盲目と醜女 5人用台本

ちぃねぇ

第1話 盲目と醜女

【登場人物】

紗代:母に醜女(本来は読みませんがこの作品中ではブス)と疎まれてきた少女

()は紗代の心の声(モノローグ)になります。

母:夫が失踪し、紗代を憎むことでなんとか生きてきた可哀そうな人

修二:盲目のピアニスト

多恵:修二の姉。おおらかでお茶目

狐:妖狐(ようこ)その昔、修二に目と引き換えに才能を与えた




紗代:(私の母は、いわゆる愛人の人だった。私の父には本妻がいた。けれども本妻と父の間には子供が無く、先に身籠ったのは母の方だった)

母:私はねぇ!あの女に勝ったのよ!勝ってたのよっ!なのに…なのにっ…!

紗代:(ところが、生まれてきた私は父に全く似ていなかった。成長するにすれ、それは顕著(けんちょ)に表れた。次第に父は母の不貞を疑っていった)

母:自分が他所(よそ)に女抱えてるからって、随分(ずいぶん)ひどい話よねぇ?私の純愛を疑うなんて…私にはあの人がすべてだったのよ?

紗代:(父は私が10の時に養育費の入った口座だけを残し…消えた)

母:どうして?どうして私が捨てられるの?あり得ない…あり得ない。ねぇ、そうでしょう!?

紗代:(母は父がいなくなった事実を抱えきれなかった)

母:あんたが…あんたがあの人に似てないばっかりに!この醜女(ぶす)っ!あんたが…あんたがいなければ…あんたさえ生まれてこなければ…っ

紗代:(父の残したお金は十分にあったから、私たちは生活に困ることはなかった)

母:醜女っ!醜女!返してよ…あの人を返しなさいよぉ!

紗代:(暮らせはした。確かに食事に困ることはなかった。……だけど)

母:あんたなんか…死ねばいいのに

紗代:(私はさっさと、殺してほしかった)


0:紗代、16歳の誕生日。


母:紗代、あんたに縁談が来たわ

紗代:縁談…

母:あんたみたいな醜女(ぶす)を貰いたがる奇特(きとく)な方が現れたのよ、よかったわねぇ、醜女

紗代:…はい

母:もうちょーっと遅かったらあんたを娼館へ売ってやろうと思ってたのに…残念だわぁ。ほんと、よかったわねぇ?いろーんな殿方のお相手をしなくてすんで

紗代:…………

母:何か言いなさいよ、つまらない子ね。はぁ…ほんと、なんでこんな奴産んじゃったのかしら

紗代:……先方は

母:あ゛ぁ?

紗代:…先方は、どうして私に縁談を申し込んでくださったんでしょうか

母:知らないわよ。誰でもよかったんじゃない?なんせお相手は目が見えないらしいから

紗代:え?

母:盲目のピアニスト。稀代の天才藤澤修二。あんたみたいな馬鹿でも、名前くらい聞いたことあるでしょ

紗代:え

母:物好きよねぇ。よりによって…いくら見えないからって、こんな何のとりえもない醜女を選ぶなんて。金があって…選びたい放題でしょうに

母:まあいいわ。支度金もたんまり頂いたし、要らないものを引き取ってくれるって言うんだから、何も言うことないわ

紗代:……

母:あんたまさか、嫌だとか言い出さないでしょうね?あんたに拒否権なんかあるわけないでしょ

紗代:はい

母:最期の最期で金になってよかったわぁ。お相手が盲目でよかったわね?あんたみたいな醜女の貰い手が見つかるなんて。…今日は気分がいいわぁ、ワインでも開けようかしら


紗代:(母の笑い声を聞いたのはいつぶりだろう)


0:輿入れの日。


修二:はじめまして、遠いところをようこそ

紗代:(風呂敷一つでやって来た私を、白杖(はくじょう)をついた男性と妙齢(みょうれい)の女性が出迎えた)

多恵:荷物はどのくらいあるのかしら?あとから馬車で?

