第48話 それぞれの道
その日の放課後は、橋呉高校生徒にとって久しぶりに何もない日になった。
ゆえに皆がそれぞれ違う時を楽しむ。
家路を急ぐ者、部活動に励む者、意味もなく教室に留まって友人たちと話し込む者。大好きな人と手を繋いでのんびりお互いの時間を楽しむ者……。
思えば考え方も、目標も、育った環境も、何もかもが一致しない連中が、たまたま年齢が近く、たまたま同じ街に住んでいるというだけで、一日の大半を同じ場所で過ごすというのは奇妙である。
違う人間が集まって言葉と行動をすりあわせればそれは楽しいし、学べることも多く、一生味わうことのない体験を得ることもあるだろう。
しかし、違う人間がぶつかり合うことで心を削り、集団からはじき出され、必要以上に孤独と重圧を抱える者もいる。
できる人間、できない人間、才能のあるなし、格差。
自分の力ではもうどうしようもできない事実を体感して、必要以上に自分を高めたり、恐ろしいくらいに自分の価値を卑下する子達も出てくるだろう。
ある程度、生活水準が高くなった国において学校という箱はだいたいねじれてくる。それを楽しい場所にすると意気込む仁内は、自分で定めた課題が想定していた数百倍も難しいと、この三日間で思い知る結果になった。
楽しいと言ってくれた生徒はいた。
しかし、登校を拒絶する生徒たちはこの三日間一度も学校に来なかったし、ここに居続けると志望校に合格できないと保護者経由でクレームを付け、既に転校を願い出てくる生徒もいた。
何より、自分たちの存在が結局マオーバのような連中を引き寄せているのだという専門家たちを黙らせる言葉もデータもまだ持っていない。
しかしこの程度で仁内大介はへこまない。
彼は図太く、割と熱心で、結局仕事が好きなのである。
「あの子たちを呼ぼうか」
職員室で仁内は風間に言った。
「……仁内くんなら言うと思ったし、私もそうしたい」
風間もあっさり言った。
幼少期の仁内のように、その類い希な能力ゆえに苦しんでいる若き超人たちをシルヴィは何人も保護している。
仁内は彼らをこの学校に呼び寄せたいと願っているのだ。
「ただ、生徒が彼らを受け入れてくれるかどうか……」
「大丈夫よ。みんな、良い子達だもの」
この三日間で風間あやめがたどりついた結論である。
「おう、フレンからメッセージが来たぞ」
大神がスマホを見ながらデカい声で呼びかける。
「面白そうなことしてるから、予定を切り替えて日本に戻るそうだ」
「……」
苦笑する仁内と、疲れたように椅子に座り込む風間。
「荒れるわね……」
と言いながら、風間あやめは笑うのだった。
前友司は今日も手打ち蕎麦「スパーク」に通いつめていた。
一心不乱で蕎麦を喰らうその姿はまるで薬物中毒者にすら見えたが、今回、隣のテーブルに、また新客がいた。
「やばい、本当に美味いわ、これ……」
杉村光が眼をギランギランにさせて蕎麦をすすっている。
そして向かい合う席にはなぜか杉村に連れられた山田五月もいたが、ざるそばを前にしておどおどしている。
「山田ちゃんも食べなよ。めっちゃ美味いよこれ」
「わ、私、お箸が上手く扱えなくて……」
実は今までずっと海外にいたので、日本食はこれが初めてだった。
それを聞いた琉生の母がすぐにフォークを持ってきた。
「マナーなんか気にしないでガンガン食べて良いわよ」
「あ、はい……」
少しずつ蕎麦をつけ汁に浸し、ゆっくり口に含んでいくと、電気を浴びたように体を震わせ、あとは夢中になっていく。
「そういや、本郷の奴隷、あんたのせいで大恥かいたわよ」
思い出したように杉村が前友司を睨む。
「あんたがポイントの替わりによこせっていった奴、なんだっけ、ミエのバンカイだっけ?」
「ミレーの晩鐘だよ。あんたの地元なんだから覚えとけよ、そのくらい」
「そうそれよ。オルセー美術館にいくらだって聞いたら、鼻で笑われたわよ。すっごい恥かいたわ」
「あんた、マジで聞いたのか……?」
「したわよ。後で調べたら、絶対無理じゃん! 国宝級じゃん!」
「無理に決まってるだろ……。そのつもりで書いたんだから……」
