エピローグ

エピローグ

 陽がのぼるとともに自然と目が覚めた。窓から差し込んでくる光。それは数万年、いや数億年前から変わらず太陽からとどく光であり、おそらく数万年、数億年後も変わらず注ぎ続けるであろう光だった。

 などと、シンイチは思索を巡らせながら身体を起こそうとする。だが全身が鉛に変わってしまったかのように、腕も、脚も動かない。鈍い痛みが全身を包んでいる

 前日の夜、ベッドはアツミに譲り、自身は床に敷いた布団で寝ると決めて、横になった途端に意識がブラックアウトした。それでも朝になると目が覚めるのは、日ごろの習慣がもたらしたもの、ではなかった。

「んー、おかしいなー」

 声はキッチンの方から聞こえる。水が流れる音、温められた油がはぜる音、様々な音が聞こえてくる。なにかよからぬことが起こってるのでは、と慌てて駆け寄ろうとしても、身体はなかなか言う事をきかない。

「あちち! どうなってるのこれ?」

 前日、エーコが去った後結局、シンイチは冷蔵庫に残っていたビールに手を出して、一本飲み干したところで酩酊してしまったことを思い出す。二日連続で飲酒するなど、シンイチにとっては初めての経験だった。

「きゃっ!」

 パン、と何かがはじける音。さすがに放っておくこともできず、意を決して身体を起こした。そしてゆるゆるとキッチンへと進んでいく。

「おはよう、シンイチ!」

 アツミは満面の笑みで、朝の挨拶をシンイチに投げかけた。寝巻代わりにもう一着わたしたTシャツに、どこから見つけたのかエプロンを重ねている。

「おはよう」という、しばらく聞いたことのない言葉にシンイチは戸惑ったが、おはよう、と無難に言葉を返した。

「それより、一体何を始めたんだ」

 ガスコンロとシンク、そしてその間の小さな空間、すべてに皿やボウルや、数少ない調理道具が全て投げ出されていて、それぞれに何らかの食料品、らしい何か、が載せられていた。だがほとんどすべてが原型をとどめず、どす黒い何かの塊としか表現しようのない状態だった。

「いったい何を始めたんだ、こんな朝っぱらから」

 シンイチは後頭部をかきむしりながら言う。

「え? 人間はその日の活動を始める前に、食事をとるんでしょ?」

「ああ……朝ごはんな」

「よかった、合ってた。だから、私もそういうものを作ってみようと思って」

「お、おう、そうか」

「もうちょっと待ってね、できそうな感じになってきたから」

「お、おう、そうか」

 シンイチはキッチンから、一歩ずつ距離をとって、寝床の場所へと戻る。

 今日はアツミとともに、小学校へ行かねばならない。シンイチはクローゼットから、入学式の時以来袖を通していないスーツ、長いこと吊るされたままだったワイシャツ、そしてブルーとグレーのストライプ柄のネクタイを取り出す。

 背広を見ると父親を思い出す。発掘調査の時はいかにも「山に入ります」という格好、そして大学に向かう日も普段着の延長という感じだったが、学会に出向くときだけはスーツを着込んでよそ行きを決め込んでいた、その姿が目に浮かぶ。

 子供が好意や積極性で始めたものを、見た目がおかしいとか、手順が間違っているとか、そういう理由で止めてはならない。まずは出来上がるまで自力でやらせてみる。

 自分がそうやって育てられたことを、シンイチは思い出した。

 だが、そうやって育てた父親がいまどこにいるのか、何をしているのか、シンイチは知らない。二年前、高校の卒業式の日に父親は消えた。跡形もなく消えてしまったのだ。

 別に会いたいとは思わない。会って話をすることもない。それでも、ふとした拍子に思い出してしまうことがシンイチにとっては悔しかった。

「できたよぉ!」

 アツミの声。シンイチは慌ててパンツに脚を突っ込み、皿が並べられたテーブルについてた。

「いただきます……」

 外観は先ほどと大して変わっていない。ほぼ黒一色だ。パンだったらしいもの、ハムだったらしいもの。それぞれそのまま並べてくれてもよかったのが、何で得た知識なのかわからないが、どれも入念に加熱されていた。