紗代:いえ、馬車は来ません。荷物はすべて持参しております

多恵:あら………そうなの。修二、紗代さんは2階の客間にお通しするわね

修二:お願いします、姉さん

紗代:お姉さん

多恵:そう、修二の姉、門倉多恵。よろしくね、紗代さん

紗代:よろしくお願いします

紗代:(多恵さんは話しながら私を2階の客間に案内してくれた)

多恵:本当に荷物はその風呂敷だけ?着物もなし?

紗代:あ…洗い替えの一着のみです…すみません

多恵:あら、違うのよ、責めてるわけじゃなくて…後で呉服屋を呼ぶわね。とりあえず3着ほど見繕ってもらいましょ

紗代:いえ、そんな!…お気になさらず

多恵:遠慮しないで。義理とはいえ、私にとって初めて出来た妹なのよ?甘やかさせて頂戴よ…ね?

紗代:……ありがとうございます

多恵:ふふふっ。紗代さん、あなたとっても可愛らしい人ね。私気に入っちゃった

紗代:そんな…

紗代:(ふわふわの栗色の髪を揺らせて笑う多恵さんは、女性の私から見てもとても愛らしい人で、そんな人から可愛らしいなどとお世辞を言われても、私は下を向くことしかできなかった)

紗代:…このお屋敷には多恵さんと旦那様のお二人で住まわれているのですか?

多恵:いいえ、私は他所(よそ)に嫁いだ身。ほら、苗字も違うでしょう?

紗代:あ

多恵:ここには時々、掃除に来ているの。修二はほら、あの通り目が不自由だから…だから安心して?小姑のようにあれこれ口を出すことはないから

紗代:いえ、そんな

多恵:それにしても…修二には驚かされたわ。あの子突然「結婚したい人ができた」って連絡を寄こしてきたのよ

紗代:え

多恵:ねぇ、あなたたちどんな出会い方をしたの?修二ったらなんにも教えてくれなくて

紗代:それは、その

紗代:(それはむしろ私のほうが聞きたいです…そう申し上げようとしたとき、控えめなノックとともに旦那様が入ってきた)

修二:姉さん?紗代さんに余計なことを言って困らせてない?

多恵:あら、いいところだったのに。邪魔しないでちょうだいよ

修二:やっぱり、妙なことを言って困らせていたんだね?

多恵:さぁ、どうかしら。…じゃあ私、お邪魔みたいだし?お茶でも淹れてくるわ。…修二?意中の人とようやく結婚できたからって、がっついちゃダメよ?

修二:なっ…しませんよそんなこと!

多恵:ふふっ。じゃあ後は…若い二人でごゆっくり

修二:姉さん!

紗代:(茶目っ気たっぷりに私にウインクを飛ばして、多恵さんはお茶を淹れに行く)

修二:全くもう………姉には困ったものです。気を悪くしないでください、あの人はいつもあんな感じで

紗代:素敵なお姉様ですね

修二:どこがですか。いつも一言多いんです、あの人は。…口では勝てたことがありません

紗代:とてもお綺麗で、お優しい方です

紗代:(私のような醜女にも、あのようなお世辞をくださって)

修二:嫌われていないならいいですが、あの人の話は話半分で聞き流してくださいね

紗代:そんな

修二:にしても……あなたからあんなにすんなりと結婚承諾のお返事が届いて、正直驚きました。僕は知っての通り、盲目ですから。幸い職にもあぶれておりませんが、至らない点が多々あると思います。迷惑をかけるでしょうから、先に謝っておきます

紗代:そんな、とんでもないです。私のほうこそ、至らない点ばかりでご迷惑をかけると思います…すみません

修二:紗代さん、改めまして…今日からよろしくお願いします

紗代:こちらこそ、よろしくお願いします

紗代:(こうして私たちのぎこちない結婚生活が始まった)


0:3日後。


修二:どうですか紗代さん、この家での生活は慣れましたか?なにか足りないものがあれば遠慮なく言ってください、すぐご用意します

紗代:いえそんな、お気遣いなく

修二:気遣いじゃありません。……新妻を甘やかしたいのです

紗代:そんな

紗代:(旦那様はこの3日間、事あるごとに私を気に掛けて甘い言葉をくださった。でも私はなんと返せばいいのかわからず、その度口籠ってしまう。こんな時になんと言えばいいのか…愛されたことの無い私に、過ぎた言葉は毒そのものだった)

紗代:……あの、一つお聞きしてもよろしいですか

修二:一つと言わず、いくらでも

紗代:どうして私だったのですか

修二:ん?

