黒を操る男、学園の用務員となる

沖唄(R2D2)

第1話

 影一つ無い真っ白な部屋。



 その中央に立つ、真っ白な十字架に男は磔になっていた。



 まるで影を恐れる様に、神経質なまでに白色の光で照らされた部屋の中で、図太い神経のその男は立ったまま眠っていた。



 そこへヒールで床を叩く音が近付いて来る。



「……」



 男は静かに眠りから覚めて、瞼を開く。


 同時に白い部屋の扉が開いた。



「時間です。起きなさい」



 現れたのは気の強そうな白衣の女。

 彼女は情けを一切感じさせない声色で男に向かって一方的に告げる。



 男は白と黒が歪に混ざり合った色の頭を持ち上げ、その奥から真っ黒な瞳が覗かせる。


 そしてニチャリと笑って口を開いた。





「ククク、やっと朝かい。相変わらず君に会えない時間は長く感じてしまう。人と言うのは退屈な時間程長く感じるものらしいが、そう感じてしまうのは君との時間が余りにも心地良いからだろうね」



 流れる様にキザな言葉を吐く男。



「どうかな?このままここを抜け出して僕の腕の中で夜を越えるというのは?」



 決まったと言わんばかりのドヤ顔で女に目を横目で見る男。



「え、無理」



 女は直球の拒絶をする。



「え?」



 男は不思議なことに、一瞬酷く傷ついた様な表情を浮かべる。

 そして、次に納得した様な表情を浮かべた。




「ククク。気にしなくても、僕は女性が働く事に偏見は持たないタチでね。僕と結婚しても仕事は続けて貰って構わないよ」


 まったく的外れな配慮をする男。

 先程の拒絶も男の中では無かったことになっているのだろう。



「いや、物理的に無理」


「ぶっ………まあいい。それなら何の用かな?君との語らいは心地良いものだが、君が僕の愛に応える勇気が無いと言うなら、僕に出来ることは残念ながら少ないよ」



 男は『物理的に無理とはどういう意味なのだろう?』と言う疑問を強引に頭の外へ追い出して、話を本題に戻した。



 女は頭の痛みに耐える様に眉間を摘むと、男に告げる。

 ここまでが彼女と男の毎日のやり取りである。



「自分の立場を忘れましたか?私は研究者で貴方の……

「僕の能力を取り出そうとしている。そうだった。まだ諦めて無かったのかい?最近の研究者というのは随分と時間の使い方が上手なようだ。……もしかして、暇なのか?」



 男は粘着質な笑みを浮かべる。



「馬鹿にしているのですか?」


 女は額をひくつかせる。



「馬鹿になんてしてないさ。でも、どうやら馬鹿だという自覚はあるようだね。大変感心した」


「それが馬鹿にしてるって言ってッ……はぁ、もう相手にしちゃ駄目なのに…」



 そう言って女は引っ張って来たカートの計測機器を男に向ける。


 しかし、その全てにおいて針が振れる事は無い。

 まるで、幽霊のようにその存在が観測の外にあった。



「そんな無粋なものでは僕は測れないよ」


「これも駄目なの!?……私がっ、この目で存在を確認してる筈なのにっ…」



 成果の出ない実験に研究者の女は唇を噛み締める。

 一方男は『怒った顔も可愛いじゃないか』と的外れな感想を思い浮かべていた。



「ククク。僕を機械を通じて観測するのが駄目なんだ。もっと他に方法があるだろう?思いつかないか?」

「……どういう、意味?」



 結果を出すのに躍起になっている女は藁をも掴む思いで男に問いかける。



「もっと、生身で僕を観察するとかさ」

「それは、生体機械を組み込んだ計測機器、という事?」



 女は蛇のピット器官のように人間の知覚の外にある生物の機構を利用した装置を思い浮かべる。生体機器から送られる信号をうまく解釈するのは難しそうだが、解決は出来そうだと筋道を頭の中に重い浮かべているが、実際は違う。


 男はただ、目の前の女の気を引きたくてそれらしいことを言っているだけだ。

 その言葉に大して意味は無い。



 現に女の淡白な反応に男は口をへの字に曲げていた。



「飽きた」


「へ?」



 唐突に男は呟いた。



「外の空気が吸いたくなって来たな」


「この環境下ではあなたの能力は体外に干渉できないわ!!」



 推測した能力への対策は万全に済ませた筈だった。

 彼に相性の悪い能力を使用した厳重な拘束。

 女はその対策に自信を持っていたが、これまでの計測の結果が彼女を安心させてくれない。



「ククク。影を消せば僕の能力が無効化できるとでも思っていたのかい?」


「余裕ぶっても無駄よ。あなたの能力の情報は既に知ってる。それを踏まえた上で完璧な拘束をしているわ。加えて聖女の力を何重にも使用して能力を封印しているわ」



 そうだ、最高の能力者と呼ばれる聖女の力をも使っているのだ、彼の能力の出力は何十分の一にも制限されているのだ。

 そう女は思い直した。



「そうかな?完璧な白など有り得ない。……ところで、君は凄く綺麗な”黒色の瞳”を持っているね?」


「なっ…まさか!私の瞳を媒介にして能力を発動させるつもりで!」



 女は男から瞳を庇う。

 もしかして、計測に際に他の研究員をおちょくりまくって、彼女へと順番が回って来たのも男の目的通りだったのだと、女は驚きを露わにして叫んだ。



「……その手が……」

「…え?」



 男も驚いた顔をしていた。


 まさか、本当に瞳を褒めただけとは思いも寄らない女はその言葉が予想外すぎてよく聴き取れなかった。




「…ク、ククク。それではさようならだ」


 男は粘着質な笑みを浮かべ直し、女が推測していたように能力を発動する。


 女の視界が黒一色に染まった後、すぐに視界は光を取り戻した。




 目の前にあったはずの男の姿は消えていた。女は部屋の隅々を見渡すがそこには影も形もない。背後の扉は、認証を突破したのか開いたままになっていた。



「逃げられたっ」



 部屋を出て、廊下にあるパネルを操作して、施設内の隔壁を落とし研究所をロックダウンする。


 彼女のいる廊下も同じように隔壁で閉じられる。


 完全に隔壁が降りた頃、彼女は大きな振動を感じた。


「まさか…」


 彼女は冷や汗を流しながら再びパネルを操作して監視カメラの映像を呼び出す。


 ディスプレイには、円形にくり抜かれた隔壁の向こうに夜が映っていた。


「あああ"!!」


彼女はパネルを全力で叩いて忌々しい男の名を叫んだ。



「っアスラ・ラースゥ!!!」

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