 シンイチは、恐る恐る、がなるべく表にでないように、恐る恐る手に取って口に運んだ。

「うむ……」

「どう? 食べれる? 味覚に合う?」

 食べられないものではない。ただ、うまいと言えるものではない。だが、この生活が今後しばらくは続いていくことを考えると、めったなことは口に出せない。

 考えた末に、飲み込んで、言った。

「ありがとう」

 言ってから、シンイチはコップに注がれた水を飲む。予想していなかった言葉に、アツミは目をぱちくりさせる。

「どういう意味? ありがとう、って。こういう場面で使う言葉なの?」

「いや、いつでも使っていい言葉だよ。

 いまここに存在してくれて嬉しいっていう意味だ」

「ふうん……。人間の思考って難しいわね」

「さて……って、げっ、マズい!」

 シンイチは、ふと時計を見た。余裕をもって家を出るつもりだったが、いまちょうど予定の時間になったところだった。

「準備して行こう、って、アツミ?」

 アツミの目から涙が落ちている。口元はゆがみ、身体全体が小刻みに震えている。アツミの人間らしい反応に驚く前に、シンイチはアツミが泣き出す原因があったか慌てて考える。

「アツミ、お前なんで泣いて」

「うっ……うっうっ……マズいって……」

「えっ?」

 泣きながらの声がうまく聞き取れず、シンイチは思わず聞き返す。

「うぇっ……ひどいよ……シンイチ」

「えっ? 俺? 俺なにかしたか?」

「ひどいよ! せっかく頑張ったのに『マズい』って言ったもん!」

「はい?」

 確かに言った。シンイチは「マズい」と言ってしまった。ここまで読み進めてきた諸兄も先ほどご覧になられたであろう。

 シンイチは確かに「マズい」という、料理をしてくれた相手に対して絶対に言ってはならない一言を口にしてしまったのだ。

「あ、いや、そういう意味じゃないよ。わかるだろ? たまたまだよたまたま」

「何よ! たまたまとか偶然とか! そういう言い方で色々うやむやにしてきたんでしょ! エーコさんが悲しむ理由もわかるわ!」

「う、そう言われると……じゃなくて」

 シンイチはアツミの肩に手をのせる。

「作ってくれたゴハンがおいしくないって言ってるんじゃない、出発の時間を過ぎてることが良くない、『マズい』って言っただけだって」

「……そうなの?」

「そうだ、間違いない」

「じゃあ急いで出ないとじゃない! シンイチ、マズいよ!」

「ええっ!」

 アツミはエプロンを取り払い、Tシャツも取り払って慌て始める。

「片付けは帰ってきてから一緒にやろう、シンイチ!」

「その前に何か着るなりしてくれいい加減!」

 ついさっきまでのアツミの涙は、いつの間に飛び去っていた。シンイチはため息をつきながらも、よかった、と思っていた。


 二人は部屋を出て、小学校へ向けて走り始める。徒歩なら十五分かかるが、それでは到底間に合わない。

「シンイチ、それじゃ間に合わないよ」

 アツミが宙に身体を浮かせながら、シンイチの前を行く。シンイチは全力を出そうとするが、脚はなかなか前に出ない。

「シンイチ!」

「あー、がんばってますよー。あーあ、どうしてこんなことに」

 うつろな目でシンイチは前を向く。雲一つない快晴、東から顔を出した太陽は、いま全体をさらして温かい光を投げかけている。

 これから何が起こるのか、これからどうなっていくのか。《人造女神》は自分たちを守ってくれる最後の砦なのか。それとも人類を滅ぼす最終兵器なのか。それよりも今は、ただ目の前で起こっている事、これから起ころうとする事に立ち向かっていくしかない。シンイチは諦めと希望、両方の想いを込めてため息をつく。

「シンイチ!」

  

 アツミが、はしゃいだ声で言う。

「私、楽しみ! シンイチと一緒に、人間みたいに暮らすの!」

「そ、そうか」

「シンイチは? どう?」

 シンイチは迷わずに答えた。

「ああ、俺も楽しみだ」

「そうよね!」

 アツミが、満面の笑みを浮かべた。


 これが、自分のやりたいことなのか、あるいは自分のやるべきことなのかはわからない。正しいことなのか、間違っていることなのか、今はまだ、何も判断できない。

 でも、いまアツミといることで、そんな問いかけの答えに少し、近づいたような気がする。本当の答えにたどり着くのがいつになるのかわからない。そもそも、答えにたどり着けるかどうかもあやしいる

 それでも今は、前を向いて走りたい。そう思ったら、自然と俺も笑っていた。

 これからよろしく、天堂アツミ。

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小説版・埋蔵少女アツミちゃん ~1万年の眠りから覚めた人造女神はどうして小学生の姿でいるのか~ 1.始まりのビギニング にへいじゅんいち @1chance_mini4wd

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