紗代:多恵さんが…旦那様が突然結婚したい人が出来たと連絡を寄こしてきたと仰って…私、旦那様とどこかでお会いしたことがあるのでしょうか?…すみません、旦那様は覚えてくださっていたのに、私ったら馬鹿で…この3日間、思い出そうと頑張っているのですがちっとも思い出せなくて…すみません

修二:あの人はほんとに…余計なことしか言わないな

紗代:すみません…

修二:ああいや、あなたが謝る必要はないんですよ。悪いのはスピーカーのようにべらべら喋ってしまう姉なんですから

紗代:でも…私ほんとに馬鹿で…

修二:紗代さん、謝らないでください

紗代:でも…

修二:分かりました、では謝るのを禁止にします

紗代:え

修二:謝ったらその度に、僕はあなたの髪に口付けます

紗代:なっ…

修二:見えませんから、髪だけでなく不用意にいろんな所に触れてしまうかもしれません。姉が喋ってしまったのなら、隠す必要はありませんよね?僕は貴方に気持ちがあって、貴方を迎えました。他の誰でもない貴方を請うて、貰い受けたのです

紗代:どうして…

修二:あなたの顔…見たいなぁ。今、どんな表情をしてますか?教えてくれませんか

紗代:え…と…

修二:こうなってから不自由な思いはたくさんしてきましたが、こんなにも何かを見たいと思ったことはありません。今日ばかりは、僕をこんなにした狐を恨みますね

紗代:狐?

修二:はい。紗代さん、僕は今から冗談を言いますから、どうぞ笑ってください

紗代:え?

修二:僕のこの目…どうして見えなくなったんだと思います?

紗代:え…ご病気とか…ですか?

修二:この目は、狐に持っていかれたのです

紗代:え…

修二:僕の家は代々音楽家で、僕も姉も小さいころからそりゃもう…朝から晩までみっちりしごかれていました。…でも僕には才能が無くて。…14歳のころ、僕は自分の限界を感じて身を投げたことがあるんです。と言っても浅すぎる川で、濡れるだけ濡れてとぼとぼ草むらに伸びるハメになったのですが……そこで僕は、一匹の狐に出会いました

紗代:狐

修二:狐は僕が川に飛び込む一部始終を見ていたらしく「なぜそんなことをするんだ」と聞いてきました。狐が喋ったという事実と、身投げを見られていた恥ずかしさに「才能が無いから死にたいんだ」と反射で返したら、取引を持ち掛けられまして

紗代:取引……

修二:はい。「僕は目が悪いから、君の目が欲しい。どうせ捨てようとした命だから貰ってはダメか?」と。「代わりに君が望む才能を君にあげよう」と。……僕は一も二もなく了承しました。…翌日、僕は視界を失いました。目を開けたはずなのに、かろうじて光は感じますが全てが真っ黒で

紗代:それはすごく…怖いでしょうね

紗代:(話をはぐらかすための作り話だとわかっていたが、朝起きたら視界が黒で染まっていたらと思うと…ぞっとした。でも旦那様の答えは予想外のもので)

修二:恐怖より……喜びが勝ちました

紗代:え?

修二:とにかく確かめたくて、手探りで何とかピアノにたどり着いて…そして驚愕しました。指が勝手に動き出して…弾きたい音が溢れてきて止まらなくて。いつも弾けなくて止まっていた箇所すら、すんなりと着地して軽々超えて…これは僕の手じゃない、神の手を得たんだと思ったほどです。

修二:周りはとにかく喜びました。それからはあれよあれよと言う間にコンサートや晩餐会の演奏依頼が舞い込んできて…自分で言うのも何ですが、一躍時の人です

紗代:でも、目が見えなくなったのに…

修二:周りにとっても僕にとっても、それは些細(ささい)なことだったのです。あの時僕は確かに喜びを感じたし、狐がもう一度同じ取引を持ち掛けてきたとしても、喜んで応じるでしょう。でもまさか、この歳になって後悔するなんて

紗代:え?

