記憶を失くした雷 1

帆尊歩

第1話 初期化

「仁科博士、あなたがなぜここに拘束されているか、そのことは十分理解していますよね」

「分かっているよ。でも官房長官自らが取り調べとはね」

「当然でしょう。今回の事は高度に政治的な事柄だ。半年前の「神の雷(いかずち)」から世界は壮大な記憶喪失に陥った。それがどれほど重大なことか分かっていますよね」

「分かっているよ。と言うかその「神の雷」って何だ」

「中央サーバーからの全世界へのデータのリセット命令は、雷が落ちたという天災による誤作動と言うことになっています。その雷が落ちたことが原因ということを、強調するためそういう名前になった」

「まあその通りだ。今回の事は天災だ」

「何をヌケヌケと」

「でも、これで人類はやり直せる」

「何を言っている。それがどれだけの人に命を奪い、世界を混乱させたか、分かっていますよね。蓄積されたデータ、これはAIの運用に不可欠なものだ。それが消去されたら、AIは何も出来なくなる。ビジネス文書、公官庁の決定業務、通達業務が出来なくなった」

「自分たちで考えて、手書きで官報を書いて、張り出せば良いじゃないか。企業だって、稟議は手で書き、関係部署には自分で持って行き、判をもらえば良い。昔はそうしていた」

「ネットバンキングも出来なくなった」

「通帳を復活させて、判を押して紙を書けば良い。給料だって、現金で渡せば良いんだ。昔はそうしていた」

「病院は電子カルテが使えなくて、検査結果がモニターに出せなくなった」

「カルテは手で書けばいい。検査結果は検査室から持って来てもらうか、取りに行けばいい。レントゲンはフィルムにして照明に照らせば良い。昔はそうしていた」

「AIが担っていた、ドラマや映画の企画、原作、脚本、挿絵、絵画、音楽の作曲、演奏、小説の執筆、ネットへの投稿。全て出来なくなった」

「それぞれの作家に書かせれば良いだろう。小説のネットの投稿が出来ないなら、出版社から活字で印刷、製本して売れば良いだろう。もっと面白い物が出来るかもしれない。昔はそうしていた」

「そんなことの全てがすでに出来ないんだ。

人間は考えることを止めた。

決定業務も、通達の仕方も今の職員は知らない。

企業だって決済伺いの書き方も分からない。

仕事の進め方も分からない。

今ではATMの使い方を知っている人間だっていないんだ。

映画やドラマを作りたくてもプロデュースも出来ない。

脚本を書ける人間はこの世に存在しない。

小説を書ける人間もいない。

そもそも紙の本を出せる企業もない」

「今からはじめればいい。そんな事、人間は当たり前にやっていたんだ。AIに任せるなんて、どうかしている」

「それが雷が落ちたら誤作動を起こすように仕組んだ動機か」

「今の世界はおかしいんだ。全てAIで何でも出来ると思っている」

「出来ていたんだ」

「でも一つことが起きれば、何も出来ない。こんな世界はおかしい。人類は早ければ数百年で滅びるぞ」

「まさか、あなたが提唱した全ての電子機器の相互接続は、今回のことを起こすための準備だったなんて言いわないよな」

「ノーコメント」

「私はあなたの作った世界は素晴らしいと思った。全ての電子機器が接続されたことによって、世界に物を書く仕事はなくなったが、機密は存在しなくなり、戦争も紛争も起きない。犯罪も全て防犯カメラに撮影され、顔認証が出来るから、犯罪もなくなった。あっても簡単に犯人が特定出来るので犯罪も極端に減った。良いことずくめじゃないか」

「本当にそんな世界が良いと思っているのか。さっき数百年と言ったが、そんなんでは人類は百年と持たないぞ」

「それで世界を記憶喪失にさせたのか」

「記憶喪失?官房長官のくせにうまいことを言うじゃないか。記憶喪失は、一時的ではない。永遠にだ。ここから人類はもう一度やり直すんだ」

「おかしいと思った。地下深くに何重にも守られた、巨大サーバーが雷ごときで誤作動を起こす訳がない。まして基本ソフトを含む全てのデータをリセットする命令が誤作動で出るなんて」

「どうとでもしてくれ。別に死刑にしてくれてもいい。他の国に引き渡してもいい。これで人類がやり直せるなら、本望だ」

「ふざけるな」

「ふざけてなんかいない。これが最善だ」

「わかった。仁科博士。もうあなたと会うこともない」


「官房長官、お疲れ様でした」

「あの男を完全隔離の上、絶対に他との接触はさせるな。世界を記憶喪失にさせたなんて外に漏れたら大変だ。本当は死んでもらいたいくらいだが、国が暗殺をするわけにはいかないしな」

「関係国への報告と、発表はどうしますか」

「そんな事、出来るわけないだろう。この壮大な記憶喪失が意図されたものだなんて。世界中から叩かれるぞ。発表もしない。天災で押し通す。そのためにも仁科博士には消えてもらわないと」

「わかりました。そのように対処いたします」

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