」
「はい。……久しぶりにここに来て、話を聞けて良かったです。失礼します」
嬉しそうに笑う藤村に、琉衣は丁寧に頭を下げた。そして懐かしむようにもう品物が置いておらず、がらんとした店内を見渡してから、琉衣は店を後にした。
残った藤村はその後、しばらく店内の掃除を続けた。そして一通りの掃除を終えると、スーツの埃を払い、店の外に出ると入り口の戸を閉めて鍵をかける。
「また来るからな、四季」
藤村は呟き、シャッターを下ろした。真っ暗になったシツツメ商店の店内は、まるで世界がそこだけになってしまったかのように静かに、だが時を刻んでいく。
誰にも知られることなくシツツメが異世界への道を途切れさせたそのダンジョンは時間、そして年月と共に荒廃していった。かつて知られる中でも攻略すれば最高の名誉となったダンジョンも、今では瓦礫で飾られるばかりだ。
難易度最高ランクのダンジョン攻略を目指す超絶美少女配信者に協力する権利を与えられましたが、ほぼ引退しているのでボランティア活動に従事しようと思います。 森ノ中梟 @8823fukurou
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