修二:あなたの顔、見てみたいなぁ。きっととても、愛らしいのでしょうね

紗代:そんな…

紗代:(私を笑わせようと話してくださったのに…私は笑えなくなってしまった。旦那様の目が見えなくて良かったと思ってしまうなんて、なんて醜悪なのだろう。中身も外身も醜女なんて…救いようがない)

紗代:すみません…

修二:おや?今、謝りましたね?

紗代:え?あ…

修二:罰です。…あなたに触れてもいいですか?

紗代:え!?え、と…

修二:僕、見えませんから。出来たら紗代さんから来ていただけますか?

紗代:な…いつもあんなに自由に歩かれてるのに…

修二:ダメですか?

紗代:旦那様…少し意地が悪いです

修二:バレましたか

紗代:私………旦那様を思い出したいです

修二:え?

紗代:どこでお会いしたのか…どうして見初めてくださったのか…私、思い出したいです

修二:はぐらかされてくれませんか

紗代:だって…気になります

修二:そんなことより、口付けは?

紗代:…はぐらかされていただけませんか

修二:はい。……おいで?

紗代:…はい

紗代:(旦那様が触れた髪の先から、熱が上がっていくのを感じた)


0:一週間後。


多恵:修二~?遊びに来たわよ~

修二:姉さん!来るなら来るって前もって連絡してくださいよ

多恵:いいじゃな~い。私とあなたの仲でしょう?

修二:どんな仲ですか

多恵:なによ、むくれちゃって。…ああそれとも?紗代さんといーい感じになってるところを邪魔されるのが嫌とか?お邪魔だったかしらぁ?

修二:なあっ…!

多恵:あら、瞬間湯沸かし器ね。真っ赤よあなた

修二:姉さん!

多恵:そんなんじゃ、キスの一つもまだなのかしら?ねえ、紗代さん

紗代:えっ!その

多恵:…あら、違うの?その反応…ははん?修二、あんたもやるじゃない

修二:ほっといてください!

紗代:(事あるごとに謝ってしまう私を、旦那様は許してくれなかった。髪に、額に、頬に、耳に。罰は幾度となく振ってきた)

多恵:初々しいこと!いいわねぇ~私もそんな恋愛がしたいわぁ

修二:姉さん!用がないなら帰ってください!

多恵:あら、実は用ならあるのよ?ほらこれ。…紗代さんのお母様から文を預かったの

紗代:え…

多恵:この子、名前は知られてるけど人が多いところが苦手でね?パーティとかそういうものにほとんど出ないから、紗代さんに結婚を申し込む時も私のつてを頼りたいって言ってきて

修二:姉さん!

紗代:母から…

多恵:…紗代さん?大丈夫?顔色が悪いけど

紗代:あ、はい…大丈夫です

修二:…手紙、見せてくれないか

紗代:え

多恵:あなたがほとんど身一つでこちらに来た時から思ってたの。あまりお母様とは上手くいっていないのかしら

紗代:あ…その…

修二:僕との結婚話がすんなりと通った時も、不思議に思っていたんだ。いくらピアニストとしてちょっと成功しているからって盲目の男に簡単に娘を出すわけないと思っていたから…まあ僕にとっては嬉しい誤算だったんだけど

多恵:修二

紗代:…多分、碌(ろく)なことが書いてないと思います。読まれてもきっと、いい気分がしないと思います

修二:なら、なおのこと見せてほしい。もちろん、紗代さんが良ければだけれど

紗代:……どうぞ

母:紗代~?元気にやってるかしら~?こちらはすっごく快適よ~あんたみたいな醜女がいなくなったおかげで、ひろーい家で伸び伸びと暮らせるわぁ

修二:な…

母:あんたが生まれてからほんとに最悪な事ばっかりだったけど、ようやく解放されたわ。さしずめ、あんたは不幸な貧乏神ってところかしら

多恵:ひどい…嘘でしょ

母:今日手紙を出したのはね、あんたに言いたいことがあったからよ。どうせあんたみたいな醜女、さっさと離縁されるんでしょうけど、戻れる家があるなんて思わないでね?あの盲目のピアニストの下のお世話、せいぜい頑張りなさい?あの男に捨てられたら、あんたなんて身を持ち崩して終わるだけよ?…ああ、娼館で働きたくなったら連絡して来ていいわ。ちゃーんといいところに売ってあげるからね

紗代:すみません……すみません…!