「なにぬ?」
ピタリと動きを止める杉村。
「この世の中にはな、いくら金を積んでも力でものを言わせても、絶対手に入らないものがあるって言いたかったんだよ」
杉村はムッとしたのか、箸を止めた。
「……あのバカップルのことを言いたいわけ?」
ふてくされる杉村に対し、前友は何も答えず、天井を見上げ、指で四角い枠を作って呟いた。彼の眼の中には、ここにはいない二人の姿がある。
「いい絵じゃないか、なあ?」
その時、ドンッと大きな音がした。
角のテーブルで顕微鏡を使って調べ物をしていた一文字桜帆がイライラとテーブルを叩いたのである。
「ダメ、全然分かんない!」
桜帆はなぜかこの店のそば粉を徹底的に研究していた。
「同じ材料に同じ量、同じ手順で作ってるのに、なんで私が作るのと全然味が違うの?! どうしてこんなに差が出るの?!」
この店の蕎麦がなぜこんなに美味いのか、科学的に検証しているらしい。
「はっはっは。まあ気が済むまで調べりゃ良いさ。10年かかるだろうがな」
かんらかんらと笑う琉生の親父と、悔しそうに頭を抱える桜帆。
「変な姉妹だこと……」
唖然とする杉村に対し、山田五月は微笑む。
「なんか、楽しそうで良いな」
そして本郷琉生と一文字真子はこの家のベランダでぼんやり星など眺めていた。
「そうか。桐山さんが……」
恐らく桐山美羽は自分を助けた黒づくめの正体が誰か気付いたはずだ。
しかし彼女は言わないと言った。
事実、今日の放課後。
校長室であったときも、彼女は普段と何ら変わりない態度で黒魔子と接したし、よそよそしい態度も取らなかった。
「彼女が言わないって言ったら、絶対言わないと思う」
「そうだね。俺もそう思う」
「琉生くん、私ね……」
真子さんは静かに琉生の肩にもたれかかる。
誰も見ていないだろうから、琉生は彼女の体を後ろから抱きしめて、その手を彼女の頬に置いた。
「桐山さんにありがとうって言われたとき、凄く嬉しかった。もの凄く、嬉しかった。こんな気持ち、今まで感じたことがない」
「……」
「私、自分の体が嫌だったし、今もあんまり深く考えたくないし、こんな体にした人達のこと思うと凄く良くないこと考えちゃうけど、もしこんな体が誰かの役に立つのなら、何かの役に立つのなら、やらなきゃいけないような気がした」
うん、そう、そうなんだと黒魔子は気付いたようだ。
「琉生くん、私、人の役に立ちたい」
「そうか……」
「きっと、シルヴィに上手く乗せられたんだろうね」
確かにその通りだと琉生は笑う。
「俺もそうだよ。だってあの人たちのファンになっちゃったから」
少なくとも彼らは楽しそうにこの三日間を過ごしていたし、そんな彼らの姿を見るのが琉生は楽しかった。それは間違いない。
「これから何ができるのか、考えなきゃ……」
琉生は自分に言い聞かせるように言った。
そう。
いい加減、自分の進路を考える必要がある。
どんな道を選ぶにしろ、ずっと真子さんに寄り添える、いつでも彼女の元に駆けつけられるものでありたいが、それを探すのは難しいに決まっている。
それでも、琉生はまだ楽観的だった。
一人でできないことも、二人ならできる。
なんとなく自分の口から出てきた言葉が、ここまで自分を強くする魔法になってくれるとは思いもしなかった。
二人でいれば、何とかなる。
今はそれで良いと、琉生は真子さんの頬に触れる手に力を込めるのだった。
終
――――――――――
作者より
ここまで読んでいただきありがとうございます。
このキャラ、この設定、この世界観で書いてみたかったことがもう少しあったのですが、諸般の事情を鑑み、というかそれほど読まれていない(笑)という致命的な問題ゆえに、今作はこれ切りとさせていただきます。
読者の皆様には貴重な時間を割いていただきました。誠にありがとうございました。
黒魔子さまは今日も僕しか見ていない。 ー学校一の美少女の頬を僕だけが好き勝手できる件について はやしはかせ @hayashihakase
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