第五章 別れのグッバイ-3

「なに?」

「こんな時間に来客なんて、誰だろう」

 シンイチは玄関に向かった。そしてロックを解いて、ドアを開けた。

「ごめんね、突然」

「エーコさん……」

 ちょうど丸一日前、この部屋から出ていった女性が、そこにいた。

「明日の朝の飛行機で、調査に行くことになって。あんな感じでしばらく会えないなんて、やっぱりちょっと」

「あーっ! この人、シンイチを撃って、遺跡を壊しちゃった人でしょ!」

 シンイチの脇からアツミが顔を出す。

「げっ……」

 悲しさを笑顔で無理やりくるんでいたようなエーコの表情が、一瞬にして凍り付く。

「これ……シーコからの報告にあった《人造女神》がどうしてシンイチの部屋に」

「違うよ、私は天堂アツミ。天堂シンイチの家族だよ」

「やめっ、おまっ、それは仮の設定って、おま、あっ」

「シンイチ……私をさしおいて、自分の家族ですって、ほーう、そうかそうか。そういうことか」

「あっいや、違うんですよ。違うんです」

 シンイチは顔の前でブンブン手を振る。追い詰められた人間の行動はだいたい類型的なものになってしまう。そういう風にできているのだ、とアツミは冷静に観察していた。

「それにさぁ、そのコの着てるの、前に私が着ようとしてサイズが合わなかったヤツだっけ?」

「えーと、ああ、そうかな、そうでしたっけ」

「忘れたの? あの時シンイチが貸してくれたけど、胸がつかえて裾がとどかないって、言ったじゃない」

「お、おおう、そうでしたね、そうでした」

「それをさあ……よりよってこんな小さいコにさあ……」

 既にわかれを告げたとは言え、物理的に離れることの寂しさを抱えきれずに来た、はずなのに。寂しさは別の感情がエーコの奥底から芽生え、その徒労感と情けなさが、エーコの瞳からこぼれそうになる。

「だいたい! なんで《人造女神》にこんな姿をさせてるわけ? 《黒オリハルコン》は自由に形を変えられるんでしょ? わざわざこんな、ねえ?」

 エーコはアツミを、ジロリと眺めまわす。

「それはですね、シンイチが『この姿じゃないと一緒に生活できない』っていうんで仕方なくですね」

「あーっ! そんな余計な! 

 あーっ! 誤解! 誤解! あーっ!」

「へぇ」

 シンイチはいよいよストレスとパニックに見舞われてその場で地団駄を踏みながらクルクル回転し始める。滑稽な姿であったが、笑える人間は誰もいなかった。

「そうだったんだ。シンイチって、そういう趣味だったのね。そうならそうって最初に言ってくれたらよかったのに」

 冷たい口調がシンイチに突き刺さる。いよいよ事態の混迷度合いは、その場の方便で解決できなくなってきた。

「年下……っていうか小学生。

 私に最初から興味なかったってことでしょ、このロリコン野郎!」

「いや、そうじゃない、そうじゃない、逆ですよ逆、逆、逆!」

「逆ってなによ、汚らしい! 最低!」

「シンイチやっぱり平気なの? それなら」

 ボンッという音ともにアツミは、遺跡で出会ったのと同じ大人の姿に変身する。

「やっぱりこの方がいいんじゃない?」

「うわっ、いや、いいんですけど、いやよくないんですけど、えーと、俺はですね! 俺はですね!」

 シンイチと、身長でほぼ並んだアツミが肩を寄せる。明らかに狼狽するシンイチの姿は、エーコの目には映らなかった。そこにはただ、ヒクヒクとのたうち回っている、醜悪な生き物が一匹いるだけだった。

「この!【※作者注 このシーンのエーコの言葉は、とても出版物として世の中に出せるものではありません。読者諸兄が考えられる、最大限の非難を込めた言葉をあてはめていただければ幸いです】!」

 エーコの拳が、瞬間的に飛び出してシンイチの顔面にヒットした。時速に換算すると百キロに余裕で達していたであろう。頭部を衝撃が貫き、瞬断した神経回路が足元をふらつかせる。シンイチはその場に崩れ落ちた。

「シンイチのバカ! アホ! もう知らない!」

 床に転がったシンイチを見ることなく、エーコは踵を返した。

「次、会うときは敵同士よ! それにアンタ、《人造女神》も!」

「ひっ!」

「今日は武器が無いからおとなしく引き下がるけど! 覚悟してなさい!」

 引きちぎれそうなほど強くドアは引かれ、粉々に砕けそうなほど強くドアは閉じられた。そして後には、顔面に赤黒いアザを作ったシンイチが残された。

「うう……ううう……」

 時間にしたら五分もない、一瞬の出来事だった。力づくで、あるいは無理やりに、エーコとの関係性を修復したいと思っていたわけではない。ただ、もう一度、時間をおいて、向き合って話すことができたのならば、新しい何かを導き出すことができるかも知れない。シンイチが抱いていた淡い期待は、繰り出された右ストレートが完全に破壊してくれた。

「うう……どうして……」

 自分自身への情けなさが、シンイチの全身を縛り上げていく。そんな中でふたたびボンッと音が響き、アツミは小学生の姿へと戻った。そして、倒れたままのシンイチの方に手を当てた。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃねーよ! ひーん……」

「うーん、まあ、こんなこともあるよ!」

 アツミはそう言って笑う。シンイチはガバッと立ち上がってアツミに向き直る。

「ねーよ! 同じ相手に二十四時間で二回振られるなんて、ありえねーよ!」

 シンイチはしばらく、うなだれたまま肩を震わせていた。夜はまだ始まったばかりで、星の瞬きがようやく地上から見えるころ合いだった。

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