修二:紗代さん、謝るの禁止

紗代:でも母が…

多恵:修二…私、こんなにも人に怒りを覚えたのは初めてよ。大体…紗代さんのどこが醜女なの?目が腐ってるのかしら?

紗代:多恵さん…ありがとうございます。大丈夫ですから…慣れてますから

多恵:っ…!そんなことに慣れなくていいの!!

紗代:っ……

多恵:紗代さん、あなた鏡見たことある?あなたすごく可愛いわ。人のお母様のこと悪しげに言いたくないけれど…こんな人の戯言、聞かなくていいの!

紗代:ありがとう、ございます…大丈夫ですから…

多恵:紗代さん…私お世辞とかで言ってるわけじゃないのよ?

紗代:はい、ありがとうございます

多恵:だからっ…ああもうっ

紗代:すみません、すみません……

修二:紗代さん

紗代:すみません旦那様、私、少し散歩して来てもよろしいでしょうか

修二:え?

紗代:少しだけ、一人になりたいのです…すみません

修二:…分かった。羽織だけは羽織って出てくださいね

紗代:…はい

紗代:(私は気の毒そうな二人の視線から逃げるように庭に飛び出した)


0:川の近くにて


紗代:(庭を抜けて、門を出て、歩いて歩いて…気づいたら私は、静かな川の流れる場所に出てしまっていた)

紗代:ここ…どこだろう…迷ったの…かな?……でもいっか。あんなに優しい人たちの悲しい顔を見るよりは…マシね。母さまも馬鹿ね。私が醜いことくらいちゃんと覚えてるわ

紗代:旦那様は私のこと見えないし、多恵さんはお優しいからあんな風に庇ってくれるけれど……きっと内心、こんな娘が来たことをがっかりしているはず。…どうして私、生きているのかしら。この川…深くないかしら?

狐:浅いよ、とっても

紗代:えっ?

紗代:(独り言への突然の返事に驚いて振り返ると…そこには狐が一匹佇んでいた)

紗代:狐?

狐:その川見た目よりとっても浅いよ。もし本当に死にたいならもっと下流を目指したほうがいいよ

紗代:狐が…喋った?

狐:全く…どうして君たちはすぐに死にたがるの?なんで?

紗代:あ…え…

狐:驚くのはそれくらいにしてよ。僕とおしゃべりしよ?

紗代:えと…

狐:10年くらい前にもこの川に飛び込んだ男の子がいたんだ。才能が無いから死にたいって、僕にはよくわかんない理由で

紗代:それ…旦那様のこと?え、あれは作り話じゃ

狐:まあその子に目を貰ったから僕、色々見えるようになって感謝してるんだけどね。…で、どうして君はここに来ちゃったの?

紗代:ここ、って

狐:この場所はね、全部忘れたくなった人しか入って来れないようになってるの。全部全部どうでもよくなっちゃった人しか、ここには来れないの。まあいわゆる…結界的な?

紗代:結界…

狐:君はどうして死にたくなったの。あ、死にたくなんかなってないとか、嘘ついてもダメだよ?だってここに来れちゃってるんだもの

紗代:……そっか…私、死にたかったのか

狐:気づいてなかったの?

紗代:そうみたい

狐:君は随分とお間抜けさんなんだね

紗代:そうみたい…ふふっ

狐:君は何から逃げてきたの?

紗代:私…私は…優しい人から逃げてきたの

狐:優しい人から?

紗代:こんなにも醜い私を可愛いと言ってくれる人たち。お世辞だってわかってるのに心が弾むの。こんなに汚い私を受け入れてくれて…優しくて、とても苦しいの

狐:優しいのに苦しいの?

紗代:だって…とてもキラキラしているの。多恵さんも旦那様もとても素敵な人。こんな私を可愛がってくれる…暖かい人

狐:君はその人たちが嫌いなの?

紗代:嫌いなわけ………でも、辛いの。私を見ることができない人が、私を可愛いだろうなって言うの。見えてたら言うはずのない言葉を貰って喜んで…こんなの、詐欺師じゃない

狐;見ることができない人?…もしかして君は、昔僕に目をくれた子の友達?

紗代:そう、みたい。あんなに優しくて素敵な人が、目が見えないからって私みたいな醜女に騙されて不幸になっていくの。私は本当に、不幸の貧乏神なのかもしれないわ

狐:あの子が不幸だって言ったの?

紗代:ううん、あの人はお優しいからそんなこと言わない。でもいつか気づいたら。…こんなに醜い嫁を貰ったって、騙されたって気づいてしまったら私…

狐:よくわからないな。あの子の目は見えるようにはならないよ?だって僕が貰っちゃったんだもの

紗代:私、見た目だけじゃなくて心も醜女だから…旦那様の目が見えなくてよかったって喜んでしまう醜女だから…きっといつか、旦那様にも捨てられるわ

狐:捨てられるのが怖いの?

紗代:そうね……そうかもしれない。母さまに捨てられても何とも思わなかったのに…旦那様に捨てられて嫌われてしまうのが…怖いんだわ…

狐:君はどうしたいの?

紗代:…嫌われる前に、消えてしまいたい

狐:やっぱりよくわからないよ。嫌われてもないのに、嫌われるって決めつけるの?

紗代:だって…こんなに醜いのよ?あんなに優しい人を騙しているのよ?

狐:騙しているの?

紗代:そうよ。もしあの人の目が見えていたら、私に触れて「可愛い」だなんて言わないわ

狐:そうかな?

紗代:そうに決まってるわ。だって私、こんなにも醜女なんだから

狐:じゃあさ、賭けをしようよ

紗代:賭け?

狐:うん。僕、あの子にこの目を返してあげるよ

紗代:えっ

狐:そうしてあの子が君を見て…汚いって言ったら、君のこと、殺してあげるよ

紗代:え……でもそんなの、あなたに得が無いわ。あなたは目を失って、私を殺すっていう仕事が増えるだけ

狐:僕ね、この目を貰ってからいろんなものを見てきたんだ。でもね、もうそろそろいいかなって。もう結構楽しかったし、いっかなって

紗代:いっかなって…

狐:それに万が一、あの子が君のこと汚いって言ったら、君を貰って暮らすことにするよ。僕ね、そろそろ天寿を全うしそうなんだ

紗代:え…

狐:君はとっても可愛いからきっとそんな未来無いと思うけど…もしも追い出されたら、迎えに行ってあげる。だからその時は僕と一緒に逝こう?

紗代:そんな…

狐:契約成立ね。さあ、元の世界にお帰り

紗代:えっ、待っ…

紗代:(淡い光に包まれて、私はその空間から放り出された)

紗代:(気がつくと私は自分のベッドに横たわっていた。私が起きたことに気づいた多恵さんが大きな声で旦那様を呼んでいる)

多恵:紗代さん大丈夫?どこか痛む!?

紗代:多恵さん

多恵:ああもうっ!心配したのよ?あなたが庭で倒れているのを見た時は心臓が止まるかと思ったわ!

紗代:すみません迷惑かけて…

修二:また謝ってますよ、紗代さん

紗代:(多恵さんの後ろから、苦笑いの旦那様が現れた)

紗代:すみませ…あ

修二:全く……いつになったらその癖とってあげられるかな。それに迷惑なんて掛かってない。心配しただけだよ

紗代:旦那、さ…ま

紗代:(この屋敷に来てから一度もかち合ったことの無い旦那様の視線を受けて、私は悟った)

紗代:旦那様…目が…

修二:うん、見えてる

紗代:あれは…じゃあ夢じゃ…

修二:あれ?もしかして紗代さん、狐に会ったの?

紗代:はい

修二:…そう。君が散歩に出た後しばらくして…目に激痛が走った。そして…世界に色が戻った

多恵:ホントにびっくりしたのよ?急にうずくまったと思ったらそのあとすぐピアノ室に駆けこむんだから

紗代:ピアノ室…

修二:狐にあげた目が戻ってきちゃったから、才能を取り上げられると思ったんだ。だけど、僕の指は昨日となんら変わらずに動いてくれた。狐がくれた力はまだ僕の中にあった。…どういうことかわからなくて、とにかくもう一度会いに行こうって……居場所なんてわからないけど、昔みたいに訳も分からず家を飛び出そうとして、庭で倒れている紗代さんを発見したんだ

多恵:もう私、何に驚けばいいかわからなかったのよ?あなたは急に視力を取り戻すし紗代さんは倒れてるし

修二:どうしていきなり狐が目を返してくれたのかわからないけど…感謝したよ。紗代さんを見ることができたんだから。…ずっと見てみたかった。やっぱり、とびきり可愛い人じゃないか

紗代:え…

修二:君が醜女?それはどこの国の言葉?逆さ言葉?それとも、紗代さんのお母様はよほど目が悪かったの?

紗代:私…醜女じゃないんですか?

修二:紗代さんは醜悪の判断がおかしいと思うよ?どうして紗代さんを醜女だと思えるのか、本気でわからない

多恵:そうよ!私お世辞で褒めてたんじゃないわ!あなたが可愛いから可愛いと口にしていたのよ?なのにいっつも受け取ってくれないんだから

紗代:すみませ

修二:(遮って)紗代さん?

紗代:あ…

修二:紗代さんを一目、見てみたかった。僕がこんなにも恋焦がれている人は一体どんな顔をして笑うんだろうって

紗代:恋……嘘…

修二:えぇ?そこから信じてなかったの?あんなにも伝えたのに

紗代:…旦那様はお優しいから

修二:そこから信じてもらえてなかったなんて…あ、謝るの禁止

紗代:は…い…

修二:まぁ…ちゃんと貴方の目を見て言えてなかったから仕方なかった…ってことにしておくよ。じゃあ、改めて。…紗代さん、貴方は僕が恋い焦がれてなんとかお嫁さんに来てほしいと願い、そしてやっと手に入れた、僕の宝物なんですよ

紗代:私が…宝物

修二:はい

紗代:嘘…

修二:だから嘘じゃないって。今度僕の気持ちを疑ったら、今度は唇を頂きますね

紗代:えっ

修二:目が見えるって便利ですね。……探さなくても、貴方の唇に辿り着けます

紗代:なっ

多恵:ちょっと修二?私がいるのにそんなに堂々と口説かないでよ

修二:だったら離席してもらえますか?

多恵:なによもうっ!…紗代さん、貴方はもっと愛されることに慣れたほうがいいわ

紗代:愛される…

多恵:この子も私も…もうすっかりあなたが大切なの。あなたが大好きなの。…あなたが嫌がっても大事にして可愛がってしまうから、どうか慣れて頂戴

紗代:私…だって…醜いですよ?

多恵:どこが?

紗代:…旦那様の目が見えなくてよかったって思ってました。見えてしまったら、私のことを嫌いになってしまうから…

多恵:どうしてそういう思考回路になるの?

紗代:だって私…醜いから…

多恵:…これは重症ね。とりあえず今度一緒に姿見を買いに行きましょ。あと着物も全部新調しちゃいましょう。構わないわよね?

修二:勿論だ

紗代:そんな

修二:それと、禁止事項追加です

紗代:え

修二:二度と自分を醜いだなんて言わないでください

紗代:あ

修二:二度と自分を……僕の愛した人を侮辱しないでください

紗代:愛っ!?

修二:ああ、見えるって本当に素晴らしいね。可愛すぎて…今すぐ抱きしめていいですか?

多恵:修二…?

修二:ああ姉さん、まだいたんですか

多恵:言うようになったじゃない

紗代:私…ここにいていいんですか

多恵:何言ってるのよ

修二:いてくれないと困ります

紗代:私のこと…嫌いになってないんですか

多恵:なるわけないでしょ

修二:ますます好きになりました

紗代:な…

修二:これから時間をかけて貴方を愛していきますから…覚悟していてくださいね


0:時同じくして、紗代の母は独りぼっちの屋敷で酒を煽っていた


母:どうして…どうしてあの子が幸せなの…どうして泣きついてこないの…許せない、許せない…私からすべてを取り上げたくせに…あの人を取り上げたくせに…どうしてあの子だけが幸せになるの…

母:どうして私だけが独りなの…どうしてみんな私の前からいなくなるの…どうして…どうして…

妖狐:醜いねぇ

母:んあ?…狐?どっから入ったの

妖狐:君があの子の母親?随分不細工な顔をしているんだね

母:しゃべ…った…?嘘でしょ、これしきのワインで酔いが回るなんて…

妖狐:昔は…そうだね、とても綺麗な人だったのに……どうしてこうなっちゃったんだろうね。素材はいいのになぁ、もったいない

母:あんた何なの?何ごちゃごちゃ言ってんのよ

妖狐:ねぇ、もう一度やり直そうよ

母:え

妖狐:あなたの悲しみ全部、僕が貰ってあげるよ。あなたの悔しさも怒りも妬みも全部、吸い取ってあげる

母:何?ほんとに何なの?

妖狐:綺麗で優しくて一途に恋をしていた君に戻してあげる

母:何言って

妖狐:辛かったんだね。悲しかったんだね。……もう大丈夫だから。一緒に逝こう?

母:な…に…

妖狐:独りは……寂しいもんね……おいで?もう、大丈夫だから

母:あ…あ……

妖狐:全部僕が、貰ってあげるから……おいで


0:母は最期に、綺麗に笑った。


0:後日談


紗代:そういえば、旦那様

修二:ん?なんですか?

紗代:結局私は、いつ旦那様とお会いしたんでしょうか

修二:え

紗代:私その…どうしても思い出せなくて。いつ旦那様に見初められたのか…知りたくて…

修二:……どうしても?

紗代:ダメですか?

修二:…紗代さん、その顔は反則ですよ

紗代:え?

修二:可愛すぎるのでキスしていいですか?

紗代:な…っ!そ、そうやってまたはぐらかそうとして

修二:はぐらかすつもりはありませんよ

紗代:じゃあ、教えてくださいますか?

修二:……僕は一度も、ちゃんと紗代さんと対峙したことは無いんです

紗代:え?

修二:吉田先生の懇親会で紗代さん、お茶を淹れていたでしょう

紗代:吉田先生?

修二:書道の先生です。覚えていませんか?

紗代:あー……母の友人の方のお知り合い…だったかしら。確かにどこかのパーティー会場でお茶をお配りした記憶があります

修二:僕、視覚を失ってから…いやに五感が鋭くなりまして…味とか香りとかにうるさくなってしまったんですよ

紗代:ん?

修二:配膳されたお茶がその…あまりにも美味しくて。丁寧にお茶を淹れる人だなぁって思って。どんな人が淹れてくれたのかなぁって…気になりまして

紗代:……ん?まさか…それだけですか?

修二:あ、いや…それで、あまりに美味しいお茶だったのでその、ぜひお礼を言いたくなってお茶を淹れた方を会場を探していたら……すれ違いざま、あなたの声が聞こえてきまして

紗代:え?

修二:あんまりにも可愛らしい声で話されていて…心臓が煩くなって…友人にお茶を淹れたのが声の主だと聞かされた時は、驚きすぎて魂が抜けるかと思いました

紗代:えっと…つまりそれは

修二:僕は、貴方の姿は知りませんでしたが、貴方に胃袋と耳を同時に掴まれたのです。……追いかけたくなる気持ちもわかるでしょう?

紗代:なっ…

修二:いやでも、見えるっていいなぁ。こんなに可愛らしいあなたの表情を見られるなんて…僕、あの時死ななくてよかったです

紗代:修二さん!

修二:紗代さん、好きです。……こっち向いてください

紗代:嫌です

修二:じゃあいいです、つむじから順にキスしますから。気が向いたら僕のこと、見てください

紗代:余計に見られません!

修二:ほんと、僕の奥さんは可愛いなぁ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

盲目と醜女 5人用台本 ちぃねぇ @chiinee0207

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